54 進軍開始

 王国からやや離れた場所に位置するだだっ広いヤカテ平原。そこには今、大地を覆い隠さんばかりの多数の魔物たちが集結していた。彼らは魔王軍、その先発隊として選ばれた精鋭隊だ。

 晴天の空の下、魔物たちはついに待ちに待った人間領への攻撃の日を迎えていた。


「──それでは諸君、勝利への進軍を開始しよう。ついに我々魔族がこの大陸を支配する時が来たのだ」


 数千にもおよぶ魔物たちの視線を一手に受けて、その魔物は演説していた。人型の体の頭部には角が生えている。四頭身のずんぐりとした体躯は、重力に逆い中空で停止していた。何かしらの魔法が働いているようで、ハリのある声は不自然なほどに反響して、最後列まで届いている。


「我々が人間領の豊かな土地と資源を手に入れる。奪い取るぞ、人間たちが享受している大地の恵みを。──ゆくぞ!」


 異形の軍隊が前進を始める。エーギ山脈から王国へと続く、だだっ広いヤカテ平原。そこを覆うばかりの魔物たちが一斉に行軍するその様は壮観だ。


 その先頭を疾走するのは、とにかく数が多いことで有名なゴブリンたちだ。彼らゴブリンは、一体一体の力は大したことはない。しかしその繁殖力は魔物の中でも随一で、たとえ他の種族と諍いになったとしても対等に戦い得るほどだ。

 そこから少し遅れて、こちらも数の多いオーク達。変わり者のデニスたちの放浪についていかなかった個体、そのほとんどがこの進軍に加わっていた。大きな体躯を持つ彼らは、ただ進む先に己の食事、すなわち獲物となる人間がいることに歓喜し、ただ愚直に進む。


 その後ろからも、様々な種の魔物たちが行軍していた。種族間で頻繁にいがみ合っていた蛮族たる彼らの姿はそこにはない。ここにいる魔物たちは、皆一様に魔王という絶対者への忠誠を誓った身だ。かの偉大な王に付き従いさえすれば、この大陸を制覇できる。魔物たちはそう信じて疑わなかった。



 先ほどまで演説をしていた魔物は、その行軍を上空から見守りながら、これから始まる戦いへの高揚を抑えきれずにいた。事前の情報通り、王国の手前、ヤカテ平原の警備はなくなっていた。これなら人間たちに準備する暇を与えることなく砦まで突貫できるだろう。あの恐ろしい魔王の言う通りだった。今度はいったいどんな手練手管を使ったのやら。敵すらコントロールしてみせる魔王の手腕に、また畏敬の念を抱く。


 平野を少し進めば、すぐに王国の姿がぼんやりと見えてくる。王国の最北端、プロメ砦はすぐそこだ。きっと今頃、突然現れた魔王軍の威容に恐れおののいていることだろう。魔物はほくそ笑む。


 魔王軍の狙い通り、大神教に王都が襲撃されるという非常事態があってから、多数の騎士が王都の警備に派遣され、各地の砦に配置される騎士の数は減っていた。このままいけば、脆弱な守りの砦は陥落、魔王軍は初陣を勝利で飾ることとなっただろう。

 未来を知るイレギュラーが王国に居なければ、だ。


 彼らの右手、とある山の頂上で魔法が完成しつつあることには、誰も気づかなかった。



 ◇



「メメさんの言った通りでしたね。規模も時間もぴったりです」


 魔王軍が地響きを鳴らしながら進軍する様子を観察するジェーンに動揺の色はなかった。彼は一人、魔王軍のいるヤカテ平原を一望できるダラム山の頂上にいた。メメの指示通り、彼は数日前からこの山にこもり、特大規模魔法を準備していた。

 彼の周囲には、あらかじめ魔法陣が描かれていた。王都の魔法使いから見ればそれは古臭い技術なのだろう。しかし神代の魔法を知るジェーンの手にかかれば、魔方陣は術者に膨大な魔力を供給するブースターの役目を果たしていた。


 輝く五芒星の中心に立ち、魔力の補助を受けている彼の体には、見る者が見れば驚愕するほどの魔力が渦巻いている。

 そして、魔法を完成させる最後の行程を終わらせるために、彼は詠唱を始める。神と共にあった時代の魔法が、今ここに解き放たれようとしていた。


「『今は亡き天を司る大神よ、謹んでお願い奉る。願うは地を穿ち破壊を齎す巨石。我が魔力を贄として、その姿をここに現し給え』」


 ジェーンが口を閉じるのと同時に、突如雲を突き破る影が現れた。落雷の如く凄まじい速度で地上へと迫るそれは、巨大な隕石だった。真っ直ぐに魔王軍へと迫るそれに気づいた魔物たちは、慌て、大騒ぎを始めた。


「なんだあれは……デカすぎる……」

「敵の攻撃だ!魔法を使える種族は応戦を!」

「あんなの止められる訳がないだろ!?」

「逃げろおおお!」


 地上の小さな影の様子など全く関係なしに、巨石は地上へと一直線に迫る。やがて、着弾。地上へと激突した隕石は、凄まじい爆風と轟音を周囲へとまき散らし、辛うじて直撃を避けた魔物たちを紙切れのように吹き飛ばした。


 やがて凄まじい砂ぼこりが晴れ、全容が明らかになる。平原に立っている魔物はごくわずか。数千の魔物から構成された魔王軍先発隊は、およそその九割が隕石によって無慈悲に殺された。血飛沫を大量に浴びた巨大な隕石が、戦果を誇るように平原に堂々と鎮座していた。そのあまりの惨状に、残った魔物たちはあっさりと戦意を喪失した。


「てっ、撤退だー!」


 どこからともなく上がった声に追従し、魔族領の方角へと帰っていく魔物達。その姿を認めたジェーンは、安堵のため息を吐いた。


「これでメメさんに申し付けられた仕事は達成できましたかね」


 魔王軍の先発隊をたった一人で退けてしまった英雄は、そんな自覚なしに彼女は満足してくれるだろうか、などと呑気なことを思いながら下山を始めた。





「先発隊が壊滅!?馬鹿な、一日で壊滅していい数じゃなかったはずだぞ!」

「偽の情報でも掴まされたんじゃあないのか?どこかの種族が戦果を独り占めしようとしているのだろう」

「しかし、現に複数の種族が謎の魔法で部隊は壊滅したと言っているぞ」

「我が同胞はどうなったのだ!?我らの精鋭部隊は、いったいどこに!?」


 魔王城に激震が走る。必勝を期して送り出された先遣隊が、たった一日で壊滅して帰って来た。それは、今まで恐ろしいほどに完璧だった魔王の施策の、初めての失敗だった。集った幹部たちがざわざわと話し合う中、魔王その人は冷静だった。


「静まれ」


 ただの一言だけで、混沌とした玉座の間は静まり返った。この場に魔王の機嫌を損なうような愚行を為す馬鹿は存在しなかった。


「まずは原因の調査が先だ。我々の動きが人間領に漏れていた可能性がある。情報の管理状態についてもう一度洗いなおせ。それから、先発隊の生き残りからの聞き取りを急げ」

「ハッ!」


 好き勝手に話し合っていた魔物たちは、その一言を受けて秩序正しく動き始めた。



 彼らの迅速な調査の結果、魔王はすぐに事態を把握することとなった。ただ一つの魔法によって、先発隊は壊滅。そしてその魔法を放ったのは、ジェーンという勇者パーティーの一人だった。


 後に報告を受けた魔王は次の一手を指示する。再びの全面攻勢と同時に強力な魔物の投入して、勇者パーティーを壊滅させる。



 ──季節が一つ変わった頃、魔王城に歓喜と共に報告が入る。栄光の勇者パーティー、その一人を殺した、と。



 ◇



 転移陣を使って王都へと急いで戻る。俺の経験から言って、魔王軍の第一陣が攻め込んでくるのが今日のはずだ。しかし、駆け抜ける王都には慌てた様子はない。今頃騎士たちが慌てて出ていく頃だと思ったのだが。


「メメさん、おかえりなさい」

「ジェーン、魔王軍は!?」


 ジェーンの姿がひょっこりと目の前に現れた。なぜかひどく落ち着いた様子の彼に問いかける。魔王軍の足止めを頼んだはずだが、上手くいかなかったのか?


「もう撤退していきましたよ」

「──は?なんで?」


 思わぬ言葉に、思考が停止する。ジェーンは相変わらず呑気に言葉を続けた。


「なぜって、部隊が壊滅したからでしょうねえ。いやあ、敗走する彼らの慌てた様子は見物でしたよ」

「壊滅……?まさか、お前ひとりで……?」


 半信半疑で問いかけると、彼はなんでもないことのように頷いた。


「はい。そういう指示でしたよね?」

「……いや、任せるとは言ったけど、まさかあの数を一人で倒したのか……?」


 こちらの様子を見て首をかしげるジェーンは、俺の驚きをあまり理解していないようだった。


「……メメちゃん、ジェーンさんを別行動させてたのって、魔王軍の迎撃をさせるためだったの?」

「ああ。……万一に備えての保険だったんだけどな。まさかそれが、魔王軍の第一波を壊滅させるとは思わなかったが……」


 しかし、冷静に考えれば納得もできる。吸血鬼を相手取った時もそうだったが、ジェーンの古代魔法は、事前準備できる状況であれば、現代魔法をはるかに上回る効果を期待できる。まさに迎撃にうってつけの能力と言えるだろう。


「ハハッ、気を張って帰って来たのが馬鹿みたいだ」


 どっと力が抜けるような感覚を覚える。いよいよ魔王軍との直接対決だと意気込んできたのに、とぼけたような態度のジェーンと、馬鹿げた戦果。何だかこのままベッドで寝たいような気分だ。


 思えば、ジェーンは俺の知る歴史には存在しないイレギュラーだ。彼が存在することによる想定外も当然発生するだろう。まさかこんなに嬉しい想定外が起こるとは思わなかったが。


「……ハハハッ」


 久しぶりの、本当に久しぶりの予想外の嬉しいことに、俺は笑い出してしまった。

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