87 王城魔王討伐会議

 王都の中心に存在する王城。その絢爛な内装は、何度見ても飽きないほどに見事なものだ。壁にかけられた絵画の一つ一つは美しく、目を奪われる。端っこの方に置かれた壺は、見るからに高そうな装飾だ。煌びやか廊下には、当然塵一つ落ちていない。


 俺とアストルは、先導する近衛騎士の背を追って、王城の廊下を歩いていた。目指すは玉座の間、この国の心臓部だ。


「貴様、いくら貴族として育ったとはいえ、王城を我が物顔で歩くとはどういう神経をしているんだ? 怖いもの知らずか?」

「なに、目の前に迫ってくる殺気立った魔物に比べれば、こんなのどうってことない」

「恐怖の種類が違うと思うのだがな」


 隣を熱くアストルは。呆れたように言った。共に作業するうちに、口調から少し硬さが取れただろうか。いい傾向だ。


「そういうお前は、緊張した様子はないな」


 アストルは、相変わらずの仏頂面だった。


「馬鹿言え。陛下との面会だぞ。緊張しているに決まっている」

「……お前、緊張することあったんだな」

「貴様は俺を何だと思っているんだ? 腕っぷしには自信があるが、他は至らぬ点ばかりだ。こんな俺を信用してくれている陛下には頭が上がらん」


 それは、俺が初めて見るアストルの一面だった。こいつはもっと、全てにおいて完璧な人間離れした存在だと思っていた。

 その思いを素直に言葉にする。


「意外だな」

「そうか。俺はお前と話していて意外なことだらけだがな」

「俺がか?」


 思わず、俺は彼の顔を見た。


「ああ。身の上話もそうだが、何よりもお前は思ったより真摯な人間だったことだな。最初に腹の探り合いをした時よりも、ずっと印象が柔らかくなった」


 アストルの言葉には、確かに感情が籠っていた。


「多分、あの時のお前と今のお前は違うんだろうな。何かいいきっかけがあったのだろう。良かったな」

「……いいことばかりでは、なかったけどな」


 いいことは、あった。でも、そんな俺の脳裏にジェーンの死に顔がよぎる。俺は、今の幸福を完全に手放しで喜ぶ気にはなれなかった。

 そして同時に、自分の口から後悔の言葉があっさりと出てきたことに驚いた。仲間といる時は、努めて言わないようにしていたのに。


「……ふむ、年配者として話を聞いてもいいが」


 アストルの意外な言葉に、俺はまた驚かされる。


「らしくもないことしようとしなくていいぞ」

「貴様の中の俺がどんな人間かは知らんが、迷える若者の話を聞くくらいできるぞ。これでも部下は多いからな」

「そう、か……」


 アストルの鋭い視線には、見たこともない優しい光が灯っていた。

 気づけば、久しぶりに、本当に久しぶりに、俺の口からは弱音が飛び出していた。


「以前、仲間が一人死んだ。ジェーンという名前だった。……大事な、仲間だった」


 生前、ふざけ合って、罵り合っていた時には気づこうともしなかったが、俺はあいつのことを大事にしていたようだ。自分をこんな姿にした彼へ、恨みすら抱いていたはずなのに、気づけば彼のことを失いたくないと思っていた。


「今度こそ、全部がうまくいくと思っていた。そんな俺の、つまらない慢心が原因だった。そのせいで、あいつは俺を庇って死んだ。俺は、無能な自分を恨んだ。……ああ、でもその自罰思考は、ほどほどにすることにしたんだ。彼女に諭されたからな。──でも、後悔までなくなったわけじゃない」


 呼吸を一つ。自分の気持ちを見つめ直して、俺は言葉を紡いだ。


「俺は、今でもあいつが死んでしまった時のことが忘れられない」


 真摯な瞳で俺を見つめていたアストルは、やがて重々しく口を開いた。


「ふむ。……数え切れないほどの部下を持つ私に言わせれば、そんな後悔、取っておくだけ無駄だぞ」


 アストルの言葉は、常の態度と同様に冷たく、無駄がなかった。その態度に、俺の胸中で何かが弾けた。


「でも! 俺にとってあいつは、かけがえのない仲間だった! お前とは違う! 状況が違う、人数が違う、想いが違う!」

「いいや、違わない。私にとっても、部下は全員かけがえない仲間だ。どれだけ数が増えようと、あいつらは俺にとって大切な存在だ」

「じゃあ、なんで耐えられる? 仲間が何百人と死んで、お前はどうしてまだ前を向いていられるんだ」


 ずっと疑問だった。アストルは、騎士団長という重圧にどうやって耐えているのか。部下を、仲間を失う悲しみに、どうやって抗っているのか。

 大人だからか。理性的だからか。冷酷だからか。

 でも、俺の憶測は一つだって当たっていなかった。


 真っ直ぐに俺を見つめて、彼は言い放った。


「──あいつらのためだ。俺が信頼した部下は、死んでいったあいつらは、誰一人として俺が下を向いてうずくまることなんぞ望んでいなかった。だから俺は、どれだけ死なせようと前を向く。戦い続ける。例え糾弾されようと地獄に落ちようと、関係ない」

「……そう、か」


 それもまた、一つの答えなのだろう。死んでいった者たちのために、贖罪ではなく、望まれた自分を全うすることで報いる。

 それは、俺には決して辿り着けなかった境地だった。けれど、そうやって前を向いている人がいること自体は俺にとって励みになった。


 ふと、俺はジェーンの最期の言葉を思い出した。


『私の死を、貴女の傷にしないでください。迷惑です』


 簡単には受け入れられなかったその言葉が、今なら飲み込める気がした。

 胸の中に残っていたモヤモヤが少しだけ溶けていく感覚を覚える。俺は、また一つ自縄自縛の縄を切れたようだった。


「アストル」

「なんだ」

「ありがとうな」


 少し気恥ずかしてて、視線を逸らす。アストルは、ただ静かに頷いただけだった。


「……じゃあ、気を取り直していくか」


 気づけば、玉座の間の扉は目の前にあった。

 俺は、一度深呼吸して、気合を入れ直した。





 豪華な扉を開き、正面に見えたのは、相変わらず豪華な装いに身を包んだ王の姿だった。口ひげを撫でながら、こちらを観察している。

 その横には、白い修道服に身を包んだ小太りの男がいる。あれが最高司祭。中央教会の最高権力者にして、最低のクズだ。


 俺とアストルは、礼儀通り入口で跪く。


「この度は、拝謁の機会をいただき誠にありがとうございます」

「つまらん儀礼は構わん。入れ」


 王はぞんざいに言い放った。


「はい、失礼いたします」


 入ると、文官らしき人物が、俺とアストルの分の椅子を引いた。豪華な装飾の椅子は、座るのを躊躇ってしまいそうだ。


「文官は退室せよ。此度の会議は内密とする。警備はアストルがこの場にいれば十分であろう」

「ハッ! 失礼いたします」


 控えていた文官が退室し、部屋には沈黙が訪れた。最初に口を開いたのは、小太りの男、最高司祭のヴェネリオだった。


「しかし陛下、アストルはともかく、どこの馬の骨とも分からぬ平民の娘までここに招き入れるのはやりすぎだったのではありませぬか?」

「ヴェネリオ貴様、王の采配に否を唱えるのか?」


 アストルが諫めると、最高司祭ヴェネリオは大袈裟に手を広げた。


「まさか、まさか! しかし、私は懸念していたのだよ。頭まで筋肉の籠った騎士団長が、王を害そうとしているのではないか、とな」

「最高司祭様は気が利くな。頭まで贅肉が詰まっているだけある」


 無表情のアストルの言葉に、ヴェネリオは顔を真っ赤にして立ち上がった。


「貴様──」

「よせ、ヴェネリオ」


 王は、ただ静かに手を上げただけだった。けれどその体から発せられる不機嫌そうな空気は、ヴェネリオを一瞬で黙らせた。

 気まずい雰囲気などまるで気にしていないように、王は重々しく言葉を紡いだ。


「それで、勇者パーティーからの提言を聞こうか」


 立派な口髭を蓄えた王の顔が、俺を見た。流石に、少しばかり緊張する。首を撥ねたことすらある相手だが、こうして真正面から話す機会は少なかった。


「はい。私どもで進めております、魔王討伐作戦について、王城から至急、最大限の支援をいただきたく存じます」


 王が、少しだけ目を見開いた。



「ぶ、無礼な!」


 またしても立ち上がったのは、最高司祭のヴェネリオだった。


「勇者パーティーは既に王から十分な援助を受けているではないか! まだ欲しいとぬかすのか、この乞食めが!」


 興奮した彼は、唾の飛びそうな勢いで喚いていてた。

 俺は努めて表情を殺して、彼に応える。


「貧しき者たちを救う教会のトップとは思えぬ物言いですね」

「なにを⁉」


 お前の言う乞食にも手を差し伸べ、助けているのは教会の聖職者たちだ。貧しい者にも等しく治癒魔法をかける聖職者たちは、正しく女神の教えを全うしようとしている。その努力を踏みにじるようなことを言うな。

 言葉は心中にだけとどめ、俺はあくまで王と会話をする。


「今までの支援には大変感謝しております。けれど、魔王を滅する絶好の機会に、王には後を考えぬ最大の支援をお願いしたく存じます」

「絶好の機会、とな」


 興味深い、と言いたげに王は先を促した。俺は大きく息を吸う。ここが正念場だ。息を整え、真面目な表情を作った俺は、できるだけ厳かに言い放った。


「魔王は、マルス渓谷の花が咲くころに彼の地を訪れるでしょう」


 予言めいた言葉に、王は静かに俺を見つめ続けていた。


「根拠は?」

「女神様の神託です。彼の方が勇者殿の夢枕に立ったそうです」

「では、なぜ勇者殿が直接来ない。どうして貴様が来た」


 王は、俺を疑っているようだった。けれど、その反応も予想の範囲内だ。


「王を前に堂々と提言できる度胸のある者など、そうおりません。平民出の勇者殿には荷が重いでしょう」

「そういうお前はやけに慣れた様子だな」


 王の言葉に、俺はただほほ笑むだけで応えた。


「それに、この会議に来る以上礼儀を弁えた人間が必要でしたからね」


 俺は一瞬だけ最高司祭の方を見る。彼に無礼を理由に面会の終了を告げられても困る。

 ……先ほど挑発してしまったのは、百年の恨みが少し漏れてしまっただけだ。王が俺の挑発をスルーしたということは、この場は許されたのだろう。


「では、具体的に何を望む」

「王の権限による、騎士団の総動員。できれば、貴族お抱えの精鋭騎士も可能な限り招集していただきたい。それから、中央教会からも腕利きの治癒術師を動員していただきたい」


 俺は、王の顔ではなく最高司祭の顔を伺った。案の定、彼の顔は再び憤怒に染まっていた。


「なぜ誇り高き中央教会が貴様の指図を受けなければならぬ! 私は認めぬぞ!」


 予想していた反応だ。最高司祭は単にプライドから断っているのではない。中央教会の利益を考えて、俺の提案を突っぱねているのだ。


 基本的に、教会の収益は大きく分けて二つだ。

 一つ、信徒たちから日常的に受け取っている献金。こちらは月に納める額はだいたい決まっていて、大きく変化することはない。

 もう一つが、治癒魔法を行使した際に受け取る礼金。怪我人からのお礼だ。

 支払いは義務ではないが、特に騎士のような裕福な者は、治癒に対して大きな対価を支払うことが多い。

 こちらの礼金の額は、情勢によって大きく変わる。端的に言えば、人類が魔王軍に苦戦し、負傷者が増えるほどに教会の収益は増えるのだ。だから、教会の理想は、騎士団に負けない程度に苦戦してほしいのだ。


 だから俺は、まず強欲な最高司祭の慢心を正さなければならない。


「それでは、どうして今、支援をいただき、この最大の好機に魔王を倒さなければならないかを説明いたしましょう」


 俺は、持ってきていた書類をテーブルの上に広げた。


「こちら、中央図書館にも纒られております、過去の魔王軍との戦いによる死者数の記録でございます」


 記録が必ずしも正確とは言えないが、概ねの規模感を知ることはできる。第一回、第二回、第三回。死者数は第一回からだんだんと減っている。多少の上下はあるが、死者数は緩やかに減っていた。これはずっと魔王軍相手に勝利を収めているがゆえに経験を蓄積した結果だ。そして同時に、最高司祭の慢心の原因でもある。


「第九回魔王討滅作戦の犠牲者数は約1万。そして、今回の戦争の犠牲者は、こちらです」

「五万⁉ 馬鹿な! 戦況は終始優勢ではなかったのか⁉」


 最高司祭の言葉に答えたのは、アストルだった。


「戦いには勝利していますが、敵の数が過去とは比べ物になりません。どれだけ優勢でも、犠牲は出るものです」

「それにしても、五倍とな……間違いないのか、アストル」

「はい。残念ながら」


 王は腕を組み、少し考えるような仕草を見せた。しばらくの沈黙の後、彼は重々しく口を開いた。


「私は了承しよう。……だが、教会の方はヴェネリオと交渉するように」


 絶対王政を敷いた王国と言えども、教会の権力は絶大で、王の指図一つでは動かせない。やはり俺は、強欲な最高司祭様を説得しなければならないようだ。


「当然、認めぬぞ! 勝てているのだから、教会は今までと変わらぬ仕事をするだけだ! 我らの行動を、貴様のような卑しき人間が指図できるとは思わぬことだ!」


 鼻息荒く話すヴェネリオは取り付く島もない。俺は小さくため息を吐くと、仕方なく、切り札を取り出した。

 懐に手を伸ばした俺の手元から出現したのは、大きな大きなかぎ爪だった。それを豪奢なテーブルの上に放り出す。衝突と共に、硬い音が鳴った。


「ひっ! ……何をする! 危ないではないか」


 情けない声をあげたヴェネリオに、俺は努めて冷静に話を始めた。


「これは、魔王軍の中で空中戦を担当する魔物、ハーピーの死骸から剝ぎ取ったものです」


 俺はかぎ爪を持ち上げると、ヴェネリオに良く見えるように彼の目に近づけた。鋭い爪先が、彼の贅肉だらけの顔に接近する。俺が少し手を動かせば、彼の眼球はあっさりと潰れるだろう。


「はっ⁉ やめろ! 近づくな!」

「いいえ、よく見てください、最高司祭様。これが、騎士たちを攫い、殺した爪です。──明らかに、過去の記録にあるものよりも鋭く、大きいです」


 俺は説明したが、ヴェネリオはそんなこと少しも聞いてはいないようだった。


「ひ……おいアストル! 警備は貴様の仕事だろ! 早くこの小娘を摘まみだせ!」

「彼女は必死に説明しているではありませんか。静かに、聞いてやってください」

「くそ……陛下! 危険人物です! 今すぐ近衛騎士の招集を!」

「ヴェネリオ、彼女の話が良く聞こえん。もう少し静かにしろ」

「そんな……」


 この場に一人も味方がいないことを悟ったヴェネリオは、絶望したように天井を見上げた。好機と見た俺は、すかさず畳みかける。


「最高司祭様。何も私とて好きで熱弁を振るっているわけではないのです。ただ、一度だけ首を縦に振ってほしいだけのこと。それだけでこの会議は終わるのです。この時間は終わるのです」

「この貧民が……」


 何か言いかけたヴェネリオの顔に、一層かぎ爪を近づける。眼球の直前で止まる爪先は、照明を反射してキラリと輝いた。贅肉だらけの顔が、恐怖に染まる。


「──もう一度聞きます。最高司祭様。此度の魔王討滅作戦に、全面協力してくださいますね?」


 視線をあちらこちらに巡らせたヴェネリオは、やがて力なく頷いた。

 その言葉を聞き遂げた俺は、思わず満面の笑みを浮かべてしまっていた。


「──では、聖剣のレプリカ、出してくださいますね」

「なっ⁉ 貴様なぜそれを──」

「最高司祭様」


 再び俺は、ハーピーの爪をぐい、と近づける。


「貴方は全面協力をすると約束くださいました。誇り高き貴種たる方に、二言はありませんね?」


 もはややけっぱちのような表情で、彼はゆっくりと頷いた。

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