EX バッドエンドの記憶 復讐者たち

 それは、俺の記憶の中だけに存在している過去の記憶。

 苦々しくて、痛くて、でも大事な記憶の一つ。



 先日の記録的な豪雨によって、王国中の川は氾濫直前まで水位を上げていた。清流がどす黒い色をした濁流へと姿を変え、川幅を広げながら押し進む。


 追手から逃げるために川に飛び込んだ俺にとっては好都合だった。


 体中の傷は勇者の加護によって塞がりかけていたが、血液を大量に失った俺は未だに意識がはっきりとしなかった。ただ流れに身を任せ、川の中で脱力する。正直、窒息死していないのが奇跡だった。

 そんな俺の体は、突然水の中から押し上げられる。水中から突如として岩の柱が立ちあがり、俺の体を宙へと浮かせたのだ。

 俺の体は一瞬で空中へと投げ出され、そのまま地面へと叩きつけられた。


「ッ! ゴホッゴホッ……」


 背中からの衝撃に咳き込むと、口から水があふれ出た。口が新鮮な酸素を求め、パクパクと動く。

 そして、倒れ込む俺の顔を覗き込む人影があった。


「……なんだ勇者、生きてたのか。しぶといな」


 黒い肌に、長い耳。美しい顔は、嗜虐的に歪んでいた。

 そこにいたのは、魔王軍での屈指の実力者、ロゼッタだった。



 未だに酸欠で頭は朦朧としていたが、俺は反射的に腰に手を当てていた。聖剣を、取らなくては。戦わなければ。

 しかし、右手は空を切った。ない。聖剣が手元に、ない。


「探し物はこれか、勇者」


 ロゼッタが楽し気に言うと、魔法で操られているらしい蔦のようなものがこちらに近づいてきた。その先には、聖剣が絡めとられていた。


「あっ……」


 思わず伸ばした手は、ロゼッタに踏みつけられた。痛みに、短く呻く。

 どうやら俺は、コイツに抵抗する術はないらしい。ロゼッタは剣なしで倒せるほど甘い相手ではない。俺は、自らの敗北を早々に悟った。


「そんなに殺気立つなよ勇者。私はな、話をしにきたんだよ」

「話だと……? 俺に話すことなんて何もない。殺すなら早く殺せ」


 俺の言葉も、楽し気なロゼッタは全く意に介していないようだった。


「聞いたぞ勇者。貴様、守るべき人類に裏切られたらしいじゃないか」

「……お前には関係ない」

「そんなこと言うなよ。なあ、勇者オスカー。お前、私たちと共に人間に復讐しないか?」

「……」


 否定の言葉は、喉から出ていかなかった。


「俺がどうして王国に追われているのか、お前は知っているのか?」

「ああ、斥候が情報を掴んでいるな。……なんともまあ、愚かなことだよ」


 しみじみと、噛み締めるようにロゼッタは言った。宙を見つめるその瞳は、遠い過去を見ているようだった。


「……どちらにせよ、俺は生殺与奪の権を握られている状態だ。好きにすればいい」


 拷問されるか、半殺しにされるか。覚悟を決めていた俺の耳に入って来たのは、意外な言葉だった。


「そうか。じゃあ、飯を食うぞ」


 ロゼッタが手をひと振りすると、途端にテーブルの形をした氷が目の前に現れた。その上に、ゴブリンの下っ端に持たせていたらしい小奇麗な皿を並べていく。その後ろからは、バリエーションに富んだ未加工の食材たち。

 俺は、ただそれを呆然と眺めるだけだった。


「……お前、何をやっているんだ?」


 思わず、俺は問いかけていた。


「お前は何を聞いていたんだ? 飯を食うんだよ」


 落ち着いた様子で言いながら、下っ端のゴブリンから差し出された肉を丁寧に切って(ナイフも魔法で作られた氷だ)皿の上に並べていった。

 見栄えにすら気を遣われたその料理は、こんな何もない川辺にはあまりにも不似合いだった。


「早く座れ」

「……ああ」


 戸惑いのままに席に座る。どのみち俺に選択の余地など与えられていない。俺はこの機会に、ロゼッタがどんなやつなのか見定めて次に活かすことにした。

 俺の様子を観察していたロゼッタが手を合わせる。


「いただきます」


 大事そうに、噛み締めるように、ロゼッタはその言葉を口にした。本当に犠牲になった食材に感謝しているような、心の籠った挨拶だった。

 そのまま肉を一欠けら頬張るロゼッタを眺めていると、不思議と話がしたい気分になった。


「エルフは肉食をしないと聞いていたんだがな」

「ハッ、いつの話だ。自然と共存するエルフが肉食を解禁したのは、私が生まれる以前のことだ。五百年前のことだぞ」


 それだけ、人類のエルフに関する情報が更新されていなかったということだろう。

 俺も氷のフォークに手を付ける。思えば、しばらく何も食べていなかった。


「待て無礼者。貴様もいただきますを言え」

「……いただきます」


 変なこだわりだな、と思ったが、ロゼッタの顔は真剣だった。俺は手を合わせて久しぶりに食事の挨拶をする。

 それを眺めていたロゼッタが、満足げに頷いていた。


「そうだ、それでいい。人間は犠牲にしたものへの感謝が足りなすぎるのだ。自然と共存した我らを見習え」


 言葉には、俺には窺い知れないほどの重さがあった。

 でも、納得はできなかった。


「でもお前は、人をたくさん殺した」


 俺は、こいつが哄笑と共に人を殺してきた様を散々見てきた。生きた人間を火で炙り、死にかけの人間に電流を流しのたうち回る様を笑いながら観察して、果敢に挑んできた騎士を氷漬けにした。

 その様には単に敵対者を殺すというだけではなく、それ以上の憎悪が籠っているように見えた。だからこそ、今コイツが俺と会話しようとしていることが不思議だった。


 ロゼッタが怪訝そうな顔で問い返してくる。


「貴様と戦場で会ったことはなかったはずだが……?」

「でも知っている。嬉しそうに人を殺すお前を」


 俺の記憶の中には、はっきりと残っている。


「人間は別だ。貴様らが私に殺されるのは、罰だ。自然の摂理だ。踏みにじったものに踏みにじられることが、思いあがった愚か者どもに相応しい末路だ」

「……騎士にだって、家族がある。大切な仲間がある。それに、エルフが人間に踏みにじられたなんて聞いたことない──」

「それはっ! 人間どもが隠しているからだ!」


 突然立ち上がったロゼッタが、感情の籠った大声を上げた。それは、戦場でも見た事のないほどの感情の昂ぶりだった。

 ハッとしたような顔をしたロゼッタが、静かに座り直す。けれど、瞳に灯った暗い炎は全く衰えていなかった。


「厚顔無恥な勇者よ、お前は何を敵に回したから守るべき対象から追われているのだ?」

「……教会のタブーに触れたからだ」


 数日前、王国側からもっと援助を、戦力を引き出せないかと考えた俺は、中央教会へと忍び込んだ。一般人は深くまで入れないそここそが、最も王国の知られたくない情報を握っていると考えたからだ。一般人は忍び込むなんて畏れ多くて考えもしないだろう。

 何か王城を脅迫できるような情報を握ろうと、俺は立ち入り禁止の区画に忍び込んだ。

 実際、中央教会は情報の山だった。国立図書館にすらなかった情報がすぐに出てきたのだ。

 王国の闇に葬られた歴史。恥ずべき歴史。勇者の本当の戦いの記録。それが記された禁書を手に入れた俺は、しかしすぐに王国中から指名手配されることとなった。


 結果として、俺は王国の騎士たちに追われることとなった。かつての仲間と戦う俺の手には迷いが残っていて、重症を負いながらも逃げることになった。


「そうだ! 中央教会だ! 憎らしい王国の真ん中に居座り続けている癌だ! あれこそが私とお前を虐げた原因だ! 貴様は見たのだろう!? 王国の後ろ暗い歴史を、恥ずべき振る舞いを!」

「……ああ」

「私たちエルフも王国の、教会の言いがかりでほとんどが死に絶えた! だからこそ私は復讐し続ける! 例え四百年前の人間が全員死んでいたとしても、末代まで殺し尽くしてみせる!」


 言葉には四百年分の重さが籠っていて、その言葉に一片たりとも嘘がないことが分かった。

 今の俺には、人間に裏切られ、追われている今の俺には、不思議と共感できる気がした。


「……お前の話、詳しく聞かせてくれ」


 俺が切り出すと、ロゼッタが嬉しそうに笑った。その顔には、同類を見つけたという仄暗い喜びがあった。



 気づけば、大盛りの料理は全て無くなっていた。俺はロゼッタの話を一通り聞いて、改めて王国がどれだけ腐っているのか思い知った。

 そしてそれを語るロゼッタの顔はどこまでも真剣で、憎しみに満ちていた。

 きっと、その顔は魔王を殺すことに取り憑かれた俺の顔と、よく似ていたのだろう。だからこそ、俺はコイツに抱くべきではない親近感を抱いた。


 人類史の闇についての大演説を終えたロゼッタは、満を持して、俺に語り掛けてきた。


「──だからな、勇者よ。人間に裏切られたオスカーよ。私とお前は似た物同士だ。貴様が人間に復讐したいというのなら、私は貴様と共に戦いたい。……私と同じ、過去の事ばかり気にしているお前なら、分かるだろう?」


 言葉も表情を真剣で、本気だった。きっと、今ここで俺が頷けば、こいつはすぐにでも魔王軍に俺を受け入れるのだろう。俺は、俺を裏切った人々への復讐が果たせる。


 ──それでも、俺の答えは決まっていた。


「──それでも俺は、無辜の民の味方でありたい」


 瞬間、俺の胸の中央に衝撃が走った。


「カハッ……」


 サーベルのように突き出された氷が、俺の胸を貫いていた。

 俺は口から垂れ出る血もそのままに、ロゼッタを見上げる。──彼女の顔には、透明な涙が一滴流れていた。

 その表情に、胸が痛む。俺はせめて、最後に話をしようと思った。


「コホッ……お前と俺は同じだと言ったな」

「ああ、私はそう信じていたんだ」


 流れる涙に気づいていないように、ロゼッタは呆然と呟いた。


「それはほとんど正しい。俺もお前も人に裏切られた。──でも俺は、お前のように無実の人に復讐することはできない」


 瞬間、俺の意識はさらなる闇へと突き落とされた。視界いっぱいに赤が広がる。どうやら俺は、さらに顔面に氷柱を突っ込まれたらしい。血の味が広がり、あらゆる感覚が失われていく。

 最後に浮かんだ思考は、楽し気な表情で俺と話をするロゼッタの姿だった。


 ──ああ、お前が魔王の側に付いていなければ、俺はお前を救えたのかもしれないのにな。

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