第85話 HIBIKI vs MILLIA①

 響姫は舞台の真ん中にある二つの筐体に向かって歩いていく。


 反対側からは、ヘルメットを被った青いスーツが近づいてくる。客席からは、ざわざわという声がした。


「あれ、見たことある」


「確か、『スカイ・ラグナロク』のキャラだよね」


 アニメに通じている観客は、すでに正体に気付いているようだ。


 彼女は、舞台中央までついたら、ヘルメットを外した。金髪がさらりと舞い、中からは碧眼の色白美少女が出てきた。


 彼女は淡々とした声で言った。


「ミリア・シュピーゲル。今日も使命を全うします」


 パチパチと盛大な拍手がなった。歓声が聞こえる。唄江は目を丸くした。


「なんか盛り上がってる!」


 鳴海が興奮した声で唄江に解説する。


「ミリアは、『天空派』の持つ『ヴァルキュリア』、『ブリュンヒルデ』のパイロットで、『アース・ラグナロク』の後に生まれた『ライン・ゴールド』に反応する『ジークフリード・チルドレン』のうちの一人なんだよ」


「え? 何もわかんない」


「最初は『使命』のためだけに動くんだけど、徐々に人の暖かさに触れたりして、悩んだり苦しみながら成長していくんだよ」


「そ、そうなんだ」


「おーっと、シュピーゲル選手、人気アニメキャラのミリア・シュピーゲルのコスプレで会場を沸かせたー! 大人気だー!」


 原マーサも興奮しているようだ。ミリアの登場に、観客はすっかり盛り上がってしまっている。目線と声は、全てミリアに注がれている。何も始まっていないのに、空気はすでに海桜ペースだ。これもまた、彼女の武器なのかもしれない。


 でも、唄江は、響姫に手渡されたものを見て思った。


 出雲大社南だって、海桜に負けないはずだ。


「響姫ー!」


 唄江は例の大声で叫ぶと、手に持った缶を振りかぶって投げた。


 それは宙に弧を描き、響姫の元に落ちた。響姫は、腕を高くあげ、思いの外しっかりとそれをキャッチする。


 エイリアン・エナジーのロング缶が、響姫の手に渡った。


 それも、沖縄限定のシークワーサー味が。


 突然のことに、会場が一気に静まる。


「ひ、響姫さん」


 か細い声だけが聞こえてきた。


 最前列で両手を口に当ててフラフラしている三つ編みの少女がいる。朱雀女子高校の、喜屋武奈々子だ。彼女は涙を流していた。


 響姫はプシュッと缶のタブを開けると、缶の底を天に向け、衆人環視の中、ごくりごくりと飲んだ。かなりの分量を、一気に飲み干すと、涼しげな顔で、勿体ぶってこういった。


「お茶会の前は、やはりこれよね」


 彼女は、筐体の上に空き缶を置いた。


「響姫さーん!」


 奈々子の悲鳴が上がる。


「ああ、響姫さん、私の差し上げた、沖縄県限定の、シークワーサー味のエイリアンエナジーを、私との約束通り、決勝の前に召し上がるなんて、素敵、です」


 彼女は恍惚の表情を浮かべたまま、ふらりと倒れた。朱雀女子の仲間、くるみとミチルがそれを受け止めた。


 隣でも、身長の高い少女が、立ち上がって声をあげている。


「ひ、響姫さーん!」


 控えめなその声は、なんば自由学園の向井夕果のものだ。


 響姫は舞台のうえから最前列の彼女たちに優雅に手を振った。


「ふふふ、みんな、かわいいわね」


 観客の大部分はぽかんとしているが、響姫は意に介していないようだった。原マーサも叫ぶ。


「おっとー! 柳楽選手、一部にすごい人気だー! シュピーゲル選手に負けず、会場を沸かせています!」


「これでよしっ」


 唖然とする鳴海をよそに、唄江はガッツポーズした。


 とりあえず場の雰囲気は取り戻した。あとは、プレイ次第だ。


「それでは一曲目、海桜高校の自由曲を発表します!」


 みなの視線が、再び画面に集まった。いよいよ、最後のチームセッションが始まる。


  HIBIKI vs MILLIA

 KAIO's song:ブリュンヒルデの約束(マエストロ)

 アーティスト:Noel

 BPM:180

 レベル:9

  プッシュ☆☆☆☆☆☆☆☆

  ステップ☆☆☆☆☆☆☆☆

  スワイプ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 曲は響姫の予想通りだった。


 ミリアは版権曲を演奏するときに、曲に合ったコスプレでキャラに入りこむことによって、フロー状態を実現する。アニメ『スカイ・ラグナロク』のオープニングテーマ、『ブリュンヒルデの約束』を選曲するのは自然だ。ミリアになりきることで、深い集中に入っているのだろう。


 曲が始まった。ストリングスの混じったロックサウンドが勇壮な旋律を奏でている。プッシュ、ステップにスワイプが多く混じり、整ったノーツの配置を作っていた。響姫はそれにそつなく対応していく。この曲はスワイプ要素が多いから、響姫とは相性がいい。奈々子からもらったシークワーサー味のエイリアンエナジーも飲んだし、気力も十分だ。


 女性ボーカルが冷静に歌い始めたところで響姫はスコアをちらりと見た。

 

 HIBIKI 14837

 MILLIA 15025


 驚いた。ミリアが明らかにリードしている。


 響姫はかなり正確なプレイをしているはずだ。スワイプも完璧にさばき、ミリアに着実にお邪魔ノーツも送っている。しかしミリアはそれでミスすることなく、響姫以上に精密にノーツを押している。着実にスコアを重ねていっている。この譜面には途中大きな変化があるわけでもないから、このままいけば、最初から最後まで順当にミリアのリードで終わるだろう。


 作戦タイムで、鳴海と約束した。響姫と唄江で二人合わせて、引き分け以上にする。それが、鳴海がさくらに立ち向かうための最低条件だ。みんなが格上相手で余裕がない。一回でも差をつけられたら、その時点で出雲の敗北がほぼ確定する。響姫はここで負けるわけにはいかないのだ。


 とはいえ、何か手があるわけではなかった。ミリアはスキルレベル90を誇るうえ、コスプレによってフロー状態に入っている。このスコアは純粋に彼女の実力のなせる業だ。相手はオールラウンダーだから響姫の相性がいいわけでもないし、曲に対してアドバンテージがあるわけでもない。癖がないからこそ、スキもない。まさに王者・海桜による、王道まっしぐらのプレイといえる。


 曲はストリングスとロックサウンドが絡み合って盛り上がり、サビに入った。女性ボーカルがクールに歌い上げる。


 HIBIKI 41756

 MILLIA 42341


 差は大きくなっている。手はない。今までと同じように、スワイプを必死にさばくだけだ。


 さすがに、焦りがでてきた。このままでは敗北は確定だ。


 ばか正直にノーツをさばいていくだけでは、このセッションに勝つことはできない。


 響姫はふと思った。


 もし、自分もフローが使えたら――。


 鳴海は朱雀女子高戦で、唄江はまひるとのセッションで、それぞれフローに目覚めていた。そして、強敵相手に勝利をおさめた。仲間たちと同じように、響姫もフロー状態に入ることができたら、ミリアに対抗できるのかもしれない。


 でも、できるとは到底思えなかった。集中力が今ここで都合よく高まるはずがないし、こんな雑念がプレイ中に浮かんでしまうということ自体、フローの深い集中からはかけ離れている。


 響姫には雑念は捨てられそうになかった。プレイ中、スワイプノーツをなぞりながら、明日やりたいネイルを考えてしまったり、ステップを踏みながら、服の手直しが必要なことを思い出してしまったりする。もしこれがピアノだったら、どんな演奏をしたいだろうか、バイオリンで弾いたら、どんな音がなるか――そんなことを思ったりする。今は習っていない、楽器の演奏についてのことだ。


 思えば楽器をやっているときも、こんな雑念ばっかりだった。誰かは自分よりうまいとか、あの子は賞をもらっている、彼女はいつもみんなにほめそやされている……そういった、自分と他人を比べることばかりだった。別に、親に責め立てられたわけでも、友達にけなされたわけでもないのに。周りと比べてうまくいかないと勝手に人をうらやみ、自分をさげすみ、楽器が嫌いになってしまった。


 そんなことで、うまくなるわけがない。音楽が続くわけがない。


 音ゲーで、フローに入れるわけがない。


 わかっていても、比べるのはやめられない。多分鳴海や唄江には、一つのものごとを極めるセンスがある。自分にはそれがない。なんとなくわかるのだ。自分の目の前には大きな壁、深い谷があって、それはずっとこのままあり続けるだろうということ。ずっと、向こう側に行くことができないだろうということが。


 つまり自分は凡人なのだ。


 課題曲をまじめに覚えたり、プッシュやステップをそこそこに克服することはできても、奈々子のようにスワイプだけを極めることはできないし、唄江のように無心になってプレイすることもできない。あるところで、頭打ちになってしまう。アスリートやアーティストとは違い、フロー状態に入ることのできない、雑念だらけの一般人。それが柳楽響姫なのだ。


 だったら、勝つことはあきらめなければならないのだろうか。


 響姫は、昨晩、奈々子とともに夕食を食べたときのことを思い出した。

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