第72話 SAYA vs NARUMI①
鳴海は、一歩一歩を踏みしめて筐体に向かった。向こう側からは、紗夜がゆっくりと歩いてくる。彼女一人のための舞台であるかのような足取りだ。紗夜は鳴海よりだいぶ遅れて筐体の前につくと、薄紫のストールをいじくりながら、鈴の鳴るような京都弁で聞いた。
「鳴海ちゃん、どうして唄江ちゃんを自由曲にしたん?」
重い沈黙が流れた。昨日と同じで、明らかに嫌味だと鳴海は思った。
「……トプスピ、一生懸命練習してたから」
紗夜はくつくつと笑いながら、天使のような笑顔で言う。
「ええの? 一回戦みたいにまた失敗しはったら、落ち込んでしまうよ。大切な妹やろ?」
「うたちゃんは妹じゃないよ」
「あら違うの。じゃあ、親友?」
鳴海は、黙った。紗夜の質問に、答えようとはしなかった。そう、唄江は鳴海にとって、妹分でもただの親友でもない。
「……もしかして、本当は仲悪い? 怖いわあ、女の子同士って」
笑顔を浮かべて上品に口に手を当てる。ストールをつかんでいる。
鳴海は、つばをのみこんで聞き返した。
「紗夜ちゃん、怒ってるの?」
紗夜の指の動きが止まった。
「怒る? どうして?」
「昨日私が言い返したときも、その布いじってたから」
鳴海は、ゆっくりと手をあげて、紫のストールを指さす。紗夜の手はそれをつかんでいる。
「オーダーの予想が外れて、いらいらしてるのかなあって」
紗夜は、布から指をはなした。いじっていたストールがひらりと肩に降りた。
彼女のカナリアの鳴くような声が、少しだけ低くなったような気がした。
「鳴海ちゃん、さっきから、質問に答えなかったり、質問で返したり。そういうの、よくないで? 社会に出てから苦労するよ」
鳴海はうなずく。
「うん。心配してくれてありがとう」
紗夜は、ぽつりとうつむいて、独り言のように、小さく小さく言った。鳴海にも聞こえるか、聞こえないかくらいだった。
「……ほんま……つくわ……」
紗夜はそれから顔を上げた。笑顔が戻っていたが、寒々しく感じた。
「鳴海ちゃんとセッションするの、楽しみにしててん」
美しい瞳で、じっと見つめてくる。
「このセッション、この曲から先が本番や。ええ勝負にしような」
手を伸ばしてきた。それを取り、強く握手する。
「違うよ」
握った手を、強く振る。
「何が違うん?」
鳴海は答えなかった。
「なんで黙るの?」
そこで、実況が間に入ってきた。
「はーい! 仲がいいのはいいですけどセッションがそろそろ始まりますよー!」
鳴海は、紗夜と見つめあったまま、手を離した。
「もうええ。勝負はファンオケでつける」
「最初からそのつもりだよ」
鳴海はうなずいた。
もう、曲名表示の画面に映っている。
鳴海と紗夜はそれぞれ筐体に向かう。舌戦にかまけている場合ではない。今日はファンオケの勝負にきているのだ。
いよいよ、雌雄を決するときが来た。
SAYA vs NARUMI
NAMBA's song:ロンリヱストナヰト(マエストロ)
アーティスト :夜行性電子音楽倶楽部
BPM:148
レベル;10+
プッシュ★★★★★★★★★★
ステップ☆☆☆☆☆☆☆☆
スワイプ☆☆☆☆☆
勢いの良いリズムとともに、ピアノと電子音によるこまやかなイントロが流れる。序盤から高密度のプッシュノーツが隙間なく流れてくるが、まだ小手調に過ぎない。
ロンナイはファンオケ全体でも三譜面しかない、レベル『10+』表記の曲だ。この曲を持ち曲として使いこなせるのは男子でも、社会人大会でもほとんどいない。去年、この曲で呉工・明日花は五千点差で敗れた。さらに一回戦で、登別農業の日菜は七千点差もつけられている。間違いなく、去年よりも紗夜はこの曲を磨いてきている。一瞬で挽回不可能な大差をつけられ、勝負が決まってしまう可能性もある。
エモーショナルな女性ボーカルが歌い出し、複雑なリズムの連打が小刻みに現れる。これだけでもレベル10として十分な密度だが、まだまだ簡単な部分といってよい。この曲の難所は後半の低速地帯だ。間奏が終わり、大サビに向けて盛り上がる部分。一回戦では、二十秒で七千点もの差がついた。
そこまで、体力も精神力も温存しておかなければならない。鳴海は、あえて少しだけ力を抜いてボタンを押していた。一番の山場の大サビ前で、最大の集中力を発揮するためだ。響姫が緒戦で五百点差をつけてくれているから、その分は余裕をもってリードを明け渡すことができる。
スワイプとプッシュの入り混じったBメロを超え、曲はサビに入った。キャッチ―なメロディが歌われる中、細かい電子音が大量のプッシュやステップノーツとなって現れる。
出雲の勝敗を決める運命の二十秒が、徐々に近づいてくる。
SAYA 52528
NARUMI 52313
唄江と響姫は、舞台情報に映し出されたプレイ画面を固唾をのんで見守っていた。
鳴海はもくもくとノーツをさばいていっている。紗夜にわずかなリードを許しながら、少し後を追う形でスコアを伸ばしていく。
「まだウォーミングアップというところね」
「それでも十分難しいけど」
プッシュボタンが素早いメロディを奏でつつ、もう片方の手で左右に現れるスワイプノーツをなぞり、エレクトリックピアノのリズムを刻むステップも踏まなければならない。これだけでも立派なレベル10の難所だ。
だが、まだメインディッシュではない。
間奏に入った。より細かくなった電子音の音階を全てプッシュボタンで再現している。ピアニスト顔負けのスピードでの演奏が必要だが、鳴海はミスすることなくしっかりと押していた。しかもほとんどがS判定だ。もともとプッシュが得意なのが生かされている。
でもこれさえもまだ、本当の難所ではない。
間奏が終わった。
「来た!」
唄江は、両手を握って祈った。
一気に、画面を埋め尽くすようにノーツが密集した。
唄江は両手を強く組んで握りしめ、画面に見入った。
鳴海を信じて。
唄江は、作戦タイムで話したことを思い出した。
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