第32話 夜のお話

 出雲の快進撃は続いた。第二回戦でも、下関高校を大差で下し、準決勝進出を決めた。その鍵となったのが響姫で、自由曲・Empress on Iceでは完ぺきに近いスワイプを見せつけ、五千点もの差をつけた。唄江も相手のスワイプを受けつつもステップをしっかり踏み、鳴海は危なげないプレイを見せてさらに点差をつけた。


 一方で、呉工も順当に準決勝に駒を進めた。特に明日花は、相手の自由曲にも関わらず、大差をつけて圧勝したようだ。『瀬戸内の守護神』という通り名は、間違ってはいないということだろう。


 タイムテーブル通り、今日のセッションは二回戦までだった。準決勝と決勝は明日となる。




「おやすみ!」


 夜、宿の寝室に入るなり、唄江は威勢よく布団に飛び込んだ。ばふりと音がして、ほこりが舞う。


「暴れるのはやめなさい」


 ウィッグを外し、おとなしい黒髪になった響姫が注意する。移動に時間がかかるからと、宿を予約したのは彼女だ。『日本の誇る音楽文化とゲーム文化を広めるため、地域の枠にとらわれない学生同士での交流を推進する』という名目で、また部費を取ってきたらしい。


 広島城の近くにある、安い民宿風のホテルで、三人部屋だった。


「あ、うたちゃん、もう寝てる」


 鳴海が唄江を見て言った。


 布団に今入ったばかりだというのに、むにゃむにゃと寝言を言っている。


「しかたないなあ。鳴海のお肉も食べてあげる」


 時刻はまだ夜九時だった。


「幸せな夢を見てるわね。全く、これから夜は長いというのに」


 響姫はスマホを取り出した。


「何するの?」


「アプリの周回。日課が終わってないソシャゲが三つあるから」


「ゲームしてきた後なのに」


「音ゲーは短期集中力を使うから、ソシャゲが気分転換にいいのよ」


 そう言いながら、てきぱきとスマホをタップしている。せっかく、三人で泊まるのに、どこか味気ないような気がした。メンツがメンツではある。唄江はすぐ寝るし、響姫は自分の世界だ。


 でも、鳴海は、やはり物足りなかった。


「あの、あのさ、響姫ちゃん」


 意を決して、しかし途切れ途切れに話しかけた。


「ん?」


「恋バナとかって……しない?」


 響姫が真顔になって見つめてくる。自分でも顔が熱くなるのがわかった。


「どうしたのよいきなり」


「いや、無理にとかじゃないんだけど」


 顔を隠しながら、しどろもどろに言う。


「お泊まりって、こう言う話するとか、そんなイメージだから。私が気になる人いるとかじゃなくて、部活とかやってないから、あんまりこういう機会なくて、やってみたいとおもってっ」


 響姫は、怪しく微笑む。


「ふふふ、鳴海。あなたはやはりかわいいわね……」


「いや、怖いんだけど」


「そうね」


 響姫は、スマホのメニュー画面を眺めながら考え込んでいる。鳴海がごくりと息を呑むと、言った。


「乙女ゲームは、あまりしないかしら」


「ゲームの話!?」


 新しい情報は期待できなさそうだ。唄江が布団からひょっこり顔を出した。


「響姫は、恋人の前に、クラスで友達作らないと」


「起きてたんだ」


「えへへ、面白そうな話してるから」


 そういえば、唄江はともかく、響姫とプライベートな話をしたことはなかった。いい機会かもしれない。


「クラスね。なれあいは好みではないわ」


 響姫はそっけない。


「友達作る気ないの?」


 鳴海は、三年の教室で響姫が机に突っ伏して寝ていたのを思い出した。彼女はゲーセンでは絶好調だが、学校では居場所がないようだ。


「正直言うと、ハードルが高いのよね。クラスでは、全く喋らないキャラになってしまっているし」


「じゃあいきなり喋ったら、ギャップが出てもてもてだよ」


「だからそれが難しいのよ」


 唄江を響姫が制する。


「わかるなあ。私も、クラスはあんまり好きじゃないし」


 鳴海はうなずいた。教室ではのびのびとできないのは響姫と同じだったからだ


「二人とも、がんばりましょう」


 唄江が言った。彼女はクラスの人間関係は良好にみえる。反撃とばかりに、響姫は唄江を見つめる。


「あなたはどうなのよ。そんなに偉そうに言うくらいだから、恋人の一人くらいいるのよね?」


「えと、それは」


 唄江はくちごもる。


「それとも口だけかしら?」


 唄江は、布団から手を出して鳴海の袖を掴んだ。


「鳴海、響姫がいじめるー」


「私も興味あるなあ」


「しめんそか!?」


 鳴海は気になってきた。いつも一緒にいるものの、唄江のマスコット然とした性格もあいまって、なかなかこういう話にはならないからだ。


「うたちゃんのクラスはわからないけど、陸上部は……?」


「う、うーん」


 唄江は顔を真っ赤にしてキョロキョロし始めた。


「うーんとね。三谷先輩は好き。でも」


 鳴海と響姫は目を見合わせた。その手の情報は、唄江からはあまり得られなさそうだ。


「でも?」


 遠慮がちに、唄江はぽつりと言った。


「ほかの先輩は……きらい」


 唄江は今まで人を嫌いと言ったことはなかった。でもそれは本当に嫌ったことがなかったからなのだろうか。多分、我慢していたこともあるに違いない。


 鳴海は陸上部員がそば屋で聞くに耐えない陰口を言っていたことを覚えている。


「私も嫌い。だってうたちゃんを傷つけたから」


 だから鳴海は、今、唄江が部員が嫌いとここで言ってくれることが、嬉しくもあった。あまり褒められたことではないと思いながらも、それでも嬉しかった。


「それで鳴海は?」


 考え事をしていたが、鳴海は唄江にジロジロ見られてることに気づいた。


「え?」


「鳴海はどうなの? 恋バナ」


 響姫も見つめてくる。


「……私はとくにないかな」


「えー、つまんない」


「何よ、自分からふっておいて」


 響姫はため息をつく。


「だって、今は本当に興味ないから」


 鳴海は、二人の目を見つめ返して言う。


「うたちゃんと、響姫ちゃんと、一緒に音ゲーをできることが。好きな人と好きなことが思う存分できることが、本当に嬉しいから。今はそれだけでいいかな」


 沈黙が漂った。


 唄江も、響姫も、少し恥ずかしそうにしている。


「……うた、ねるっ」


 唄江は布団をかぶって、中でもぞもぞしている。


「私ももう寝るわね」


 響姫もそう言いながらスマホをいじるのに戻った。同じアプリを開いたり閉じたりしている。


「えー」


 なんだかくすぐったい気分だ。それが鳴海は嬉しかった。


 自分たちは皆、クラスや部活では、うまくいかないかもしれない。馴染めなかったり、言いたいことが言えなかったりする。でもこの三人で音ゲーをしているときは、自由で、楽しそうで、なんの遠慮もない。


 初めてファンオケに触れた時の感覚を思い出した。


 音ゲーは、自分たちにぴったりはまる。


 鳴海は、もう寝ようかなと、電気の紐に手をかけた。


「消していい?」


 唄江の布団から手だけが出て、響姫はいいわよー、と気のない返事をしながらアプリをいじっている。


 しかし、紐を引こうとした時、鳴海の電話がいきなりなった。


 リュックをまさぐって画面を見ると、「お母さん」と出ている。


 何か、嫌な予感がした。

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