第55話 出雲大社南の作戦タイム

「響姫、いいから奈々子とセッションしなよ」


 控室で、唄江は繰り返した。しかし響姫は目を逸らし、力なく首を横切るばかりだ。


「無理よ」


「なんで? 奈々子はあんなに一生懸命なんだよ」


 響姫は必死に説明する。


「だって、合宿から、あんなに練習したでしょう? 課題曲は私、相手チームの自由曲は鳴海が担当するって、決めたじゃない。それにあなたも見ていたでしょ、エンプレスオンアイスで鳴海が私に勝ったところを。プッシュプレイヤーはスワイププレイヤーに強い。奈々子の相手は鳴海がするのが、一番勝率が高いのよ」


 しかし、どんなに言っても、鳴海も唄江も、怪訝そうな目で響姫を見返すばかりだった。


「鳴海も、言ったじゃない。なんばに勝って、海桜にも勝って、全国優勝するって。呉との約束もあるでしょ? ここでつまずいてる場合じゃないのよ。相手の自由曲を、有利な条件で受けるべきよ。朱雀女子は全国四位を倒したのよ。少しでも有利な条件でセッションしないと勝てないわよ」


 唄江が、言い放った。


「響姫、さっきから、なんでそんなまともなこと言ってるの?」


「は?」


「普通のことばかり言って、おかしいよ。全然変でもないし、怪しくもない。むかつかないし、ちっとも自分勝手じゃない」


 ぶいっと、そっぽを向いた。


「響姫、そんなんじゃ、うた、つまんない……」


「私をなんだと思ってるのよ」


「響姫は、キョーチョーセーもないし、怪しいし、訳の分からないことばっかいって、一緒にいてもゲームばっかして、目を離すとすぐに鳴海を洗脳しようとする」


「あなた」


「だからやだ」


 そのまま、響姫にもたれかかった。


 唄江はバスでも、飛行機でも、いつも響姫に文句を言いながら、寝て、寄りかかってきた。鳴海と二人の時に言われたことを思い出した。


 嫌いならそんなことしないよ。


 その頭にポンと手を置きながら、響姫はぽつりと言った。


「……怖いのよ」


「……負けて、氷の女王に逆戻りすることが?」


「違うわ」


 首を横に振る。


「怖いのは、奈々子にここまで強く思われることよ。しもべじゃなきゃダメと言われても、その気持ちに答えられる自信がない。自分なんかに、そんな価値はないと思ってしまう」


 唄江は、寄りかかったまま話を聞いている。


 鳴海も、黙って響姫を見つめていた。


「私は、ずっと、お茶会メンバーに責められるのが怖かった。でも、嫌われるよりも、好かれることの方が、よほど重くて、怖いことだったのね」


 デジタルサイネージに映し出された作戦タイムの残り時間が刻々と減っていく。


「価値がないなんてことない」

「鳴海」


「響姫ちゃんは優しい人だよ。自分が寂しい時、辛い時に、ほかの人に優しくできる人だよ。私も、何度も助けられた」


 唄江が部活でトラブルになって、喧嘩した時、電車の中で慰めたことを言っているのだろうか。でもあれは違う。響姫の条件反射みたいなものだ。


「私は大人しくて素直な子が悩んでるのを見ると、甘くて優しい言葉をかけたくなってしまうのよ。自分の寂しさを誤魔化すために、他の人を利用しているだけなの……」


「でもその言葉で私は気持ちが楽になったよ。私は、辛いとき、自分に閉じこもっちゃう。でも響姫ちゃんは人に優しくできる。だから助けられた。奈々子さんだってそう」


 鳴海は真っ直ぐ見つめてきた。


 唄江は鳴海と響姫をきょろきょろと繰り返し見ている。うたの知らない話をするなとでも言わんばかりだ。


「だから、あんなに響姫ちゃんを慕ってるんじゃないの? 理由なんて関係ないよ。今、私も、うたちゃんも、響姫ちゃんとこんなところまで来てる。奈々子さんは、響姫ちゃんに会いに、こんなところまで来た。それが全部だよ」


「鳴海」


 響姫も鳴海や唄江と会って二ヶ月やそこらだ。最初は最悪の出会いだったのに、今では死闘を乗り越え、合宿で時間を過ごし、東京まで一緒に来る仲だ。


「私も怖いこといっぱいある。人ごみは怖いし、人の前に出るのも怖いし。自分の気持ちを言うのはもっと怖い。でも、響姫ちゃんとうたちゃんがそばにいてくれたら、それもできるようになってきた」


 鳴海は響姫の手を握った。


「響姫ちゃんみたいに、私もなりたい」


 彼女は一見おとなしくて気弱そうだが、支えてあげれば、仲間のために本気で怒れる子だ。そんな子が、自分のようになりたいとまで言ってくれている。響姫はその両手に自分の手を重ねた。


「……鳴海、やはりあなたは可愛いわね」


 寄りかかったままの唄江が、肩にちょこちょこ何回も頭突きする。


「うたは? うたは?」


 話に置いていかれたのが面白くないようだ。


「唄江も、もちろん可愛いわよ」


 短い髪を撫でると、頭突きはおさまった。


「だけどあなたたち、全然優しくないわね。これで私は、立ち向かわないわけにはいかなくなった」


「響姫ちゃん」


 響姫は扇を広げた。


「正確さとは、愛でもあるのよ。最も正確なプレイで、私は奈々子に応えるわ」


 それと同時に、ナレーションの声が聞こえた。


「まもなく、セッションが始まります」


 こうして、出雲大社南高校の作戦タイムは終わったのだった。

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