第42話 新しい目標
鳴海は立ち尽くしていた。
画面のスコアの意味が、よくわからなかった。
周りを見渡すと観客たちは大きな口をあけて手を上げているが、声が聞こえない。
唄江がまっすぐこちらに走ってくる。彼女はすごいスピードで近づき、ぴょんとジャンプして、え?
唄江に飛びつかれ、抱き着かれた。
声が聞こえた。
「……鳴海、鳴海ー! すごい! やったね! おめでとう!」
同時に歓声が耳に響く。
自分が息を荒げているのと、汗をだらだらと流しているのもわかった。ふわりと風が飛んでくる。
「唄江、それは私たちの勝ちでもあるのよ」
響姫があおいでくれていた。彼女は相も変わらずすまし顔で言う。
「鳴海、よくがんばったわね」
「うたちゃん、響姫ちゃん……」
鳴海は、ぼーっとスコアを眺めていた。
「私、勝ったの?」
「うん、勝ったよ!」
唄江は興奮した様子だった。
「途中離されてもうだめかと思ったけど、鳴海、ラストの連打でどんどんスコアを稼いで! お邪魔ノーツでコンボが途切れて減点されてたけど、明日花も少しミスしたからなんとか追いついたんだ」
「そっか……」
やはり明日花は、ミスを恐れず、スワイプに勝負をかけてきたのだ。彼女はどこまでもスワイププレイヤーだった。
鳴海は、隣の筐体をみた。明日花が立ち尽くしている。ぼうっとスコアを見ている。
彼女の姿を見たら、胸の底からなにかが噴き出してきた。全力を尽くして戦ったライバルだ。なんの言葉も思いつかないが、声をかけたいと思った。
「明日花さ……」
しかし鳴海の口を、唄江がふさいだ。
「うたちゃん?」
「だめだよ」
唄江は、静かに言う。
「今、鳴海が話しかけちゃだめ」
鳴海はうなずく。唄江の言うことを聞いたほうがいい。彼女は中学から陸上をやっている。そういうことがわかるのだろう。
落ち着くと、遠くから慣れ親しんだ声が聞こえた。
「……鳴海ー!」
見回すと、客席の後ろのほうで、母親が立って、両手を口に当てて叫んでいるのが見えた。
歓声の中から、はっきりとその声はわかった。
「お母さん……」
「鳴海ー! 鳴海ー!」
母は何か言うでもなく、ひたすら叫びを繰り返していた。小言でも説教でもなければ、賞賛でも激励でもない。ただの心の叫びだった。見ていたのだ。本当にただ、鳴海の試合を見てくれていたのだ。
「お母さんのばか」
しまいには、横の関係ない人に、興奮した様子で語り掛け始める始末だ。
「ほら、見てたでしょ。あれうちの娘。言ってやってよ、あなたの子供に。あの子みたいになりなさいって」
父に、止められている。
「お母さんの、ばか……」
後でゆっくり話そう、と思った。
今ならきっと、いい話ができるはずだ。
例えば、こんなふうになりたい、と思った人の話とか。
明日花は立ち尽くしていた。仲間が駆け寄る。
「明日花!」
由依の大きな声は珍しい。彼女は自分の帽子を明日花にかぶせてくれた。周りから見えないようにするためだろう。明日花はうつむき、口に手を当てた。
「ごめんな……」
鈴々は何も言わずに明日花の背に手を当てていた。彼女がしゃべらないところも珍しい。
「どうでも良くなっちまった」
明日花はぽつりと言葉をもらした。
「お前らと全国にいって、そこで勝ちたいと思ってたのに。それがずっと目標だったのに、全部頭からとんじまった」
彼女はとつとつと語る。
「鳴海とのセッションやってたらさ。楽しくてさ、頭が燃え上がってさ。夢中になったんだ。勝つとか負けるとか忘れて、ただ目の前のノーツを取りてえって気持ちだけになったんだ。がむしゃらにくらいついているうちに、誰と仲間で、誰と戦ってんのかも、全部わからなくなっちまった」
話が長くなって、行き先がわからなくなっても、由依も鈴々も黙って聞いていた。
「ごめんな。あたしはブロックのホープでも、呉工のエースでも、オールラウンダーでもない。でかいことばっか言って、方向性も定まらなくて、結局大事なところで負けて。約束も目標を果たせなかった、ださい一スワイププレイヤーだよ」
「ばか」
由依が言った。
「それでいいんだよ。それでよかったんだよ、最初から」
「ありがと。由依、鈴々、ありがと」
明日花は、二人の肩に手をあてて黙っていた。
すると、スマホにメッセージが届いた。
『地方大会お疲れ様! すごいセッションだったよ!』
さくらだった。
『スワイププレイヤーの明日花もいいね! また明日花とセッションしたくなった! ごめん、玲子に怒られたから今日はもう帰るけど! また広島来るからね! 今は超金欠だけどお金を貯めて! 東京来たら言ってね! 絶対だよ!』
さくらは帰ったようだ。そこには、試合の勝敗のことも、全国大会のことも、書かれていなかった。直接声をかけなかったことも含めて、彼女なりの気遣いなのか、それともただの成り行きなのかは不明だ。
でも、そのメッセージがなんだかおかしくて、笑いがもれてしまった。
「……なあ、由依、鈴々。新しい目標ができたんだけど、言ってもいいか」
「何でも言って。私が分析してあげるから」
鈴々は涙を浮かべている。
「全国とかインターハイとか関係ない。お前らとこれからもずっと楽しく音ゲーやること。それが新しい目標だ。これからずっと変わんねえ目標だ。どうだ、すげえだろ」
「うん」
由依はうなずいた。鈴々も言う。
「高度に最適化された、最高の目標ね」
そして、明日花は二人に抱き着いた。彼女は声を上げなかったし、二人は顔を見えないようにしていたから、周りからはとても静かな光景に見えただろう。
でも、三人ともぐちゃぐちゃに泣いていた。笑いながら、涙を流していた。
かくして、呉工業大学付属高校の中国・四国地方三連覇、そして高橋明日花の全国大会での勝利という目標は、未完のものとなったのだ。
「ねっ?」
呉工の一連のやりとりを見守った唄江は、得意そうに言った。
「なにが、ねっ、よ」
響姫がたたんだ扇で頭をポンと叩いていると、三人に声がかけられた。
「鳴海」
「明日花さん」
死闘を繰り広げたライバルが立っていた。彼女は二人の仲間から離れている。
鳴海は唄江と響姫から手を離し、明日花の前に立った。
なんといえばいいかわからなくて口を結んでいると、明日花が声を出してきた。
「悪いけど正直、最初はお前があんま好きじゃなかった」
鳴海はどきりとする。
「さくらがお前を誘って、おどおどしてたかと思ったらめちゃくちゃ強くて、どんどん頭角を表してきてさ、あっというまに決勝まできて、負けちまった。とんでもねえやつだ」
「明日花さん、私」
「お前と会わなかったら、あたしたちはこの大会で優勝して、全国に行って、勝って……」
しかし彼女は、にかっと笑った。
「この楽しさを忘れたまま、ファンオケを続けてたかもしんねえ」
笑うと、やっぱり子供みたいに無邪気だ。
「お前とやれて、めちゃくちゃ楽しかったよ。ありがとな、鳴海」
明日花は、手を伸ばしてきた。
鳴海はその手を取る。
「ありがとう、明日花さん。私も明日花さんとセッションできて、ほんとうに楽しかった」
「パピヨン・ウイングス……あたしもあの曲、好きになれたよ」
「明日花さん。やっぱり私、明日花さんみたいになりたい」
「だから、おだてても何もでねえって」
「だってそう思うから。明日花さんは、ファンオケが好きで、うまくて、いつでも一生懸命で、どんなときでも本気でぶつかってくれてっ」
「ばか、そりゃ、お前のことだよ」
明日花は、ぽんと、鳴海、頭に手を乗せた。
「鳴海、全国出場おめでとう。全国には、あたしより強いやつがわんさかいる。みんなファンオケが好きでたまらなくて、おもしれえ奴らだ。最高だよ」
「うん!」
「eインターハイ、思いっきり楽しんで来いよ」
明日花は背を向けた。
「ありがとうございました!」
鳴海は、明日花、そしてその向こうの二人に頭を下げた。唄江が響姫をこづいて、二人も頭を下げた。
「ありがとうございました!」
明日花は、腕を上げた。由依と鈴々に声をかけると、そのまま振り返らずに歩いて行った。
「うたちゃん、響姫ちゃん」
それを見送りながら、鳴海は言った。
「私、全国で勝ちたい」
明日花たちは負けた後も、新しい目標を見つけた。しかし、自分たちが勝つことで呉工の目標を奪ったことは確かだ。それに報いるには、一つしかない。
「明日花さんたちの目標、私たちが受け継ぎたい……勝手に、だけど」
それを聞いて、唄江と響姫は笑った。
「えへへ、今の気持ち、みんなで一斉に言おっか」
三人は手を重ねた。大きく息を吸い、一斉に叫ぶ。
「明日花さんみたいになりたい!」
「強いステッププレイヤーとセッションしたい!」
「ノーツ一個一個に、もっと愛を注ぎたいわ……」
三人の間で静寂が残った。顔を見合わせていたが、ぷっと笑った。
「……全然違うじゃない」
響姫は扇をトントン手でたたく。
「でも」
それを眺めながら、鳴海は微笑んだ。
「たぶん、同じことを言ってる気がするなあ」
二人はうなずいた。
全国大会での勝利。それが、三人の目標となったのだ。
かくして、出雲大社南高校は、初出場にして中国・四国地方ブロック予選を勝ち抜き、eインターハイの本選、全国大会への出場権を手にした。
だが、これは序章に過ぎない。
eインターハイはまだ、始まってもいないのだ。
この物語は、家からゲーセンまで一時間半の女子高生が、音ゲーの全国大会で優勝するまでの話だ。
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