第6章 優勝宣言(eインターハイ開催編)

第43話 eインターハイへ

 妖精の国、『クライネムジカ』に広がる草原『グリーングラス』。その真ん中に、鳴海は手を上げて立っていた。青空の下、妖精の伸びやかな歌声が鳴り響いていた。『リトル・バタフライ』の力強い歌詞、透明な声、爽やかなメロディは、風とともに光の中を駆け巡り、さざ波のように草花を揺らした。


 歌が終わると同時に鳴海は手を下ろした。真っ白なワンピースがなびく。フルート、トランペット、ギターといった様々な楽器を持った妖精たちが、鳴海を取り囲んで拍手していた。






「鳴海、ご飯よー!」


 階下からの母の声で鳴海は我に返った。ここは『クライネムジカ』でも『グリーングラス』でもない。鏡を見ると、特筆すべきところのないミディアムのボブカットと、洋服屋のマネキンをまねた無難なワンピースが映る。鳴海は妖精とは縁のない、日本の島根県出雲市の平凡な女子高生だ。


 でも、机の上には、ボロボロになったたくさんのノートがあった。『ファンオケ攻略ノート四十冊め』。この二ヶ月で、ノートの数は倍になった。そこには楽曲の情報や、譜面、演奏のポイントなどが、手書きで所狭しと書いてある。


 その中には、鳴海以外の文字もある。


 『ここで、わーっとやって、ババっとステップを踏む! 唄江』


 『愛よ。持ちうる限りの愛を指にこめ、スワイプするのよ 響姫』


 その役に立たないアドバイスを見ると、鳴海はくすりと笑みが浮かんだ。何よりも鳴海を励ましてくれる言葉だった。


 そして、目の前には大きなボタンの五つついた板が置いてある。足元には三色のマットが敷かれ、目の上には二つのモニタがセットされている。ファンタジック・オーケストラのデバイスを模したイメトレセットだ。ボタンの天板には、『YUI & LINGLING & ASUKA』とサインされている。呉工業大学附属高校特製のもので、見事に筐体のプレイ感覚を再現していた。


 ここからゲームセンターはまでは一時間半以上かかる。でも、鳴海は自分の家がゲーセンだとさえ思えた。一ヶ月間、研究とイメトレと実践を繰り返した。準備はもう、ばっちりだ。


 鳴海は手早く荷物をまとめ、階段を駆け降りた。


 母が、鳴海の好きなおそばを用意してくれていた。


「今日早いんでしょ? うたちゃんと、響姫ちゃん待たせちゃだめよ」


「はいはい」


「はいは一回」


 鳴海は気恥ずかしくなりながらも、急いでずるずるとそばをすする。


 テレビには、朝のニュース特集が映されていた。中国地方の、頑張っている学生についてまとめたものだ。しかし、母はテレビを消して、お土産用のそばをテーブルに置いた。


「これ、明日花ちゃんに会ったら渡しといてね」


「うん」


「よろしく言っておいてね」


「わかったってば」


 鳴海はしきりに話しかけてくる母にうなずきながら、なんとかそばを食べ終わった。


「ごちそうさまー」


 立ち上がって出かけるようとすると、最後に声がかけられた。


「いってらっしゃい。大会、頑張ってね」


 鳴海は振り返って、小さく笑った。母も笑顔だった。


「行ってきます」


 駆け出すように玄関を出た。


 朝早いから、出雲大社までの道に観光客は多くない。宇迦橋を渡って、神門通りを駆けて、鳥居をくぐっていく。四つ目の銅の鳥居についた時、仲間の姿が見えた。


「うたちゃん、響姫ちゃん。おはよう」


 手を振ると、パーカーにショートパンツを着た唄江が両腕を振りながら跳ねた。


「鳴海おはよー! 今日はわくわくして九時間しか眠れなかった!」


 ゴシックなドレスを着た響姫は、扇をゆっくりととはためかせている。


「ふふふ、子供ね。私は四時間睡眠で十分よ」


 たちまち、唄江と響姫の言い合いが始まった。


「響姫は寝なさすぎ。だから顔色悪いんだよ」


「この顔色はもともとよ」


「あはは、まあまあ。とりあえず参拝行こう?」


 鳴海は苦笑いしていなす。


 三人は拝殿に行き、大きなしめ縄の下で二回の礼と四回の拍手をした。鳴海は祈る。


 今日も、音ゲーがいっぱいできますように。


 そして、二人の方を見て言った。


「じゃあ行こう! 東京に!」


「うんっ」


「ええ」


 今日からeインターハイ本選、全国大会がはじまるのだ。






「わー! すごい! 高い!」


 飛行機の窓から中国山地の山々を見下ろしながら唄江は目を輝かせた。


「うたちゃんも、飛行機初めてだっけ」


「うん! ワクワクする!」


 機嫌よさそうに鳴海に言う。出雲から羽田に向かうフライトで、鳴海は響姫と唄江にはさまれ座っていた。飛行機に乗るのも、東京に行くのも初めてだ。あまり家族旅行に行かないし、修学旅行も大阪と京都だった。


「東京、どんな感じだろうね?」


「松江何個分かなー?」


「そんなもんじゃないわよ」


 一方通路側に座った響姫は落ち着いて扇をあおいでいる。行ったことがあるようだ。


「東京にはどんな駅にもゲーセンがあるのよ」


「う、うそ! そんなわけない」


「嘘じゃないわ。大体十分も歩けば次のゲーセンに行き着くのよ」


「それはずるい。学校帰りに行けちゃうよ」


 唄江はわなわなと手を震わせた。ゲーセンとは一週間に一度、一時間半をかけていくものだからだ。


「さくらさんがうまいはずだね」


 鳴海は苦笑した。響姫の話の真偽はさておき、音ゲー命のさくらにとっては、東京はまさに楽園だろう。


「さくら元気かな? 元気だろうね」


「確かに」


 唄江の自問自答に鳴海はうなずく。彼女が元気でないところはあまり想像できない。


「久々にさくらさんと会えるの、楽しみだなあ」


 海桜高校の山本さくらは、鳴海をeインターハイに誘った張本人だ。日本一ファンオケがうまい女子高生で、全国音ゲー巡りを趣味にしている。わざわざ中国・四国地方予選にまで足を運んでくれて、終わったあとには優勝祝いのメッセージももらった。


「明日花さんとの約束のために、絶対さくらさんとはセッションしたいな」


 鳴海はぐっと手を握る。プッシュボタンを押す手が掴むのは、もう一人の想いだけではなかった。


 唄江もソワソワしている。


「うたも早くハラマヒルに会いたい」


 彼女が出したのは、鳴海も唄江も会ったことのない人の名前だった。


「全然知らないのに?」


「うん。だって由依がすごいっていうんだから、すごいに決まってるもん」


 大阪・なんば自由学園の原まひるは、西日本一のステッププレイヤーと言われているらしい。唄江は、由依と話した結果、まひるを一つの目標にしたようだ。


「うたはハラマヒルを倒す!」


 わくわくした様子で、気合を入れて手をあげる唄江をよそに、響姫はあからさまにため息をついた。二人の話から、心配事を思い出してしまったらしい。


「はあ」


「また、奈々子さんのこと?」


 彼女は最近ナーバスになることが多い。eインターハイに向けて練習は順調に見えたが、人間関係に不安があるらしい。


「ええ。あの子のことを考えると、気が重いわ」


「響姫、奈々子がそんなに嫌いなの?」


 唄江があきれた様子で聞くが、響姫は首を振る。


「そんなわけないでしょう。好きだから辛いのよ」


 すっかり困った鳴海と唄江は顔を見合わせる。


 鳴海はさくら、唄江はまひる、響姫は奈々子。三者三様の思いが生まれたきっかけは、一ヶ月前の呉工業大学附属高校との合宿だった。

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