第41話 ASUKA vs NARUMI③
今から一年前、呉のゲームセンターでのことだった。
明日花が筐体の前に立ち、曲を選んでいると、由依が、帽子の下から聞いてきた。
「明日花、最近スワイプやらなくなった?」
「やらなくなったわけじゃねえよ。他の練習を増やしたんだ」
明日花は選曲を続けながら答える。
「鈴々が課題曲、由依が自チーム自由曲担当として考えると……あたしが相手チーム自由曲担当になるから、オールラウンダーを目指して、全体的にスキルを上げたいと思ってさ」
明日花はプッシュノーツ主体の曲を選んでプレイした。もくもくとプレイし、ハイスコアを更新した。今までは少し苦手としていた曲だ。
「やっぱり、eインターハイのこと気にしてる?」
「まあな」
明日花はうなずいた。
直近のeインターハイ、最高のチームだと思って挑んだにもかかわらず、呉工は第一回戦で敗北した。戦力的には十分だったが、第一回戦の相手が悪かった。大阪・なんば自由学園の一条紗夜(いちじょうさや)が、『ロンリヱストナヰト』を自由曲に出してきたのだ。ファンオケでも屈指の難曲であり、プッシュノーツのすさまじい難所があって、スワイププレイヤーの明日花には特に刺さった。五千点という致命的な差をつけられ、呉工はそのまま敗北した。
「お前らがあたしを誘って、鍛えてくれて、全国にまで連れてってくれた。だから、一緒に勝ちたいんだ」
明日花が言うと、鈴々も由依も、心配そうな顔を向けてくる。
「……ステップは由依が、プッシュは私が教えてあげられるわ。特にプッシュのことは私に聞きなさい、厳選された有益な情報を大量にあげるから。でも」
「でも? なんか問題があるのか?」
珍しく言い淀む鈴々の後ろから、由依がはっきりと聞いた。
「明日花は本当にオールラウンダーになりたいの?」
三人は黙り、ゲーセンの様々な音が響く。
由依は何を言っているのだろう。
「当たり前だろ。あたしはお前らと全国で勝ちたい。そのためにやってるんだ」
明日花がまっすぐ見つめ返すと、由依もうなずいた。
「明日花が本当にそう思うなら、応援する。できる限り教えるよ」
「私も教えるわよ。最高のプッシュのノウハウを伝授するわ。それはもう厳選された最適な情報をね」
「おう。ありがとな!」
それから、明日花は二人の支援を受けてプッシュとステップの力も伸ばし、オールラウンダーとなった。もともとセンスがある彼女には、努力さえ重ねれば難しくないことだった。そして呉工はさらに強くなり、全国大会三年連続出場は確実とも言われるようになった。中国・四国地方のホープとして、他プレイヤーからも期待されている。
明日花の選択は、チームとして勝つためには間違いではない。
しかし、あの日の由依の問いは、ずっと心の中に引っかかっていた。
自分は、本当にオールラウンダーになりたかったのだろうか。
明日花はファンオケを始めてから数年、由依と鈴々に合わせ、スワイプを中心に練習を重ねていた。スワイプの技術を上達させるのは、とても楽しかった。細かい動きが、性に合っていたのだ。
たぶん今よりも、ファンオケを楽しんでいたと思う。
曲が盛り上がり、難所がやってきた。大量のプッシュノーツの中に、少しだけ混じる、別画面のスワイプの線。美しい蛾の形をしている。ぽつんと一匹迷い込んだかのようだ。
――明日花さんには、一番楽しんでほしい。
初めて会ったときは踏み出す勇気がなく、大会への参加を迷っていた鳴海がそう言った。あのとき鳴海は自分がどうしたいかわからないと言っていたが、明日花から見れば参加したい気持ちは明らかだった。だからプレイに誘ったのだ。
あれから鳴海は変わった。最も得意なリトル・バタフライではなく、新曲のパピヨン・ウイングスをぶつけてきた。癖のある譜面の練習はかなり大変だったはずだ。そして明日花に、問うてきている。
自分はどうだろうか。どうしたいのだろうか。
明日花はプッシュノーツを片手でさばきながら、1匹の蛾に手を伸ばした。
「え、明日花、あのスワイプをとった?」
客席の鈴々が驚いて立ち上がった。
「とったみたいだね」
「もし大会で出たら、あそこは無視するべきって、私の分析は伝えていたのに。ミスのリスクがでかいって、明日花も自分でそう言ってたわよね」
しかし、由依は画面を指さした。
「でも、完ぺきにとってる。何より」
画面上では、コンボが続いていた。そして筐体の前には、必死になってプレイにかじりつくリーダーの姿があった。
「明日花が楽しそう」
彼女は今、がむしゃらになって一つ一つのノーツにくらいついている。少しでも多く正確にとり、スコアを稼ぐ。冷静な判断も作戦もない。
その口元は、上がっているように見えた。
「そうね……」
鈴々は座った。そして由依と顔を見合わせる。
「ファンオケ始めたころの明日花の、わくわくした顔を思い出すわね」
由依も帽子を触り、こくりとうなずいた。
歌はサビ部分に入り、LayLaの切なくも力強い歌声が響く。
鳴海は驚いた。一瞬、大量のお邪魔ノーツが降ってきたからだ。必死にボタンを押すものの、鳴海は対応しきれなかった。
わずかに一個、お邪魔ノーツを逃した。大差なら気にならないだろう。しかし千点差をぎりぎり覆せるか覆せないかの状況で、わずかな減点も致命的だ。
ASUKA 63529
NARUMI 63863
差は縮まっている。明日花はサビ前の難しいスワイプノーツをのがさず取り、鳴海に強烈なお邪魔ノーツを送ってきたのだ。きわどい試合で、プッシュをミスしたら致命的だったはずだ。鳴海は少しでも失点を避けてラストの連打に備えるためスワイプはスルーした。だが明日花はリスクを冒し、難所を完ぺきにさばききった。
鳴海は今更自分の計算違いに気づいた。
明日花は慎重なオールラウンダーかと思っていた。勝負はラストの連打だと思っていた。しかしそれは違った。
明日花はスワイププレイヤーだったのだ。勝負は全ての瞬間だったのだ。
サビ以降、明日花のスワイプの精度が上がり、お邪魔ノーツが増えてきている。鳴海にこれ以上のミスは許されない。
攻めてくる。積極的にこちらを崩してくる。準決勝で見せたプレイとは全く違った。これが、本来の明日花のスタイルなのだろう。
そこには、試合前に見せたような思い詰めた感じはなかった。曲前半のプレイでの慎重な様子もなかった。
鳴海は、初めて明日花と会ったとき、大会に参加するか迷っていた自分に明日花がかけた言葉を思い出した。
――あたしとセッションしようぜ。それから考えればいい。
本当だ。プレイすれば、全てわかった。
ファンオケは、音楽シミュレーションゲームだ。音楽に合わせて演奏するというそれだけのゲームだ。そこには複雑な理論も崇高な目的もない。
ぴったり合えば、気持ちいい。
それだけの話なのだ。
LayLaの歌が終わり、アウトロが始まる。笛の音とドラムがからみあい、郷愁のメロディが突き進む。この後、最後にして最大の難所、連打地帯が待っている。
たぶん、明日花は全力で攻めてくるはずだ。プッシュノーツを拾いつつ、スワイプノーツも完ぺきに取ろうとしてくるだろう。ならば自分も、全力で押し切る、それだけだ。
鳴海は嬉しかった。明日花ほどのプレイヤーが、全力を振り絞り、自分にぶつけてくれることに喜びを感じていた。
メロディが盛り上がり、画面に連なったプッシュノーツが降りてきた。連打のプッシュノーツを見て、ボタンを何度も何度も押す。左手で十六回、右手で十六回、それに合わせて画面の上部に現れる蛾の形をしたスワイプノーツもうまく手を交代しながらなぞる。
明日花からお邪魔ノーツが送られてくる。明日花はプッシュを逃すリスクを冒して、スワイプに力を入れてきている。なんとかくらいつくしかない。連打しながら、その横に現れた別のノーツも押す。
何をしているのか自分でもわからない。ここまで来たら、見えるものにくらいつくしかない。一個、一個、押すのだ。丁寧に確実に押すのだ――鳴海は、画面の動きも、自分の動きも、すごく遅くなるような気がした。それでいて、曲はそのままの速さで鳴っている。すべてがよく見える。
ここはどこだろう?
自分はどこに行こうとしているのだろう?
誰になりたいのだろう?
――何かが、ぴったりはまる気がした。
ASUKA 95284
NARUMI 96312
NARUMI Win!
KURE 290628
IZUMO 290659
IZUMO Win!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます