第7章 氷の女王リターンズ(eインターハイ第一回戦編)

第52話 奈々子と響姫

 喜屋武奈々子の人生は、氷の女王・響姫との出会いで大きく変わった。


 奈々子の親は各地に支社を持つ会社の営業として、多くの地に転勤をしてきた。引っ越しが多く、覚えているだけで、北海道、岩手、群馬、富山、そして島根に移り住んだ。


 その度に奈々子は周りに合わせて自分を書き換えることを求められた。友達も、勉強も、遊びも、転校するたびに変わる。何年か経ってやっとその場に馴染む頃には、次の地に行くことになる。親が転勤を重ねるたびに、学校の友達からもらった別れの寄せ書きの枚数は増え、奈々子の目を引く物ではなくなっていった。


 奈々子にとって価値があるのは人と触れ合うことではなく、ゲームになった。ゲームなら場所を移り変わっても関係なくできるし、別れる必要もない。いつしか学校帰りにゲームセンターに寄ることが一番の楽しみになり、ファンタジックオーケストラには深くはまった。音ゲーはややこしいことを考えずに音楽とプレイに没頭できる。地方都市にはたいていゲーセンがあり、どこにいっても変わらずゲームができるのも良い。各地に自分の隠れ家ができた気分だった。


 でもそれを分かち合える友達は、どこにもいなかった。別れと出会いを繰り返すうちに、奈々子は新しい友達を作れなくなり、一人きりになっていったのだ。


 友人もなく、寂しく音ゲーをする日々が続く。これから、ずっと一人でゲーセンに篭り続けるのだと思った時、奈々子は響姫と出会った。






「何も考えなくていいの。私に全てを委ねなさい」


 響姫は奈々子の手を取り、画面をスワイプした。まるで二人羽織のようだった。響姫の長くて細くてすべすべした指が、奈々子の手に重なる。そして、滑らかに画面の上を滑り、導く。全て、響姫に任せていればうまくいく。


 NANAKO 98376 (HIGH SCORE)


「やった、ハイスコアが出ました!」


「いい子ね、奈々子。やはりあなたは可愛いわね」


 喜ぶ奈々子の頭を響姫は優しく撫でてくれた。


 背が高くて、長くてつやつやとした灰色の髪、白い肌に黒と白のゴシックなドレス。浮世離れした不思議な格好だったが、それが響姫に相応しいように思えた。


「響姫さんのおかげです」


「いいえ、あなたの力よ。あなたのプレイには愛がある。だからうまくなった。そしてもっとうまくなるわ」


 奈々子は頭が熱くなった。響姫と一緒にいると、熱くて、どうにかなりそうだった。


 響姫の言う通り、愛があるとすれば、それは……。


 二人の出会いは特に運命的なものではなかった。奈々子がSNSで松江のゲーセンで遊んでいることを投稿していたら、同じゲーセンをホームにしている響姫と繋がった。ネット上での会話を重ねるうちに仲が深まり、オフでも会うことにしたのだ。


 初めて会った時は響姫の格好や態度に驚いたが、年が近い女の子で、同じゲームをしているということもあり、すぐに仲良くなった。


 響姫の態度は尊大で、わけもなく偉そうだったが、面倒見も良く、奈々子を可愛がった。奈々子は、ある種のロールプレイのように、氷の女王、響姫のしもべとなった。荷物を持ったりとか、ジュースを買ってきたりとか、大したことをしたわけではない。でも、尽くせば尽くすほど、響姫は喜び、優しくしてくれる。響姫につかえることが、最大の喜びになっていった。


 ゲーセンで遊んだあとは、安いファミレスで、ドリンクバーを頼んで、音ゲーの話をしながら過ごした。響姫はエナジードリンクのエイリアンが好きだった。


「響姫さん、エイリアンです」


 捧げるように、エイリアンエナジーを注いだグラスを響姫のもとにおく。


「ありがとう奈々子。さすが、よくわかっているわね」


「はい。響姫さんの好みは、よく知っています」


 響姫がごくりごくりと飲むのを見て、微笑む。


「あの、響姫さん」


「どうしたのかしら?」


 響姫は空になったグラスを置くと、涼しげな目で奈々子を見つめた。どんな悩みも、苦しみも、一瞬で解決してしまえそうな目だった。


 奈々子は、自分の気持ちを全て言いたくなった。


 私の本名、喜屋武奈々子って言います。変わってると思うかもだけど、沖縄ではよくある苗字なんですよ。


 私、すごく寂しいんです。


 学校で友達を作っても、すぐ引越しになってしまう。

 だから仲良くなるのが虚しくて、上辺だけ取り繕って、距離を置いてしまうんです。学校に行くと、いつも一人だけ置いてきぼりになった気分なんです。


 寂しいんです。


 毎日、辛いんです。


 何百人の名前だけの知り合いよりも、たった一人、心から通じ合える友達が欲しいんです。


「響姫さん、本当にスワイプお上手ですね」


 響姫さんの本名を教えてください。


 住所と電話番号を知りたいです。


「よくプレイしているだけよ。特にエンプレスオンアイスは、始めた頃から、ずっとやっているわ」


 私は、響姫さんと同じ学校ならよかったです。


「私も、エンプレスオンアイスが大好きになりました」


 響姫さんと、夜まで電話でおしゃべりしたいです。


「あなたといると、こればかりやってしまうわね」


 響姫さんの後輩で、同じ部活だったらよかったのに。


「はい。もっとうまくなって、響姫さんと一緒にいっぱいセッションしたいです!」


 そんなことは、言えなかった。


 言ったら、今の関係は壊れてしまうと思ったからだ。たまたまホームのゲーセンが同じで、一緒に遊ぶだけの仲だ。本名も学校も住所も知らない。氷の女王としもべの仲は、それらを知らないからこそできるのだという気がした。


 響姫とも、転勤が来たら、また離れてしまう。


 だからこそ今だけは、この幸せな関係を崩したくなかった。






 でも、それから、響姫と二人でセッションすることは少なくなった。響姫が奈々子を遠ざけるようになったのだ。奈々子と遊ぶときに他の子を呼び、他の子とばかりセッションするようになった。奈々子と二人でファミレスに行くこともなくなった。


 奈々子は響姫が他の子と親しげに話すのを眺め、複雑な気持ちになった。自分を一番近くに置いて欲しい。自分と一番たくさんセッションしてほしい。


 でも、そんなことを言えるはずはなかった。響姫にも、考えがあるに違いない。大切に想うからこそ距離をおいているんだと自分に言い聞かせた。今は他の子と馴れるために時間を割いてるだけだ、自分の忠誠心が問われているんだ。奈々子にできることは響姫のそばにつき、エイリアンエナジーを捧げ、彼女のプレイに見惚れることだけだった。


 でもある日、いきなり響姫はいなくなった。ゲーセンから駆け出して、SNSのアカウントも消し、それきり姿を見せなくなった。


 時を同じくして父が島根から沖縄に転勤になった。父親の生まれ故郷であり、一定のポストにもついたため、これ以上の転勤はないと聞いた。


 奈々子は、昔から憧れていたお嬢様学校である朱雀女子高校に編入することになった。この学校は古くからある品格ある学校であり、誇り高い乙女を育てることを校訓としている。


 沖縄の地は暑く、人は皆優しく、時間がゆったりと流れていた。朱雀女子の生徒は皆育ちが良く、上品で穏やかで親切だった。ついに手にした、安住の地。でも奈々子の心が穏やかになることはなかった。


 奈々子は決意していた。


 必ず、響姫にまた会うと。


 eインターハイに出場し、地方大会を勝ち抜き、全国に出る。そうしたら、きっと響姫と会えるはずだ。


 そして、また響姫の--。

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