第53話 また、しもべに
「また、響姫さんのしもべにしてください!」
響姫は困っていた。
奈々子が、目の前で頭を下げている。そして、エイリアンエナジーの缶をうやうやしく差し出してきている。
どうしよう。
「響姫さんのお好きな、エイリアンです」
「奈々子」
ごくりと息をのんで、響姫は一歩、後ろに下がる。
「沖縄限定の、シークワーサー味です」
「奈々子、受け取れないわ」
首を横に振った。
奈々子は、絶望的な表情をした。世界が終わる一分前とでも言うような顔だ。
「どうして、どうしてですか!」
響姫のいやな予感は的中した。奈々子は再会したら、過去の関係の修復を望むかもしれないと思っていた。つまり、氷の女王と、しもべとしての二人だ。
でもそれは、響姫にはできないことだった。
「氷の女王は、もういないのよ」
どうしたら自分の気持ちを伝えられるだろう?
響姫は迷いながらも、立ち尽くす奈々子に語った。
「私は愚かだった。おとなしくてよく言うことを聞く子を集めて、寂しい自分の気持ちを満足させていたのよ。調子に乗って、店や他の子にも迷惑をかけた。しもべなんておかしいでしょう? 私はもうそう言うことはしないと決めたの」
それを聞いた奈々子は、シークワーサー味のエイリアンエナジーを、からんと落とした。
「勝手です」
目に涙を浮かべている。感激でなくて、悲しみの涙だろう。怒りもそこに含まれているのかもしれない。
「言ったじゃないですか、私に全てを委ねなさいって。あんなにいっぱい一緒にスワイプしたじゃないですか。一緒にエンプレスオンアイスもやって、奈々子、うまいわねって、褒めてくださったじゃないですか……」
上目遣いに響姫を見る。
「私の手紙を読んでくださらなかったのですか?」
響姫はその頬を触り、できるかぎりの優しさをこめて言う。
「読んだわ。あなたの気持ち、嬉しかった。ありがとう。でも、私は過去の自分を捨てたの。もうあなたをしもべとすることはできない。対等の友人として、お付き合いしたいのよ」
「対等の、対等の友人として、お付き合いしたいなんて……なんでそんなことが言えるのですか」
奈々子は震えた。激しく怒っているのだ、そう響姫は感じた。当たり前だ。自分は奈々子を裏切ったのだ。
「だめです。しもべでないと。奈々子は響姫さんのしもべでないと、だめなんです」
奈々子は迫り、響姫は後ずさった。
事情を知らない人には意味不明かもしれないが、奈々子はそれだけを考えてeインターハイに出てここまで来たのだ。よほど思い詰めていたのだろう。
でも、響姫にも譲れないものがある。
「私はもう氷の女王にはなれない。変わったのよ。いいえ、まだ変わってないけど……」
奈々子を見つめて言った。
「変わりたいのよ」
「響姫さん……」
奈々子が、見つめ返す。その瞳には決意に満ちた炎が宿っていた。
「なら、勝負です」
「勝負?」
「朱雀女子の自由曲、いつも通り、エンプレスオンアイスで私が出ます。響姫さんが受けてください」
「えっ」
驚いた。自分から自由曲を明かすなんてことがあるだろうか。ババ抜きで相手に札を見せているようなものだ。
奈々子は続けた。
「私が負けたら、響姫さんの言うことに従います。潔く、対等な友人になります」
「ちょっと、待ちなさい。何を考えて」
「そのかわり、私が勝ったら……」
奈々子は、響姫をビシッと指さした。
「また、響姫さんのしもべにしてください!」
響姫は黙った。静寂が当たりを包む。
「あなたが勝ったら、私のしもべに……」
頭の整理がつかなかったが、しばらく立って理解した。
「そんな、めちゃくちゃな……」
そして、混乱した。
勝負に負けたら、響姫は奈々子をしもべとしなければならない。氷の女王、つまり昔の自分に逆戻りすることになる。響姫が昔の自分を断ち切るには、奈々子に勝つしかないのだ。
「奈々子、落ち着きなさい。もっとよく考えて」
「よく考えました。昼も夜も、響姫さんのことしか考えてません。それで出た結論です」
奈々子はにべもない。彼女の言うことは、めちゃくちゃのようにも思える。でも、確かに正しい。響姫は氷の女王を捨てたい。奈々子はまたしもべとなりたい。二人とも譲れないならば、どちらかが折れるしかないのだ。
音ゲーで出会った二人だから、音ゲーで行く末を決めると言うのは、理にはかなっている。でも、そんな大事なことを、セッションで決めてしまっていいのだろうか。
「響姫さん。勝負を受けてくださいますか?」
響姫は、首を横に振った。声が震える。
「や、やめましょう、奈々子。あなたは少し興奮してしまっているだけよ」
両手を振ったり、うなずいたりして、必死に弁明する。
「そんなことをセッションで決めるべきじゃないわ。私もあなたも、一人だけでここにきているわけじゃない。よく考えて。しもべになりたいなんて、気の迷いよ」
パァン。
気持ち良い音がして、響姫のほおに痛みが走った。顔が上を向き、気が遠くなった。
再び目を下に戻したとき、にらみつけてくる小さなチームメイトの姿があった。
「響姫最低!」
「唄江!?」
ほおを抑えながら見下ろすと、唄江も目に涙を浮かべていた。
「奈々子がかわいそう。しもべにしてあげなよ!」
「何言ってるのよ。というか、なんであなたが出てくるのよ」
唄江はキンキンに声をあげて抗議した。
「鳴海が優しいから、かわりにいってるの!」
本人は、困ったように口に手を当てる。
「え、私の代わり!?」
唄江は続けた。
「今の響姫は、大勢引き連れて、ゲーセンで調子乗ってた時よりも、もっとひどい。ただのへたれ性悪女だよ」
「なんですって」
響姫は言い返そうとしたが、言葉に詰まった。
へたれ性悪女。奈々子にその場限りの優しい言葉をかけ、都合が悪くなったら逃げ出した自分のことを、よく言い表してるように思えたからだ。
「鳴海もおんなじこと思ってるよ」
「え。え」
「鳴海、あなたはそんなこと言わないわよね?」
響姫は縋るように鳴海を見つめる。
でも、鳴海は何も言わなかった。
「思ってるのね」
響姫はうつむいた。
混乱した空気が流れる中、会場にキーンというマイクの音が響いた。
『こほん。こほん。あの~。あの~』
アナウンスが、何度もわざとらしくせきばらいをしながら言う。
『出雲大社南高校と、朱雀女子高校の選手は、試合の準備に入ってください』
響姫は、衆人環視の中でやりとりしていたということに気づいた。死ぬほど恥ずかしくなったが、今はそれ以上の問題がある。奈々子の勝負をどう扱うかだ。
奈々子は、じっと見つめてくる。響姫は逃げられない。
そのとき、奈々子の後ろからのんびりとした声がした。
「奈々子さん、がんばりましたわね」
ふわりとした大ボリュームの長髪をもつ少女が微笑んでいた。
「ミチル様……」
奈々子を抱きしめてぽんぽんと頭を撫でる。
「気持ちを伝えられたのは、とても立派ですわ」
一言一言、丁寧に優しく言う。彼女が喋ると、時間の流れがゆっくりになるようだった。
奈々子はうなずいた。
「……ありがとうございます」
ミチルは頷き返すと、スカートのはしを持って、響姫たちに頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました。でも、あなた方とは、楽しくセッションできると言う気がしていますわ」
穏やかな笑顔だったが、響姫は何も言い返せなかった。
「ミチルお姉様、時間がぎりぎりですー!」
浅黒い肌の小柄な子が後ろからきんきん言った。
「はいはい、くるみさん、いきましょうね」
ミチルは、くるみと奈々子を連れて控室に向かった。奈々子は一度だけ振り返ると叫んだ。
「響姫さん、私は待ってます。響姫さんを、自由曲で待ってます!」
その奈々子の背を響姫は呆然と見つめていた。
「響姫ちゃん」
鳴海が、心配そうに声をかけてくる。
響姫は、またひとつため息をついた。
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