第5話 音ゲー命!
「逆転勝ちだ!」
唄江が筐体まで駆け寄ってきて、両手を挙げた。鳴海はそれに合わせて、ハイタッチする。
唄江は抱き着いてきて、耳元で言った。
「ありがとう。鳴海が怒ってくれたの、うた、心強かった」
抱擁を受けながら、鳴海は本題を思い出した。そうだ。『Empress on Ice』のセッションに熱中していたが、そもそも、音ゲーの筐体の使用権をかけて試合を申し込んだのだった。
鳴海は、響姫を指さす。
「私の勝ちです! うたちゃんに謝ってください!」
鳴海の中で、筐体を占領されたことはどうでもよくなっていた。問題は、唄江に対する挑発だ。唄江は子供っぽくみられることを気にしているのだ。
しかし、響姫はそれどころではないようだった。
「な、どういうことよ……」
扇がからんと床に落ちた。さっきまでの余裕はどこに行ったのか、スコアを見て唇を震わせている。彼女はまだ、勝負の結果を受け入れることができていないようだった。
「響姫さん……どうされました!?」
奈々子が扇を拾って差し出したが、響姫はそれさえ気づかないくらい動揺していた。
「『Empress on Ice』で、私が負けるわけがない。私のスワイプは、完ぺきだったはずよ」
筐体を譲るとか、謝るとかは問題ではなく、とにかく負けたことが信じられない、信じたくないという様子だった。
顔を青くしてスコア画面を見つめていると、後ろから拍手の音がした。パチパチパチ。とても大きな音だ。
「確かに君のスワイプは素晴らしかったよ」
女性の声だったが、その主は鳴海でも唄江でも、周りの取り巻きでもなかった。騒音の響くゲーセンの中で、ひときわよく通る。
「でも、彼女は君の送ったお邪魔ノーツを完全に押し切った。正確なプッシュで、減点を許さず、一点一点確実にスコアを稼いだ。彼女のプレーが、君のさらに上を行ったんだ」
鳴海が振り返ると、美人が爽やかに笑っていた。すらりと脚が長くて細いジーンズをはきこなし、黒くつやつやした髪の毛を、まっすぐに腰くらいまでおろしている。シンプルな白いTシャツが、逆に格好よく見えるくらいのスタイルの良さだ。
そのTシャツに、『音ゲー命!』と書いていなければの話だが。
「あの人、誰?」
「さあ」
鳴海はこっそり聞くが、唄江は首をかしげる。
「
響姫は、おびえた顔でその文字を指さした。
さくらと呼ばれた『音ゲー命!』Tシャツの女性はうなずく。知り合いなのだろうか? 鳴海は状況についていけず、唖然とするだけだった。
だが響姫は、自分の負けたスコア画面と、周りの取り巻き、鳴海と唄江を見まわして、泣きそうな表情をした。いきなり叫ぶ。
「くっ、今日のところはここまでにしてあげる! 覚えておきなさい!」
捨て台詞というやつなのだろうか。響姫はとるものもとりあえず、長いスカートを手でつまみ、ヒールでこつこつと不器用に駆け出した。よほど慌てていたのか、小さな手帳を取り落としていた。
「落としましたよー!」
鳴海は拾って声をかけるが、気づかないようだった。
「ひ、響姫さん! お待ちください!」
奈々子と呼ばれていた子は、慌てて響姫を追って駆け出した。その他の女の子たちも、蜘蛛の子を散らすようにどこかに消えていった。
「いなくなっちゃった」
ファンオケの前には、鳴海と、唄江と、さくらと呼ばれた少女が残された。鳴海は響姫の落とした手帳をぼうっと見つめた。
「さて!」
さくらと呼ばれた少女は、気を取り直したのか、手をパンと叩いた。鳴海の方をキラキラした目で見る。
「鳴海といったね。君は高校生?」
さくらは、鳴海の手をがしりと取る。
「さっきのプレイ、本当に素晴らしかったよ。ここが君のホームのゲーセン? プレイ歴はどのくらい?」
「え、えっと、あの。高校生」
やっと一つ目の問いに答えたとき、さくらは後ろから伸びてきた別の手に鳴海から引き剥がされた。
「さくら、お前、いきなり馴れ馴れしすぎるだろ。引かれてるぞ」
「
後ろにはもう一人女の人がいた。さくらの連れの様だ。身長が高くて、ウェーブのかかった金髪を中分けにしておでこを出した、大人っぽい派手な人だった。
「そうだね、まずは自己紹介しなきゃね」
さくらは反省したのかしていないのか、筐体の方を見た。
「でも、その前に」
鳴海に懇願する様に両手を合わせる。
「残ってる曲、やってもいい?」
筐体には、リトル・バタフライの選曲画面が残されていた。響姫が一曲しかやらずに帰ってしまったため、鳴海の選んだ分のプレイがまだ残っているのだ。
「お前、話聞いてないだろ」
明日花と呼ばれた連れの子が悩まし気に額に手を当てる。どうやらさくらのTシャツに書かれた『音ゲー命!』は嘘ではなく、本当に音ゲーのことしか考えていない様だ。
鳴海はふふっと笑みが溢れた。誰だかよくわからないが、自己紹介の前に音ゲーをやりたいという、ずうずうしくも無邪気な申し出に、かえって好感を持った。自分も、曲が余ってるのはもったいないなと思っていたところなのだ。
「この人とセッションしてもいい?」
「鳴海がいいならいいよ」
唄江は嬉しそうに言った。
「じゃあ、どうぞ」
「やった! ありがとう」
鳴海が促すと、さくらは嬉しそうに筐体の前に立つ。彼女は長い黒髪の根元を掴み、音符の髪留めで縛りながらいった。
「私は山本さくら! 君は?」
「天野鳴海。よろしくお願いします」
鳴海がぺこりと礼をすると、さくらが笑顔でうなずく。ちょうど長い黒髪がポニーテールにまとまったところだった。
それを見届け、鳴海は前を向く。さくらも前を向く。筐体はプレイ画面に移り変わっていて、二人は集中した。
会ったばかりだが、さくらとは仲良くなれる気がした。
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