第57話 UTAE vs MICHIRU①

 それを見て、鳴海はぽかんと口を開けていた。


「なんだろ、あれ……」


「盛り上がってるね」


 ナレーションの女性が叫ぶ。


「おっと朱雀女子高、すごい気合いだー! 事前アンケートによると、朱雀の校訓らしいですね。地方予選でも試合のたびにこの掛け声をしていたとか。団結力の秘訣なのかもしれませんね!」


「奈々子……」


 響姫は驚いた。奈々子が、あんなに気合の入った声を上げるなんて思ってもみなかったからだ。彼女は、それだけこのセッションに力を入れているのだ。


 自分もそれに答えなければならない。


「さて、出雲大社南はどんな掛け声で来るんでしょうか?」


「えっ?」


 鳴海が顔面蒼白になる。気づけば観客の目線が自分たちに集中している。出雲も掛け声がなにかあるに違いないという期待に満ちた目だ。


「まずいわよ。鳴海、何か言いなさい」


「どうしよう。そんなの考えてないよ」


 鳴海はおろおろし始めた。


「紗夜に言った時みたいな感じで」


「それとこれとは別だよー……」


 鳴海はすっかりびくついている。彼女が本気になるのは仲間を侮辱された時だけだ。


 しかし、響姫は考えた。相手はただでさえ強敵、気持ちで負けたらおしまいだ。何かしら言わないと、でもこんな時に限って頭が真っ白になり、何も出てこない。


「んっ!」


 そのとき、唄江が手を差し出す。


 何か考えがあるらしい。ここは、体育会系の唄江に任せた方が良さそうだ。響姫はふうと息をつくとその手に重ねた。鳴海も恐る恐る手を乗せる。


 唄江は大きく息を吸うと、奈々子に負けない元気いっぱいの声で叫んだ。


「イズミナが、行くよー!」


 その大きさに驚きながら、鳴海と響姫も、むりやりに叫び返す。


「お、おおー!」


 ぱちぱちと拍手が聞こえた。


「おっとー、出雲も気合たっぷりだー! これはセッションが楽しみですね」


 実況も機嫌良さそうだ。どうやら、ことなきを得たらしい。響姫は胸を撫で下ろした。


「うたちゃん。ありがと」


 鳴海に唄江は親指を立てる。そして響姫の方を向いてびしりと指さした。


「ちゃんと奈々子に応えなよ!」


 そのまま、颯爽と筐体の前に向かっていく。第一セッションは、唄江の自由曲なのだ。なんと生意気な小娘だろうと思い、鳴海と顔を合わせると、穏やかな表情で微笑んできた。彼女の言ったことが思い出される。


 響姫ちゃんと、うたちゃんがいれば、できるようになってきたんだ。


 まあいいか。鳴海と唄江がいて、なんとかなるなら、それでいい。





 

 ステージのど真ん中には、二台の筐体が置かれている。その前のステップマットに唄江は飛び乗った。


 対戦相手の仲嶋ミチルは、長くふわりとした黒髪をなびかせながら、ゆったりと歩いて唄江に向き合った。


「よろしくお願いしまーす!」


 唄江は、ミチルにぺこりと頭を下げた。ミチルは、口に手を当てて柔和な笑みを浮かべた。


「あらあら、元気の良いお嬢さんですわね」


 真っ赤なスカートのはしをつまみ、優雅にお辞儀する。


「ちゅーうがなびらー」


「へっ?」


 唄江はぽかんとする。ちゅーう?


「ぼ、ボンジュール?」


 ショートパンツの唄江はパーカーのすそをつまんであいさつを返した。


 舞台の端から、浅黒い肌の小柄な女の子が叫んだ。


「ミチルお姉様! それは、朱雀でしか通じないあいさつですー」


 スカートを摘んでいたミチルは、唄江と向き合いながらしばらく止まっていたが、やがて、はっとして口に手を当てた。赤いスカートがふわりと舞う。


「うふふ、申し訳ありませんでした。よろしくお願いしますね」


 唄江は大きく口を開けたままだ。ミチルの挨拶は沖縄の方言だ。唄江たちは知る由もないが、朱雀女子高にはこのような琉球と和洋中の文化が入り混じった不思議な習慣がたくさんある。ミチルは相変わらずにこにこしながら、唄江に手を伸ばす。


「唄江さんと言いましたか」


 唄江は手を取る。


「うん」


「先程の掛け声もそうですが、お元気が良くて、素晴らしいご挨拶ですわねえ」


 ミチルは優しく、ゆっくりゆっくり話した。


「ありがと」


「あなた、立派な淑女になれますわ」


 唄江は、どきりとした。子供っぽいと言われることはよくある。唄江はその度に怒っているが、淑女などと言われたのは初めてだ。


「ほんと!?」


「ほんとです。よろしくお願いしますわね」


 唄江は、ミチルの柔和な笑みを見上げた。気分が落ち着いてくる。


 ミチルは筐体の前に戻った。


 唄江も屈伸して曲に備える。立派な淑女、いい響きだ。


「さて、出雲大社南高校の自由曲は、出雲から長谷川唄江選手、朱雀からは仲嶋ミチル選手がエントリー! eインターハイの幕開けを告げる、記念すべき、第一回戦、第一試合、第一曲目の……スタートです!」


 筐体に映し出された画面が、赤い背景に変わった。


  UTAE vs MICHIRU

 IZUMO's SONG: TOP☆SPEED!(マエストロ)

 アーティスト :山田熱之介

 BPM:222

 レベル:10

  プッシュ☆☆☆☆☆☆☆

  ステップ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  スワイプ☆☆☆☆☆☆


 曲が始まった。


 激しいギターのフレーズが会場いっぱいに鳴り響いた。凄まじいステップノーツが画面の奥から迫ってくる。唄江はそれに合わせて飛び跳ね、小刻みに足元のマットの上を舞った。高速のフレーズをギターが叫び終えたら、唄江とミチルの画面が明るく光った。


 UTAE 8346(BONUS)

 MICHIRU 8264(BONUS)


「うたちゃんすごい!」


 鳴海がぐっと手を握った。


 ステージの端から、筐体の上に映し出されたさらに大きなスクリーンが見えた。そこにプレイの様子とスコアが映し出されている。


 それを見ながら、響姫も扇を広げる。


「コンボボーナスをしっかり取った。いい出だしね」


 ファンタジックオーケストラの舞台となるクライネムジカは、七つのエリアに分かれている。そしてファンオケ楽曲は、必ずどこかのエリアに属している。エリアの一つ、レッドボルケーノは、ロックやメタルなどの激しい楽曲が多いエリアだ。


 そして、レッドボルケーノの中で最高の難易度を誇るのが、唄江の十八番、トップスピードだ。これはBPM、つまり一分間に入る拍の数が二百二十二もある高速な曲で、激しいステップが終始続く。


 ステップノーツは、難所をミスせずに演奏すると、コンボボーナスがもらえるのが最大の特徴だ。この曲で何度も訪れる難所でミスしないかどうかで、点数は大きな差が出る。


 でも、唄江は失敗を恐れない。それに、いきなりの最高難易度でも、すぐにトップボルテージに持っていける。ドラムが激しくなり、細かい連打も混じった二回目の難所も、唄江は楽しそうにステップを踏んでいく。今のところ、コンボボーナスは全部取っている。


 この調子ならいける。


 しかし、響姫は合宿で鈴々から言われたことを思い出していた。


 『仲嶋ミチルには気をつけなさい』






 UTAE 23456

 MICHIRU 22961

 

「なんや、唄江ちゃん、一曲目からトプスピとかめっちゃ度胸あるなー!」


 まひるは舞台の下、観客席最前列からスクリーンを見上げて機嫌良さそうに言った。夕果はその隣で長い足を折りたたみながら、ぶるぶる震えている。


「わ、わたしなら選べません……あんな難曲、失敗が怖くて」


「ゆうてゆかぴー、近畿予選は課題曲全曲フルコンやったろ」


「あれはまぐれですう」


 恐縮しているようだった。


 紗夜はカナリアのような声で言う。


「まあ、調子のええうちはええな」


「どういう意味や」


「まひるはんもわかってはるやろ? 今はリードしとるけど、ステップは、調子が悪くなってからが勝負なんや。そしてなにより」


 彼女は天使のような顔で微笑んでいった。


「全国には魔物がいてはる」


 まひるは、うなずいた。

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