第61話 HIBIKI vs NANAKO①
「さて、千点を追う出雲大社南! 喜屋武選手の自由曲は柳楽選手の得意曲でもあるらしいですが、果たして追いつけるのか! このセッション最後まで目が離せないぞー!」
響姫は実況をよそに目の前の画面を見た。そこには、白い氷山の背景が映し出されている。
自分はずっとこの曲と一緒に歩んできた。
音楽に挫折しゲーセンを彷徨っていたときに、ファンオケに出会ったのもこの曲。
一人でゲームをしていたときに、奈々子と出会い、仲良くなったのもこの曲。
氷の女王としていきがっていた頃に、鳴海と唄江に出会い、奈々子と別れるきっかけとなったのもこの曲だ。
「奈々子」
「ちゅーうがなびらー」
長い三つ編みをおさげにした色白の少女が、ゆっくりとお辞儀する。でも頭が上がった時、気弱そうな瞳の奥には、真っ赤なセーラー服と同じ、燃えるような炎が宿っていた。
響姫は奈々子を見つめる。奈々子は響姫を見つめる。
彼女の強い想いに応えられるとしたら、この曲しかない。
響姫は、懐に持っていた缶を取り出した。エイリアンエナジーだ。そのタブをぷしゅりと開けて、ごくりごくりと一気に飲み干した。
唖然としている観客をよそに、空き缶を筐体に置く。
「お茶会といえば、やはりこれよね」
「響姫さん」
奈々子が、目を輝かせた。
「氷の女王の、最後のお茶会を始めるわ」
響姫は勢いよく扇を奈々子に突きつけた。
奈々子は頷いた。十分すぎるほど言葉は交わした。あとは、もっと適切なやり方で、互いの想いをぶつけるだけだ。
響姫は画面を真っ直ぐに見つめた。
二人が語り合うとすれば、この曲以外にはあり得なかった。
HIBIKI VS NANAKO
SUZAKU‘s SONG:Empress on Ice(マエストロ)
アーティスト:KLEINEBACH
BPM:130
レベル:10
プッシュ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ステップ☆☆☆☆☆☆
スワイプ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
バッハを思わせる典雅な音楽が、規則正しいリズムで鳴り始める。
エンプレスオンアイスは、ピアノやオーケストラ系の楽曲が並ぶホワイトアイスで最強の一角を占めており、鈴々がセレクトした三十の自由曲リストにも載っている。その特徴は、全曲中でも最難関として知られるスワイプ譜面だ。
まずはオーケストラが単純なリズムで細かい音を奏で、プッシュノーツ中心の整った階段状の配置が続く。響姫は確実にプッシュボタンを押していく。鳴海のように、一つ一つ丁寧に、だ。押せば押すほど、音楽に深く没頭できる気がする。
そして出だしのフレーズの終わりには、リズミカルなステップノーツが混じる。ステップマットを、小さく跳ねて踏んだ。唄江ほどアクティブには動けないが、少し楽しい気持ちになった。
響姫は一人でプレイしているような気がしなかった。小さなプレイの一つ一つに、鳴海や唄江を感じる。
二人が一緒なら、なんとかなるような気がするのだ。
HIBIKI 10392
NANAKO 10147
「あの響姫ってヒト、ゆかぴーににとるな」
観客最前列のなんば自由学園の席では、紗夜が言った。
「ひいいい、私ですか? 私はエイリアンエナジーを一気飲みなんてできません……」
夕果は長くすらりとした手足を縮こませた。
「プレイスタイルの話や。スワイプに軸足を置きながらも、プッシュやステップにも弱点がない。どちらかいうとオールラウンダー寄りなくらい、バランスええ」
夕果は、ステップを軸としたオールラウンダーで、課題曲を担当する。それと似ていると言っているのだ。
「珍しく褒めとるやん。紗夜もしもべか?」
まひるが茶々を入れると、紗夜は優雅に首を振る。
「誰が褒めとる言うた?」
くつくつ笑いながら、カナリアのような声で言う。
「バランスばっか気にしとったら、どっかで頭打ちになるやろ。地方予選で負けた、明日花はんみたいになあ」
「それ、わたしが弱いってことですかあ」
夕果は半泣きになっている。まひるがよしよしと頭を撫でた。
「ゆかぴーいじめんな」
「いやいや、ゆかぴーは課題曲専門。問題は、これがエンプレスオンアイスってことや」
紗夜は、響姫のプレイを見て言う。
「この曲では、スワイプを一点突破で極めなあかん。でもあのヒト……氷の女王というには、ちょっと丸すぎるんやない?」
奈々子はスコアを見て、出だしは響姫がわずかにリードしたのがわかった。でもそれは問題にはならない。ここから先が本番だからだ。
オーケストラが鎮まり、ピアノとヴァイオリンが交互に切ないメロディを歌う。それに合わせ、画面両側のモニタにスワイプノーツが現れた。片方にピアノ、片方にヴァイオリンを模した複雑な図形だ。両手で全く別のややこしい動きを、速く、正確にしなければならない。全曲でも最難関のスワイプだ。
奈々子は画面に手を伸ばす。
正確さとは愛でもあるのよ。
愛をもって、なぞりなさい。
氷の女王の言葉が、奈々子の頭の中に響く。奈々子の手に、存在し得ないもう一人の響姫の手の感触があった。響姫が手を取って、後ろから囁いてくるように感じる。本人は隣の筐体にいる。でも、耳が、手が、熱くなる。
奈々子は、那覇のゲーセンでの練習を思い出した。
Stille(マエストロ)
NANAKO 76439
「響姫さん……」
クリア失敗の画面を見て、奈々子はため息をついた。沖縄のゲーセンに来ても、筐体を前にすると、響姫のことを思い出してしまう。他の曲の練習中にも、エンプレスオンアイスのことが頭にちらついてしまう。プレイに集中できないのだ。
くるみがその様子をみて、そわそわしている。
「奈々子様、お悩みが深いのですね。何か力になれればいいのですが」
「くるみさん、お気遣いありがとうございます。プレイ中にどうしても、響姫さんの
ことを思い出してしまい、身が入らないのです。自由曲担当として、エンプレスオンアイス以外にも武器を増やした方がいいと分かってはいるのですが」
うつむく奈々子に、別の筐体でプレイをしていたミチルが声をかける。
「増やす必要はありませんわ」
「ミチル様……」
彼女は微笑みながら奈々子の手を取る。
「響姫さんのことを、どうしても思ってしまうのでしょう? エンプレスオンアイスをやりたいのでしょう? ならその気持ちを抑えるより、とことん向き合ったほうがいいと思いますわ。今は、エンプレスオンアイスを極めましょう。新しい道が見える日まで」
「エンプレスオンアイスを極める……」
うなずくミチルに、奈々子は見つめ返した。
「新しい道が、見える日が来るのでしょうか?」
「はい。見えますわ。てぃーだかんかん照る限り、朱き未来は消えません」
それから奈々子は、エンプレスオンアイスのみを練習した。来る日もくる日も一曲を繰り返し、全てのノーツと全ての動きを頭と体に叩き込んだ。全ては、ふたたび響姫とあいまみえる時のために。
予選の全ての試合でも、決勝でも、エンプレスオンアイスを選曲した。この曲を、これほどまでに極めたプレイヤーは他にいなかった。他の追随を許さないプレイで、奈々子は平均三千点差以上の全勝を上げて、朱雀女子を全国に導いた。
そのときも、ずっと、ずっと、響姫の手が自分の指を握り、導いてくれていたのだ。
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