第83話 ミリアの秘密
休憩時間、響姫はトイレに向かった。セッションで乱れたウィッグやメイクを整えようと思ったからだ。
トイレの前、白い着物をきたおかっぱの女の子がいた。先ほど準決勝でプレイしていた海桜高校の『スマホわらし』だ。スマホわらしのコスプレをしている本名不明の選手、といった方が正しいかもしれない。大きなバッグを持っている。あたりには更衣室もないし、ここで着替えるつもりだろう。
彼女は白い着物の袖を揺らし、トイレの前でキョロキョロとあたりを見回していた。
響姫は彼女に話しかけてみたいと思った。響姫もそれは誰のコスプレ? と聞かれたこともあるくらいだし、趣味が合う気がする。何より、彼女には素直で大人しそうな雰囲気があった。鈴々の情報によると二年生以上らしいが、二年生だったら年下だしなおさら響姫の好みだ。言うことを聞いてくれそうな……いや、仲良くなれそうな気がする。
響姫が声をかけるために近づこうとしたとき、スマホわらしは見回すのをやめ、トイレに入った。その様子に響姫は驚き、自分の目を疑った。しかし壁にある青いマークを見て、見間違いでないことが分かった。
スマホわらしが入ったのは、男子トイレだったのだ。
間違って入ったのだろうか。だとしたら、教えてあげた方がいいかもしれない。でもどうすればいいのだろう。入っていくわけにも行かないし、「そっちじゃないと思うわよ」と叫ぶのもおかしい。響姫は困って立ち尽くしていた。
しばらくしたら、中から彼女が出てきた。その姿は、スマホわらしではなかった。金髪に、体にぴったりあった青い宇宙服のようなスーツを着ている。彼女は驚くべきことに、この短時間でコスプレを変えたのだ。
響姫はこのキャラがわかった。スカイ・ラグナロクの主人公のミリア・シュピーゲル(CV.一条紗夜)だ。
響姫と目があって、彼女は慌てた。響姫は思わず聞く。
「あなた、どうして男子トイレに?」
ミリア・シュピーゲルは顔面そう白となり、指を立てて、小さな声で言った。
「言わないで。お願い」
その必死さに、響姫は驚く。確かにトイレを間違えるなど恥ずかしくて人に言えることではないが、そこまで一生懸命になって隠すことだろうか。
「お願いです」
ミリアは頭を下げて懇願する。その低めの声は、消え入りそうなくらい小さかった。聞かれることを恐れているようにも思える。
その必死さに、響姫はある可能性に思い当たった。
もしかしたらミリアは、トイレを間違えた訳ではなかったのではないか。
ミリアにとって、正しいトイレに入ったのではないだろうか。
つまり、ミリアは。
『彼女』ではなくて『彼』なのではないだろうか。
「ひょっとしてあなたって……」
響姫は、トイレの青いマークを指さした。
ミリアは眉尻を下げた。
「そうだともいえるし、そうじゃないともいえます」
「どういうこと?」
「私は、普段は男の子として生きています。でも、コスプレしてるときは、みんな女の子として見てくれる。それが私の、本当の姿なんです」
響姫は頭を抱えた。なんとなく状況はわかった。ミリアは男なのだ。でもコスプレをしていたら、女の子にしか見えない。それで、女性としてこの大会に参加していたのだろう。
「そうなの……」
二人で、トイレの青いマークと赤いマークを眺める。
信じられなかったが、ミリアの言うことが本当だとしたら、男性である彼女は失格になる。これは女子の大会なのだ。大会の規約にも、『参加資格:国内の高等学校に在籍する女性』と書いてある。
響姫にミリアの事情はわからない。でも例えば、体が男性で、心が女性だった場合は参加できるのだろうか。残念ながら、規約はそこまで考慮はされていないように思える。正体は隠しておくべきだ。
「さくらさんや玲子さんに迷惑かけたくないんです。どうかこのまま出させてください。お願いします」
ミリアは頭を下げた。このことを明かせば、海桜高校は失格になるかもしれない。出雲大社南高校は不戦勝になり、自動的に優勝することになる。
しかし……響姫は、口もとに人差し指を立てた。
「もちろん、内緒にしておくわ」
ミリアのほおに手をあてる。
「素直でかわいい『女の子』は、私は大好きだもの」
ささやきかけると、ミリアは顔を赤くした。
「柳楽さん」
その顔は、女の子にしか見えなかった。
「響姫でいいわ……決勝戦では、よろしくね」
「ありがとう、響姫さん……! よろしくお願いします」
ミリアは、また、頭を下げた。そして、笑顔で走り去っていく。
響姫は彼女に手を振って見送りながら思った。
これは、出雲大社南高校が不利になる行為だ。相手の反則を見逃しているのだから。
でも、鳴海は、海桜高校に『勝って』優勝すると宣言した。それを守るためには、不戦勝ではだめだろう。真正面から、戦って勝たなければならない。
鳴海も、唄江も、きっと同じように考えたはずだ。響姫は何の疑いもなく、そう思えた。
ただ、奈々子には文句を言われるかもしれない。
響姫さん、女の子に見境なさすぎです、と。
AOBA 284971
NAMBA 285102
NAMBA Win!
「なんば、競り勝ったー! 両校最後まで譲らない、素晴らしいセッションでした! なんば自由学園が三位、青葉杜が四位となります!」
マーサが興奮した声色で告げる。舞台には、スティーレの演奏を終えた青葉の智となんばのまひるが、息を切らしながら立っている。観客からも、二人に、いや六人に大きな拍手が送られていた。
休憩後すぐに行われた、三位決定戦が決着したのだ。このセッションは接戦だった。課題曲では互角だったが、なんばの自由曲では紗夜のロンナイ、青葉の自由曲では智のスティーレと、三強楽曲が互いに火を噴く展開となった。この激しい殴り合いを制したのは、ロンナイの速度変化をフル活用し、より大きなスコア差をつけたなんばだった。
まひるは、両手を大きく上げてガッツポーズをした。
「よっしゃー!」
「やりましたー、まひるちゃん。やりましたー」
そのまま走って席に戻り、夕果とハイタッチする(やはり、長身の夕果は腕を上げていない)。興奮する二人に対し、紗夜はつまらなさそうに立っていた。
まひるは紗夜に抱き着こうとするが、紗夜はひょいと横によけた。
「なんや、お前の大好きな勝利やで。もっと喜べや」
「ふん、三位決定戦なんて地味なもん、勝っても盛り上がらへんやろ」
ぶつぶつ文句を言うが、まひるは観客席を指さした。
「めっちゃ盛り上がっとるやん」
興奮に満ちている。出雲大社の唄江が、興奮した表情でぴょんぴょん跳ねて、鳴海に止められていた。
「それより、次の決勝や。出雲のセッション、よーく見るんやで」
「めっちゃ出雲応援しとるやん」
「やかましいわ、応援してへん。私たちを倒したところが優勝せんと、なんばの顔がたたんだけや」
紗夜はストールの端をぐるぐるとゆびに巻きつける。
「んなこといって、鳴海ちゃんが気になるだけやろー」
「気にならへん!」
からかうまひるに、紗夜が噛みつく。夕果は舞台の上の表示板を指さした。
「は、始まりますよーっ!」
そこには、これから始まる試合の参加者名が映し出されている。マーサも、興奮した声で告げる。
「さあ、いよいよ決勝戦です! かたや、圧倒的な実力で二年連続全国制覇を果たし、前人未踏の三連続制覇を目指す海桜高校! かたや、初出場で優勝宣言をし、有言実行とばかりに決勝まで進出した出雲大社南高校! どちらが勝ってもフロンティア! 日本中が見逃せないセッションが今始まろうとしています!」
まひるは、画面を見て独り言ちた。
「きつい試合になるで……がんばりや、唄江ちゃん」
出雲大社南(中国四国・島根)
天野鳴海(あまのなるみ・二年) スキルレベル:91
長谷川唄江(はせがわうたえ・一年) スキルレベル:86
柳楽響姫(やぎらひびき・三年) スキルレベル:88
海桜(南関東・東京)
山本さくら(やまもとさくら・三年) スキルレベル:99
西園寺玲子(さいおんじれいこ・三年) スキルレベル:95
MILIA SPIEGEL(みりあ・しゅぴーげる) スキルレベル:90
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