第8話 いちばん好きな曲
「それはそうと、出てるぞ。お楽しみの『パピヨン・ウイングス』」
「あ、本当だ!」
画面には、新曲のジャケットが表示されていた。『パピヨン・ウイングス』の解禁が完了したのだ。夜の荒涼とした大地があり、空には月が出て、美しい羽を持つ蛾が飛んでいる。それと同時に、初めて聞くサビのデモが流れる。笛とエレキギターとドラムが鳴り響く、民族調のフォークソングがLayLaによって歌われる。
「意外な曲調ですね、今までエレクトロポップが多かったのに」
「嫌か?」
「ううん。私、この曲も好きになれそうな気がします」
鳴海は明日花と顔を見合わせて笑った。そうだ、人は色々な面を持っている。LayLaがロックバラードを歌ってもいいのだ。
「明日花とセッションしてどうだった?」
さくらが、プレーを終えた鳴海に歩いてきた。らしくもなく、ちょっと緊張しているようにも見える。
「すごく楽しかったです」
「鳴海」
さくらは、真面目な顔で言う。
「ろくな大人っていうのが何かはわからないし、私たちがそれになれるのかもわからない」
鳴海のつぶやきが聞こえていたのだろう。彼女なりに、いろいろ考えて話しかけてきたのだろう。
でもやはり、『音ゲー命!』のTシャツのせいで、どうも決まらない。
「だけど私は、好きな仲間と一緒に、好きな音ゲーをいっぱいできて、毎日楽しい! とにかくめちゃくちゃ楽しい!」
さくらは、はじけるような笑顔で、両手を広げて言う。
「私に言えるのはそれだけだよ」
明日花が笑って頭をぽんと叩く。
「なんじゃそりゃ。別にお前には聞いてねえよ」
鳴海も笑った。Tシャツの文字は嘘ではないことが、今日一日でよくわかった。彼女の出した参加届が、けして借金の保証人の書類などではないことも、よくわかった。
あの子みたいになりなさい。
母の声が、頭の中に響いた。
「紙」
鳴海は、さくらと唄江をまっすぐ見て、手を伸ばした。
「貸してください」
さくらの眼は輝く。唄江は、うんうんとうなずいた。
「おおー、鳴海。大会に出てくれるの? 私はとてもうれしいよ」
「あと、ペンも」
鳴海は参加届を奪うかのように受けとった。今、この気持ちが消えないうちに、早く届を完成させて出さないといけない。
「鳴海、これ!」
「ありがと、うたちゃん」
唄江からペンを受け取り、近くの壁に押し付けて文字を書いた。
「うたちゃんの名前、書いてもいい?」
「もう書いてるよね」
唄江は几帳面な『長谷川』の文字を見て、目を輝かせていた。
鳴海は書きながら思った。今、わからないこと、不安なことばかりだ。怖がったり、尻込みしたりする自分がいる。でも、どこかで飛び込みたいと思う自分もいる。両方とも本当の自分だから、どちらを出していくのかは自分の自由だ。
『とにかくめちゃくちゃ楽しい』毎日のため、いちばん好きな曲を選ぼうと思った。
「これで行きます!」
さくらに、紙を渡した。
「学校名に、三人! よし、完璧だ。そうと決まれば出してくる!」
彼女は、蒸気を吹き出しそうな勢いで走り出した。
「あ、さくらさん」
鳴海は手を伸ばしたが、瞬く間にさくらはいなくなった。
唄江が首をかしげる。
「あれ? そういえば」
「どうしたの、うたちゃん」
「出場者は、三人って言ってたよね」
「うん」
唄江は、指折り数えながら言う。
「鳴海と、うたで、二人。三人目って誰?」
「響姫さん」
「え? ひびき?」
鳴海は、鞄から小さな手帳を取り出す。今日、松江のゲーセンで拾った手帳だ。ファンオケの筐体を『お茶会』と称して独占し、唄江につっかかり、鳴海と戦って逃走した、自称・氷の女王こと、音ゲーマー響姫の取り落したものだ。
そこには、今日見かけた銀色のウェーブとは似ても似つかない、ぼさぼさの黒髪をした、いかにも冴えなさそうな女子生徒の顔が映っており、名前が書いてあった。
「まさか」
それは、鳴海と唄江と同じ高校の、生徒手帳だったのだ。
出雲大社南高校 三年
「まさかだよ」
「そんなー!」
その日、プレイアイランドに、eインターハイ・ファンシーオーケストラ女子部門の参加届が、滑りこみで一通届けられた。
出雲大社南高校
・天野鳴海(二年)
・長谷川唄江(一年)
・柳楽響姫(三年)
ここに書かれた初参加の無名高校が、今年のインターハイの覇者となることを、まだ誰も知らない。
この日の松江と広島での出来事は、鳴海が辿っていく音楽の、一曲めに過ぎない。これは、音楽シミュレーションゲーム・ファンタジックオーケストラを、楽しくプレイする少女たちの物語。家からゲーセンまで一時間半の女子高生が、音ゲーの全国大会で優勝するまでの話だ。
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