第46話 朱雀女子高等学校

「はー、気持ちいいー」


 鳴海と明日花は、ゆっくりと露天風呂につかっていた。


 小さな岩風呂だったが、夜の闇の中に湖の水面と光る町並が見える。


「いいとこだな」


「うん。小学生のときに、家族で来たことあって」


 鳴海は、湯気を見つめながら言う。


「その帰りに、ファンオケを初めてやったんだ」


「へえ」


 明日花は興味深そうに聞いている。


「はぐれて一人でゲーセンに迷い込んで、リトフラが流れてて、いい曲だなって思ってやって……そのあと、お父さんとお母さんに連れ戻されちゃったけど」


「なんか鳴海っぽいな」


 明日花はにかっと笑う。


「そのときは思わなかったなあ。こんなにたくさんファンオケ仲間に会って、明日花さんたちとセッションやって、全国に行くなんて……」


 鳴海は明日花のほうを向いて、ぺこりと頭を下げた。


「今日は本当にありがとう。明日花さんも由依さんや鈴々さんもたくさん教えてくれて、本当にうれしい。ここまでしてもらったからには、私たち、明日花さんのぶんまで、全国でがんばるよ」


 明日花に語り掛ける。


「なんば自由学園にも、海桜高校にも、リベンジしたい。呉工のためにも、全国でがんばって、勝って……」


 しかし、明日花は、首を横に振った。


「いや、いいよ」


「え?」


 彼女は微笑んでいる。


「気持ちは嬉しいけど、別にいい。言ったろ、あたしは新しい目標を見つけたって。由依や鳴海たちと、一緒に楽しくファンオケやってくってことだ。由依たちは、来年もeインターハイを目指すから、そのパワーアップのためにもこの合宿をやってる。あたしはそれを応援したいし、鳴海たちも全国で楽しくプレイしてほしいから色々教えてる。それだけだよ」


 鳴海の肩に手を置く。


「だから、あたしたちのためとか考えなくていい。鳴海の思うようにeインターハイを楽しんでくればいいんだよ」


「ありがとう」


 鳴海はうなずいた。この人たちはライバルに手を貸すのに、力を全く惜しまない。とにかくファンオケが好きで、単純に、仲間を助けたいという気持ちだけで動いているのだ。改めて、明日花たちに会えてよかったと思った。


「じゃあ、私は、明日花さんたちにいっぱい教えてもらってすごく嬉しいから……それをたくさん生かして、思いっきり楽しくプレイしたい。それで、なんば自由学園や、海桜高校や、参加したり見たりするみんなに、呉工がどんなにすごいかを教えてあげたい。そのためにも勝ちたいな」


「結局同じじゃねえか」


「そうかなあ?」


 明日花はじっくり考えこんでから、また笑った。


「同じに見えるけど、全然違うかもな」





 

 お風呂から上がったら、みな浴衣を着て、布団を敷いていたが、まだやる気に満ち溢れていた。鳴海は明日花に話を聞きながら、攻略ノートの書ききれなかった分をまとめていたし、唄江はステップのイメトレを由依と一緒に見ているようだ。


「うーん、やっぱり、速度変化が苦手だなあ。どうすればいいのかわからないや」


「こればっかりは得手不得手があるからな。最悪、譜面を覚えるしかないだろうな……」


 明日花と相談していると、がたん、と硬い物が落ちる音がした。


「なんということなの!」


 叫んだのは響姫だった。彼女が大声を出すことは珍しいから、鳴海は驚いた。


 畳に落ちているタブレットを見ると、動画の再生中だった。


「九州ブロックの決勝……?」


 実は今日、南関東と同時に九州の予選も行われていたのだ。鈴々と響姫はその動画を研究のために見ていたようだ。


 由依たちも、後ろから覗き込んでくる。


「九州といえば、福岡の天神商業だね。あそこもステップが強い」


「ほんと? ステップうまいの?」


 由依が言うと、唄江が目を輝かせた。明日花もうなずく。


「ああ、前回はなんばには負けたけど、全国ベスト4に残ってる。九州ではずばぬけて強いから、今年も来るだろうな……ただし」

 セッションが、ちょうど終わったようだ。

 鳴海はスコアを見た。


 TENJIN 287214

 SUZAKU 288422


 SUZAKU Win!


 ナレーションの声が興奮した声で叫んだ。


朱雀女子すざくじょし高校! 沖縄の朱雀女子高校が、全国ベスト4天神商業を破り、全国大会初出場です!』


「番狂わせが起きなければ、だけどな」


 画面の中では、朱雀女子高校のプレイヤーが三人で抱き合って泣いていた。三人とも制服らしき鮮やかな赤のセーラー服を、きっちりと着こなしている。


「天神商業が負けたんだ……勝ったのは沖縄の朱雀女子?」


 鳴海は驚いた。自分たちと同じように、強豪を倒して全国初進出する学校があったのだ。でもそれでなぜ響姫が取り乱すのだろうか。


 動画を注意深く見た。鳴海は朱雀女子高校の三人のうちの一人、三つ編みをし

た小顔の少女が頭に引っかかった。


「あれ、うたちゃん、この子どこかで見たことない?」


 唄江に見せると、首をひねった。


「うーん、見覚えあるような……」


 彼女はひときわ激しく泣いている。赤いセーラー服の三人は、感激してお互いの名前を呼び合っているようだ。


『ミチルお姉様ー!』


『くるみさん!』


『奈々子さん!』


「ななこ?」


 これまた聞き覚えのある名前だった。鳴海は、今度は最終楽曲の結果表示を見る。

 

 SUZAKU's SONG:Empress on Ice(マエストロ)

 ICHIGO 92582

 NANAKO 95123


「Empess on Ice、奈々子……」


 鳴海と唄江は、響姫を見た。彼女は、顔面蒼白だった。


 それで、鳴海は思い出した。


 松江のゲーセンの交流ノートに残された、響姫への手紙を。



 

 《親愛なる響姫さんへ、奈々子より》

 私はeインターハイに出場するつもりです。勝ち進んだら、全国大会で会えるかもしれないからです。響姫さんにまたお会いしたい。そして、成長した私を、響姫さんにお見せしたいです。

               氷の女王 第一の側近 奈々子




 画面の中で、奈々子はカメラを向いて叫んだ。


『響姫さん、私はここまで来ました! 全国大会です!』


 そう、奈々子は、響姫がゲーセンで氷の女王を名乗っていたときの、最も親しい『お茶会』メンバーだったのだ。


 奈々子の叫びが、動画に響きわたる。


『響姫さん! 親愛なる氷の女王! 奈々子が今、会いに行きます!』


 当の響姫は、顔を覆って首を横に振っていた。






「はあ、奈々子」


 飛行機の座席で、響姫はまたも深いため息をついた。


 九州地方ブロックの決勝戦で、Empress on Iceの大会記録を出し、朱雀女子高校を全国へと導いた少女、奈々子。


 彼女はかつて響姫のしもべとして『お茶会』に参加し、松江のゲーセンに通っていた。奈々子はゲーセンで響姫に恭しくエイリアンエナジーを捧げ、頭を撫でられうっとりしていた。それだけ響姫に心酔していたのだ。


 しかし響姫は鳴海の前に敗走して、『お茶会』とは縁を切った。残された奈々子は響姫にゲーセンの交流ノートで書き置きを残し、転勤で引っ越していった。二人はそれきり会っていない。


 ノートには奈々子の行き先までは書かれていなかったが、そこは沖縄だったようだ。彼女は朱雀女子校に編入し、仲間を得て、強豪を倒し、九州を制した。


 これも全て、全国で響姫と会うためなのだ。


「たぶん奈々子さんは、響姫ちゃんに会えるのが嬉しくて、感極まっちゃっただけだよ。別に響姫ちゃんを晒してやろうとかそんなつもりはないと思うなあ」


 鳴海が根気強く肩をさすって励ますが、響姫のため息は止まらなかった。


「それがなおさら困るのよ」


 奈々子が響姫の名前を叫んだのを見てから、こうなることが多かった。普段は涼しげな表情を崩さず、練習も捗っているようだったが、奈々子のことを思い出すたびに沈鬱な顔をするのだ。


 鳴海は、配信で突然名前を叫ばれたから困惑しているのかと思っていたが、それは違うようだ。


 響姫は、現実から目を背けるように窓の外を見る。


「そうよ、全国大会といっても、必ず当たるわけじゃない。トーナメントの別のブロックに分かれて、奈々子とは、口もきかずに終わるはずよ」


「響姫、フラグ立てまくり」


 唄江が不思議そうに聞く。


「あんなに奈々子と会いたいって言ってたのに」


 一度ファンオケを辞めようとした響姫は、ゲーセンの交流ノートに残された奈々子の手紙を見て、ファンオケを続けることを決意したはずだ。全国で奈々子に会うために。


「はあ。あなたも、大人になればわかるようになるわ」


「うたは子供じゃないもん。実質的なセイシンネンレイは響姫より上だもん」


 鳴海は、響姫の憂鬱な顔の意味がわからなかった。響姫は不思議だ。あれだけ再会を望んだ友人に会えるというのに、何をそんなに悩んでいるのだろう?


 両隣の唄江と響姫が鳴海を挟んでけんかを始めそうになったので、鳴海は慌てて声を上げる。


「あー、そろそろ東京かなー」


 わざとらしい声に、唄江も響姫も窓を見た。


 外には山はなく、海の向こう、どこまでも道路と建物の屋根が続いている。


「街! ビル! すごい!」


 唄江は張り付いて眺めている。


「奈々子とは当たらない、奈々子とは当たらない」


 響姫は両手を握り合わせて祈っている。


「いよいよだ」


 鳴海は息を呑んだ。そして、合宿の終わりを思い出した。

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