第12話 海桜高校

 私立・海桜高校は東京都千代田区・霞が関にある創立百年を超える名門校だ。省庁ビルと道路の合間に建てられた校舎は改修され、校庭の桜の木も、丁寧に手入れされている。この海桜高校から東大や京大に進学し、官庁や政治、技術や研究の道で活躍する生徒は数知れない。


 その生徒会室で、西園寺玲子(さいおんじれいこ)は背筋を伸ばして座り、役員たちを見まわしている。彼女は切りそろえられた前髪と触覚や、銀縁の眼鏡の形と同じくらい几帳面に、紙の束を机でトントンと整えていた。


「前島さん、オープンキャンパス関連の調整状況は?」


「はい、予定通りです。申し込みが多いので、席数を増やす必要がありますが」


「素晴らしいわ、そのまま進めてください。朝倉さん、次の生徒会への引継ぎ資料はできそう?」


「すみません、まだです。部費の扱いがまとまらなくて」


 慌てる女子生徒に、玲子は微笑みかけた。


「部活が多いからしょうがないわ。大丈夫、まだ時間はあるから。高野さん、部費に関して相談に乗ってあげて」


「はい」


「他に問題があったらいつでも声をかけてください。定例会は以上です、予定通り五分で終了ね。ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 生徒会の面々はさっと席を立ち、談笑しながらそれぞれの教室に戻っていった。

 玲子がそろった紙の束を引き出しに入れると、机の上には何もなくなった。それから、生徒会室の少し空いた扉をじっと見つめる。


 隙間から、こちらを覗き込む目がある。ため息をついた。


「……さくらね」


「玲子!」


 山本さくらが扉をあけ放ち、生徒会室に飛び込んできた。ジーンズにTシャツというラフなスタイルだ。Tシャツには大きな文字で『音ゲーしたい』と書かれている。海桜高校には制服がないとはいえ、ふざけた格好にもほどがある。でも、玲子は注意するのを二年前にあきらめていた。いくら言っても聞かないからだ。


「終わったみたいだね。ゲーセン行こう!」


「まずそこに座りなさい。言いたいことが三つあるわ」


 満面の笑みのさくらをよそに椅子を指さす。


「は、はい」


 玲子が説教モードになったのを感じ取ったのだろう、さくらは顔を引きつらせながら座る。


「な、何を怒っているのかな?」


「一つ、定例会の最中に中を覗き込まないで。二つ、土日に島根に行ったらしいけど、授業で寝るのはやめなさい。三つ」


 スマートフォンを出した。そこには朝さくらから来たメッセージが書かれていた。


『明日鳴海のとこと練習試合やるから! よろしく!』


「土曜、私は茶道のけいこがあるといつも言っているでしょう? あなたはどうして人の都合を考えないのかしら? 反省が見られなければ、私は試合になど出ません」


「ごめん!」


 さくらは、手のひらをばちんと合わせ、深く頭を下げた。


「予定とか何も考えてなかった! 本当にごめん」


 玲子は深い深いため息をつく。悪気がないのは、一番厄介だ。こう堂々と謝られると、責める気も失せてくる。


「いいわ。先生にいって、明日の予定はずらしてもらってあるから」


「玲子。あ、ありがとう」


「言っとくけど、次はないからね」


「はい……」


 さくらはすっかり小さくなっている。でも彼女は毎回忘れて、同じ過ちを繰り返す。音ゲーのことしか考えていないのだ。


「そんなに、天野さんという子が気になるのね」


 さくらは、熱っぽく話す。


「うん、本当にすごいんだよ。びっくりするくらいうまい。大会に出てなかったのが信じられないくらいだよ」


 彼女は先週の土日、島根に遠征に行っていた。彼女の全国音ゲー行脚の最後の県だったらしい。そこで、天野鳴海と出会ったのだ。


「それに?」


 少し、さくらの声のトーンが落ちた。


「くすぶってる感じだった。のびのびできる場所を探しているみたいだった。なんだか、昔の自分を見てるみたいで、放っておけなくてさ」


「そう」


 微笑んださくらを見て玲子は思う。彼女は、いつも自由に好き勝手遊んでいるようだが、実は人のこともよく考えている。


 二年前の自分とは正反対だ。


「あ、昔の玲子を見てるみたいでもあったかな」


「うるさいわね」


 玲子は別に曲がってもいない机の向きを整えた。


「そういえば、ミリアは?」


「連絡ないけど、来るんじゃないかな。東京にいなくても、どこかのゲーセンから参加するよ。オンラインセッションだしね」


「あの子はあれでいいの? 大会の時くらいしか会わないし、あまり話したことないんだけれど」


「いいんだよ。ミリアはつるむタイプじゃない。これが彼女にとって一番力を発揮できる形なんだ」


「本当にこのチームはみんな自由ね」


 玲子はあきれ顔だ。


「でも、それで勝ってきたでしょ?」


 さくらはにこっと笑う。玲子は微笑みを返した。


「そうね」


 彼女は生徒会室に飾ってある学校の標語を見た。『自由への挑戦』。海桜高校は、制服も校則もなく、生徒の自主性にすべてを任せる校風だ。それは、何かに従っていればいいというよりどころがないということでもある。最初は慣れなかったこの学校の雰囲気も、さくらも、宙も、今は好きだった。


 さくらは言う。


「今年も勝つ。狙うは全国三連覇だよ」

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