第6節 -救いを信じぬ信仰者-
木々が茂る道の向こう側から歩いて来た少女の声を聞き、その姿を見たフロリアンは目を丸くして驚いた。
よく見知った少女の傍らには、いつも彼女に付き添っている女性が立ち、さらにすぐ後ろには初めて見る3人組の少女が控えている。
「マリー?」
フロリアンがそう言うと、少女は嬉しそうに満面の笑みを見せながら言った。
「久しぶりだね、フロリアン。元気そうで何よりだ。とはいえ去年のクリスマスに会った時からまだ半年も経っていないけれど。今は里帰り中かな?」
「里帰りだったら良かったんだけどね。今回は調査任務なんだ。」
「へぇ、頑張っているじゃないか。調査任務、ね。しかし、仕事にしては随分と華やかな御仁を連れ歩いているようだけれど?」
マリアの言葉に苦笑しながらフロリアンは言う。
「総監命令でね。今回は彼女達との共同調査なんだ。ところでマリーはどうしてここに?」
「命令か。レオに苦情を入れておこう。私は観光、もあるけど仕事の一環だよ。今はすぐそこの大学を訪問した帰りの途中でね。少し裏道を歩いてみようとみんなで話して、それでここを通りがかったら君がいたというわけさ。」マリアはそう言うと視線をフロリアンからすぐ隣のロザリアへ移しながら続ける。
「それよりこの街は今、奇怪な噂で持ちきりらしい。十分に気を付けたまえよ?」
すると視線の意図を悟ったようにロザリアが言う。
「そのことならばどうぞご安心くださいまし。ねぇ?“フロリアン”?」
ロザリアがフロリアンを名前で呼んだ瞬間、マリアの視線に厳しさが浮かんだ。可愛らしい笑顔には違いないのだが、今はどことなく違う意図が含まれているような……見えない火花が散っているように感じられる。
マリアは声のトーンを落としながら言う。「それはそれは頼もしいことだ。ヴァチカンの総大司教様の同伴があれば怖いものもない、か。」
その言葉を聞いたロザリアはゆっくりとマリアへと歩み寄っていく。
そうして彼女をすぐ目の前にして言った。
「はい、全ては神の御心のままに。それより、本当に奇遇ですわね?マリー。皆さん随分と賑やかな佇まいでいらっしゃるものですから、てっきり仮装行列かと思ってしまいましたわ。ハロウィンはまだ先だというのに。それともヴァルプルギスの予行ですの?」
ロザリアの青い瞳は3人組の少女達に向けられている。その間に立つアザミとは互いに敢えて視線を合わせようとはしていない様子だ。
「そう言う君も今日は随分と気合の入ったコーディネートをしているじゃないか。信仰の道を生きる者とはかけ離れたイメージだ。向こうに立つ彼女も含めてね。」
返事をするマリアの赤い瞳は遠くに立つアシスタシアへと向けられていた。
「今この場に限っては立場など大して意味を持たぬこと。それは貴女とて同じでしょう?貴女が“ただの女”として振舞う以上はわたくしから申し上げることは何も。」
囁くようなロザリアの言葉にマリアは視線を戻し、不敵に笑って見せた。
ロザリアは心の中で思う。
マリア・オルティス・クリスティー。それが彼女の名だ。
自分と同じ、リナリア公国七貴族の忘れ形見。オルティス家の令嬢。千年の時を生き続ける超常の存在。
予言と預言、未来を視通す赤き瞳を持って国際連盟の秘匿された特殊部門の頂点に君臨する人物であり、一部では〈予言の花〉という二つ名で呼ばれている少女でもある。
彼女が所属するのは国際連盟 機密保安局。通称、セクション6と呼ばれる部門だ。
本来セクション1から5までしか存在しないとされている国際連盟において、対外的には隠匿された特殊なこの部門は、連盟そのものはおろか、世界中の国々の政府中枢機関とも直接的な繋がりを持ち、一方的に指示を下すことも可能なほど絶大な権力を握っている。
別名〈存在しない世界〉。
そのセクション6における頂点である局長の立場に立つ者こそが、今目の前に佇むマリアという少女だ。
言ってみれば、公にされることのない世界一の権力者と言って過言ではない。
さらに彼女の隣に立つ長身の女性。アザミという人物もまたこの世の者ならざる“特別な存在”である。
語弊を恐れずに言えば彼女は〈神そのもの〉だ。遠い昔、崇められるべき神から人の手によって悪魔へと変貌を遂げた存在。
今は現世で生きるために敢えて人間の姿形を取っているだけに過ぎない。その実態がどのようなものか知っているのはマリアくらいのものだろう。
マリアという少女が千年という時を越え、今の世界に存在しているのもアザミの力によるものだ。
西暦1035年にリナリア公国が滅びを迎えた後、亡命したマリアはある森の中で命を落とすはずであった。しかし、魂喰いの為にその場へ現れたアザミが彼女を気に入ったことがきっかけで永遠の命、つまり〈不老不死〉の力を与えることとなった。
それだけではなく、その時マリアが抱いた思想に強い共感を覚えたアザミは彼女と血の契約を結び、絶対の服従を誓って以来ずっと行動を共にしているようだ。
神をも服従させるほどのカリスマ性を備えた少女。そんな彼女がこの世界で唯一自身の全てを捧げてもいいと感じているだろう人物がフロリアンという青年なのだが……
彼はマリアのこうした来歴の事実をまだ知らない。彼女の身内 -とはいえ当然肉親はいないので彼女を慕う信奉者達のようなものだが- 以外で唯一深い親交を持つ人物ではあるが、彼に対してマリアは意図的にその事実を隠したままだ。
彼はリナリア公国という国に生きた人間が超常の存在として現世にいることを承知している稀有な人物である。故に、マリア自身がそうした存在であると打ち明けたところで今さら特に驚かれることもないとは思うが……彼女なりに思うところはあるのだろう。
差し詰め、本当のことを打ち明けた時に今のような関係性に終止符が打たれるのではないかというところに潜在的な恐怖をもっているのかもしれない。
彼女に対する当てつけついでに嫉妬心を煽る行動をとってみたが、思いの他良い反応を示したことからもそれは間違いない。
なぜならマリアは心の底から彼という人間を……
本来であれば人ならざる怪異である彼女達も、自分にとってはこの世界からの排除対象であるが、純粋な想いを抱えて生きる今の彼女が世界の脅威とならない以上はことを急く必要もない。
彼女が抱く理想を諦めるというのであれば尚良い。
だからこそ、先の会話で『ただの女として振舞う以上は何も言わない』と言ったのだ。
ロザリアは視線をマリアから再び3人組の少女へと移す。
自身の知る限りでは、このような少女たちがマリアの元にいるという事実はなかったはずだ。又は、今の今まで敢えて自分の目に触れないようにやり過ごしてきたということだろうか。
彼女が傍で連れ歩いているということは彼女達もまた何かしらの“特別な存在”には違いないのだろうが。
いずれ分かることだろう。それもおそらくはこの数日以内に。
物思いに耽る様子を見せたロザリアに対してマリアが小声で言う。
「戯れはさておき、ロザリー。君が彼の調査に同行するというのは他意無く頼もしいことだと思っている。だからこそひとつお願いがある。聞いてくれるかい?」
先程とは打って変わって真剣な眼差しでいう彼女にロザリアは言った。
「貴女がわたくしにお願い?悪い気はしないのですけれど……調子が狂いますわね。今夜辺り、雪が降るのでは?」
「気温的には降っても不思議ではないが、今日は終日曇りだよ。明日もそうだ。1週間以内に晴れの日は2日しかない。そういえば5年半前にもハンガリーで似たような会話をしたね。私達にとって5年など大した年月ではないが、振り返れば実に懐かしいことだ。」
「あら、過去を尊ぶなど……貴女も変わりましたわね?彼の影響でしょうか。」
「否定はしないよ。有限有刻の命を前にすれば価値観も変わるというものだ。」マリアは口元を緩めながら言った。
彼女の偽りなき答えを聞き、同じく口元を緩めながらロザリアは言う。「それよりも改まって願いとは?」
「今夜、フロリアンがアンジェリカと遭遇する。どういう道筋を辿ったとしても回避できない未来だ。私もアザミも、フロリアンの目の前でその状況に手を出すことは出来ない。だが君は例外だ。彼は君の素性と正体を既に知っているからね。私達の代わりに彼をアンジェリカから守ってほしい。」
その願いを聞いてロザリアは怪訝な顔をして聞き返した。
「彼の未来が視えますの?」
そう問い掛けたのには訳がある。
自分達2人はそれぞれが過去と未来を視通す目を持っている。
マリアは未来に起きる出来事を完璧に見通すことができ、自分は万物の過去を視通すことができる。
ただしこの力には数少ない“例外”が存在する。そのひとつが彼だ。
どういう理屈かは分からないが、フロリアン・ヘンネフェルトという青年に対してはマリアの未来視も自分の過去視も通用しない。
つまり、〈フロリアンがアンジェリカと遭遇する〉という未来がマリアに視えるわけがないのだ。
「私が視たわけではない。けれど、間違いなくそうなる。頼めるかな?」
別の誰かが垣間見た未来?真意は不明だが、彼女がそこまで言うのであれば事実なのだろう。
断るつもりも無いが、マリア自身が視た未来でないのなら、一体誰が……
その時、ふとある可能性に思い至った。先程からアザミの後ろに控えている3人組の少女達。もしかすると彼女達が?
そう思い視線を彼女達へと向けるがそこには既に3人の姿は無かった。少し振り返ると彼女達がフロリアンを取り囲んで何やら楽し気に話している様子が見えた。
いずれにせよ想像の域をでないことではあるが、あの3人の内の誰かが何か特別な力を持って未来を予期したという可能性は否定できない。
マリアからの頼みはそれを確かめる為の貸しを作るという意味でも丁度いい。
ロザリアはおもむろに返事をする。
「承知いたしましたわ。後程、詳細なお話を教えてくださいまし。」
「ありがとう、恩に着るよ。詳しい話はまた後で。それと……」
「それと?」
頼みが受け入れられたマリアは安堵の表情を浮かべつつ、視線を遠くに佇むアシスタシアへと向けて言う。
「どうやら、私が過去にハンガリーで君に言ったことを撤回しなければならないようだ。今回は随分と素敵な子を連れているじゃないか。“生後4~5年”といったところかい?」
予想外のことを言われたロザリアは微笑みながら言った。
「まぁ、貴女から褒めて頂けるだなんて珍しい。やはり雪でも降るのでしょうか。」
その言葉に対し、マリアは思うことがあったのか小さな声でロザリアに問う。
「前から思っていたことだけど、君は雪が好きなのかい?」
「さぁ?どうでしょう。ただ、春を遠ざける雪を喜ばしいとは思いませんわ。“夏の雪、刈り入れ時の雨のように、愚か者に名誉はふさわしくない。”」
ロザリアは箴言26章1を引用して答える。
彼女の返事を聞いたマリアはその真意を理解して言った。
「自らを卑下するのはやめたまえよ。過去は過ぎ去ったこと。どれだけ無力さや悔恨を感じていたとしても、それらは既に癒しと救いを得ているはずだ。それに、私は評価というものは正当に下す主義でね。愚か者に賛辞は送らない。素直に本心を伝えたまでさ。」愚かな自分に賛辞は不要だと遠回しに告げたロザリアに対する言葉である。
「確かに、わたくしの心は昨年の夏に公国の光である彼女と再会を果たしたことでようやく救いを得たのでしょう。しかし、与えられたはずの救いを自戒の念の為に未だ受け入れようとしていない。救いを信じぬ信仰者……これを愚者と言わずに何と言いましょうか。」
「それが時代というものだった。あの結末が運命というものだった。君に責は無いし、公国の崩壊や戦争の歴史など、君1人の力でどうにか出来ることでもなかった。何とか出来たかもしれないと思うのはただの傲慢だ。」
千年も昔の話。リナリア公国が滅びの道を辿った時、ロザリアは既にその才能を見込まれてヴァチカンへと渡っていた。
故に、彼女が祖国崩壊の話を知ったのは実際の滅びの瞬間よりも相当後であったはずだ。
生まれ故郷の悲惨な現実に対して何も出来なかった、知らなかった自分が惨めで情けないという思いは深く胸に刻み込まれたことだろう。
マリアの言葉は、そんな自責の念を彼女が抱いていると気付いているからこそのものである。
「そう。傲慢だからこそ、わたくしは今の地位を得てここに立っています。神はこの身に秘められていた力を際限なく振るえるように取り計らってくださった。神は独善的な救いを求めて信仰の道を歩む者に、手を差し伸べることも力を与えることもありません。なぜなら、人の意思に求められるがままに救いを与えてしまえば、それは神の権威が人間の意志よりも下であると思い違いをさせてしまうから。しかし、過去のわたくしのように御心そのものに背こうとする者に対しては権威の優位性を示されたりといったこともあるのでしょう。」
マリアは考えた。ロザリアの言う“秘められた力”とは万物の過去を読み取る力の他に、他者の心を操り洗脳する力、人間と見紛うほどの精巧な人形作成と操作と、極めつけは立場によって得られた〈生命における絶対の裁治権〉を指すのだろう。
それら人智を越えた力があるからこそ、彼女は千年にも渡って生き続けることが出来た。ひとつ謎があると言えば、彼女の体が不老不死的なものによって維持されているのか、それとも自らの異能で作り上げた“紛い物の体”であるかくらいのことだろう。
軽く息を吐き出しながらマリアは言った。
「人ならざる力や地位という先行的恩寵、特権。神はそれらを君に与えることで隷属させたとでも?」
「隷属などと。そも、神と人間は対等ではありません。人はすべからく父なる神を尊ぶべきもの。しかし、世界の不条理に翻弄され信仰の道を含む全てが信じられなくなっていた当時のわたくしにとっては、与えられた力と地位こそが生きる上での“救い”となったことに違いありません。でなければ、女の身でここまでの道のりを歩むことは不可能であったでしょう。あの救いがあったからこそ、わたくしは神の僕として生きる道を捨てませんでした。」
与えられた……その言葉には語弊があるとマリアは感じていた。
ロザリアの持つ異能は元々彼女自身が持っていたものだ。共に公国で生きた当時から彼女は他者の過去や心情変化を読んで行動していた節もあった。
結局、リナリアという国の崩壊がそれを完全に覚醒させるきっかけとなったに過ぎない。
「信じるから救われる……ではなく、救われたから信じる、か。」
「はい。貴女とて、文字通り“神そのものに命を救われた身”として実感できることもあるのではありませんか?」ロザリアはアザミを横目に見ながら言った。それに対し、アザミは視線を合わせようとはせずに静観している。
マリアが言う。「否定はしないよ。ただ、君は先ほど自らを“救いを信じぬ信仰者”と言っていたはずだ。千年前に得た救いを信じ、昨夏に得られた救いを受け入れないというのは妙に聞こえる。その双方の間で何か違いでもあるのかい?」
「それが“神の手によって与えられた救いではないから”ですわ。」
ロザリアの言葉を聞いたマリアは目を丸くし、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後に笑い出しながら言った。
「あははは!なるほど、これは傑作だ。話の結末が全て私達に対する嫌味だったとは。君が受け入れない救いについて、少しくらいは感謝してくれていると思ったのだけれど……ロザリー、いつも通りの君で安心したよ。アザミ、この話の結末を君はどう思う?」
それまでマリアのすぐ傍で頑なに口を閉ざし、静かに話を聞いていたアザミであったが、彼女に感想を求められると仕方ないという風に渋々ただ一言だけ呟く。
「お戯れを。」
ロザリアはアザミにしっかりと視線を向け軽く微笑みかける。それは友好の証ではなく改めての宣戦布告という意味合いの方が強いだろう。
明らかに獲物を狩る時のような不敵な笑みを浮かべたロザリアに対し、マリアはなだめるように言う。
「君がどうしても私達を殺したいと願うのであれば、その挑戦もいずれ甘んじて受けるとしよう。けれど、今はその時じゃない。まずは神の名を騙るどうしようもない身内にお灸を据える方が先だからね。」
その言葉でロザリアは視線をマリアへと戻し、矛を収めるように穏やかな表情を浮かべる。
マリアが続ける。「今日と明日、この地に雪は降らないが天気が荒れる以上の災厄が訪れる。業腹だが、それを止めることは出来ない。」
「雪の倉や霰の倉。災いの時の為に、戦争の日の為に、あの子はこれらを蓄えていると。」ロザリアは言った。
「その氷の結晶が水となって流れてくれればいいのだけれど、流れることになるのは鮮血だろう。自らを〈絶対の法〉だといって憚らない彼女のことだ。現代における神の代理人として事を起こすつもりなのかもしれない。もしくは、自らがその役を演じることで神という存在を否定するつもりか。」
「神の代理人、ですか。いずれにせよ直接会って“お話し”するのが適当かと。」
「君の言うお話というのは、本当に対話なんだろうね?」
「言葉を交わすだけが全てではない、とだけ申し上げておきましょう。でもご安心くださいまし。口で言ってどうにもならない場合でも、先に貴女と交わした約束は必ず守りますわ。」
「そうでなくては困る。だが、信頼しているよ。私にとって彼が特別な存在であるのとは別の意味で、彼は君にとっても重要な存在なのだろうからね。」
そう言ったマリアに対し、ロザリアはただ微笑みだけを返す。
「そうそう、それと……」
マリアは言葉を付け加える。
「フロリアンに君の言葉として伝えておいて欲しい。この地でアンジェリカと遭遇したことはイングランドにいる彼らには話すな、と。」
「理由をお聞きしても?」
「話せば無駄な犠牲が出かねない。」
ロザリアはマリアの瞳を数秒見つめてから言った。
「良いでしょう。わたくしの言葉として彼にお伝えいたします。わたくしも個人として些か気になることもありますし。」
マリアの瞳から紛れもない真剣さを汲み取ったからだ。
「ありがとう。本当に、恩に着るよ。」神妙な面持ちのままマリアは言った。
*
一方、マリアとロザリアが言葉を交わしている最中、フロリアンは目の前に迫って来た3人の少女達にたじろいでいた。
「やぁ、こんにちは。あの、君達は……?」
先程から珍しいものでも見るようにじっと自分を見据えたまま無言でその場を動こうとしない。
ロザリアがマリアの元に歩み寄って話し始めてから間もなく、気付けば彼女達が目の前にいたのだ。
すぐ近くに立つアシスタシアは状況を静観したまま特に何も口にすることは無い。
フロリアンがどうすればいいのか困っていると、おもむろに桃色髪の少女が言った。
「そっかー、ふむふむ。貴方がマリア様の……そうかー。」
何かを納得した様子で呟いた彼女に対し、すぐ横から和装を洋風にアレンジした服に身を包む、落ち着いた雰囲気の少女が言う。
「ホルス、そろそろ失礼に当たるわ。」
すると反対側から青い髪の少女が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。マリア様が、男性の方と懇意にされてるって聞いて、その方が、どんな方なのかなって、私達気になって。きっと貴方が、そうなんだろうって。」
ようやく口を開いてくれた少女達にフロリアンは安堵した。会話をしてくれるなら大丈夫だ。
「そういうことか。失礼だとか思ってないから大丈夫だよ。ところで、君達はマリーの……」
言葉を言いかけたときに桃色髪の少女が何かを察したかのように明るく言う。
「ふっふっふー!ここでお会いしたのもきっとご縁☆そうだ、まずは自己紹介をしちゃおぅ!そぅしよぉー☆」
言葉を遮られたフロリアンは彼女の勢いに呑まれてしまっていた。
目を丸くしたまま立つフロリアンに構うことなくホルテンシスは話を続ける。
「私達はアネモネア3姉妹。こう見えて3つ子なんだー。全然似てないけどねー?私は次女のホルテンシス☆ ホルテンシス・クリスティー・アネモネア!ホルスって呼んで良いよ?エジプトの神様みたいでしょ♪」
「長女のシルベストリスと申します。トリッシュとお呼び頂ければ。」
「私は末のブランダ。宜しくお願いします。」
それまでの沈黙は何だったのか。唐突に話を進め始めた彼女達にたじろぎながらもフロリアンは名前をしっかりと記憶した。
いかにも今どきの子という感じと独特のゆるさを感じさせるホルテンシスに、上品な大人っぽい淑やかさと落ち着きを感じさせるシルベストリス、そしてパンキッシュな見た目とは裏腹におどおどしているが真面目で温和そうなブランダ。
まだ一言二言話しただけではあるが、彼女達が親しみやすい良い子であることはよくわかった。
フロリアンも彼女達に倣って名前を言おうとする。「ありがとう。僕は……」
しかし、そこまで言うとホルテンシスが再度言葉を遮った。
「フロリアン・ヘンネフェルトさん☆お話はよく存じておりますとも!私達の間でお話をしてみたかった人物ナンバー1!お会い出来てー、光☆栄です♡ きゃるん♪」
「え?」彼女の勢いに押されて思わず間抜けな声を出してしまう。彼女は人差し指を自身の唇に当てつつ目をキラキラさせながらこちらを見つめている。
「貴方様のお話はアザミからよく伺っておりますので。私達の間では有名人なのです。」
「トリッシュ、アザミから聞いたというより、どちらかというと、私達が白状させたという方が正解。毎年、特定の時期に、マリア様がお一人で出掛けられる際に、凄く楽しそうにしているから、気になって、アザミにしつこく聞いてさ。マリア様、本当に嬉しそうなお顔をされていて。あんな表情、それまで見たことがなかったから。」
「それがそれが……!まさかマリア様にロマンスが訪れていただなんて!ホルスちゃん、感☆涙!」
とてもうっとりとした表情で言うホルテンシスにフロリアンは圧倒されていた。3人のコンビネーションの前に先程から喋る隙すら一切与えられない。
「ヘンネフェルト様、差し支えなければ私達に色々お話を教えて頂きたいのですが。」離れたところでまだロザリアと会話しているマリアを確認しつつシルベストリスが言う。
ようやく言葉を発するチャンスが自分にも与えられるらしい。
フロリアンは目の前のシルベストリスに視線を送る。落ち着きと上品さが醸し出される彼女にあって、しかしその目は期待の眼差しと呼ぶにふさわしいほど輝いているように見えた。
「フロリアン、で良いよ。そうだね、話せる範囲で良ければ。」
彼女達がマリアとどういう関係にある子達なのかはいまいち分からないが、それでもマリアに心酔しているというのは言われなくてもよく伝わってくる。
不思議と〈教えてあげなければ〉という気持ちになるほどに。
しかし、次にホルテンシスが発した言葉でフロリアンは“覚悟”というものを決めなければならないと思わされることになる。
「やったね☆それじゃぁ、マリア様のことについて“全て”お話してもらっちゃおう☆ずっと聞いてみたかったんだぁ♡」
迂闊だったかもしれない。
フロリアンがそう思った時には遅かった。彼女達のキラキラと輝く目から逃れることはもう出来ないだろう。きっと彼女との関係性について洗いざらい全て白状させられる。
そう、これは悪意のない無邪気な尋問の予兆だ。年頃の女の子が恋の話に夢中になるのに理由など必要ない。加えて、それが他ならぬ“マリア”という少女のことについてなら尚更なのだろう。
どんな質問が浴びせられるのか戦々恐々としながら、フロリアンは言う。
「分かった。それじゃぁ何から話そうか。」
*
フロリアンと三姉妹から少しだけ離れた位置ではアシスタシアが我関せずといった様子で佇んでいる。
その視線は、一見どこへ向けられているという風にも見えないが、それでいてしっかりとフロリアンの目の前にいる三姉妹を捉えていた。
あの姉妹たち、どこか妙だ。
先程からフロリアンと会話している内容を耳にしながら抱いた感覚。それがアシスタシアの素直な感想であった。
超常的な存在であるロザリアやマリアという少女、そして人ならざる気配しか感じさせないアザミという女性や、そもそも人間とは言い難い自分自身と比べ、あの姉妹はフロリアンと同じように間違いなく人間の子である。そのはずだ。
だというのになぜだろうか。彼女達姉妹から感じられるのは自分達と同質の何かであった。
あの3つ子には隠された何かがある。
そう思わずにはいられなかった。
国際連盟における秘匿機関の頂点に位置する人物が連れ歩く……という点から考えても何らかの理由というものがあるのは間違いない。
それが何なのかは早めに知っておいた方が良いだろう。
この妙な感覚、ロザリア様も気付いているはず……
ただの年頃の少女にしか見えない彼女達がどういう存在なのか。その見極めをつけるべく、フロリアンとの会話に興じる姉妹たちをアシスタシアは注意深く観察することにした。
*
『ねぇ?トリッシュ。これで良かった?』
『えぇ、ありがとうホルス。少し唐突で彼をびっくりさせてしまったと思うけれど上出来よ。マリア様のことについて彼はまだ知らないことがたくさんある。だからこそ、私達とマリア様がどういう関係かについて、私達の口から迂闊にお話することは出来ないもの。』
『危なかったねー。本当のこと、言っちゃうと何をどう言っても、年齢に矛盾が生じちゃうもんね。かといって、嘘も言えないし。』
『会話をする以上はまず最初に突っ込まれちゃうもんね。そこ。うやむやにしつつ、私達が聞きたいことを話せる流れに出来たのは良かった良かった。さすがホルスちゃん!きゃるん☆』
『そういうのは自分で言うものではないわよ。』
『もっと褒めてくれてもいいんだ、ぞ?♡』
『はいはい、偉い偉い。』
『う~ん、塩!でも話の流れってか、きっかけを作ってくれたのはブランダよね?ありがとん☆』
『うん、彼の気を悪くしちゃったら、いけないと思って。』
『その気配り上手は貴女の美徳ね、ブランダ。』
『えへへ、トリッシュに褒められると嬉しいな。』
『私は?』
『それより2人とも、彼の近くにいる彼女をどう思う?』
『綺麗な人。総大司教様も、実際に見ると凄く綺麗なお人だけど、そこに立つ彼女は完成された女性って感じがする。そういうの、ホルスが一番見てそうだね。』
『けちのつけようもない完璧な女性美の極致。そういう印象かしらー?でも、だからこそちょっと近寄りがたい感じがしなくもないのよねー。凄く美しいけど、私からするとそれがかえってつまんないような……否定するわけじゃないけどさぁ。』
『マリア様やアザミですら彼女の存在は認識していなかったように見えたわ。何者かしら?』
『うーん、人ではない存在に一票。マリア様もアザミも知らないということは、ここ最近になって突然現れたってことでしょ?だとしたら考えらえる理由にひとつの可能性が出てくる。総大司教様が“人形作り”が得意であらせられるなら、自身の傍に置くものもそういった類になるんじゃないかなーって思うわ。人とは違って絶対の忠誠を誓う存在?完璧な美貌を持つ完成された女性。そんな風にもきっと出来ちゃう。さっき言った第一印象もそういった意味こみこみで☆』
『あの方が、お人形さん?自意識を持って行動するお人形さんだなんて、神様にしか出来ない御業って、気がするね。』
『総大司教ベアトリス。彼女が既に神域と呼ばれるその領域に手をかけているのかもしれないわ。となると、さっきまでこの辺りにいた亡霊を仕留めたのももしかすると……』
『私達が来る前に反応消えちゃったもんね。ってことは、大司教様と同じように“不死殺し”が出来ちゃう系?マリア様やアザミの天敵じゃーん;;怖い怖い。』
『確かにそうだけれど、今この地で起きている出来事に限って言えばアンジェリカという事件の黒幕を叩くのに絶対必要な存在とも言えるのではないかしら。少なくとも、存在するだけで抑止力になると思うわ。』
『マリア様が、フロリアンの近くに敢えて司教様を近付けた理由、なのかな?』
『彼女が理由というのは違うと思うわ。マリア様もアザミも存在を認識していない様子だったのだから。ただ不死殺しを持つからこそ、フロリアンの護衛として総大司教様を近付けたという理屈自体は的確でしょうね。そうしたら、たまたま彼女という存在がいた。』
『今の段階では彼女の存在が私達にとって幸か不幸かもわかんないねー。でも、マリア様を傷付けないというのであれば?特に気にすることもないんじゃない?』
『味方でいてくれるなら心強いのだけれど。』
『なんとなく、だけど。彼女も私達を警戒しているように見える。さっきから頑なに話に加わるのを拒絶しているみたいだし。』
『話し掛けようかと思ったんだけどさ、まるで隙がないのよねー。さすがのぁたしちゃんもお手上げだにゃー。ぴえん。』
『きっとお互い様ね。私達が思っているのと同じようなことを彼女も思っているのでしょう。時折視線を感じるもの。今すぐは無理でしょうけれど、でもそのうち言葉を交わす機会くらいは訪れると思うわ。』
『それまではこのままの距離感でいいのかもー。急くと大抵ろくなことにもならないし?こういうのは、マリア様の判断にお任せするのが良いよね☆』
『そういうこと。』
『だね。』
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