第15節 -ロレーヌの食刻家-

「ジャック・カロはフランス北東部に存在したロレーヌ出身で、戦争の悲惨さを告発する為に制作した〈戦争の惨禍〉と呼ばれる食刻が代表作として有名です。その作品は数多くの食刻によって構成されていますが、中でも18ある大きな食刻を『大きな惨禍』と呼び、それ以外の小さな食刻を『小さな惨禍』と呼んでいます。」

 ブランダは今回の事件の一連の流れについて、思い当たることがあるとして1人の芸術家の名前とその代表作品を挙げる。


 ジャック・カロ。現在のドイツとフランス国境付近に存在したロレーヌ出身の人物で、生涯を通じて数多くの食刻を残してきた芸術家だ。

 食刻〈エッチング〉とは銅板などの鉄の板に腐食作用のある化学薬品を塗布することで溶解させ、少しずつ加工することで目的の造形を得る作品制作技法のことである。

 銅板を用いた版画、ないし印刷の手法としての歴史が長い。

 その手法を用いて制作された〈戦争の惨禍〉と総称される数多くの食刻の中で、特に大きな食刻である18つは〈大きな惨禍〉と呼ばれ、それぞれ下記のような題名が順番に1枚1枚に付けられている。


1.《戦争の惨禍》扉

2.軍隊の入場

3.戦

4.女の略奪

5.農場の略奪

6.そして村は荒廃する

7.村の略奪、そして放火

8.盗人の群れ凱旋

9.発覚

10.吊り落としの刑

11.絞首刑

12.銃殺刑

13.焚刑

14.車輪刑

15.病院

16.物乞いと死

17.農民の復讐

18.報酬の分配


 ブランダは自らのスマートデバイスでこれら18つの食刻の画像をホログラムモニターに映し出して続ける。

「4月5日。ヴィルヘルム大学で目撃された兵士の行進。あの噂を2番目の食刻である〈軍隊の入場〉だと仮定すれば、放火に至るまでの流れも一致します。」

 彼女の説明に感心した様子でマリアは言う。

「さすがは知識の宝庫。記憶の大天使、ザドキエルの加護を持つ君らしい素晴らしい答えだ。」

 マリアは自身のスマートデバイスでジャック・カロという食刻家の情報を直ちに収集した。そして同じように〈大きな惨禍〉と呼ばれる18つの食刻の画像とその内容、表現された意味を汲み取っていく。


 姉2人が大天使の加護を有しているのと同じく、ブランダにも特別な加護というものが宿っている。

 神の正義、慈愛と慈悲と記憶を司るという大天使ザドキエル。そのものが示す力。

 その複数ある異能の内の才華のひとつが〈完全記憶能力〉である。


〈Highly Superior Autobiographical Memory〉


 語の頭文字を取って〈HSAM〉と呼ばれるこの力は、一度目にしたものを細部に至るまで詳細に記憶することを可能とするものだ。

 日常で見た景色、または知人の誕生日など身近なものは言うに及ばず、一度見た本の内容や誰かが話していた内容に至るまで、対象となるものの範囲を選ぶことはない。

 加えて、自他共に認める歴史ギークであるブランダにとっては、今回のように史実を元にした事件が何を指しているのかを探したりなどお手の物だ。

 単純なキーワードを元に、膨大な知識の蓄積から必要な情報を探し出す。現代で言えばAIが最も得意とするようなことを人の身で完璧にこなしてしまう。

 知識量だけで言うのであれば、千年以上の歴史をその目で見て、その体で過ごしてきたマリアやアザミのもつそれを簡単に凌駕するほどである。

 唯一の弱点と言えば、完全記憶能力の記憶対象となり得るのは〈自身が興味をもって覚えられる事柄のみ〉という点だ。

 自身がまったくもって興味を抱かない分野のことに対しては人並みの記憶能力しか働くことは無い。それだけを除けば完全無欠の才華と言うことが出来るだろう。

 

 ブランダはマリアに褒められたことを内心でとても喜んだ。

 シルベストリスやホルテンシスもそうであるように、自分達3姉妹にとっての何よりの喜びというものはマリアの傍で彼女に仕え、彼女の役に立つことである。

 それがたった今、また一つ叶えられた。どんな些細なことでも良い。ほんの僅かでも良い。ただマリアの役に立ちたい。

 そうした想いこそが自分達を自分達で居させてくれるのだ。


 内心に温かい気持ちを抱いていた時、ふと意識内にホルテンシスの明るい声が響いた。

『やったね☆ さすがブランダ。歴史の証人とまで言われちゃう知識量はやぁっぱり半端ないね~!』

 続いてシルベストリスの声も響く。『事件解明、解決の重要な一歩。本当に凄いわ。私には全然分からないもの。』

 姉2人の称賛の呼び掛けにブランダは照れながら礼を言った。

『えへへ、ありがとう。私がマリア様の力になれるのは、こういうときだけだから。』

『謙遜謙遜~☆ 私達の中で、こういう時にマリア様の力になれるのはブランダしかいないんだから。』

『そうそう。実際に長い時を過ごしていらっしゃるマリア様やアザミに、知識で頼られるなんて本当に凄いことよ。』


 姉妹たちにとってはごくありふれた日常のやり取り。

 精神感応。テレパシー。アネモネア三姉妹は互いの考えていることを言葉に出さずとも彼女達にしか聞こえない声で共有することが出来る。

 これは大天使の加護によるものというよりは、彼女達三つ子が元々持っている優れた力というべきだろう。

 昨日、彼女達が最初にフロリアン達と遭遇した時に彼と会話をしながら、自分達の出自などについては伏せておくように申し合わせていたのもこの力によるものであった。

 肉体的にどれほど遠い距離に離れていようと関係なく、彼女達は意識さえあれば互いの中でこのように繋がりを持つことが出来るのである。

 それぞれが大天使の加護を持ち、それぞれの才華が互いを補い助け合う。

 3人が合わさってこそ真価を発揮する。誰よりも強い絆を持って三位一体の理を体現する者達。

 マリアが彼女達を“天使達”と呼ぶ理由にはそうしたことも含まれている。


 三姉妹が意識共有で会話を繰り広げ、マリアがブランダからの情報を元に事件の精査を進める中、ふとアザミが口を開いた。

「ブランダ、ひとつ質問があります。うろ覚えで申し訳ありませんが、確か戦争の惨禍といえば、フランシスコ・デ・ゴヤという芸術家も同様の作品群を残していたと記憶しています。アンジェリカが模したものが彼ではなくジャック・カロであると思ったのはなぜでしょう。」

 その質問を受け、ブランダは自信をもって自らの見解を改めて述べる。

「ウェストファリア。今でいうヴェストファーレンというキーワードが一番大きいの。今までに実際に起きた窓外放出事件や、ここがミュンスターの街であるということ、宗教対立を前面に押し出していることからも、三十年戦争をモチーフにしているのは疑いようがない。だとすると、なぞらえる史実そのものは1600年代ということになる。

 でも、ゴヤが生きた年代はもっと後年。彼が、戦争の惨禍の制作に着手したのは西暦1810年と記録されているの。その時代は、スペイン独立戦争の最中でもある。だから、ゴヤの作品をウェストファリアの亡霊や三十年戦争に関連付けることは難しいと思う。」

「なるほど。納得しました。」アザミはそう言って微笑む。

「あ、もしかしてアザミにとっては1600年代も1800年代も違いがあんまり感じられないとか?」ホルテンシスが言う。

 するとすぐ隣でマリアがにこやかに言った。

「長すぎる時を生きていると、常人の100年や200年が1年や2年と変わらなく思えてくるといったところだろう?」

「マリー、貴女もそうでしょう?」

「君ほど長生きはしてないよ。私は君に生かしてもらった身の上だからね?」

 アザミの返事にマリアは茶目っ気たっぷりに言った。そして話を続ける。

「それにしても、実に理に適っているじゃないか。ブランダの言う通り、これは間違いなくジャック・カロの一連の作品に基づいて進行されている事件だ。

 さっきトリッシュに予期してもらった近未来の出来事から想定しても、そこに深い繋がりを見出すことは十二分に出来る。むしろ、ここまで条件が揃っていると“そうにしか成り得ない”とすら思えるほどだ。まぁ、アンジェリカらしいというか、実に“雑”ではあるのだけれどね。」

「ということは目的達成の道筋も見えたということでしょうか?」シルベストリスが言う。

「機会はすぐに巡ってくる。この後にモチーフとされるのは〈盗人の群れ凱旋〉〈発覚〉だ。これが君が先程予期してくれた明日のデモ隊の話に繋がる。そこで抗議活動をする人物達が〈本当はどういう人物なのか〉が暴かれるのだろう。おぞましいことではあるけれど、その後に待つ未来とは徹底的な処刑の執行となる。極端な思想によって罪を犯した人物が見せしめとして吊し上げに遭うという場面が訪れるはずだ。」

「見せしめ……となれば大勢の人々が集まる中で行われると見て良いのでしょうね。」アザミが言った。

「その通り。アンジェリカはあくまで大衆扇動による騒動の拡大を狙っていて、それがどこまで肥大化するかを観察しているとみて間違いない。であれば、大きな惨禍の各刑の執行場面に至ってはこれまでにない規模の人々を巻き込んだものにするつもりだろう。」

「言い換えると、そこが狙い目。」

 ホルテンシスが小さく呟いた声にマリアは静かに頷いて見せた。

「私達が狙うべき目標は、この刑の執行直前に大勢の人が集まったタイミングになる。又は多くの人々が事態を冷静に見て、事の行方を注視している瞬間。これ以上の犠牲者を出さない為にも、絶対にそこで食い止めなければいけない。」

 不安そうな表情を浮かべたシルベストリスとブランダはホルテンシスに目を向けた。

 マリアはホルテンシスに再び歩み寄り、彼女の背中に手を回して抱き締めながら言った。

「ホルス、君に大きな重荷を背負わせてしまうことを許しておくれ。」

 その言葉を聞いたホルテンシスは迷いなく言う。

「それが私にしか出来ないことで、貴女様が望まれるのであれば迷いなどありません。このホルテンシス、そのお気持ちに応えてみせます。」

 ゆるりとしたいつもの調子ではなく、滅多に見せることのない真剣な表情をして言った。

「全ては、マリア様の為に。」


                 * * *


「さぁ、こちらへ。」ロザリアがフロリアンを呼び寄せる。

 13世紀の時代から変わらぬミュンスターの街におけるシンボル。司教区、ドームプラッツの象徴である聖パウルス大聖堂へ3人は訪れていた。

 混沌とする聖ランベルティ教会を足早に切り抜けた後、誰にも干渉されることなく話が出来る場所としてロザリアが選んだのがこの場所である。

 事件の影響か人もまばらな広場から大聖堂正面入り口へと3人は向かう。

 

 フロリアンは目の前に聳え立つ歴史ある建築物を見上げる。

 長年この地で過ごした身として毎日のように目にしてきた建物だが、こうした状況の中で見るとまた違った印象に映る。

 未だに街中に鳴り響く不吉で陰鬱な鐘の音。夜も明け朝が過ぎて尚、上空に立ち込める分厚い雲。暗い朝に佇む大聖堂の姿はまるでこの地の惨禍を嘆くかのように重たく見えたのだ。

 正面入り口の上方にはこの教会が誰に捧げられたものなのかを示す彫像が据えられている。アトリビュートである書物と長剣を持つ聖パウロの彫像。その周囲を12使徒の彫像が囲む。

 聖パウロが手に持つ書物は新約聖書の書簡に由来する聖書であり、もう一方の長剣は彼の死が斬首によるものであったことに由来する。

 キリスト教の布教の為にローマ帝国を訪れた聖パウロはローマの地で生涯を閉じた。ローマ市民権を得ていた彼は裁判を経た上での斬首刑に処せられたが、その刑を決定したのが史上最も有名なローマ皇帝と言って過言ではないネロ・クラウディウスであったと言われている。

 その死の在り方を示すものとして今日に至るまで、聖パウロの肖像や彫像には長剣が含まれるようになったという。


 フロリアンは首を横に振りながら視線を正面へと戻す。するとそこには赤紫色のキャソックとカロッタで身を包む1人の老神父の姿があった。

 身長は170センチメートルにも満たない小柄な体躯で、非常に穏やかで優しい顔つきの男性だ。しかし、ここ最近の事件が影響しているのだろう憂鬱さが表情に表れている。

 その彼の元にロザリアが歩み寄って言う。

「エルスハイマー司教、お久しぶりですわね。」

 言葉遣いはいつものようにゆったりとして優雅ではあるが、声色には緊迫の調子が滲んでいる。彼女の言葉に老神父は応える。

「ベアトリス総大司教猊下、お久しぶりにございます。このような時の再会であることが悔やまれます。まったくもって私には理解できません。なぜ、なぜこのような……」

 酷く狼狽えた様子で言った司教だったが、すぐにロザリアの後ろにいる自分達に目を向けて言う。

「シスター・イントゥルーザも変わりないようで何より。そして貴方がヘンネフェルト様でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります。わたくしは本司教区の管理をしておりますトーマス・エルスハイマーと申します。本日は猊下より北塔礼拝堂を使用されたいとの申し出を受け、ここでお待ち申しておりました。これより案内いたしますのでわたくしについてきてください。」

 フロリアンが挨拶を返す間もなくトーマスはそう言うと入口扉を開放し、一足先に中に入ると一行に中へ入るよう促した。

「さぁ、参りましょう。」ロザリアの言葉に従い中へと足を踏み入れる。後ろにはぴったりとアシスタシアが付き、後方の様子を窺っていたが自分が教会へ足を踏み入れるのを確認すると共に続いた。


 大聖堂内部へと入ると正面の拝廊を通り真っすぐに北塔礼拝堂を目指す。

 外の喧騒から隔絶された静寂。鳴り響く鐘の音は聞こえるが、随分と遠くに感じられる。誰もいない大聖堂内にはほとんど明かりも無く、外の暗さに比例するような様相だ。

 道中、左へ視線を向けるとまず三連祭壇画のある南塔礼拝堂があり、その先でバロック様式の旧祭壇を見ることが出来る。旧祭壇の中でひと際目を引くのはやはり上方に位置する装飾であろう。

 そこにはステンドグラスがはめ込まれた12つの円形窓が正円状に並び、中央にはさらに4つの円形窓が角形に並び輝いている。

 しかし、今はこの壮大な芸術的内装を楽しむ余裕もなければそのような気分にもなれない。


 フロリアンが祭壇から目を逸らし、正面を向いた頃にトーマスが言う。

「静かに会話が出来る場を所望されているとのことでしたが、本聖堂は昨夜プリンツィパルマルクトで起きた事件を受けて本日の一般開放を見送っております。お気付きでしょうが、今この聖堂内にいるのは私とお三方だけです。よって、誰に話を聞かれるということもございませんのでご安心ください。北塔礼拝堂へお通しした後にわたくしも席を外しますが故。」

 その言葉にロザリアが感謝を示して言った。「エルスハイマー司教、唐突な申し出を受け入れてくださったことに感謝を申し上げます。」

「いえ、猊下のお申し出とあればお受けしないわけにはまいりません。それに、昨今のニュースを見て嫌な気配は常々感じておりました。我らが信仰する教義と福音主義の対立を煽るような行いの数々。その過激さは日を増すごとに増大していき、果ては昨夜の事件にまで。今、市街地中に響き渡る鐘の音も心なしか陰鬱な気持ちを刺激するようなものに感じられます。」

 会話を聞いてフロリアンははっとした。今、ランベルティ教会前広場で起きている事件について司教は何も知らないのだ。いや、いっそ知らないままでいる方が良いのだろうが、いずれメディアを通じて彼にもあの悲劇の情報は伝わることになるのだろう。

 そう思っていた矢先にロザリアが先の事件を口にした。「聖ランベルティ教会で新たな事件が起きています。3つの鉄篭それぞれに遺体が入れられるという痛ましいもので、広場は混乱の最中にあります。わたくしたちはこの悲劇を早急に解決しなくてはなりません。」

「なんということか……主よ、憐みたまえ……」

 沈痛な面持ちでトーマスが言う。

「もはや一刻の猶予もありません。解決の糸口を掴み、すぐに行動に移らなければ。」

「猶予?猊下はこの悲劇が今後も継続されるとお考えなのですか?」

「先程貴方がおっしゃったように、悲劇は日を増すごとにその脅威を強めています。更なる事件が繰り返し起きることはもはや必定、必然だと考えていますわ。」

「想像したくないものです。」

「まったくもって。」

 トーマスとロザリアが会話を終えた丁度その時、目的の場所である北西翼廊、北塔礼拝堂へと一行は辿り着いた。


 北塔礼拝堂はバラ窓のある旧祭壇から過去のミュンスター司教であった枢機卿記念碑を挟んですぐ傍にある。

 北西翼廊から見た礼拝堂の上方にはパイプオルガンが据えられ、その下には磔から下ろされたキリストを抱きかかえる聖母マリアのピエタが据えられている。

 目的の場所まで案内を終えたトーマスは言う。

「では、私は席を外します。高祭壇で祈りを捧げておりますので、何かございましたらお呼びください。」

「感謝いたしますわ。」

 ロザリアの礼を聞き届けたトーマスは東翼廊側にある祭壇へと向かって歩いて行った。


 彼の姿が遠く離れたのを確認するとロザリアはフロリアンへ向き直って言う。

「お加減はいかがですか?」

 どうやら彼女には自分が体調を崩したままであることはお見通しらしい。今朝の頭痛はアシスタシアのおかげで回復しているが、全身のだるさは相変わらずで動きも重い。

 それでも為すべきことを為さなければならない。

「大丈夫だよ。ありがとう。」

「そうですか。」

 取り繕った表情で返事をしたことは伝わってしまっただろう。しかし、ロザリアは体調についてそれ以上は、敢えてまで触れようとはしなかった。

「それよりロザリア。事件についてもっと詳しい話を聞かせて欲しい。」前に進む為の話を切り出す。

「承知いたしました。元より、そのことをお話した上で今後のことを決めるのがこの場で行うべきこと。」

 ロザリアはそう言うと北塔礼拝堂へ下りる為の階段へ向かい、フロリアンへ中へ入るよう促した。

 フロリアンも彼女に続いて階段を下り、聖母マリアとキリストのピエタの目の前に立つ。そのすぐ後ろからアシスタシアが最後に礼拝堂に足を踏み入れ、黒い柵を閉じてから2人の横に並んだ。

 静まり返る大聖堂の中、神聖なる空気が周囲を包み込む。

 目の前に佇むピエタ像を見上げながらロザリアは言う。

「この事件を本当の意味で解決に導くためには、アンジェリカの真意を探る必要があります。」

「ホテルを出た後に言っていた“先の目的”についてだね。」

「はい。大衆扇動による暴動の誘発。しかし、なぜあの子はそのような回りくどい手を使って事件を起こしているのか。そこに何の意味と目的があるのか。それを突き止める必要があります。その上であの子と直接対話をしなければなりません。」

 そう言ったロザリアは視線をフロリアンへと向けて続ける。

「フロリアン。これから、今わたくし達が知っていることの全てを貴方にお伝えします。この話は今回の事件に限ったことではありません。これよりお話するのは“三十年戦争が実際に行われていた時代のことも含めて”です。」

 神聖なる静寂に満たされる空間の中、彼女の美しい青い瞳はフロリアンをしっかりと捉える。

 ゆっくりと流れる刻の中、ロザリアは静かな口調で当時のことを語り始めた。


                   *


 勝利の十字架を頭上に、その前の祭壇に佇み祈りを捧げながら思考を巡らせる。

 世界は未だ不幸で満ち溢れている。誰もが信仰の道に生き、誰もが唯一の主を信じることが出来たのなら、この世界から不幸は無くなるのではないか。何度そう思ったか知れない。

 争いというものは立場を異にする者同士の間でしか起こりえない。

 であれば、尚更に誰もが同じ信仰の道に生きた方が幸福であるだろう。


 あぁ、しかしそれはままならない。

 あぁ、しかしながらそれが叶う時は訪れないのだろう。

 嘆かわしきかな。


 なればこそ、せめてどうか……荒れ狂う世界に安らかなる平穏が訪れんことを。



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