第13節 -狂信の彼方へ-

「カトリックと福音主義の争い。放火に暴動……それで、負傷者の数は32人かい?」

「はい。貴女の予言通り、警察と消防も含め32人が負傷したとみられます。もちろん死者はいませんでした。」

「事件が起きたという事実を前にこう言うのも憚られるけど、死者が出るという未来に書き換わらなかったことは唯一の救いだね。」

 深夜の暴動における顛末までアザミから報告を受けたマリアは静かな口調で言った。その目はぼんやりとして遠くを見るような目だ。

 アザミの報告を沈痛な面持ちで話しを聞き終えたシルベストリス、ホルテンシス、ブランダはベッドの縁に座って黙り込んだまま何も言わない。報告を受ける前に3人を隣の部屋から呼んだのはマリアであった。

「3人とも、朝から暗い話になってすまない。トリッシュ、君の予測通りだった。」

「はい。こういうことが現実に起きるという心構えはあったつもりです。ですが、実際に話を聞いてメディアの映像で見ると、こう……」

 部屋のモニターには音声を消したメディアの映像が流れている。それを眺めつつ、俯き加減にシルベストリスは答えた。彼女が口をつぐむ様子を見たホルテンシスが話を引き取って言う。

「しんみりしちゃうね。現実離れしているっていうかさ?たとえ目の前で見たとしても実感わきそうもないなーって。」

「アンジェリカの計略が無ければ起きるはずのない事件だったからね。けれど、彼女が関与したとはいえ、そもそもの事件の根幹には人々が元々心に秘めていた“真意”というものが深く関わっている。つまり、常日頃からこうした事態を望んでいた人間が少なからずいたということだ。それを指して実感がわかないという意見には私も同感だよ。」マリアは言った。

「真意……たくさんの人が傷付いて、たくさんの人が悲しんだ。けれど、それとは別に、こういうことを最初から求めていた人がいた……」ブランダが言う。

「残念ながらね。」マリアは首を横に振りながら続けた。「この時代になっても未だに地球が平面であると信じている人がいる。フリーメイソンが裏社会から世界を操っていて、自分達はその中で踊らされているという陰謀論を信じる人もいる。この地で言うなら、ナチスの思想が間違ってはいなかったと信じる狂人だって存在するくらいだ。過去の歴史を見て、カトリック教会が他の宗派を潰すために裏で暗躍していると常日頃から思っている人が少数いたとしても不思議ではない。そうした人々が心の中で描く疑念というものが攻撃性を持って具現化したものが今回の事件とみるべきだろう。」

 三姉妹は一様に顔を伏せたままだ。そんな中、意を決したようにホルテンシスがマリアへ言った。

「マリア様、アンジェリカって子の目的は何なんだろう?」

 このまま何もせずに事態を深刻化させたくないという彼女の優しさや決意の表れといったものだろう。その意思を感じ取ったマリアは自身の推察を話した。

「目的というにはニュアンスが違うけれど、おそらくは〈大衆扇動〉。きっとそれが答えだ。」

「扇動?」

「そう。アンジェリカにとって重要なのは、おそらく起きた事件そのものではない。放火や暴動より、そこに至る過程にこそ本当に重要な意味と目的が隠されていると私は考えているよ。」

「過程……ウェストファリアの亡霊。兵士を使って人々の意識を曝露させること……深層意識に働きかけることで意図的に争いを誘発できるのか……」シルベストリスが呟く。

「そう。人の深層心理を曝露させることでどこまでの争いを現実化出来るのか。それを試しているような節がある。隣人同士の小さな口論から、大勢が集まるオープンカフェでの喧嘩、そして放火に暴動、略奪だ。働きかけるきっかけが同じであることに変わりはないのに、規模だけはどんどんと大きくなってきている。考えたくはないけれど、今回の暴動はまだ初めの一歩に過ぎないと思う。」マリアは自己の推論を述べた。

「わたくしもマリーの推論に同感です。アンジェリカはまだ何かを画策していて、それを秘匿している。例の異常な気配を纏う常人の目には見えない赤い霧も、日毎にその濃度を上げています。手をこまねいていれば状況は悪化するだけかと。」アザミが同意を示す。

「そうだね。アザミの言う通りだ。もはやゆっくりと調査をするなんて言っている場合ではなくなった。トリッシュ、次に事件が起きる場所を知覚できるかい?」

 マリアはシルベストリスへ視線を向けて言った。

「脅威はランベルティ教会に留まったままです。鐘の音が聞こえて、大勢の人が悲鳴を上げることになる。それと、あの3人は惨禍に間に合いません。」

「間に合わない?そうか、その3人とはフロリアン、ロザリアともう一人の少女のことだね。」

「はい。彼らは止める術を持たず、鉄篭の中に悪意を見出すことになる。」

 シルベストリスが話をする間、マリアの美しい赤い目は僅かな輝きを帯びていた。瞳の奥は仄暗く、まるでここではない別の場所を視通しているかのようだ。

「3つの鉄篭にそれぞれ1人ずつ入れられているね。彼らは既にアンジェリカの手によって殺されている。彼女の力によって隠匿されているようだが、何かのきっかけか合図を元に隠匿を解除して混乱を起こすつもりだろう。」

 ブランダは自分の肩を抱くように両腕をぎゅっと前に組む。僅かにだが震えているのが見て取れた。隣ではホルテンシスが優しくブランダの背中を撫でながら安心させるように微笑みかける。

「やはりアンジェリカ本人を探し出して対処しますか?」アザミが言う。しかしマリアは再び首を横に振ってこう言った。

「いや、私達はアンジェリカに直接干渉しないように立ち回るべきだろう。こういうときには適材適所を心掛けるべきだ。対アンジェリカを担ってもらうならロザリアたちの方が良い。何と言っても私達すら殺しうる不死殺しを持っているようだからね?それと理由はもう一つ。ロザリアはアンジェリカと対話して事件を解決しようと言っていたけれど、それだけではこの事件は根本的な解決を見ないからだ。」

「と言いますと?」

「今回の事件において、アンジェリカはあくまで“きっかけを生み出している”に過ぎない。その後に起きる出来事は全てその場にいる人々の意思によるものだ。それがどれだけ緻密な計算の上で成り立つ計略だとしても、それを否定することは出来ない。そもそも、霧の動きや兵士の出現が既にアンジェリカの意思に関係なく自立しているものだとしたら、彼女を封じたところでそのものが消えるわけではないだろうからね。まるで意味が無いのさ。よって、私達は別の方法から根本的な解決方法を探るべきだ。そしてその方法においては君達3人が鍵になる。」

 マリアは三姉妹を見て言った。

「君達3人は人々の心の動きに直接働きかけることが出来る。この騒動が人々の中に眠る潜在意識、又は解離の下意識などによるものであるならそこをケアしてしまうのが一番だ。兵士の曝露による効果が無くなってしまえばアンジェリカの計画は破綻するはずだからね。中でもホルス、今回の事件において私達の切り札は君だ。ジョフィエルの加護をもってこの難題に対処しよう。」

「承知しておりますとも。だからこそ特に私はアンジェリカちゃんには近付くべきではないということですよね?」

 ホルテンシスはマリアにサムズアップを向けウィンクした。どんな時でもゆるく明るい彼女らしい。

「最後の最後まで彼女に勘付かれない為にも、直接干渉するようなことは避けよう。」

 マリアも微笑みながら返事をした。するとアザミが気掛かりな様子で言う。

「しかし宜しいのですか?わたくしたちではなく、彼女らがアンジェリカに近付くということは、必然としてフロリアンも大きな危険に巻き込まれることになりますが。」

「そのために黒曜石のお守りを渡したんだ。あれを身に着け、彼がアンジェリカを忌避している限り、“本体”は容易に近付けないだろう。それに、私は彼を信じている。加えて、彼と行動を共にするあの2人のこともね。」

 自信たっぷりに言って見せたマリアを見てアザミは少しだけ面食らった。

「自身の目に見えない未来を信じるなど……マリー、貴女も変わられたものです。」

「誉め言葉として受け取っておくよ?アザミ。」

 2人の会話を聞いていたホルテンシスが呟く。

「マリア様に視えない未来?そんなものがあるんだ?」

「事実は小説よりなんとやら、だ。まぁ私達の事実の方が世間から見ればよほど奇異ではあるのだろうが。世界にはいつだって例外というものが存在するものさ。」

「例外。なるほどぉ。だからマリア様は彼に……」

 にやりと笑ったホルテンシスにシルベストリスとブランダも続く。

「そういうことだったんですね。」

「良いなぁ。運命の、出会い。」

 悲惨な現実に肩を震わせていた2人もいつもの調子に戻ったのを見てマリアは安心した。ホルテンシスの陽気さが暗い話の中に暖かな希望をもたらしてくれている。

 そんな3人を見て微笑ましい気持ちになっていたマリアだが、唐突に後ろから聞こえてきた言葉を耳にして固まった。

「トリッシュ、ホルス、ブランダ。ジュネーヴに戻ったらハンガリーで撮影した写真をもう一度お見せしましょう。出会いから今に至るまでを詳しく。」

「良いね!見たい見たい☆前に見せてもらったときとは違った感覚で見られそうじゃん?」

 きゃるんとした様子でホルテンシスが言った。シルベストリスとブランダも大きく頷いている。

 言葉に詰まりつつ、しかし目の前で喜んではしゃぐ三姉妹の様子を見るマリアは苦笑するしかなかった。


                 * * *


 準備を整えたフロリアンは彼女達が訪れるまで言われた通り部屋で待機していた。

 決して一人で行動しないように。ロザリアのその言葉を肝に銘じる。朝から昨日の夜のような危機には陥りたくもないし、彼女達に迷惑もかけたくはない。

 普段の調査であれば良い意味でも悪い意味でもマイペースにこなすが、この地で例の事件を追跡する間はそのようにはいかないだろう。

 フロリアンはいつになく真剣な表情のまま部屋の椅子に佇む。


 部屋の時計が丁度8時を指した時だった。備え付けのインターフォンが鳴った。

「はい。」すぐにパネルを操作して応答すると、フロントマンの爽やかな声が部屋に響いた。

『おはようございます、ヘンネフェルト様。ベアトリス様とイントゥルーザ様が貴方様を訪ねておいでです。』

「わかりました。ロビーで待ってもらってください。すぐ向かいます。」

 フロントマンが次にとる対応をこちらに確認する前に行動を決める。

『かしこまりました。ではお二人へはそのようにご案内し、ロビーへお連れ致します。』

「宜しくお願いします。」

 そう言って通信を切る。長通話は無用だ。


 フロリアンは部屋を出る前に、ロザリア達の位置情報の確認の為にヘルメスから彼女達のスマートデバイスへ暗号コードの送信を試みる。

 単純な本人確認である。

 これは事前に相手の通信デバイスをヘルメスに登録することで使用可能となる簡単な機能で、ヘルメスを介して発信した暗号コードに対して、受信した相手が予め決められた特定のコード-パスワードのみならず指紋・虹彩などのバイオメトリクス認証登録も可能である-を返信することで位置情報の特定などが可能となる仕組みだ。

 機構のシステムによる厳重なセキュリティに加え、お互いにしか解除し得ない特定のコードをやり取りすることで互いの正確な位置や必要なデータのやり取りを安全に行うことが出来る。

 元々は機構に所属する隊員が、同じチーム内の隊員同士で高度な連携を行う際に使うものだが、今回は事情が事情なだけに彼女達にも同機能によるやり取りをお願いしている。

 双方向通信における片側は必ず機構の認証がなされたヘルメスが必要だが、もう片側のデバイスに対しては一般的に出回っているスマートデバイスであれば何でも対応が出来る。

 災害非常時に一般の人々に対しても応用できるようなシステムを構成する為である。また、登録されたスマートデバイスからの発信による認証も可能だ。

 昨日の夕方、ロザリア達と別れる前にフロリアンからお願いをして彼女達のデバイス情報をヘルメスに登録させてもらったのだが、早速実用的な場面がやってきたというわけだ。


 アンジェリカという少女が相手ならどれだけの備えをしても過剰ということはない。念には念を入れて、というわけである。

 ひとつのミスや綻びが致命的な結果を招きかねないのだから。


 暗号コードを送信し終えたフロリアンは少しの間部屋の入り口で待った。

 するとすぐにロザリアとアシスタシアの端末から返答が来た。2人のデバイスは間違いなくこのホテルのロビーの座標を示している。

 つまり彼女達に化けた、或いは彼女達になりすましたアンジェリカ本人や人形たちがこの場に訪れているという可能性は排除できたことになる。

 ここまで確認をしてフロリアンはようやく部屋を出てロビーへと向かうことにした。



 エレベーターに乗り1階へと向かう。密閉された静かな空間。

 ホテルの温かく優雅な内装であるとはいえ、一人きりで逃げ場のないところにいるというのは今の状況的に落ち着かないものだ。僅か数秒がとても長く感じられる。

 エレベーターが1階に到着するとフロリアンは脇目を振らずにまっすぐロビーを目指した。

 そして歩いて行ったすぐ先に彼女達2人の姿を見た。

 ロビーの中で佇む彼女達は今日も今日とて華やかで美しい。ただ、昨日に比べると身に纏う服装は随分と地味なものを着ているようだった。

 黒と白を基調としたブラウスやスカート、それに上着といった組み合わせだ。

「おはよう、ロザリア、アシスタシア。」緊張と警戒を感じさせないよういつもと変わらないように挨拶をする。

「おはようございます。昨晩はゆっくりお休みになられましたか?」柔らかな笑みでロザリアが言った。

「あぁ、おかげさまで。」

「そうですか。少し顔色が悪そうに見えますが。」

 彼女に隠し事など一切通用しそうにない。部屋で軽食を取り、常備薬を飲んではみたが今朝からの頭痛は未だに続いている。これを見透かされたようだ。

「さすが。珍しく頭痛でね。薬も飲んでるから大丈夫だと思う。」

 フロリアンがそう言うとロザリアは何やらアシスタシアに目配せをした。そしてアシスタシアが言う。

「フロリアン、少しお手を宜しいですか?右手を私へ。」

 戸惑いながらもフロリアンが彼女に手を差し出すと、アシスタシアは迷うことなくその手を両手で握りしめて言った。

「主よ、憐みを。彼の信仰が、彼の身になりますよう。」

 それはマタイによる福音書9章の一節をなぞらえたものだろうか。

 しかし、フロリアン自身が考えるより早く、自身の体に変化が起きたことを感じ取った。

 アシスタシアは握っていた手を離し、静かにフロリアンの様子を眺めている。

「凄い、さっきまでの頭痛が嘘みたいに消えた……おまけに何だか体も軽い。」

 彼女の特別な力というものだろうか。青く燃える大きな鎌を持ちウェストファリアの亡霊を葬っていた昨日とは真逆の力だ。

「それは良かったですわ。」静かに佇むアシスタシアの隣でロザリアが言った。

「ありがとう、アシスタシア。」

「いいえ、必要なことをしたまでです。」フロリアンの礼にアシスタシアは事務的に淡々とした返事をするだけであった。

 しかし、フロリアンが彼女に対して嫌な印象を抱くことはない。実に彼女らしい言い回しであると思っていた。それが彼女の在り方であると昨日一緒に過ごした中でなんとなく理解出来ていたからだ。


「では、参りましょうか。今日は昨日とは違い、一刻の猶予もありません。」ロザリアが言う。

「色々詳しく聞かせてほしいところだけど、まずは行く場所があるということだね?」

「はい。まずは聖ランベルティ教会へ向かいましょう。」

「今あそこには近付けないんじゃないのかい?」行き先を聞き、疑問に感じたフロリアンは言った。だが、それに対するロザリアの返事は簡潔なものだった。

「確かに焼けた建物に近付くことは出来ませんし、現地は警察とメディアと見物人で混乱の様相を呈していますが、教会へ近付くだけであれば問題ありません。」

「問題なのはむしろ大勢の人間がその場に集ってしまっていることと言えましょう。出来ればフロリアンの言う通り、誰も近付くことが出来ない方が良かったのです。」

 続けて言ったアシスタシアの言葉にフロリアンは思わず聞き返した。

「近付けない方が良かった?」

「道中でお話します。」

 そう言ってロザリアとアシスタシアの2人はロビーを抜けてホテル玄関へと歩いていく。フロリアンも急いで2人について行った。

 3人の姿を見たフロントマンが言う。

「お気をつけていってらっしゃいませ。」

 彼の爽やかに挨拶してくれる声だけが周囲に響いた。



 ホテルを出て聖ランベルティ教会のある方角へ向けて真っすぐに歩きながらアシスタシアが先程の話の続きを言った。

「フロリアン、今朝のニュースを見てあの場所で何があったのかは理解していますね?」

「あぁ、放火と暴動、そして略奪。まるで小さな戦争でも起きたみたいだ。」

「小さな戦争……言い得て妙というところでしょうか。その争いで消防と警察、暴動に加担した人々の内32名が負傷、ですが死者は無し。この暴動はカトリック信者と福音主義信者の間で起きたもので、カトリック教徒が〈異端である他宗派へ攻撃を加えようとしている〉などという狂信的なデマが引き金となっています。」

「昨日、オープンカフェで起きた口論が拡大したようなもの、と思って頂ければ間違いありませんわ。そして当然、この話にも関与して来るのが件の亡霊。貴方は昨日マリアからあの亡霊について何か話を聞きましたわね?」

 アシスタシアから話を引き取ってロザリアが言った。フロリアンは頷いて言う。

「ウェストファリアの亡霊は人々の心の内にある深層心理を“曝露”する性質があると言っていた。解離による下意識や理性で押しとどめている自己内の真実、そういったものを表出させると。」

「その通り。あの暴動は例の亡霊にそそのかされた人々が常日頃から心の内で思っている自世界の妄想が形になったようなもの。つまり、デマを狂信する人々によって望まれた暴動ですわ。」

 ロザリアの話を聞いたフロリアンは背筋に寒いものが走るのを感じた。


 あれが人々の望んだものだって?


「記憶に留めておいてくださいまし。この地における事件で、アンジェリカが企てているのはあくまでもウェストファリアの亡霊を人々に手向けること。あの子はそれ以上のことはほとんど何もしていない。ある程度人々の心を刺激する誘導じみた行為を行っていると推測できるものの、その後に起きる事件というのは全て“元々人々の心の内にあった衝動”がもたらした結果であると。」

「多くの人々がこの争いを望んでいた?カトリックと福音主義が対立せず、それ以外の宗派も含めて共存の道を歩んでいたこの時代でそんなことが……」ロザリアの話に絶句しながらフロリアンは言った。

「事実とは小説より奇なりと申しますわ。誰もそんなことを思っているはずがない。だから自分も思ってはならないし、口に出してはならない。そこまでは多くの人々が思うことでありましょうが、内心で思うことに対してまではその縛りはありません。自分に対して嫌な行動をとった相手に対し、報いを受けるべきだなどと内心で思うことは誰にだってあるでしょう?今回のケースはその対象が自らとは違う宗派に属する人々に対してのものであったということですわね。」

「その口ぶりから行くと、ロザリア達はアンジェリカの目的を既に知っているということかい?」

「他者の心を刺激することによる争いの誘発。大衆扇動による戦争への誘導。その実験をしている。それはある意味、この国だからこそとも言えるのかもしれませんわね。」

 フロリアンの脳裏に第二次世界大戦の歴史が浮かんだ。ドイツ史において絶対に語るに避けては通ることの出来ない歴史だ。

「ですが、彼女の本当の目的はまだ先にあると、わたくし達はそう考えています。」

「先の目的?」

「さて、その先というものについてはまだ分かりません。ただ、彼女がこの地で行っていることはまさしく大衆心理を利用した争いの誘発についてといったところでしょう。そして、人々の心に大きな揺さぶりをかける為には現実離れした事件の発生が必要となる。」

 ここまで話しを聞いた時、フロリアンは嫌な予感を覚えた。

「まさか、聖ランベルティ教会でさらに大きな事件が起きるよう彼女が企てているとでも?それを今から止めに行くのかい?」

「いいえ、止めるべくもなくその企ては既に終わっています。」ロザリアは真剣な眼差しでフロリアンの目を見つめた言う。

「終わっているだって?」

 フロリアンがそう言った直後のことであった。


 けたたましいほどの鐘の音が街中に鳴り渡り始めた。大学や聖堂といった場所に設置されている鐘のみならず、街中に存在する全ての鐘が一斉に打ち鳴らされたかの如く騒音だ。

 加えて聖ランベルティ教会の方角から人々の絶叫や悲鳴が空に轟く。

 何が起きたのか見当もつかないフロリアンは尋常ではない街の様子に体を強張らせる。


「始まった……」

 奥歯を噛み締めたような厳しい表情で教会の方角を見据えながらロザリアは呟いたのだった。 



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