第2節 -カフェに咲く花-

 プリンツィパルマクトの南端に差し掛かる手前、左手側に目的の建物が佇む。

 目の前に天高く聳える立派なファサードをもつ、ゴシック風の建物こそミュンスター旧市庁舎である。三十年戦争を終結に導くミュンスター講和条約が締結された場所だ。

 フロリアンが庁舎入口付近に視線を向けると、そこには待ち合わせをしていた人物達の姿が確かにあった。


「お久しぶりです。総大司教ベアトリス。シスター・イントゥルーザ。」フロリアンは2人の少女に歩み寄って声を掛けた。

「まぁ、お久しぶりですわね。お元気そうで何よりでございます。」青い瞳を持つ美しい少女は言い、すぐ傍らに立つもう1人の少女は軽く会釈をした。

「お待たせして申し訳ありません。」

「いえ、まだ約束の時間にはなっておりません。わたくしどもがこの場に到着するのが早かっただけのこと。謝ることなど何もありませんわ。」少女はそう言って微笑んだ。


 プラチナゴールドの長いストレートヘアに透き通る深海のような青い瞳を持つ少女。彼女の名はロザリア・コンセプシオン・ベアトリス。ローマカトリック教会 ヴァチカン教皇庁における総大司教を務めている。

 彼女はカトリック教会の長きに渡る歴史の中で教皇不可謬説を覆し、女性として史上初めて司教職に就いた人物である。対外的には秘匿されているようだが、今日までに確認出来ている彼女の持つ絶対的な権限から見てそれは間違いない。

 もう1人、その傍らに佇むローズゴールドの緩やかなウェーブヘアにレッドパープルの瞳を持つ人形のように美しい少女。彼女の名はアシスタシア・イントゥルーザという。常にロザリアと行動を共にしているシスターだ。

 ロザリアはハイゲージの赤いニットセーターの上にストールをまとい、ブラウンのフレアスカートという育ちの良さを感じさせる非常に上品な出で立ちだ。対するアシスタシアはセーターと軽めのジャケット、そしてタイトジーンズというシンプルな出で立ちで、動きやすさを非常に重視したような活発さを思わせる服装をしている。

 イメージ通りの装いであるロザリアに対し、真逆の印象であるアシスタシアの私服姿にフロリアンは少し面食らってしまった。どちらかというと彼女もロザリアと同じような服装を好んで着るものかと思っていたからだ。

 それは、これまで彼女が修道服を着用した際の静淑な姿しか見たことがないというのも一因だろう。


 じっと自分を見つめたまま固まるフロリアンの視線に気づいたアシスタシアが言う。

「ヘンネフェルト様、私に何か?」

「いえ、以前お会いした時と随分印象が違うと思ったものですから。」慌てて取り繕うが、何を思ったのか見透かしたロザリアには笑われた。

「アシスタシアの私服姿が想像されたものと随分異なっていらしたご様子ですわね。」

「変でしょうか?」アシスタシアは身なりを気にする仕草をしながら言う。

「まったくそんなことはありません。とても素敵です。」

「ならば良いのですが。ありがとうございます。」フロリアンの返事を聞いたアシスタシアは安心するような表情で言った。

「アシスタシア、だからわたくしが勧めた装いに身を包むべきだと言いましたのに。」

「貴女様の気まぐれコーディネートは少々癖が強過ぎます。あのような格好で出歩く者などそうはいないでしょう。」ロザリアの言葉にアシスタシアは呆れた様子で答える。

 しかし、ロザリアは余裕の笑みを浮かべてこう返した。

「どうでしょう?その癖が強すぎる服装をした何者かに、今日は出会えるかもしれませんわよ?」

 それに対してアシスタシアが何かを返事することは無かった。

 ロザリアは言う。「うふふふ。そういう不貞腐れた表情も良いものですわね?それは元より、互いに合流も果たしたことですし、少し場所を変えましょう。平和の間の見学も良いかと思っていましたが、生憎と旧市庁舎は休館日のようですから。」

 旧市庁舎が休みということを聞いて、フロリアンは今日が月曜日であることを思い出した。

 日頃からセントラルという海の上で生活していると、どうにも曜日の感覚が掴めなくなる。今のように、訪ねた先の状況を見て曜日を知るというのも珍しくはない。

「どちらへ行きましょうか?」フロリアンは言う。

「わたくしに付いてきてくださいまし。」ロザリアはそう答えると2人に先立ち、ゆっくりと先頭を歩き始める。

 フロリアンとアシスタシアも彼女の後に続いた。



 合流した2人と歩みを共にしながらフロリアンは落ち着かなさを感じていた。理由は当然、彼女達の立場によるものである。

 今日の彼女達は2人とも正装ではなく私服に身を包んでいる為、言われなければ教会の人間であることは分からないし、ましてや教会内で相当に高位な立場の人物であることも周囲からは分かるはずがない。

 ただ周囲の目から見た2人がどうあれ、自分としてはその素性を知るからこそ、やはり気軽に接するなどということはとても出来そうにない。合流した瞬間からやや硬直気味に、ぎこちなく接しているのもそれが理由だ。

 また立場の話を抜きにして気軽に接することができない個人的な理由というものもある。

 委縮する理由としてありきたりな話だが、飛び抜けて美しい容姿を持つ彼女達と並ぶことに引け目を感じるのだ。女性慣れをしていない自分にとっては隣に立つだけでプレッシャーとなる。

 現に彼女達は、自転車ですぐ脇を通り抜ける学生らしき男子の視線を先程から幾度も釘付けにしている。同時に彼らが次に視線を向けるのは決まって自分である。

 男心に〈どうしてお前が?〉とでも言いたげな視線をひしひしと感じる。被害妄想かもしれないが、この2人と並んで歩いていれば、道中でそう思うことの1度や2度は誰にだって訪れるに違いない。


 フロリアンがそのようなことを考えながら歩いていると、ふとロザリアが言う。

「ヘンネフェルトさん?先程から少々落ち着かないご様子。どうかなさいましたか?それとも、わたくしたちと行動を共にするのはお嫌でしょうか?」

「いいえ、嫌だなんて思っていません。貴方がたがどういう方々なのかは昨年のミクロネシアの事件の時によく知りましたし、むしろ助けて頂いたことに感謝もしています。」

「それは良かった。およそ5年前にハンガリーで初めてお会いして以降、嫌われてしまっているのではないかと思っていたものですから。」


 ロザリアの返事を聞いてフロリアンは申し訳ない気持ちになった。彼女が言っているのは2031年12月末に、ハンガリーで初めて自分達が出会ったときのことで、まだ自分が機構へ入構する前の出来事であった。

 人生に目的や目標を見つけられずにいた自分は、その理由が自分自身の知識や経験の無さにあるのではないかと考えた。

 そこで、知らないものを知る為に世界を旅して回ることに決め、旅をしてきた最後に訪れた国がハンガリーであった。

 ドナウの真珠と称される華やかなブダペストの地、聖イシュトヴァーン大聖堂前の広場で彼女と初めて直接言葉を交わしたときのことを思い出す。

 あの時は、彼女の綺麗な青い瞳の奥に底知れぬ恐ろしさが垣間見えた気がして随分と警戒してしまった。それはまるで視界に捉えた対象を強制的に自身へ惹き込んでしまうような魔性じみたものだったからだ。

 その延長線で、昨年ミクロネシアでの調査任務で再会した際もやはり同じように警戒してしまったのである。

 誰であれ、そうした態度を連続で浴びせられれば、その人からは嫌われていると考えても不思議ではない。勘の良い人物か、周囲の反応に敏感な人物ならそう思うだろう。

 謝罪の意を込めて言う。「その節は非礼な振る舞いをしてしまいました。申し訳ない。僕は貴女のことを少し誤解していたようです。前回の調査のことで、本当はとてもお優しい方だと知りました。だから今回の調査任務で再びご一緒出来ることは光栄です。」

「まぁ、嬉しいお言葉をありがとうございます。」

 そう言うとロザリアは歩みを止め振り返り、柔らかな微笑みを浮かべながら意味深にこう付け加えた。「ただ、わたくしが本当はどういう存在なのか……それを知って尚、そのようにおっしゃることの出来る貴方様の御心。わたくしはそれを暴きたくて仕方がないのですけれどね?」


 本当はどういう存在なのか。

 確かに自分はそれを知っているが、今となっては同じような存在が身近にいるので深く考えたりはしていない。

 しかし、ハンガリーで見せた時と同じように瞳の奥に仄暗さを湛えて言った彼女を見て何とも思っていないなどとは口に出せなかった。


 するとロザリアはふっと表情を穏やかにして言う。「うふふふ、冗談ですわ。」

 彼女は振り返り、体の向きを通りの奥に向けて歩き出しながら続けた。

「わたくし達と行動を共にすることに戸惑いがない。ということであれば、落ち着かない理由は何か他にあるのでしょうか?」

「それは、少し言いづらいといいますか。」

 この答えが少し意外だったのか、ロザリアは顔を自分の方に向けつつ言う。

「何なりとおっしゃってくださいまし。共に行動をする上で、懸念は1つでも少なくしておくに越したことはありませんもの。」

 確かにそうだが、理由が理由だけに些か言いづらい。ただ、ここで言い淀んでいてはいらぬ誤解を新たに生むだけになるだろう。フロリアンは意を決して言う。

「お恥ずかしい話、女性と行動を共にすることに慣れていないんです。今もどう接して良いか戸惑っています。」

 返事を聞いたロザリアはしばしの間、ぽかんとした表情を浮かべていたがすぐに口元を緩めて言った。

「まぁまぁ。そういう。お言葉が硬いとは思っておりましたが、いえ、正直は美徳ですわ。わたくしどもとしては、どちらかというと“慣れていらっしゃる”方が困ります。わたくしどもはこう見えても聖職者ですから。」

 さらに理由を聞いて安堵した様子でロザリアは続けた。

「見知らぬ間柄ではないとは言え、距離感が掴めていないことが理由なのでしょう。ですので、ひとつわたくしからご提案させて頂きたいことがございます。」

「なんでしょう?」フロリアンは言う。

「互いの間にある壁を取り払う為に、まずは互いの呼び方から変えてみてはいかがでしょうか?具体的には、わたくしどものことを〈ロザリア〉〈アシスタシア〉とお呼び頂ければ。その代わり、貴方のことも〈フロリアン〉とお呼びする。」

 フロリアンは一瞬躊躇ったが、調査をする上では彼女の言う通りにした方がやりやすいことは確かだ。それに、あくまで予感でしかないが、きっとこの2人とはこの場限りではなく今後も様々なところで関わることになるのだろう。

「そうですね。ではそうしましょう。宜しくお願いします、ロザリアさん。」

「なりません。」ロザリアは笑顔を浮かべたまま強く言う。

「え?」

 フロリアンが間抜けな返事を返すと、彼女は言った。

「改まっていては意味がありませんわ。〈ロザリア〉と呼んでくださいまし。それと、もっと気軽な言葉づかいで構いませんわ。フロリアン?」

 足を止めて振り返り、少し身を乗り出すようにして彼女は囁いた。ロザリアの髪が風に揺れると、周囲に甘く華やかさを感じさせる薔薇のような香りが漂う。

 そんな彼女の仕草にフロリアンは一瞬我を忘れてぼうっとしかけたが、すぐに意識を引き戻すと、どぎまぎしながらもなんとか返事をした。

「分かった。言う通りにしよう、ロザリア。」

 たどたどしくもそう言うと、ロザリアは口元に手を当てて上品に笑いアシスタシアへ目配せをするのだった。

 ロザリアの視線に気づいたアシスタシアも言う。

「では、私もそのようにいたしましょう。フロリアン、改めて宜しくお願い致します。」

 礼儀正しく一礼しながら言う彼女にフロリアンは言う。「こちらこそ、よろしく。アシスタシア。」

 彼女に対しては改まった方が良いかと思ったが、そうはさせないというロザリアの視線が横からひしひしと伝わってきたので敢えてフランクな言い回しで言ったのだった。



 アシスタシアは顔を上げてロザリアとフロリアンの2人を視界に収める。

 目の前でまんまとロザリアのペースに乗せられつつあるフロリアンを見て思う。このやりとり自体に深い意味がない。

 ミクロネシアで“ある人物”に自分のことを名前で呼ぶように迫ったのと同じことだ。単純にロザリアが気に入った相手に自身を名前で呼ばせたいという、いわばただの趣味である。

 彼女が第三者を気に入るなどと言うことが滅多にないので、珍しい光景であることには違いない。

 だが、彼は特別だ。この世界でたった1人しか存在しないと言っても過言ではないほどの特別を兼ね備えた人物。

 ここで互いを名前で呼ぶようにしたのは彼女がその“特別”を見込んで彼を気に入ったからに他ならないが、残りの理由もおそらく数時間後に判明するだろう。自分の勘が正しければこれはある少女に対する僅かばかりの〈当てつけ〉が含まれている。

 用意周到というべきか、小賢しい……もとい大胆と言うべきなのだろうか。

 アシスタシアがロザリアに視線を向けると、彼女はその視線の意味を理解したようににこりと笑って振り返り歩き始めた。


「ところで、今向かっている場所はどこなんだい?」

 歩き出して間もなくフロリアンが隣を歩くロザリアに尋ねる。するとロザリアは意外な行き先を告げた。

「カフェですわ。ほら、すぐそちらにオープンテラスのある。」

「え?」

 フロリアンはこの日2回目となる間抜けな返事を思わずしてしまう。てっきり例の怪奇現象に関わる調査をするために移動を始めたのかと思ったからだ。

「可愛いラテアートがなされたカフェラテとカップケーキが美味しいと伺ったものですから。」

 とても楽しそうな表情を浮かべながら事もなげにロザリアは言った。

 聖パウルス大聖堂から広場を挟んだ向かい側。彼女が手で示した場所には広々としたオープンテラスが用意されたコーヒーショップが見える。

「フロリアンの出身はこの街でしたわね?であれば、あのお店にも訪れたことがあるのではありませんか?」

 どうして出身地のことを知っているのかと思ったが、調査協力する過程でそういった情報も伝わっているのかもしれないと思い口に出すのはやめた。

 そして彼女の言う通り、自分は何度も目先のコーヒーショップに通っていた。ホットコーヒーと総菜パンの組み合わせが最高のお店だ。

「学生時代によく通っていたよ。決まって頼むのはホットコーヒーと、バジルソースと野菜をサンドしたパンだった。懐かしいな。」

 そう言ってちらりとロザリアの方を向くと、何やらもの言いたげな表情をしているのことに気付く。何を問いたいのか理解したフロリアンは言う。

「パフェやアイスラテは頼んだことが無いんだ。せっかくだから頼んでみよう。」

 しかし気温は一桁台。この寒さの中で敢えて冷たいメニューを選ぶのも気が引けるが、どうやら目の前の彼女はそんなことは気にしていないらしい。

 自分の返事に満足したのか、ロザリアは『そう来なくては』という表情をしている。

 本当は調査のことについて問いたいのは山々だが、それはこの後カフェラテを飲みながらでも聞くことは出来るだろう。

 とにかく今はスムーズに調査が進むよう、出来る限り互いの交流を深めておくべきかもしれない。一見すれば目的に対してまったく関係ないことにこそ、後々に繋がる意義があったりするものだからだ。

 そんなことを考えつつ、フロリアンは視線を斜め後ろを歩くアシスタシアへ向ける。彼女は以前と変わりなく黙ってロザリアの後ろに付き従っている。

 だが、フロリアンが自分に視線を向けたことに気付くと静かな口調で言った。

「フロリアン、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 真面目そうな彼女のことだ。もしかすると彼女からは調査についての話が出るのだろうか。フロリアンは期待して返事をする。

「もちろん。」

 するとアシスタシアはこれまでにないほどに真剣な眼差しをしてこう問い掛けてきた。

「あのお店にはどのようなスイーツが置いてあるのでしょうか?」

 フロリアンは調査について、しばし諦めることに決めると爽やかに笑って見せながら言った。

「実際に見て見よう。アシスタシアも気に入るものがあるかもしれない。」


                 * * *


 とあるカフェのオープンテラスで1人の少女がホットコーヒーの入った暖かいカップを両手で包むように持つ。

 桃色のツインテールという髪型にとても美しい紫色の瞳、ドールのような可愛らしさを持つ少女は湯気が立ち上るコーヒーをじっと見つめたまま動かない。

 こんなに冷え込みの強い季節だというのに防寒をしている風でもなく、学生服と軍服を合わせたようなデザインの上着に、とても丈の短いプリーツスカートという出で立ちだ。

 肩から腰にかけて下げられた鞄は、ドイツの国章を彷彿とさせる双頭の鷲がデフォルメされた非常に愛らしいデザインのぬいぐるみ型のものである。 

 メッシュ調の椅子とベージュのテーブルが整然と並べられた明るい雰囲気のオープンカフェは多くの人々で賑わうが、少女はただ1人きりで黙り込んだままじっと座っている。


 そんな様子を見て気になったのか、1人の女性が少女に声を掛けた。

「こんにちは、貴女1人なの?」

 すると少女は満面の笑みを浮かべ、流ちょうなドイツ語で返事をした。

「こんにちは、お姉さん。私は1人じゃないよ?ここでパパとママを待っているの。少し用事があるからって言ってたけど、もうすぐ戻ってくると思う。」

「そうなの?」明るい少女の返事に女性も笑顔で応えるが、少しだけ不安げな表情を浮かべる。

 その表情に気付いた少女は言う。「分かった!お姉さん、さては心配性ね?私が迷子か何かじゃないかって思ってる。でも平気よ。本当に2人ともすぐに戻ってくるから。あ、ほら!」

 花が咲いたような笑顔で少女は言うと少し遠くを見つめながら小さく手を振る。

 少女が手を振った先に女性が視線を送ると、そこには彼女の両親と思われる人物がこちらへ向かって近付いてくるところであった。

「本当ね、ごめんなさい。ちょっと気になってしまって。」

「ううん、良いの。私を心配してくれてありがとう。」

 少女の言葉に安心した女性は笑みを浮かべてその場を離れる。去り際にすれ違った少女の父親と思われる男性が彼女の名前を呼ぶ。

「お待たせ、アンジェリカ。遅くなってすまない。」

「パパ遅いよー!」

 少女の無邪気な姿に改めて安堵した女性は振り返ることなくカフェを後にしたのだった。






『なぁんてね……☆』





 アンジェリカと呼ばれた少女は不敵な笑みを浮かべながら内心で囁いた。

 少女の目の前に先程の男女2人がやってきて椅子に座り、2人で会話を始めるがアンジェリカがその話に混じることはない。

 その時アンジェリカは両手で握っていたコーヒーカップから手を離し、すぐ隣のカフェから出てきた3人の男女へ視線を送っていた。

 視線の先には、ひと際よく目立つ美女が2人と、大人しそうな男性が1人ほど捉えられている。

 どうやら彼女らはカフェで注文したスイーツを今しがた受取り、これからオープンテラスで仲良くお茶を楽しむようだ。

 カフェに咲いた花のような彼女達と、ぱっと見では平凡にしか見えない青年がどんな風に話にも花を咲かせるのか気にはなるところだが、今この場で直接出向くわけにはいかない。物事にはタイミングというものがある。


 隣のカフェから横目に3人の姿を確認したアンジェリカはアスターヒューと呼ばれる美しい紫色をした瞳を僅かに輝かせながら小声で呟く。


「神の計画は、人々の将来に希望を与えるものである。」


 そうしてゆっくりと椅子から立ち上がると、くるりと後ろを振り返り歩き出した。

 アンジェリカは自身が先程までパパとママと呼んでいたはずの男女を気にする様子も見せない。さらに彼女の眼前にいた2人もまた、椅子から立ち上がった愛娘であるはずの少女の姿を一切気に留める様子はない。

 まるで最初から互いが見知らぬ他人であったかのように、不気味なほどにあっさりと離れ離れとなる。


 カフェのオープンテラスを立ち去る直前、アンジェリカは右手を胸の前まで持ってくると一度だけ ぱちんっ! と指を鳴らす。

 すると彼女の姿は一瞬でどこかへと消え去ってしまった。

 アンジェリカが先程までいたテーブルからは賑やかに話をしていた男女の姿も消え、そこにはもはや誰の姿もない。

 テーブルの上には、彼女が両手で握るように包んでいたコーヒーの入ったカップだけが温かな蒸気を上げながら残されていたのであった。



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