終節 -Code G:D-Day 2037/09-

 4月末日。

 ミュンスター騒乱、又はミュンスター暴動と呼ばれる事件の収束から数日が経過した。

 事件の初期段階での関与を自ら打ち明けた司教の行方は依然として知れず、警察による調査も行き詰まりを見せていた。

 手がかりも一切掴めない状況の中、ヴァチカン教皇庁は彼に代わる新たな司教の就任を急ぐ動きを見せていた。


 ドイツ国内でも大きく取り上げられた事件ではあったが、この日までになるとメディアでの放送も頻度を低下させ、既に人々の記憶の中では解決した事件とだけ記憶されるにとどまろうとしている。

 大衆とは実に物事を忘れやすい。

 歴史が繰り返してきた大衆扇動による暴動の恐怖という現実を前にして、無力であったことを忘れるかのように、〈終わったこと〉として処理されようとしていた。


                 * * *


 同時期、ミュンスターから機構の本拠地であるセントラル1へと帰投したフロリアンは、少しの休養を経て日常業務に復帰していた。

 そんな中、イングランドで活動をしていた同チームの面々も無事帰投を果たし、久しぶりにチームとしてのミーティングを行った時のことだった。

 新しくチームに加わることになった1人の少女が紹介されたのだ。


 部屋にはフロリアンの他に3人の男性と2人の少女がテーブルを囲み座る。

「アルビジア・エリアス・ヴァルベルデと申します。どうか、宜しくお願いいたします。」

 淡いプラチナゴールドのロングヘア。光を反射すると僅かに緑色がかった美しい色合いに変化する髪を持つ少女。虚ろではあるが、真っすぐな視線を放つジェイドグリーンの瞳。

 フロリアンは彼女がどういった人物であるのかをこの時点で既に察していた。すっと席から立ち上がると、物腰柔らかく自己紹介した彼女に笑顔で挨拶をする。

「フロリアン・ヘンネフェルト一等隊員。宜しく。」

 2人はこれから調査活動を共にする仲間として固く握手を交わし合った。


 チームの隊長であるジョシュアが言う。

「フロリアン、お前さんならもう分かると思うが。」

「イベリスと同じ、ですね。」

「うむ。彼女のことについては報告書に詳しくまとめている。後で目を通しておくように。」

「了解しました。」

 すぐ横から飄々とした物言いでルーカスが割って入る。

「それにしても、うちのチームも随分と賑やかになったな。そして華やかになった。実に良いことだ。頼りにするぜ?アルビジア。」

「はい。まだ右も左も分かりませんが、少しでもお役に立てれば。」

「そう硬くならなくても平気だよ。ここにはイベリスもいるんだし、ゆったりした気分で過ごしたら良いのさ。」

「ルーカスの言う通りだな。緊張し過ぎるのは良くない。もっとリラックスしてもらっていい。分からないことは俺達か、聞きづらかったら玲那斗やイベリスに聞くと良い。」

「ありがとうございます。」

 フロリアンは新加入のアルビジアにそれとなく視線を向ける。この時、彼女はほんの僅かに笑顔を見せたような気がした。


「フロリアンも大変だったみたいだな。ニュースで断片的にしか情報が無かったし、プロヴィデンスのデータベースにも詳細が未登録だったから全容を知ったのは昨日のことなんだが。」ルーカスが言う。

「ミュンスター暴動、ここでなら敢えて伏せることもないから言うが、事件の深部にアンジェリカの関与有り、か。しかも同一存在が2人。」ルーカスの隣から玲那斗が言った。

「はい。詳細は報告書にまとめてありますが、とても計画性のある事件でした。」

「計画性、計画的といえばこっちもそうだったな。ミクロネシアの件を含めて考えても、何かをひとつずつ確かめていっているというニュアンスがしっくりくる。」

 3人の会話の中に、それまで言葉を発しなかった少女が口を開く。

「ドイツでの彼女は、何かを言っていたかしら?」

 長く美しい白銀の髪と透き通るミスティーグレーの瞳の少女。リナリア公国の忘れ形見の1人であるイベリスだ。

「色々と直接話をした。世界を壊すことが自分の望みだと。彼女の過去をロザリアから聞きもしたよ。」

「世界を、壊すだなんて。そんなこと……」

 悲しそうな表情を湛えながらイベリスは言う。

「それだな。その為に必要な情報を事件を通じて集めているというのが正しいのかもしれない。言い方は悪いが、事を起こす前の実験だとか。」

「同じようなことをロザリアも言っていました。近々、アンジェリカは何か行動を起こすのではないかと。」

 その時、ふとルーカスがフロリアンに尋ねる。

「話を逸らしてしまうが。なぁ、フロリアン?総大司教様をさっきから気軽に名前で呼んでるが、そんなに親密な仲になったのか?」

「そう呼んで欲しいと彼女達に言われたんです。アシスタシアも含めて、名前で呼んで欲しいと初日に。いつまでも近寄りがたいなんて思われるのは心外だと。」

「へぇ~。俺には逆立ちしても真似できそうもないな。」ルーカスは目を閉じる寸前まで細めながらぼそっと呟く。

「そんなことはありませんよ。准尉ももう一度彼女と言葉を交わすことがあれば、素直に話してみてください。新しい発見があるかもしれません。」

「はいはい、そういう機会は訪れないでほしいもんだけどな。」

「ルーカス、ロザリアのことが苦手なの?」アルビジアが言う。

「いや、そういうわけでも……あるのかな。いや、違う。絶対に本心を語らない聖職者。その在り方がどうにももどかしくてな。はっきりした物言いで突っかかってくる割には、それが本当の意味で自分の言葉ではない。本当に思ってることを言わないっていうのがこう、引っかかるんだよ。純粋に苦手だとか、嫌っているわけじゃない。ただ自分自身の感情に素直になれってもどかしく思うだけだ。」

「あぁ、そういうこと。でもそれは仕方ないの。そういう役回りを持って生まれ、そういう役割を果たす為の人生を歩んできているのだから。本当の彼女はとても優しい方。貴方のそうした感情も知った上で、敢えてそのようにしているのかも。」

「そこに意味が見出せないんだよなー。」

「そのうち分かる時が来ると、私はそう思います。」アルビジアは分かるか分からないか程度に微笑んで見せながらそう言い切った。


「いずれにせよ、アンジェリカの件は棚上げにせざるを得ない。どこで何を起こすか分からない相手のことを調べるのも限度がある。もちろん、詳細な報告は総監に上げておくし、対応も検討されるだろう。だが、俺達が迂闊なことするわけにはいかない。お前達もくれぐれも機構内でこの話題には軽々しく触れないようにな。」

 ジョシュアが全員に釘を刺すように言った。

【了解しました。】

 各自から了承の返事が返る。ジョシュアは頷きながら言う。

「さて、それぞれ調査活動から戻ったばかりでまだ疲れも残ってるだろう。ミーティングとは言っても互いの無事を確認出来ればそれで良しといったところだ。何せ、詳細は分厚い報告書にまとまっているんだからな。本格的に話をするのはそれに目を通してからだ。っというわけで、今日は早いが解散にしよう。あとは日常業務をこなすなり、自由にして構わないぞ。」

 ジョシュアはそう言って席を立ちあがると、全員より一足早くミーティングルームを後にした。

「それじゃ俺は休息の続きをとりますかね。」ルーカスが言う。

「それが良い。例の薬品の解析、夜通しずっと続けてたんだろう?」労うように玲那斗は言った。

「詳細なデータを財団からもらったっていうのに、全容の解析が出来ない。アンジェリカはどうやってこんな代物を生み出したんだろうな。」

「あの子には〈絶対の法〉がある。イベリスやアルビジアと同じく、科学で解明できない部分もありそうだ。」

「違いない。それじゃ、お先に。」

 盛大なあくびをしながらルーカスはミーティングルームを後にする。

 部屋に残されたのは4人となり、フロリアンが玲那斗へ言う。

「中尉、すみませんが少しイベリスとお話する時間を頂いても?」

「もちろん。ロザリアやアンジェリカのことについて聞きたいことがあるんだとしたらそれが一番良いだろう。俺はアルビジアにセントラル内を案内するとしよう。」

「ありがとうございます。」フロリアンは礼を言う。

「良いさ。気が済むまでじっくりな。さて、行こうか。アルビジア。」

「はい。」

 玲那斗とアルビジアは席を立ちあがり、揃ってミーティングルームを後にした。


 室内にはフロリアンとイベリスだけが残る。

 イベリスは不思議そうにフロリアンへ言う。

「珍しいわね。フロリアンが私とだけ話がしたいだなんて。」

「君にしか尋ねられないことなんだ。出来れば隊長や准尉、そして中尉にも伏せておきたい。アルビジアに尋ねるには、まだ早いかなとも思う。」

 その言葉を聞き、引っかかるものを感じたイベリスは表情を曇らせた。フロリアンが誰にも聞かれたくない話を自分にだけするなどということがあるのだろうか。

 すると、フロリアンは胸元のポケットに手を入れ、1枚の写真を取り出してイベリスに差し出しながら言う。


「単刀直入に聞こう。そして正直に答えて欲しい。イベリス、君はこの写真に写る彼女を知っているね?」


 写真に写された少女を目にしたイベリスは息を呑んで両手を口元に当て、明らかな動揺を浮かべながら目に涙を湛えた。

 西暦2031年12月の末に撮影された1枚の写真。そこには、とある公園でフロリアンと子犬を抱きかかえた可愛らしい少女が並ぶ姿が写されている。


「あぁ……あぁ、そんな……マリー……」


 イベリスは両目から涙を零しながら、震える声で僅かに言葉を発するだけで精いっぱいであった。


 彼女の言葉を聞いて疑念は確信へと変わった。


 マリア・オルティス・クリスティー。

 彼女もまた、リナリア公国にルーツを持つ人物であると。


 レナト、イベリス、アルビジア、ロザリア、アイリス、アンジェリカ。

 七貴族と呼ばれた家系の子息の最後の1人。

 千年の時を超え、現代に生きる超常の存在。

 イベリスの親友、アイリスの慕う人物。全てに繋がりが見えた。


「私のせいなの。私のせいで……ごめんなさい、マリー。私は、貴女に……」


 フロリアンは手元の写真を手早くポケットにしまうと、その場で大粒の涙を流しながら泣き崩れるイベリスを宥めながらも自身の目的を果たすために彼女に問う。


「イベリス。これは、他言無用に願いたい。僕は彼女と深い関係を持っている。彼女のことについて、詳しく教えて欲しい。」


                 * * *


 同時期 グラン・エトルアリアス共和国 首都城塞にて


「すき、きらい、すき、きらい、すき、きらい、きらい、すき…」

 甘い声で呟きながら軍服と学生服を合わせたような服装をした桃色ツインテールの少女が大聖堂を思わせる回廊を抜け大広間へと入る。

「おかえりなさいませ、アンジェリカ様。」

 彼女の姿を目にした2メートル近い背丈の大男が、自身よりかなり小さな少女に跪いて言う。

「ただいまぁ☆留守番ご苦労様^^」満面の笑みでアンジェリカは答える。

「いかがでしたか?イングランドとドイツの首尾は。」

「う~ん、成功とも言えないけど失敗とも言えないかなぁ。こっちはイベリスとアルビジアに、あっちはマリアとロザリアに邪魔されちゃったからねー。」

「なるほど。同郷の彼女達であれば、貴女様とて一筋縄ではいかぬお相手でしょうね。お望み通りの結末ではありませんでしたか。」

「むぅ~、そ・れ・で・も、必要最低限のことは出来たんだ、ぞ?」

 アンジェリカは地面に顔を伏したまま言う大男の前に立ち、膨れながら言った。

「失礼いたしました。ちなみに貴女様が留守の間、こちらは特に変わったことはございません。マリアナ海溝の準備も着々と進んでおります。」

「宜しい!パーフェクトだね☆えらいえらい♪ 褒めて遣わそう!」そう言って少女は大男の頭を撫でる。

「はっ、光栄の極み。」

 そうしてアンジェリカは機嫌良さそうに両手を広げてくるくると回り、スカートをゆらゆらと揺らしながら大広間の奥に設置された豪華な玉座へと近付いていく。

 彼女がスキップで階段を上り玉座の前に立つと、すぐ傍に控えていたローブに身を包む神官のような人物が、黒地に赤と金の装飾の入ったマントを彼女に羽織らせた。

 マントには逆さ十字の天秤に蛇が巻き付いた模様が描かれている。

 似たような象徴といえば、欧州各国の薬局でヒュギエイアの杯に蛇が巻き付いた同様のマークが見られる。だが、彼女のそれは敢えて逆さ十字を模した天秤と、蛇がその調和を崩すように杯が傾けられた状態で描かれ、さながら神に反逆する悪魔、サタンを表す紋章のようだ。

 法の象徴にもなっている天秤を蛇が自らの意思で傾ける様は、絶対の法を扱う彼女こそが唯一の法であると誇示しているかのようでもあり、この世界に対する大いなる皮肉を表しているかのようでもあった。


 マントを羽織ったアンジェリカは両手を広げて振り返り、階下にいる者達に向けて言った。

「ふっふっふー☆ 新世界の法を統べる絶対の王たる私はこの世界を作り替えると決めた。だから、みんなはこんなつまらない世界には早くさよならバイバイしちゃって、もっと楽しい未来を作らないと、めっ!なんだよ?」

「然り。」階下に集まる者を代表して先程の大男が言う。

 するとアンジェリカは大きく広げた両手をすっと下ろし、紫色の瞳を輝かせながら無邪気さをひそめた静かな口調で言う。

「擬装、グレイ、グリーンゴッド。彼らがそう呼ぶ諸々の代物は十分に活用できることが分かったわ。ウェストファリアの亡霊、不死の兵隊、蘇る三十年戦争…違う形でのキューバ危機の再演。そして世界は混沌を極め、私が指先で触れるだけで…」

 そこまで言ったアンジェリカはいつものようににこやかな笑みを浮かべ、指先で銃を作り撃つ真似をしながら可愛らしく言う。

「…どかん☆ 第三次世界大戦はすぐに始まりすぐに終わる。核の炎で地平が照らされる。綺麗だろうなー…♡ でもでも~、燃えるだけじゃなくて地球が真っ二つになっちゃったらどうしよう?まぁ…そのときはそのときだね?きゃははははははは☆」

 大広間には彼女の甘い笑い声が響き渡る。

 玉座の傍らに立つ神官も、大広間に集う者達も一様に彼女に首を垂れ跪いたまま動かない。その場にいる全員がこの少女に忠誠を誓っている。


 アンジェリカはこの先に待つ世界の未来を想像してひとしきり笑った後、にたりとした表情のままゆったりと玉座へと腰を下ろす。

 ふわふわの素材で座面が仕立てられた自分専用の玉座の座り心地に満足そうな様子を見せ、そして大きく息を吸い込み、豪華な装飾の施された高いヴォールト天井を見上げながら囁くように言う。

「聞いて?アンジェリーナ。」

『何かしら?』

「何だと思う?」

『何だって良いわよ。』

「ねぇ聞いて?アンジェリーナ。」

『何でも話してごらんなさい。』


「私、今がすっごく幸せなの☆」

『そう、良かったじゃない。』


 彼女の瞳はアスターヒューと呼ばれる美しい紫色に輝き、頭上には不規則な刃が飛び出しては消える天使の輪のような光輪が浮かぶ。さらに背後には天使の羽根のように輝く幻想的な悪魔の羽根が顕現していた。

 眼を細めながら悪魔のように邪悪な笑みを浮かべた少女はしばらくの間くすくすと笑い続ける。

 それはまるで、これから先の世界に起きる “不幸なる未来” を想像して楽しむかのようであった。


 彼女の中でアンジェリーナと呼ばれた少女は語り掛ける。

『貴女の幸せだけが、私の願い。ねぇ聞いて、アンジェリカ。私も、とても幸せよ。』

 そして囁くように言う。

『貴女のことは、私が守るから。』


                 * * *


西暦2037年5月


『ニュースをお知らせします。先程、グラン・エトルアリアス共和国政府が国際連盟からの脱退を正式に発表しました。同時に、核兵器禁止条約への署名を破棄するという通達も連盟に伝えたということです。

 同政府は、他にも世界特殊事象研究機構と独自に締結していた災害時協定も放棄し、今後他国に対する有事の際の支援活動も行わないと発表しています。


 この動きに対し、アメリカ合衆国やイギリス、フランス各国政府は強い非難を表明し、同国に考えを改めるよう呼びかける為、国連の緊急総会の招集を求めています。対するロシアと中国は現在までに公式の発表を行っていませんが、既に非難声明を発表した3国に追随するものとみられ、合わせて日本、ドイツ、イタリアなど各国も追従するとみられています。

 国際連盟及び世界特殊事象研究機構も近日中に公式声明を発表する見込みです。


 アメリカ合衆国 ホワイトハウスは、グラン・エトルアリアス共和国が連盟を脱退した背景には、核兵器の保有が関わっていると非難声明の中で断言し、同国がこれまで秘密裏に製造開発を進めてきたという証拠を複数持っているとも発表しました。』



『世界から孤立を深めるグラン・エトルアリアス共和国が同国国境付近に軍部隊の展開を開始したという情報が……』



『大国全てを目標とした核ミサイルの発射施設が準備されているという情報が入りました。新たなるキューバ危機の再来を予感させるこの出来事は……』


Code Green

D-Day 2037 - 09 - XX



-了-(【メランコリア・A -崩壊の冠-】 へ続く)

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不可視の薔薇 -ウェストファリアの亡霊- リマリア @limaria_novel

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