第27話 僧侶の語る方法
「え。なにこれ」
思わず中腰になって周囲を見回す。明らかに固定電話の音だ。
「電話……。そういえば、ばあちゃん、携帯とか持ってなかったよな。まだ黒電話使ってんのか?」
奏斗も驚いている。
「どこにあるんだ?」
「どこだろ。えー……」
揃って立ち上がり、とりあえず座敷を出た。
間接照明を受け、薄い皮膜を帯びたような廊下を、音の鳴る方に歩く。
方向的には勝手口の方だ。
昔、牛小屋と使用人部屋があった場所。奏斗が竹かごをみつけた土間。
ぱちり、と奏斗が漆喰壁に埋め込まれた片切りスイッチを押す。
白さが際立つ蛍光灯が、土間を浮かび上がらせた。
じりりりりりりりり、と鳴るのは。
式台の端に置かれた、黒電話だった。
「ここに……昔からあったっけ……?」
奏斗に尋ねるが、彼も首を傾げるばかりだ。普段、ここは農機具置き場になっている。祖母は日常的に使うだろうが、十数年ぶりに来た志摩や、分家である奏斗などあまり足を運ばない。
じりりりりりり、と。
黒電話は執拗に音を鳴らし続ける。
「電話……」
近づき、受話器に指を伸ばしたが、なんとなく志摩は手に取れない。
思い出すのは、あのスマホから流れ出す奇妙に間延びした声。
「もしもし」
竦んだままの志摩に代わり、奏斗が受話器を取り上げて耳に当てた。ほっとしたものの、後ろめたさを覚える。結局自分は奏斗に嫌な役を押し付けているに過ぎない。
「えー。そちらは、七塚のおうちでらっしゃるかな」
受話器から聞こえてきたのは、随分大きな男の声だった。
志摩のところにまで聞こえるのだから相当だろう。実際、奏斗は驚いたように耳を離している。
「もしもし?」
「ああ……。はい、そうです。七塚ですが」
奏斗が慌てて応じる。
「七塚の
のんびりと男の声は祖母の名前を告げた。
「眞砂は今、身体を壊して入院しておりまして……。あの、失礼ですが」
誰なのか、と言外に奏斗が滲ませる。
「おお、これは失礼しました。わしは、大徳寺の住職で
「大徳寺……」
志摩は呟く。檀那寺だ。
今回の祝宴にも招待したのだが、都合が合わず、欠席をした寺。
「その家に眞砂さん以外に七塚の女性がおりますなぁ。代わっていただいても?」
「ああ……。はい。お待ちください」
奏斗は言い、志摩に受話器を差し出した。くるくると巻いた紐で筐体と受話器がつながった、今ではほとんど見かけることもない電話。
「初めまして。志摩と申します」
「これはこれは、ご丁寧に。清澄と申します」
電話の向こうからは、鷹揚な声が聞こえて来た。
「ところで、そちらで何か異変は起こっておりませんか? 困りごととか」
思わず、奏斗と顔を見合わせる。
「もしもし?」
「あ。は、はい」
促され、慌てて返事をした。
「あの……。実は〝厨子の祝宴〟を先日行ったのですが……」
志摩は時折言葉を詰まらせながらも、必死に説明をした。
四年ごとに回す厨子を止めてしまったこと。
そのせいで村に異変が起こっていること。
黒い女が六家の当主を襲っているようだということ。
「その……。一体、どうしたらいいのか。あの……。祖母は脳梗塞で意識がありませんし、私も母も、祖母からこの村のことも、厨子のことも聞いていません。何かご存じでしたら、教えていただきたいのです」
志摩は両手で受話器を握りしめた。
話している間、清澄はなにも口を挟まなかった。時折、ほう、と相槌を打つ程度だ。だが、注意深くこちらの話を聞いてくれているのはわかる。
「その厨子は、大徳寺が用意したものなのですよ」
静かに、清澄は話し始めた。
「昔、むかしの話です。そちらの村の男たちに恨みを抱いて死んだ女たちが、次々と怪異を起こす、ということで……。大徳寺が呼ばれましてね」
志摩と奏斗は視線を合わせた。あの、女たちの話だ。
「最初、断ったのですよ。……その、男のわしが聞いても、胸の悪くなる話でしたしなぁ。恨みを買って当然だ、と」
清澄は深く重い息を吐いた。
「ですがまあ……。罪を犯した男たちが死んで……、一番に困るのは、残された子どもたちだ。その子たちにまで累が及ぶのはおかしい、と。ましてや、その子たちというのは、被害者たちの子だ」
「そこで……、厨子を?」
志摩が尋ねる。
「七塚の家がすでに塚を作って哀れな女性たちを救っておられたので、大徳寺がすることといえば、誰からも葬られなかった者たちの救済だけでした」
ゆっくりと。だけどしっかりと力を込めて清澄は言う。
「七塚の女性たちは、あの村でしたたかに、ひそやかに、彼女たちに救いの手を伸べておられた。まったく、頭が下がります」
なんと応じていいのかわからず口ごもっていると、清澄が穏やかに笑った。
「なので、大徳寺は厨子を作り、おさめた。六家で六芒星を描きながら順番に祀っていく、というほんの少し
「やっぱり、あれはそういう意味なんですか」
四年ごとに回す厨子。
厨子が描く軌跡。
六芒星。
「女たちの恨みがあまりにも強すぎて、わしにはとても手に負えなかった。当時は、村の外に逃れた男達まで追いかけて行って殺めようとするほどに、荒ぶっておった。だから、なんとかして、村の中に女達をとどめる必要があったのだ。……だが」
清澄はそこで、言葉を一度、断った。
「女達の……復讐したくなる気持ちも、わかるしなあ。可哀想なことをしたと思うている」
後悔をにじませた声に、志摩は唇を噛む。
「……わかります。私も」
力でもって蹂躙される悲しみ。辛さ。惨めさ。
未遂で終わった志摩でさえ、まだ心の痛みに叫びだしたい時がある。
耳にイヤホンを挿して、ずっと意味をなさない音楽を繰り返し聞いて思考を封じないと、記憶が溢れて身体が動かなくなるときがある。
それを。
悪かった。
許してくれ。
反省している。
そんな言葉だけで、どうして許されると思うのか。
第三者からは、本当は楽しかっただろう、実は気持ちよかったのだろう、嫌じゃなかったから抵抗しなかったんだろう、などと馬鹿げたことまで言われる。
そんなものは、男たちの妄想だ。気味の悪い妄執だ。
身体と脳に刻まれたのは、痛みと恐怖と嫌悪と屈辱。
「……長い年月がかかる、とわしも思った。村の者には、女達に許してもらえるまで。ずっと祈りと謝罪を続けるため、六家で永遠に厨子を回し続けることを提案したのです。
彼等は理解し、四年ごとに厨子を当番家で回すことを決めた。厨子を預かっている間、当番家で大切に扱い、祈り、謝罪する、と。
そして、次の当番家に回すときには、盛大な祝宴を開催し、亡くなった女達の未来を願う、と」
苦いものを飲み込んだように清澄が言う。
「このことは子々孫々、伝える、と……」
だがそれは。
破られた。
「どうすれば、いいのでしょう……」
しばらくの無言ののち、志摩は呟く。
「どうすれば、あの女の人たちは救われるのでしょう」
正直、男たちなどどうでもいい、と志摩は考えていた。清澄が言うように自業自得であるし、志摩は薄々気づいている。
この村の男たちは、まだ似たようなことをしている、と。
奏斗に対し、『責任を取れ』と、村の男たちはよく言う。『手を出した限りは』と。
最初は、なんとも古風なと思ったが、違うと志摩はようやく気付く。
無理やりにでも手を出されたら、女は、男のものになるのだ。
静江は言っていたではないか。
『村で生まれた女の人よりましさ。周りを囲まれて責任取られるよりはね』。
美津子も匂わせていた。
『あそこで酔って、あんなことにさえならなければねぇ』と。
村の外の女に手を出すか。
村の中の女に手を出すか。
それだけの違いだ。
「塚に連れて行くべきだとわしは思う」
清澄が静かに告げた。
「七塚の家が守るあそこに連れて行くべきだ。そのために、厨子を持って、六家を巡りなさい」
「六家を?」
奏斗の声が聞こえたのだろう。清澄は不意に、「ああ」と声を上げた。
「その……、最初に電話に出た青年を連れて行く方がいい。一緒に六家を巡って、謝罪と言祝ぎを受けるんだ」
「言祝ぎ……、ですか」
志摩が繰り返す。
「そうだ。今度こそ。今度こそ、幸せな一生を送れるように、と」
祖母の姿が蘇った。
『仏さんになんかならず、もう一度この世に戻ってきて、幸せになってほしい女のひとたちの墓だよ』
志摩は幼くて、何も知らなくて。ただ、「なむなむ」と唱えたのだが。
祖母は違ったのだろう。
もう一度。
幸せな暮らしを。
きっと、切に願った。
祖母だけじゃない。七塚の総領娘はきっとずっと、祈り続けた。
「……わかりました」
気づけば背が伸びていた。顎を引き、志摩は大きく頷く。
「あの女の人たちを連れて、塚に行きます」
「微力ながらわしも助力しよう。よろしく頼みますぞ」
電話はその言葉を最後に切れた。
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