第9話 ラジオから響く声
そうなのだ。
自分たちは追っていたはずだ。
志摩はとっさに轍を探そうと思ったが、大量の雨でそれも判別がつかない。
「別の道を行ったのかな……。村ん中を通ったのか?」
いま奏斗の軽トラが進んでいるのは、村の端をぐるりと移動する道だ。
安室家もそうだが、六家は、いずれも村のはずれに家がある。羽村家に向かうには最短距離だが、道が悪い。土が踏み固められただけの農道だ。
ひょっとしたら、舗装され、家屋に囲まれてまだ水量が安定している村の道を通った可能性もある。
だが、車内には不穏な空気が漂い始めた。
善治はどこにいったのだ。
いや。
どこにいるのだ?
「ま。なんかあれば、誰かが見つけてくれるだろ。こんな小さな村なんだからな」
雰囲気を変えるように奏斗は言い、顎でカーステレオを示す。
「FMでもつけようぜ」
志摩は頷き、カーステレオを見るのだが。
なんだかよくわからないボタンや大きめの丸いねじっぽいものがあるだけで、志摩がよく見る車にあるようなカーナビの画面がない。
「……これ、どこをどうするの?」
「お前、まさかこのての車の窓の開け方がわからねぇとか言わねぇよな」
「知ってるわよ、これあれでしょ。ぐるぐる回したら窓が開くんでしょう?」
「よかった。この前、村の小学生乗せたら、『なにこれ!』ってびっくりしやがんの」
奏斗は苦笑いしながら、志摩に説明をした。
「そこの大きめの丸を押して。んで、FMAMの切り替えが……」
指示されるままに志摩はラジオをつけたのだが。
スピーカーから流れるのは、耳障りなノイズばかりだ。
「電波悪いの?」
山間の村のことだ。アンテナを伸ばしても入らないのかも知れない、と志摩が尋ねるが、奏斗は訝しげに首を横に振る。
「AMか?」
「ううん。FMになってるよ」
「おかしいな。いつもは、FM、入るんだけど……」
「チャンネル、変えてみようか」
志摩が幾度かボタンを押すと、突然、車内に数人の笑い声が響いてきた。
「そうなのよ、びっくりしたっていうか。でね、でね」
「やだもう。どういう状況なの、それ」
女性の声だ。
前後の会話を聞いていないからわからないが、随分と盛り上がっている。その明るい声を聞くだけで、ほ、と志摩の肩から力が抜けた。
外は土砂降りだが、日常的な会話が紛れ込むことで、なんだか『これもしばらくのことだ』と思える。
だって、この地域以外は、平和なのだから。
ここから出られれば。
普通の生活が待っているのだから。
奏斗に視線を走らせると、彼も目元を緩めて前を向いていた。
「こういう、内輪だけで盛り上がってるのって、どうなんだよ。地元局か?」
「どこなんだろうね。番組にゲストでも呼んでるのかな」
志摩も苦笑を漏らす。
ふたりとも、知らない女性の声だ。間断なく激しく降る雨に混じり、カーステレオは女達の声を流し続けた。
「でさ、覗いてみようとおもったの、中を」
「そんなこと考えたの?」
「だって、気になるじゃない。どうなってんだろう、って。いや、違うか。どうなるんだろう、って。こっちはずっと閉じ込められてる状況じゃない? その間にさ、なにか変わったのかなって。それ、気にならない?」
「そうよねぇ。もう、いったい、どれぐらい時間が経ってんだろう、あれから。覚えてる?」
「さあ……。でね、頑張ったわけ。わたし。この、部屋にはだれがいるのかなあぁ、って。そしたら、女が寝てるのが見えたのよね。それだけじゃないの。奥に……、もうひとり誰かいる感じなの。男が! おまけに、酒臭いの!」
「なにそれ。夜でしょ? やばいやばい……。あーあ。酒も入っているんじゃ……可哀そう」
「私も思ったわけよ。あーあ、可哀そう、って」
「それで?」
「いい? ここ聞いて。重要よ」
「なによ、早く言いなさいよ」
「それがね……やばいことしてなかったのよ。怖いことも。びっくりした。可哀そうなこともなかったのよねぇ。女も男も、別々に寝てたし、衝立で部屋が区切られててさ」
どきり、と。
志摩の心臓が高鳴る。
これは。
一体、なんの話なのだ。
「別々? でも同じ部屋なんでしょう? 男が一緒にいるんでしょう? なんで」
なんでなにもおきないの、と不思議そうな声がカーステレオから流れる。
「どうなってんの、ってびっくりしてさ。ほら、わたしたちずっとあれに縛られてたわけじゃない? その間にさ、なんか世の中変わったのかな、って」
「まっさかぁ。変わんないわよ。あんた、忘れたの? わたしたちにされたこと」
「忘れてないわよ。だけどさ、聞いてみないと分かんないじゃない、そんなこと。で、とにかく、こっちに気づいてほしくてさ。だから、一生懸命、暴れてみたわけ……。くくくくく」
「なによ。なんでひとりで笑ってんの」
「いや、うまく動けないしさ。もう、こっちは押すしかないわけじゃない、必死になって」
「ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、って?」
「そう。ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、って」
「気づいて、気づいて、気づいて、気づいてぇ、って」
「気づいてぇ、気づいてぇ、気ぃづぅぅぅいぃぃぃてぇぇ」
「気づいてぇ、気づいてぇ、気ぃづぅぅぅいぃぃぃてぇぇ」
気ぃづぅぅぅいぃぃぃてぇぇ
間延びしたその声は、最早、女とも男ともつかない。
悲鳴を上げる志摩の目の前で、荒々しく奏斗が電源ボタンを拳で握って叩き切った。
なんなの、これ、と。
志摩は硬直したまま奏斗を見る。
なんなんだ、これ、と。
奏斗は凍り付いた表情のまま、ハンドルを強く握っていた。
「……これ……」
昨日の晩のことだよね、と言いかけた志摩の口をふさぐのは、奏斗のぶっきらぼうな声だ。
「もうすぐ、羽村のおっさん家につく」
奏斗は硬い顔で前方を凝視している。
視線を追うと、高速で動くワイパーの向こうに、羽村家の大きな瓦屋根が見えてきた。志摩は仕方なく口をつぐみ、頷いた。
そうだ。とにかく今は、安室善治が羽村家で騒ぎを起こすことを防がねば。
「玄関ギリギリまで乗り付けるから、お前は降りて、おばさんを呼んでみてくれ」
「わかった」
言う間に、奏斗が運転する軽トラは、羽村家の敷地に入る。
門らしきものが羽村家にはない。
かろうじてブロック塀を使って、東西に広がる田んぼと敷地内を区切っているが、北向きの建物は直接道路に面しており、庭とも、作業場ともつかないだだっ広い場所が玄関前に広がっている。
今は、筵もブルーシートも片付けられているが、普段ならここで、収穫した野菜を干したり洗ったりしていた。
「降りるね」
軒ひさしの際まで軽トラを寄せた奏斗に声をかけ、志摩は扉を開いた。途端に雨が吹き込み、目を細めて玄関に向かう。
「おばさん! こんにちは!」
この辺りでは家人が在宅していたら、玄関は無施錠だ。志摩が横扉を開くと、はあい、とのんびりした返事が家の奥から聞こえてきた。
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