第19話 村の女、村の男

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 よろず屋の軒先で、志摩と奏斗は並んでラムネを飲んでいた。


 あの写真を見てから、勢いよく墓場を飛び出したものの、なんだかまっすぐ家に帰る気持ちにもなれず、ふたりでぶらぶらと村内の道を歩いていたら、奏斗が、『ラムネ飲もう』と言い出したのだ。


 彼なりに気持ちを立て直そうとしているのだろう。


 よしずの内側に置かれた縁台に座り、ぼんやりと差し込む光を眺める。さっきまで忙しなく鳴いていた虫の声が聞こえない。


 からん、と音がするので視線だけ隣に向けると、奏斗がラムネをラッパ飲みしている。差し込む光がビー玉を反射させ、翡翠色に彼の手を染めていた。


「なによ、あんたたち。しけた顔してさ」

 

 背後から声がかかり、ふたりして振り返る。

 そこには、なぜか、あんぱんの袋をひとつ下げた店主、中村静恵なかむらしずえがいた。


 幼いときの記憶では、『気の良いふくよかなおばちゃん』だったが、十数年経て会ってみても、彼女は『気の良いふくよかなおばちゃん』だった。不思議と年をとらない。


 この店には、祖母に硬貨を握らせてもらい、奏斗たちと一緒に駄菓子を買いに来た覚えがある。


 そのときは、もっとたくさんのお菓子やアイスクリームのケースがあったものだが、今は洗剤や調味料、紙おむつなどがメインだ。アイスクリームが入っていたケースには、比較的日持ちがしそうな冷凍食材や、チンすれば食べられる料理が、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。


 静恵に尋ねると、『今は子どもがいないからねぇ。高齢者相手に商売してるのさ。ニーズは常に動いているんだよ』とニヒルに笑っていた。いくつになっても若々しく見えるのは、商魂たくましいからかも知れない。


「食べる? 賞味期限が今日までだから、無料で上げる」


 奏斗にあんぱんを押しつけるあたり、拒否権はないらしい。奏斗もまったく意に介さず、飲みきったラムネ瓶と交換して受け取った。


「七塚家も、なんか被害があったのかい?」


 静恵が尋ねるから、慌てて首を横に振る。

 どうやら、家の片付けで疲れ切っていると思っているらしい。


 真相は、『墓場で写真を撮ったら心霊写真でした』なのだが、正直に言うことも出来ずに黙っていたら、いきなり、ばちりと静恵が奏斗の後頭部を叩いた。


「いって! なにすんだよ!」

「あんた、悪さしたんだろうっ! 志摩ちゃんに!」


 決めつける静江に、奏斗はうんざり顔だ。


「してねぇって!」

「責任取んなさいよっ」


 腕組みをして仁王立ちしたまま、顔を志摩に向ける。


「ほんと、ごめんねぇ。この悪たれが」

「いえ、あの……。本当になにも」


 呆気にとられて様子を見ていた志摩だが、むくれている奏斗の顔を見て思わず噴き出した。


「ったく。どいつこもいつも。……いるか?」


 奏斗はあんぱんを半分にちぎって志摩に差し出してくれる。笑ったまま首を横に振ると、大振りのそのあんぱんを、奏斗は一口に放り込んだ。


「志摩ちゃんは、大学生? あ。違うか。おばあちゃんが、『先生になった』って言ってたもんね。社会人だ」


 静江はにこにこ笑いながら志摩に話しかける。


「大学卒業してすぐ臨時講師として勤めたんですが……。今は、もう一度教員採用試験を受けるために、家で勉強中です」


 言いながら自分で気まずく思っていたが、静江はしきりに感心した。


「すごいねぇ。学校卒業してまで勉強するなんて。あんた、見習いなさいよ」

「おれは、大学でめちゃくちゃ勉強した。一生分」


「なんの勉強したんだか。おんなの口説き方とか、麻雀でしょうよ」

「違いますう。ちゃんといちごの四季なり性品種の勉強してましたあ。迷信深い先生の手足となって学んでいましたぁ。卒論、褒められましたあ」


「本当かねぇ。まったく信じられないよ」

「ほんっと、この村の人間って、おれに対して失礼だよな!」


 赤ん坊のころから奏斗を知っているからか、誰も遠慮をしない。村中が親戚のようだ。志摩はくすくすと笑って二人の会話を聞き、ラムネの瓶を傾けた。


「じゃあ、志摩ちゃん、こっちの教員採用試験受ければいいじゃない」

 なにが、『じゃあ』なのかわからないが、静江は名案だとばかりに声を上げた。


「で、こいつと結婚して、七塚の家に住めばいいじゃないっ」

 志摩はラムネを吹き出し、奏斗はパンを喉に詰まらせた。


「なにやってんのよ、もう! 子どもじゃないんだからっ」


 静江が、ばんばんと奏斗の背を叩いたおかげで、窒息は免れたようだ。ゲホゲホとむせ返りながら、奏斗が睨む。


「どういう思考回路になったら、おれと志摩が結婚して、七塚の家に住むようになんだよ!」


「村の男たるもの、手を出した限りは責任取りなさいよ」

 じろりと静江が睨む。


「それに、七塚のおばあちゃんだって、脳梗塞で入院してもう長いんでしょう? 退院できたとしても、一人暮らしは無理よ」


 ポケットから引き出したハンカチで口元を拭っていた志摩は、眉を下げた静江に、何度も頷かれる。


「今はほら、介護保険があるから、いろんな人に手伝ってもらったらいいんだし。志摩ちゃんは一緒に住んで。日中は働いて……。あとは、こいつがすればいいから」


「あのなあ」

 じろりと奏斗は睨み上げるが、静江は真面目な顔で志摩を見やる。


「こんな田舎でも、住めば都だよ。そりゃあ、私だって最初は嫌だったけどさ、こんな僻地」


 両腰に手を突き、盛大に息を吐く静江を志摩は見上げた。


「おばさんは、お見合いでこちらに?」

「お見合い、……まあ、そんなところねぇ。断ったんだよ、一度は」


 静江は顔をしかめた。


「当時は私も女子寮に入ってデパートでバリバリ仕事をしててね。いいなあ、と思っている同僚もいて、二回だけどデートもして……。この人と結婚したりして、って夢なんか見てたわけだよ」


 うっとりと目を細める静江を、志摩はほほえましいと思ったのに、奏斗は、けけ、と笑った。その彼の後頭部をまた手加減なく静江は殴る。


「だけど、だまし討ちみたいなもんさ。お盆に帰省したら、そのままこの村に車で連れてこられて……。その日が結納で」


「まじで!」


 さすがに奏斗は目を丸くし、志摩も絶句だ。

 その日が見合い、ならまだなんとなく予想できたが、結納とは。


「なんでも、デパートで私を見かけて一目ぼれしたとかなんとか……。あ。死んだ旦那のことね」


 ひらひらと手の平を振って静江は興味なさげに言った。


「母親からは、さすがに可哀想だと思った、って後で言われたけど……。父親からすれば、『売れ残るよりいい』って。娘は商品か、って言いたいわよ。

 で、あとはもう、退職、結婚、子育て、って……。怒濤の日々」


「それは大変でしたね」

 志摩が言葉をかけると、あっけらかんと彼女は笑った。


「ここらの女はみんなそうさ。佐々木のおばさんも、加賀の奥さんも。他所から来た嫁さんは、みんなそんな感じ。まあ、羽村の奥さんや安室さんみたいに、村で生まれた女の人より、ましさねぇ」


「……まし?」

 首を傾げて見せると、静江は口をへの字に曲げる。


「周りを囲まれて責任取られるよりはね。順序だってるだけ、まあ、いいけど」


 含ませた意味が読み取れず、志摩はちらりと奏斗を見やる。

 だが、彼も訝かし気に静江を見ているだけだ。その奏斗の視線に気づいたのだろう。静江は、ばちりと背中を叩いた。


「あんたは、村の男じゃなくて外の分家の男なんだから。結婚するまで志摩ちゃんに変なことするんじゃないよ?」


「いってえなあ、もう。今時、本家だ分家だって、ばからしい」


 奏斗はあんぱんの残りを口に放り込むと、立ち上がって志摩の手首を掴んだ。


「帰ろうぜ」

 先に立ってよしずから出る。


「ごちそうさまでした」


 まだ飲み残しのあるラムネの瓶を縁台に置いて頭を下げると、静江は目を細めて柔和に笑い、手を振った。


「またね、志摩ちゃん」

 志摩は会釈をし、店を離れる。


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