第36話 祝福
「してない、してないっ」
「されてない、されてないっ」
ふたりして首を横に振ると、眞砂はなんとか一息付けたらしい。
胸が上下するほどなんども呼吸を繰り返すので、志摩は慌てて眞砂につながれた計器を見る。血圧の数値がさっきから乱高下だ。奏斗が背後から、「りらーっくす」とか言い続けている。
「かな坊」
じろり、と眞砂が睨み上げる。
「あんた、志摩ちゃんのこと、なんか聞いたのかね」
反射的に志摩は奏斗を見上げる。どきり、と心臓が跳ねた。
眞砂があの事件のことを知っていた。志摩自身が知らない、と思っていても、誰かから聞いている可能性もある。
「いや、知らん」
きっぱりと首を横に振る。
「なんかあったんだろうな、とは、そりゃ察するけど……。言って楽になることもあれば、言えば言うほど、心がえぐられることもあるだろう?」
奏斗は、ぼりぼりと首の後ろを掻く。
「言えば楽になるとか……。誰かに話せばすっきりするって、あれ、人によるし、傷の程度によるじゃねえか。……なあ」
声をかけられたが、志摩は目をそらして俯いた。
「おれ相手に話して、それで志摩の辛さが減るんならいいんだけど。知られることで嫌なことが増えるんなら、おれは知りたくないし、聞きたくない」
下した視線に映るのは、自分の太ももだ。励ましたくて握りしめたはずの祖母の手に、志摩はいつしかすがりついていた。
「わたしはね、村でいろんな女の人を見て来たよ。それこそ、今でも『死んだら、骨の一部を塚に』と言っている人を数人知っている。実際、そうするつもりだ」
眞砂は静かに奏斗に話しかけている。
「そんな人たちは、見かけ上は普通に暮らしているのさ、夫や家族と。微塵にもそんな気配をみせない。だけど、心の傷は今でも癒えず、憎しみや恨みはときどき、胸にあふれ出すんだそうだ。なあ、かな坊」
「……なに」
「そんな傷を負ったひとは、本当に難しい。あんたがもし、同情心や変な正義感で志摩ちゃんを……」
「ほんっと、嫌になるよなあ!」
いきなり奏斗が大声で眞砂の言葉を遮った。びくり、と志摩は顔を上げ、咄嗟に奏斗を見上げる。
奏斗は、怒りを目にたぎらせて、眞砂を睨みつけていた。
「村の奴らって、なんでおれをそんなに信用しないわけ。子ども扱いしたり、半端もの扱いしたり……」
だが、祖母も揺るがない。
「それぐらい難しい、って言ってんだよ。あんたに大事な孫を預けたものの、『やっぱり無理でした』って放り出されたらかなわないからね」
「おれはいつだって、なにも投げ出してない。勉強も、農業も、村の役目も、親戚関係も、女も」
断言し、面食らったのは眞砂の方だった。言われてみればそうだ、と思ったのかもしれない。視線が力なく泳ぎ始める。
「それなのに、やれ、分家だから無理だろう、とか。男だから、ああだろう、とか、田舎に住んでるから駄目だ、とか。おれの付属部分のことばっかりで、みんな、判断しやがって……」
気まずく口をつぐむ眞砂の目の前で、わしり、と奏斗は志摩の頭を右手でつかんだ。
「ふぎゃあ!」
おもわず素っ頓狂な声が出るが、奏斗は構わず眞砂に言う。
「だけど、こいつは違う。おれを見てた。羽黒奏斗を見てた。いちご農家だとか、村に住んでるとか、まったく関係なかった。昔からそうだ。ずっと、おれの後ろをちょろちょろついて歩いて、奏斗くん、奏斗くん、って……。なにかあったら、すぐおれを呼んで、ぴーぴー、泣いて……」
「……奏斗くん……。ちょっと、とりあえず、手を……」
頭からどかせて、と身をよじるのに、さらに、わしわしと乱雑に頭を撫でられて、「ふぃぃぃぃ」と悲鳴を上げた。
「よく考えたら、なんか初恋の女っぽいし、待って、って言われたら、待てるし……。なあ、ばあちゃん」
「なんだね」
「こいつ、嫁にもらいたい」
奏斗の言葉が耳に入り、全身に染み渡るにつれ、志摩は全身が真っ赤になっていくのを感じる。
「お前に決める権限はないよ」
だが、祖母の声は冷たく、剛かった。
祖母と奏斗はしばらく無言で見つめ合う。
「……どうするね、志摩ちゃん」
最初に視線をそらし、ため息を吐いたのは眞砂だった。発火寸前の志摩に柔和な笑みを向ける。
「他の家は知らないけど、七塚の家は、女が男を選ぶんだ。志摩ちゃんは、この男をどう思う?」
一生、連れ添えそうかね、と祖母は苦笑交じりに問うた。
「私は……、奏斗くんがいい」
「そうかね」
祖母は嬉しそうに目を細めてこっくりと頷いた。
「幸せにおなりな」
「ありがとう」
ぎゅ、と眞砂の手を強く握る。
「かな坊」
だが、眞砂は一転して険しい目を奏斗に向けた。
「もし、志摩ちゃんに無理やりに何かしようとしたら……」
「しない、しない。これからもしない。……ただ」
奏斗は、志摩を見下ろし、にっ、と笑った。
「やりたくなったら、いつでも言えよ。喜んで相手するから」
「……だから、その言い方……」
がっくりと肩を落とすと、慌ただしい足音と金具がかち合う音がした。
振り返ると、医師と数人の看護師が、医療用ワゴンを押して入ってきている。
「すいません。診察にうつるので、親族の方はしばらく外に……」
促され、奏斗は頷いて志摩の車いすを回転させた。
「じゃあまたな、ばあちゃん」
奏斗が片手を上げる。
「はいはい。お幸せに」
眞砂は笑って応じた。
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