第35話 目を覚ます当主

□□□□


 数時間後。

 総合病院の受付で志摩と奏斗が押し問答を繰り返していたら、看護師が車いすを押してやってきた。


「まあ、とりあえず、他の患者様の迷惑になることは確かなので……。ご主人の仰る通り、車いすを使用していただけますか?」

 ナース服の女性がにっこり笑って志摩に言う。


「……ご主人」

 ちらり、と隣に立つ奏斗を見上げた。目が合うと、無意味に顔が赤くなる。


「ま、将来的にはそうだから。乗れ、妻」

 陽気に笑う奏斗の肩を小突くと、その手を握って座らされる。


「あら。まだ婚約中か何かでした?」

 看護師は車いすのグリップを奏斗に譲るついでに尋ねる。


「そんなもんです」

 しれっと奏斗が応じるから、あきれて言葉を失くす。


「こちらです」

 看護師はあっさりと話を終わらせると、先導して歩き始めた。


「動かすぞ」


 奏斗が声をかけて、その背を追う。きゅるきゅる、とリノリウムの床を車いすの車輪が回転していく。


 自分が何もしていないのに移動し、かつ、それが人力、というのがなんとも不思議な気がした。


 志摩はきょろきょろと周囲を見回す。


 三階の脳神経内科だ。

 祖母はここに約一か月前から入院している。


 奏斗に連れられて、街の整形外科を受診したのが、一時間前だ。


 開通した峠を通っている時、奏斗が交通整理している警官に志摩のことを相談すると、すぐに街の整形外科に連絡を取ってくれた。


 優先的に診てくれるという。

 実際、医院に到着するとすぐに診察室に通され、「大変だったねぇ」といたわってくれた。待合室で待つ患者には奏斗が頭を下げていたが、誰もが、医師と同じように、「大事にならなくてよかったねぇ」と声をかけてくれたらしい。


 診断の結果、志摩の右足首は「ぎりぎり二度の捻挫」だった。


 奏斗がその日のうちに適切にテーピングや冷却をしたことが功を奏し、固定具装着にもならず、一安心だ。若干、「元高校球児」ということを疑っていた志摩は、彼に対して申し訳なく思った。


 その後、奏斗が「ばあちゃんを見舞おう」と言いだし、軽トラで移動する。

 祖母とは、こちらに来た直後に見舞っただけだったので〝厨子の祝宴〟を報告がてら、総合病院にやってきたのだ。


 固定具は装着しなかったものの、テーピングや包帯でがちがちに足を固められた志摩は、何をするにもよちよちとしか動けず、見かねた奏斗が受付で、「車いすを貸してください」と言いだし、志摩はぎょっとした。


「そんなに重病人じゃない」「だって、全然動けてねぇじゃん」


 早口でやり取りをしていると、見かねた看護師が車いすを持って受付にやってきた、というわけだった。


「ばあちゃんの病室わかりますから、もう大丈夫ですよ」

 奏斗が先導する看護師に声をかける。


「私もちょっと顔を見ようと思って。今朝はバイタルとっただけだったんですよ」

 振り返り、笑顔で答えるので、三人で一番奥の個室に向かう。


七塚ななつかさあん。入りますね」

 まだ意識が戻っていないであろうに、看護師は律義に声をかけた。


 ついで、棒のような持ち手に手をかける。スライドさせようとしたときに、病室内から返事があった。


「はあい」


 ぴたり、と看護師が動きを止める。

 逆に志摩は車いすから立ち上がりかけて、背後から奏斗に止められた。


 奏斗が上半身を伸ばして看護師の代わりに把手を横にスライドさせる。

 開いた扉からは、ベッドが一番に目に入った。


「……おはようございます」

 仰向けに寝転んだまま、窓を見ていたらしい。


 祖母の眞砂がゆっくりと目だけをこちらにむけ、しわがれた声であいさつをするのを合図に、看護師は駆けだした。


「七塚さん。おはようございます。ご気分はいかがですか?」


 表情は柔和なのに、言葉は早口だ。

 ベッドサイドに張り付き、脈を図ったり、眞砂に装着された器具に視線を走らせたりとせわしない。


「身体がほとんど動かないんですが……」

 ゆっくりと身体を起こそうとする眞砂を、看護師は慌てて押しとどめる。


「一か月近く寝ていましたからね。上半身を起こすと貧血になりますよ。ギャッジアップの指示があるまで、このままで。私はちょっとドクターを呼んできます」

 言うなり、入り口で硬直したままの奏斗と志摩の脇を駆け抜けて退室していった。


「久しぶりだね、志摩ちゃん。足をどうしたんだい」

 掠れた声を、何度か咳払いすることで元に戻した眞砂が、心配そうに眉を寄せる。


「どうしたんだい、じゃねえよ!」

 奏斗が怒鳴り、車いすを押して走るから、志摩は悲鳴を上げた。


「早い、早いっ!」

「あ。悪ぃ」


 ぴたり、とベッドサイドで車いすを止めた奏斗が謝ってくれるが、心臓がまだバクバクと音を立てている。


「おばあちゃん、脳梗塞で倒れて入院してたんだよ。一か月間」

 胸を手で押さえながら、志摩はそれでも眞砂に話しかける。


「一か月も」

 眞砂は目を丸くする。昏睡中も理学療法士がリハビリをしてくれていたようだが、それでもむくみが目立つ顔だ。


「厨子の祝宴はどうなったの?」

 次いで祖母の口から出たのは、それだ。


「やったよ。おれと志摩で」

 奏斗は苦笑いだ。


「そうかね……。あんたたちには苦労をかけたね」


 志摩に手を伸ばそうとしているようだが、まだぎこちない。志摩はその眞砂の手を取って、ぎゅっと握った。こちらもやはりむくみ、いつもの祖母の手ではないが、それでも温かさにほっとする。


「ずっと村にいた女の子たちは、女人塚に入ったよ。もう一度生まれ変わって……。幸せになれるといいね」

 志摩の言葉に、眞砂は目を見開く。


「どうしてそれを……?」


「おばあちゃんこそ、どうして私やお母さんにこの話をしてくれなかったの?」

 両掌で眞砂の手を包んだまま、首を右に傾げる。


「言ってくれればよかったのに」


「……もう、わたしの代で終わりにしようと思っていてね」

 眞砂はしょぼしょぼと目を何度かまたたかせた。


「千夏は再婚してから、ずっと継子のことで悩んでいたし……。志摩ちゃんは去年、あんな目に遭うし……。なんだかずっと、これは七塚家にかけられた呪いなんじゃないか、って思い始めて……」

 祖母の目に涙がにじむ。


「七塚の家は、ずっと女人塚を守ってきたけど……。それでも、害が出始めたんじゃないかって、怖くなってきて……。特に、志摩ちゃんの話を聞いた時、そう思ったんだ」


 村上のことだろう。

 母は志摩に何も言わなかったが、祖母に憤りを吐き出したのかもしれない。奏斗は無言で枕灯台からティッシュを一枚摘まみ取り、眞砂の涙を拭ってやる。


 ありがとう、かな坊、と眞砂は言い、ぐすり、と鼻をすすり上げた。


「それで、わたしの代で終わらせようと思ってね……。わたしがもし、死んだら、あの村で迷っている女たちを一緒に連れて行こう、って。塚に引きずって行こう、って」


 そう決意した矢先、祖母は畑で倒れ、意識を失った。

 偶然なのか。


 それとも浄化を強制され、彼女たちが怒り狂った結果なのかは、志摩にはわからない。


「あの家も塚も……。私が引き継ぐよ」

 眞砂の顔を覗き込んでそういうと、眞砂はぽかんと口を開く。


「おばあちゃんも、しばらくはリハビリとか必要になって来るでしょう? そうしたら誰か一緒に住む方がいいし」


「でも……。志摩ちゃん、仕事とかはどうするの」

 呆気にとられていたが、ようやく慌てたように眞砂が言う。


「こっちで教員採用試験を受ける。別におばあちゃん家にいても、都市部に仕事に出てる人、いっぱいいるじゃない」

 くすりと笑うと、眞砂がたじろぐ。


「そうだけど……。大丈夫かね」


「平気平気」

 上から声が降ってきて、ぽすぽすと頭を撫でられた。目線だけあげると、奏斗だ。


「おれもいるしな。将来、嫁にもらうんだ、志摩を」


 眞砂は再び口をあんぐりと開き、奏斗を見上げる。だが、志摩が包む手に力を籠め、なんとか振り上げようとし始めたから驚いた。


「お、おばあちゃん!?」

「あんた……っ。志摩ちゃんによからぬことをしたんじゃないでしょうね!?」


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