第37話 終宴1

□□□□


 二日後。

 玄関の鍵を施錠した志摩は、キャリーケースの把手を掴んでゆっくりと歩き出す。


 まだ、捻挫をした右足が痛い。


「忘れ物ないか」

 軽トラにもたれかかり、奏斗がのんびりと声をかけてきた。


「大丈夫。あったとしても、どうせ三週間後に戻って来るし」


 志摩が答えると、奏斗が苦笑いした。


 祖母の退院がそれぐらいになるそうなのだ。

 先日、偶然意識を取り戻した祖母だが、心配されていた意識障害や後遺症はなかった。


 ただ、一か月もの長い間動いていなかったため、体力と筋力の衰えが著しい。

 担当医は、このまま老人保健施設に転院し、ある程度落ち着いてから自宅に戻ってはどうか、と提案したようだが。

 本人は断固拒否。

 自宅でリハビリをかねて生活をすると言い張った。


 畑が気になるらしい。


 結局、医師が折れる形になり、退院後は村のかかりつけ医に診察を引き継ぐ形になった。


 祖母が意識を取り戻したことを、電話で母に伝え、入院中の諸々の書類手続きのことも説明したのだが、相変わらず、仕事の都合がつかないらしい。


『現地に行くのは無理だから……。zoomで打ち合わせできないかしら』


『だったら、私が代わりにするよ。ここでおばあちゃんと暮らすつもりだから』

 言った瞬間、絶句される。


『だけど……。そしたら、教員採用試験とかどうするの?』

 スマホの向こうで、母が困惑しており、継父になにか尋ねているようでもあった。


『教員採用試験もこの県で受けてみようと思う』

 渋る母だったが、スマホを奪い取った奏斗の言葉が決定打となる。


『おれも介護とか手伝うし。それに、将来志摩を嫁にもらう気だから。ばあちゃんも、それでいいって。おれも、志摩がこっちに住んでくれて、就職してくれる方が嬉しい』


 この爆弾発言に、義父が怒り狂った。

「お前、誰だ」と。


 志摩は慌てて電話を取り上げ、奏斗が遠縁の親戚であること、このたび一緒に〝厨子の祝宴〝を執り行ったこと。

 縁があり、結婚を前提に交際してみようとおもったことを、告げた。


『それに……。お父さんには申し訳ないけど、今回のことで私、泉水とはやっぱり一緒に暮らせないと思ったし……』


 電話口で継父が押し黙るから、いたたまれない気持ちになる。 

 だが、これ以上は無理だと、志摩は思った。


 未成年であったころであれば、自分だってなんとか頑張ろうと思った。実際、努力はした。泉水との距離を縮めようとしたし、反抗や口答えだってしなかった。


 結果、泉水は増長し、志摩はただ、彼女の言いなりになってしまった。それに対しての、両親のフォローは、ほぼなかったと言える。


 そうやって大人になり、今、志摩は決断する。

 自分はもう、住む家も職業も選べるのだ、と。


 ならば。

 奏斗の言う通り、志摩のやさしさや配慮を無償で提供してまでいる家ではない、と判断した。


 薄々、泉水が志摩に向ける怒りを継父も見かねてはいたのだろう。当初は、血がつながらなくても姉妹仲良く、と考えていたのだろうが、最早それは無理だとあきらめたのかもしれない。


 離れて暮らす方がいい。継父はそう思い切ったのだろう。

 最後には、折れた。


『わかった。だけど、介護はふたりだけではできない。今後の方針を決めたいから、とりあえず一度、こっちに戻っておいで』


 継父に言われ、志摩は実家に戻ることにしたのだ。


「ほれ」

 手を伸ばされ、きょとんとしていると、奏斗はあっさりとキャリーケースを掴み上げ、軽トラの荷台に乗せた。


「いろいろとごめんね」


 駅までの送迎を申し出てくれたものの、本当に奏斗には迷惑をかけっぱなしだ。しょぼんと肩を落とすと、苦笑いして頭を撫でられた。


「別に。ここらじゃ普通のことだし。というかさ。お前こそ、本当にいいんだな?」


 なんのことだろうと、きょとんと彼を見上げる。わずかに首を横に傾げ、奏斗は複雑そうな視線を向けた。


「おれと結婚して、こんな田舎に暮らすんだぜ? 大丈夫か?」


「それを言うなら、奏斗くんこそ、こんなのを嫁にもらっていいの?」

 志摩は肩を竦めた。


「いろいろと訳ありで、いまだに手も出していないのに、結婚を決めちゃって大丈夫?」


 去年の今頃に仕事を辞めた理由については、いまだに奏斗に何も言っていない。


 祖母の病院を去り、帰宅した夜に、説明してみようかと思ったが、できなかった。

 ただ、そんな志摩を含めて、奏斗は陽気に笑って、いつも待ってくれている。


「大丈夫。志摩はいずれ、おれにメロメロになるって、知ってるから」

 えっへん、と奏斗が胸を張るから、志摩は噴き出した。


「私は奏斗くんがいるなら、ここでの生活も全然平気」


「後悔すんなよ。まあ、させねぇけどな」

 奏斗が肘を差し出すから、志摩は腕を絡ませる。よちよちと彼に支えられて助手席まで歩いた。


「あの、おっかねぇ、お前の親父さんにも挨拶に行かねぇとな」

「うちのお父さん。殴りはしないと思うよ」


 おもわず、噴き出し、彼の顔を見上げる。左あごの下には、くっきりとまだ、青あざが残っていた。


 というのも。

 奏斗は実の親に、昨日殴られたのだ。


『志摩と将来結婚しようと思って』


 街で買った菓子折りを持参して黒宮の家に挨拶に行き、奏斗がそう言った途端、彼の父親は握りこぶしで息子を殴った。


 それまでは和やかに、『志摩ちゃん、綺麗になったなぁ』『祝宴、お疲れ様』『あら。お土産なんていいのに』と、母親を交えて会話をしていたのに、一転修羅場となった。


『お前……っ! あれほど、本家のお嬢さんに手を出すなって言ったろう!』


『志摩ちゃんっ! ほんっと、ごめん! おばちゃんの育て方が悪かったのっ! でも今はほら……。別に責任を取って結婚しなきゃとか、そんなのないから。好きなだけ、うちの息子を殴り飛ばして、蹴り飛ばしてもらっていいからっ。お父さんっ。押さえててっ』


『おうよ!』


 奏斗を羽交い絞めする両親に、志摩は必死になって、『誤解です』『私は何もされていません』『まだ、手を出されてないんです』『そ、その……。私、ほんと、未経験者ですっ』『祖母も、奏斗くんとの結婚を認めてくれまして……っ』


 今から考えれば、恥ずかしくなるようなことを口にしたと思うが、その志摩の様子を見て、両親は納得してくれた。


「あんの、くそ両親め……。いっつも、おれの言うこと信じやしねぇ」

 組んでいない方の手で、つるりと殴られた頬を撫でる。



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