第38話 終宴2

 奏斗が助手席の扉を開け、顔をこちらに向けた。


 座れ、と言うことなのだろうが、志摩は躊躇する。おもわず、からませていた腕に、両手でしがみついた。


「どうした? ひとりで座るのは難しいか? どっか支えてやろうか」


 奏斗に尋ねられ、志摩はゆるゆると首を横に振る。


 不思議だと思う。


 〝厨子の祝宴〟のためにこの村に来た。奏斗に会うのは、実に十数年ぶりだ。

 一旦実家に戻り、三週間後にはまた逢えるというのに、胸に広がるのはとんでもないほどの淋しさだ。


「……これ、乗っちゃったら、しばらく奏斗くんに会えないんだな、って思って」

 もそもそと口にし、奏斗を見上げる。


 しばらく、きょとんとしていた奏斗だが、急に色水を吸い上げた様に顔が赤くなっていく。


「そういうの真顔で言うのやめろ。かわいいじゃねえか」

 ばしり、と自分の額を平手打ちし、うう、と呻いている。


「思わず、がっつり、ちゅー、するところだったぞ」

 額を叩いた手で、がりがりと首の後ろを掻き、奏斗はおどけて笑って見せた。


「……別に、その……。それでも、いいかな」


 言いながら、志摩は、だんだん自分の顔が熱くなるのを感じる。


 まさか肯定されるとは思っていなかったらしく、目の前の奏斗は目を真ん丸に見開いていた。


 だが、急に組んでいた腕をほどいてがっつりと両肩を掴まれるから、志摩は悲鳴を上げる。


「怖い、怖い! 待って! 勢い良すぎるっ。なんか違うっ!」


「えええ……。どうなのよ」 

 がっくりと肩を落としてうなだれる奏斗に、志摩は恐る恐る口を開いた。


「なんかこう……。がばー、っと来られると、引く……」

「難しいな、おい……」


「ちょっとだけ、というか。その、そろー、っと、というか」

「おう。ちょっとだけ、な」


「軽く、というか。……わかってる?」

「理解した。任せとけ」


「本当に⁉ 濃厚なのは嫌なのっ」

「了解」


「絶対よ!」


 念を押すと、奏斗が頷く。彼ののどぼとけが上下に動くのが見えた。なんだか、無性に彼も緊張している。


「ま、ままままままま、待って。ちょっと待って。いま、心の準備を……」


「……………………やめるんなら、それでもいいぞ…………………」


 しばらくの沈黙の後、奏斗はちょっと震える声で、だけどしっかりと志摩の目を見て言う。


「志摩に無理強いするつもりもないし、おれは本当に、マテル」

 その「待てる」が、なぜだか棒読みで、志摩は小さく噴き出した。


「なんだよっ」

「いや、ごめん……。ちょっと可笑しかった……」


「ひでぇな、おい」

「いや、大丈夫。はい。うん」


 くくく、と笑いを漏らしていたものの、志摩は表情を引き締めて彼を見上げる。


「では」

「いざ」


 奏斗の顔が近づいて来る。咄嗟に目を閉じた。肩どころか、身体中をこわばらせて首まで亀のように縮めていたのだが。


 ふわり、と唇になにか当たった気配がある。

 だがすぐにその感触は消え、代わりに、奏斗の声がなぞった。


「こんなんで、どうでしょう」

 そっと目を開くと、まつげが触れ合う距離に奏斗の顔がある。


「……問題ないです」

 答えると、耳まで熱くなる。その熱は徐々に広がり、顔や首にまで広がった。


「うおー。キスしただけなのに。この歳で、めっちゃ、びびった」


 奏斗が愉快気に笑うから、志摩も顔を火照らせたまま、くすりと笑みこぼれた。


「私も。体中に力はいっちゃった」


 その顔を見た途端。

 まるで、志摩の熱が感染したように奏斗の顔がみるみる朱に染まる。


「……ん?」

「ごめん。まずい。なんか、超かわいいって思った。いかん。変なスイッチ入りそう」


 言うなり、ぶるぶると左右に首を振る。なにやら邪念を振り払っているらしい。くつくつと笑っていると、何度か深呼吸を繰り返して、奏斗は志摩を見た。


「……足、早く治るといいなあ。ばあちゃんと競争だな、こりゃ」

 心配げにそんなことを言われる。


「さすがに、高齢者よりは治りが早いわよ」

「お前、田舎の高齢者舐めてたら、あとで落ち込むぞ」

 まじめな様子に、ちょっと面食らう。


「……頑張る、リハビリ」

 こっくりと頷くと、奏斗に乱暴に頭を撫でられた。


「おう。それで、早くおれんところに戻ってこい」

 目が合うと、にっこりと笑われる。


 何かに似ていると思った。

 それは、まだ志摩が小学校で臨時教員をしているとき、児童たちと一緒に育てたひまわりの双葉だ。


 空を見上げ、両腕を広げ、天真爛漫に太陽を見上げる。

 その姿に似ていた。


「おれが幸せにしてやる。心配すんな」

 顔を覗き込まれて言われ、志摩は心から感じた。


 なんて、自分は幸せ者なのだろう、と。


 辛いことや、解消できないほどの憤りを抱えてここまで来た。

 不幸になるに違いない、と言われ続けて成長した。怒りとも呪いともいえない言葉を浴びて大人になった。


 いつしか自分は、幸せになどなれないとあきらめていた。

 村上との関係性に、やっぱり、と半ば受け入れた。

 だけど。


「……うん。ありがとう」

 志摩は、ボロボロと涙を流して頷く。


 それでも、生きていると、良いことがあるのだ、と誰かに言われた気がした。


「お前は……、ほんっと、なんでいっつも泣くかなぁ。ったく、仕方ねぇな」


 奏斗が幼いころのままに苦笑している。

 そっと抱きしめられる。

 遠慮のある腕で。


 これは大丈夫か、と無言で問われて。


 志摩は奏斗の胸に顔をうずめる。


 そして、祈った。

 彼女たちが。

 塚に眠る彼女たちが。


 もう一度この世に生まれ出て。

 幸せな一生を送りますように、と。


                       了

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厨子の祝宴 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095

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