第33話 厨子の中身

「あの……。大徳寺さんですよね? うちの檀那寺の……」

「ええ。浜坂の大徳寺です」


「夕方、清澄さんという男性の方からお電話をいただいたんです。固定電話の方に」


 志摩はスマホを思わず両手で握りしめ、小さく呻いた。

 右手が痛い。


「厨子のことでいろいろ助言をいただいて……。そのことで取り急ぎお礼を、と思ったのですが」


「と、言われましても……」

 女性は戸惑っている。


「七塚さんでしょう? もう、随分と前に、連絡先を固定電話から携帯電話に変えられているはずですが」

 愕然としたのは、志摩だった。


「なにかあれば、携帯の方に、といわれておりまして……。固定電話にこちらが連絡をすることは無いと思います。そもそも、解約するとおっしゃっていたような……」


 祖母が携帯を持っているとは知らなかったが、思い当たる節はあった。

 安室家の老女だ。


 彼女は六家の姑達でLINENグループを組んでいた。志摩の祖母がその中に入っていないはずはない。


 ではなぜ。

 あの黒電話は鳴ったのだ。


「その……。清澄という僧侶のことですが」

 ためらいがちに、電話口の女性は伝えた。


「いるにはいますが……。もう、数百年前の僧侶です。随分と村の人に慕われたようで、そちらの村でも、法力を示し、厨子を手渡したとか」


「……その方が、清澄さん……」

 呟いた自分の声と、あの電話口に聞いた男の声が重なった。


『最初、断ったのですよ。……その、男のわしが聞いても、胸の悪くなる話でしたしなぁ』


『女たちの恨みがあまりにも強すぎて、わしにはとても手に負えなかった』


 あれは、伝聞を語っている、というよりも。

 自分の体験を語っていたのではないのか。


「もしもし? 七塚さん?」

 気づけば随分と長く沈黙をしていたらしい。気遣わしげに問われ、慌てて返事をした。


「すいません……。あの、お礼は後ほど改めて。ありがとうございました」

 志摩はそれだけを伝えると、通話を切った。


 途端に光が消え、周囲が暗闇に飲まれる。

 しん、と。虫の音さえ聞えない。


「志摩。厨子、見つけたぞ」


 その無音を切り裂いたのは、奏斗かなとだった。わしわしと足音を鳴らし、縦横無尽に墓石の間をくぐり抜けてくる。


「地面に転がっててさ。これ、扉開いてて……」

「扉?」


 ポケットにスマホを押し込み、志摩が目を瞬いた。

 奏斗は志摩の向かいに片膝ついて座ると、どん、と厨子を地面に置く。


 ぱくり、と。

 確かに、観音扉が左右に開いた。金の丁字鍵は志摩が転倒した際に壊れたらしい。


「中身、なんだろ……」


 遠慮など無く奏斗が厨子の中に手を突っ込むから、志摩は声を無くして硬直する。


 なぜ、そんなことをするのだ。

 つい、ばちり、と無言で奏斗の肩を殴り、結果的に痛みに呻いたのは志摩だ。


「んだよ。人を叩いて痛がってんじゃねえよ。あれ……、これ」

 右肘を抱えて痛みに悶えていると、奏斗が何かをつかみ出した。


「これ……。地蔵?」


 奏斗の掌より少し大きいだろうか。実際、むんずと掴まれて、首から上だけが覗いている。


「お地蔵……さま」


 志摩がつぶやくと、奏斗は持ち方を変え、仏像の頭を摘まみ、懐中電灯で照らす。随分と不遜な持ち方だと志摩はハラハラした。


 白金色の光に照らされたそれは、木像だ。


 つるりとした剃髪。首飾りだけの質素な装飾。右手に持っているのは錫杖で、飴色の頬は柔和に微笑んでいるように見えた。


「なんだ。不幸な女の人を鎮めるっていうんなら、千手観音とか……、なんだっけ、普賢菩薩とかかとおもった」

 肩透かしの顔をしている奏斗に、志摩は目を丸くする。


「詳しいのね」

「うちのおふくろが普賢菩薩さんを祀ってんの。女の人を守ってくれるとかで」


「ああ……、でも」


 志摩は奏斗に向かって両手を伸ばした。

 右ひじがピリピリと痛むが、あの持ち方はお地蔵さんが可哀そうだ。掌を上にして差し出すと、奏斗が地蔵菩薩像を載せてくれた。


 ちょこん、と。

 志摩の掌に菩薩は立ち、わずかに自分を見上げた。


「あの子たちを連れて行ってくれるのなら、お地蔵様がふさわしいのかもしれない」


「あの子たち?」

 首を傾げる奏斗に、志摩は眉を下げた。


「あの黒い女の人たち……。まだ、子どもに見えた」

 そんなわけ、と言いかけた奏斗に首を横に振って見せる。


「そりゃあ、初潮がきていれば妊娠も出来て、厳密には子どもとは呼べない時代があったのかもしれない。だけど……」

 志摩は、掌でじっとたたずむ、地蔵尊を見つめた。


「あの子たちは、理不尽に〝子ども時代〟を奪われて、大人として雑に扱われて……。それで命を失って……」


 きっと、清澄も話を聞いた時に、普賢菩薩が道を指し示すよりも、六界を巡り、衆生を救って歩く地蔵尊に同行を託したのかもしれない。


「ありがとうございます」


 志摩が頭を下げる。掌の上で、地蔵尊がわずかに左右に揺れたような気がした。なんでもないことだ、と。


「……おれさ、これ、やっぱり見たことあるかも」

 つい、と奏斗が志摩の手から地蔵尊を取り上げた。


 くるくるといろんな方向から奏斗は眺めている。こめかみからの血で汚れているから、ちょっとしたホラー映画の映像だ。『呪われた地蔵尊』とか、そんなタイトルがつきそう、と志摩は思った。


「ガキの頃、ほら、厨子を開けたって、言ってただろ」

 志摩は、ぱちぱちと目をまたたかせた。そういえば、そんなことを奏斗は言っていた。


「これ、いたわ」

 顔をしかめてみせる。


「きしきし、って中から厨子の扉が押されててさ。閂を外したら……」

 

『開けてくれてありがとう』。にゅ、と、地蔵が隙間から顔をのぞかせてそう言ったのだそうだ。


 驚く奏斗に口をへの字に曲げて見せ、『だが、大人の言うことはきくものだ。開けてはならんと言われていたろう』と告げ、錫杖で頭を叩かれたのだそうだ。


「それでおれ、意識を失ってさ」

「……完全に、怒られてるよね、それ」


「きしきし、鳴らす方が悪いんだろ。いや待て。……そうだ、あの時期、長老だけじゃなくて、妙に葬式が増えたんだよ、村に」


 奏斗は地蔵をしげしげと眺める。


「あの後、落ち着いたんだけど……。お前のおかげだったのか? 厨子から出て、なんか鎮めたのか?」

 尋ねるが、木製の地蔵はやわらかく微笑むばかりだ。


「だけど、いたいけな少年を錫杖で殴るなよ」

 奏斗は口を尖らせて地蔵尊に言うと、乱雑にポケットに突っ込んだ。


「厨子は明日にでも持って帰ろう。今日は、地蔵だけ。ほれ」

 言うなり、自分に背を向けてしゃがみこむ。


「え? なに」

「その足じゃ歩けないだろ。おんぶしてやるよ」

 さすがに躊躇う。


「いや、だったら先にお厨子とお地蔵さんを家に連れて帰ってよ。私はここで待ってるし」


「こんなところに女をひとり残しておけねえだろ。それこそ、地蔵にまた錫杖で頭殴られるわ」

 首だけねじって奏斗は顔をしかめる。


「ほれ」


 促されて、志摩は左手と左ひざを使ってなんとか腰を持ち上げた。

 とにかく、右側半分が痛い。おぶさる、というより、前のめりに奏斗の背中に倒れ込んだ。


「よいしょ」


 掛け声とともに奏斗が立ち上がる。ふわり、と自分の視線が随分と上がった。何度か奏斗は志摩を揺すり上げて態勢を整えると、墓石の間を通って歩き始める。


「あー……。家に行く前に、誰かに声かけて、忠司を回収してもらわねぇとな。あいつ、道路でまだ呆けてるんじゃねえか」

 ぶつぶつと奏斗が言う。


「でも、この格好で話しかけたら、化け物に間違えられるか。消防団のやつがいる家がいいかな」

 ため息をつき、なにやら思案している。


「……そういえば、昔もこうやっておんぶしてもらったことあるね、私」


 背中に上半身預け、奏斗の首に腕を回した。風が吹くと、鉄錆びた匂いと、煙草の香りが奏斗からした。


「みんなが随分遠くまで行っちゃうから……。帰るときに、足が痛くなって」


 もう歩けない、と志摩が泣き出すと、奏斗が『仕方ねぇなあ。ほれ』と、負ぶってくれたのだ。


 おんぶなどされたことがなかった志摩は、その背に乗ることさえおっかなびっくりだ。騎馬戦のように、じたばたと悪戦苦闘し、奏斗に何度も、『動くな』『もたれかかれ』『おんぶもできねえのか、お前はっ』と怒鳴られて、また泣いたことを思いだした。


「なんだか、成長してないなぁ」


 奏斗はこんなに成長し、家業を継ぎ、村の中に知り合いもたくさんいて、頼もしい。


 それに対して自分は、というと。

 人との距離感を間違え、職場を逃げ出し、結局何がしたいのかわからないまま、つい最近まで家にいた。


「お前も立派に成長してるよ」


 夜風に乗って、奏斗の穏やかな声が聞こえてくる。慰めの言葉だとわかってはいても、志摩は微笑み、ぎゅ、と奏斗に回した腕に力を籠めた。


「……あれだな。お前、着やせするだけで、実際は結構胸があるんだな。背中……。背中に胸が……」


「さいてー! もう、ほんっと、さいてー!」


「だあっ! 暴れるなって! 落とすだろっ! じっとしてろ!」


 わあわあとふたりで騒ぎながら墓場を出ると、数メートル先に、たくさんの懐中電灯の明かりが見えた。


「あ、忠司、保護された」

 奏斗は言い、背負った志摩を見上げて笑った。


「じゃ、このまま。帰るか」

 志摩は赤い顔のまま、「うん」とぶっきらぼうに応じた。

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