第17話 お墓参り

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 バリバリと轟音を響かせるヘリに、奏斗だけではなく、志摩も顔を上げた。


 空は一転、晴れ間が広がる。

 この二日間はなんだったのか、となじりたくなるほどの透明度が高い空。そこにいま、ドクターヘリが旋回していた。


「これで、加賀家も安心だな」


 音に負けぬよう、奏斗が志摩の耳に口を寄せて大声で言う。


 志摩も頷き、目を細めて降下してくるヘリコプターを見た。あの方角は、放棄田ほうきでんになった場所だ。近くに行ってみてみたい気もするが、やじうまは控えるべきだろう。


 自治会長はドクターヘリを要請していたようだが、悪天候のため昨晩は派遣を見送られたらしい。加賀家にしてみれば、まんじりともせずに夜を明かしただろうか、朝になると雲は晴れ、早速調整がなされたようだ。


「行こうぜ。これ以上暑くなる前に済ませちまおう」


 ぼんやりとヘリコプターを眺めていた志摩は、奏斗に促された。

 確かに、と志摩は彼の後をついて歩く。


 現在、午前十時だが、それでも陽炎が立ちそうなほどの暑さだ。九月も末だというのに、この熱気はいったいなんだ、と奏斗はずっとぼやいている。蝉が鳴いていないだけで、まるで真夏の暑さだ。


「気を付けねぇと、今度は熱中症で誰か搬送されそうだな」


 奏斗は額からしたたる汗を肩口で拭いながら、首を傾げる。志摩もポケットに入れていたタオルハンカチを取り出し、首に押し当てる。もう、滝のように流れてきてどうしようもない。


 晴れたせいで、村では家族総出で家屋の点検や田畑の見回りを始めていた。


 ここまでの道すがら志摩は奏斗と並んで田や畑を見てきたが、次第に口数が少なくなる。それほど、甚大な被害を受けていた。


「だけど、七塚の墓の裏に、そんなのあったっけ?」

 奏斗が首を傾げた。


「昨日、夢を見て思い出したのよ。ある。私、見た」


 しっかりと首を縦に振る。

 昨晩、夢の中で祖母と墓参りをしたのだが、目を覚ましてもしっかりと内容を覚えていた。


 というより、祖母とつないだ手の温かさや、掌にできたマメの感触。声の調子など、夢とは思えぬほどの鮮明さで覚えていた。


 これは、何かの予兆なのだろうか、と志摩は朝食の席で奏斗に相談。掃除や洗濯などがひと段落した時点で、墓参りに出かけることにしたのだ。


「これぐらいでよかったのかな」


 がさり、と手に持っているビニール袋を持ち上げる。


 中身は〝厨子の祝宴〟でいただいたお供えだ。全部当番家で分けてしまっている上に、腹が減った、という奏斗がちょくちょく摘まんだおかげで、だいぶん減ってしまった。


 まんじゅう五個、小分けのおかきが三袋、ようかん二竿に、バウムクーヘンがみっつ。祖母が足していたような子ども向けの菓子はないが大丈夫だろうか。


「十分だって」

 飄々と奏斗が言う。


 目の前には、墓地が見えてきていた。ゆらり、と透明ななにかが過った気がしたが、それは陽炎だろう。


「だけど、ばちゃんが言ってた『にょにん塚』ってさ。漢字的には、『女人』だろうな」

「だろうねぇ……」


 夢の中では、「にょにん」の意味について深く思わなかったが、当てはまる漢字と言えば『女人』。


「……あの厨子となんか関係があるのかな」

 ぽつり、と呟く。


「さあなあ」


 奏斗は、墓地の入り口に張られたチェーンをやすやすと超える。こういうとき、長身はいいなあ、と志摩は思う。


「女人って、なんだろ。なんで、七塚の墓の裏にそんなものが……」


 陸上ハードルを越えんとするほどの決意で足を上げていたら、奏斗が手を引いて助けてくれた。


「……ありがとう」


 礼を言いながらも、既視感がある。記憶を探ると、村上先生の笑顔が浮かんだ。


『なんだ、ほら。危なっかしいな』

 体育館に続くバリケードがなかなか超えられず、ドッチボールを抱えてもたついていたら、村上先生はそう言って、さっきの奏斗のように志摩の手を引いてくれたのだ。


「どういたしまして」


 あっさりと手を離す奏斗に、志摩は村上との違いに気づく。


 彼はそのあと、体育館に志摩がドッチボールを返すまで手をつなぎ続けた。

 あのとき、どうしてそのことに違和感を覚えなかったのだろう。なぜ、「手を離してください」と言わなかったのだろう。


 それほど志摩は彼の前で無防備だった。

 盲目的なほどに尊敬していた。

 これは『彼の善意』だと信じ込んでいた。


 彼が自分に対して邪なことを考えていることなど、微塵も想像していなかった。


(村上先生は、今から考えたらずっと、私の近くにいたな……)


 そのことを、志摩は深く考えなかった。ただ、親切な人だと思っていたに過ぎない。


 業務に不慣れな新人教員を、学年主任が見守ってくれているだけ。


 それだけだと信じ切っていた。


 あの日。

 運動会の終了後、学年団で二次会をし、その後、村上は志摩を車で送る、と申し出てくれた。


 年の離れたお兄さんか年上の親戚ぐらいに思っていた志摩は、なんの疑いも持たずに彼の車に乗り、その車がどんどん住宅街から離れて行ってから、初めて戸惑ったのだ。


 車中で村上は、「妻とうまくいっていない」「離婚を考えている」と言いだし、「ずっと好きだった」と切り出して車を停車した。そして志摩に覆いかぶさってきたのだ。


 必死で抗い、「そういうつもりはない」「尊敬していたのに」と言い続けるのに、彼の手は執拗に志摩の身体を撫で、悲鳴を上げた口を唇で塞がれた。


 這う這うの体で車から逃れ、ブラウスのボタンをいくつも飛ばし、ローファーも片方だけの状態で交番に駆け込んだとき、志摩はいったい、自分がどこに連れて行かれていたのかもわからなかった。


 当初、震えるばかりでなにも言えず、ただ泣き続ける志摩だったが、自分の乱れた服装から察したらしい。警察官が本署から女性警察官を事情聴取のために呼んでくれた。


 その後、警察官からの連絡を受けて、蒼白になった母親と怒り狂った義父、それに、村上が呼び出された。


 土下座をして「大事おおごとにしないでくれ」と謝り続ける村上に義父は殴りかかり、警察官に羽交い絞めされて制止された。


 以降、志摩は小学校を辞め、あの男は小学校に残り続けている。家庭にとどまり続けている。


 一方、志摩だけが何もかもを失い、一年以上、家の中に閉じこもっていた。『やっぱり不幸になるのね』と言い続ける義妹のいる家に。


「一つ思ったのはさ」


 奏斗は墓地の、舗装された道を歩き始める。昔みたいに雑草だらけではなく、今はコンクリで歩道ができていた。


 志摩は数歩前を歩く奏斗の背を追った。


「なに?」

「七塚の家って、女だな、とおもって」


 隣に並ぶと、奏斗が顔を向けた。


「どういうこと?」

 きょとんと眼をまたたかせると、奏斗は指を折る。


「当番家の……、羽村、安室、加賀、佐々木、田淵、七塚の中で、総領娘が家を継ぎ続けているのは、七塚の家だけだろう? 最近だけでも、ばあちゃん、千夏おばさん、志摩の三代とも女だ」


「まあ……。七塚の家は女が継ぐってなんか決まってるもんねぇ」


 安室の家は善治が。羽村は昭。加賀は努が。佐々木家も田淵家も、直系男子が代々家を継いでいる。


〝厨子の祝祭〟は、男が取り仕切るが、七塚の家では総領娘が継ぐことが多い。


 分家にいる男子を婿として迎えることもあるが、それがすなわち後継者にはならない。あくまで本家女子が家督を継いで〝総領娘〟として采配をする。


 七塚の本家分家で特に問題は起こっていないが、村の中では、「女に使われる男分家」と笑っている人もいると聞く。


「じゃあ、女人塚、っていうのは、やっぱり七塚の家のこと? 七塚の先祖の……なにかなのかな」


 志摩は奏斗と並び、墓地の奥へと進む。コンクリの歩道は消え、あとは昔の記憶通り下草を踏んで進む。


 夢で見たとおりだ。区画整備がなされた部分をすぎると、あとは思い思いに墓を並べたような場所に出る。


「いや、ふと思っただけだから根拠なんてないんだけど。あ……。こんにちは」


 奏斗が頭を下げる。

 しゃがみこみ、手を合わせていた老婆が顔を起こした。


「あら、こんにちは」


 手拭いを頭にかぶり、老婆はにこやかな笑顔を向けた。

 あ、と思ったのは、彼女が手を合わせているのが、夢で見た子どもの墓だったからだ。


 ちゃんとした墓石ではなく、丸い大石を置いただけの物。

 その傍に。


(……蝉の……抜け殻だ)


 夢では羽化した直後の蝉がいたが、今、目の前にあるのは、ただの茶色い抜け殻だけだ。無事、飛び立ったのだろう。夢とリンクしているように志摩には思えた。


「こんちは」


 まだ舌足らずな声が聞こえ、奏斗と志摩はそろって足を止める。


 ひょっこりと老婆の向こうから小さな幼女が現れた。まだ、二歳ぐらいではないだろうか。挨拶をしたものの恥ずかしくなったのだろう。ふたりの視線から逃れるようにふたたび老婆の背中に隠れた。


「えらいねぇ。よくあいさつできたねぇ」

 にこにこと老婆が笑うので、志摩と奏斗も相好を崩した。


「こんにちは」

「こんにちは。えらいねぇ」


 腰を屈めて目線を合わせると、きゃっきゃと幼女は笑った。


「さ。お参りも済んだし、帰ろうか」


 老婆は屈みこんで幼女を背中におんぶした。幼女も慣れたものだ。老婆の首に小さな腕を回し、楽しそうに足をパタパタさせた。志摩は笑顔のまま声をかける。


「お孫さん……、ですか? 可愛いですね」

「あらあら。ひ孫ですよ。気を遣ってくださってありがとう」


 ころころと老婆は笑う。


「目元がよく似てらっしゃいますね」


 奏斗が自分の目を指さして言ったあと、幼女に対しておどけてみせた。どうやら興味深そうにじっと奏斗を見ていたらしい。彼の語尾に、くすぐったくなるような笑い声がかぶさった。


「ええ、ええ。この子は、本当に。私によく似てたんですよ」


 老婆が背中を揺すってあやすと、幼女は更に声を立てて笑った。


「またこうやって、私の側に来てくれて……。感謝です」


 奏斗は老婆の言葉の意味がわからず、曖昧な笑みを浮かべている。


 対して志摩は、祖母の言葉を思い出していた。


『ちゃんとしたお墓を建てたら、仏様になってしまうからね。もう一度この世に生まれてこられるよう、ああやってお祀りするんだよ』


 目の前の老婆。

 よく似たひ孫。


(……まさかね……)


 志摩は、花が供えられた丸石から視線を逸らす。

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