第16話 夢の中

◇◇◇◇


 これは夢だ、という自覚が志摩にはあった。


 なにしろ自分の手を引き、墓地を歩く祖母は、現在病院に入院中で、意識不明のまま一か月が経過しているのだから。


 そしてなにより、自分の視線は随分と低い。

 半歩前を歩く祖母の顔は見上げなければ視界に入ってこない。

 たぶん、子どもなのだ。


 祖母は自分にとって大きく、つなぐ手には、力強さもあった。皺もそれほどなく、ふくよかで温かい。


「おばあちゃん」


 元気なころの祖母だと、つい嬉しくなって声をかける。


「なあに?」


 祖母は振り返り、目元の皺を深めてほほ笑んでくれた。やはり幾分若い。髪だってちゃんと染めてあり、白髪など見えない。


「どこに行くの?」


 尋ねると、手をつないでいない方の手を持ち上げて見せる。


 祖母が持っているのは、白いビニール袋だ。ぱんぱんに詰め込んでいるため、上部から中身が覗いていた。


 菓子だ。


 スナック菓子だったり、まんじゅうだったり、小分けになった、おかきだったり。季節的には珍しいみかんも入ってもいた。


 志摩はそれが、〝厨子の祝宴〟のおさがりだと知っている。

 村中の人間が〝厨子の祝宴〟にやってきて飲み食いをするが、彼等はその際、お供え物を持参するのだ。


 お供え物は祝宴後、当番家と婦人会によって仕訳けられる。


 祖母が今、ビニール袋に入れて持っているのは、七塚家分として渡されたものの一部だろう。なぜなら、志摩が少し食べたからだ。もちろん、奏斗のように隠れて食べたわけではない。祖母が「食べてもいい」と言ったので、十時のおやつに、どらやきとおかきを食べたのだ。


「これをね、にょにん塚にお供えするんだよ」


 祖母は墓地を歩く。伸び始めた草が、祖母の足の下で、さくさくと鳴った。志摩は彼女に手を引かれ、きょろきょろと周囲を見回す。いま、志摩が着ているのはワンピースだ。むき出しのすねを、草の葉っぱが擦ってくすぐったい。


 村の墓地は、静かだ。


 入ってすぐのところに水道が設置されたり、共同で使用する桶や柄杓、じょうろやたわしなどが置かれた棚があったり、墓自体も区画割されてきっちりと並んでいるのだが。


 奥に進めば進むほど、規則性もなく墓が並ぶ。


 中には、丸くおおきな石だけが置かれたものがあり、墓なのだろうかと訝かしむが、ちゃんと献花がなされ、線香が焚かれていた。


 その大ぶりの石には、羽化中の蝉が取り付いていた。鎌のような前足でしっかりと支え、背中が割れて、黄緑色のまだ柔らかい羽がのぞいている。触ると崩れてしまう。そんな脆さがあった。


「おばあちゃん。あれも、お墓?」


 志摩は、羽化中の蝉がしがみつく大きな石を指さした。


「そうだよ。小さな子が亡くなったら、墓じゃなく、ああいった大きめの石を置いておくんだ」


「どうしてちゃんとお墓を建ててあげないの?」


 献花は瑞々しく、線香からはいい香りがした。きっと大事にされているはずなのに、と志摩には不思議だ。


「ちゃんとしたお墓を建てたら、仏様になってしまうからね。もう一度この世に生まれてこられるよう、ああやってお祀りするんだよ」


 そうなんだ、と呟く志摩の手を引き、祖母は最奥に向かった。


「さあ、手を合わせて。まんまんちゃん、あーん、して」


 七塚家代々の墓、と書かれた墓石の前で祖母に促され、志摩はしゃがみこみ、両手を合わせた。その手の小ささにも、祖母の幼児語にも内心驚いた。いったい、今、自分は何歳ぐらいなのだろう。


「できた?」


 目を閉じて、なむなむ、と唱えると、祖母の声が上から降ってくる。うん、と頷き、立ち上がって目を開く。祖母は自分の手を引くと、墓の裏側に回った。


(こんなところにも……)


 墓の裏には、こんもりと土が盛られ、その頂上に握りこぶし大の石が載せられていた。


 さっき見た大ぶりの石のように献花や線香が供えられているわけではない。だが、石が苔むしていたり、盛り土が風化しているようには見えなかった。


 それは、誰かが気にかけている証拠にも見えた。


「おばあちゃん」

 ぎゅ、と祖母の手を握って顔を上げる。


「なあに?」


 祖母は丸石の前で屈むと、前垂れのポケットに入れていた素焼きの皿を出した。

 志摩から手を離し、ビニール袋の中身をその皿の上に盛り始める。


「これも、小さな子のお墓なの?」

「これはちがうよ。だけどね」


 祖母は手を伸ばし、志摩の頭を柔らかく撫でた。


「仏さんになんかならず、もう一度この世に戻ってきて、幸せになってほしい女のひとたちの墓だよ。七塚の家は、ずっとこの塚を守ってきたんだ」


「じゃあ、お母さんや私も守っていくの?」


 そう尋ねると、祖母は戸惑うようなそぶりを見せた。


 七塚の家は総領娘が継ぐ。

 一般的に苗字や家は男性が継ぐものとされている村の中で、あきらかに異質ではあったが、小さなころからそう聞かされて育った志摩に違和感はない。


 祖母の次は母が継ぎ、そして志摩が受け取るはずだ。


 役割を。


「さあ、志摩ちゃん」


 だが祖母は何も言わず、柔和に笑って志摩にビニール袋を差し出した。


「この人たちにお供えを。甘くて、美味しくて、心が安らぐようなお菓子を」


 こくりと志摩は頷き、小さな手で素焼きの皿に菓子を載せていく。


 そして「あれ」と思った。

 ビニール袋に入った菓子は、お下がりばかりではない。幼児番組に出てくるキャラクターが描かれたスナック菓子やおもちゃがついた知育菓子なども入っている。これは明らかに祖母が意図的にいれたものだろう。


(……どうしてこんなお菓子も?)


 黙って見上げると、祖母は志摩を促した。


「おまいりしなさい」

「まんまんちゃん、あーん」


 志摩は祖母に言われるまま、手を合わせて目を閉じた。



◇◇◇◇

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