第15話 厨子の中身
「まあ、確かに……。厨子が絡んでるっぽいよな」
奏斗は厨子の前で正座をすると、きちんとした仕草で膳を差し出した。和服を着ているせいか、まるで茶道の仕草を見ているようだ。
「……厨子に、御膳を用意するんだったっけ……」
入院した祖母の代わりに七塚家にやってきた当初、羽村美津子が志摩に指示したのは、『毎日厨子にお膳を出すこと』だった。
朱塗りの膳に、ご飯とお茶、それから菓子を添えるのだ。
いまも、奏斗が厨子に差し出した膳には、そのみっつが載っている。炊き立てらしい白米の盛られた茶碗。湯呑に入った湯気の上がるお茶。この辺りでは有名な最中。
(……どうして、お菓子なんだろう)
最中を見つめ、志摩は今更ながらそんなことを考えた。
お盆のときに、宗派によってはお膳を供えるところがある。その場合は、ご飯、汁物、煮物、お茶、だった気がする。
お菓子を供えるというのは珍しいのではないだろうか。
そんな志摩の前で、奏斗は厨子に対して深々と一礼をすると、立ち上がって近づいてきた。
「ねぇ、奏斗くん」
「おう」
「だいたい、その厨子ってなに?」
尋ねた拍子に、しゃっくりが出た。ぷ、と奏斗は吹き出し、志摩が握りしめているバスタオルを手に取った。
「お前、ちゃんと頭拭いたのか。べたべたじゃねえか」
「……なんか怖いのがいて……。ねえ、あとで、一緒にお風呂場まで荷物取りに行って」
「なんもかんも放り出してきたのかよ。ったく、仕方ねぇなあ」
言うなり、手際よく志摩の頭を拭き上げていく。手際といい、速さと言い、驚くほどの腕前だ。
「す、すごいね。奏斗くん。上手」
最後に、バスタオルを手渡され、志摩は茫然と彼を見上げる。奏斗は胸を張った。
「近所の牧羊犬を何頭も洗うからな」
私は犬か、と志摩は奏斗の肩を小突く。笑い声を上げながら、奏斗は志摩の腕を取って、廊下に出た。
「だいたい、お前。この厨子のこと、なんか聞いてるか?」
「……ううん」
寝室に使っている部屋の障子を開ける。
奏斗に続いて志摩も入ると、ちゃぶ台が用意されており、どんぶりとお箸が二膳、載っていた。おずおずと奏斗の向かいに座り、覗き込むと、にゅうめんだ。かつおだしの良い匂いがする。
「昼、簡単なもんな。炊事場でそうめん見つけたから」
「ありがとう。すっごく、おいしそう」
薄口しょうゆを使っているせいか、汁が澄んでいる。そのせいで、かき卵の黄色が映えていた。ネギが散らされていて、見た目にもきれいだ。顔を寄せると、やわらかな湯気が頬を撫で、ささくれた神経をなだめてくれる。
「……奏斗くんって、ほんと、マメだよね……。これ、おだしからとっているんでしょう?」
「たまたま、祝宴で使ったいい鰹節があっただけ」
苦笑いして、箸を取る。
「いただきます」
奏斗が食べ始めるので、志摩も、いただきます、と頭を下げてにゅうめんを口に運んだ。
少し、とろみをつけているのかもしれない。のど越しといい、食感といい、味といい、申し分ない。
「美味しいものとあったかいものって、ほっとする」
思わず笑みこぼれると、向かいで奏斗も笑って麺をすすった。
「お厨子ってさ。なんで移動させるんだと思う?」
しばらくふたりで、ずるずると麺をすすっていたのだが、不意に奏斗が声をかけた。
「わからない」
志摩は呟き、あらかた食べ終わったどんぶりに視線を落とす。
随分と昔から、厨子は、村の当番家を四年ごとに移動していた。
家にある間は丁重にもてなし、盛大な祝宴を設けた後、次の当番家に運ばれる。そうして長い間、厨子はこの村を回り続けている。
「羽村のおっさんじゃないけどさ、なんで一か所で祀っちゃいけないんだ? ほら、普通ならさ。祠とか作ってどっかに祀った方がいいじゃね?」
「厨子を?」
「厨子と言うか、中身を」
断言され、志摩は思い出す。
そうだ。
本来厨子とは。
中に本尊をいれているもののことを差す。
きぃきぃと、ひっかくようなあの音。
内側からたわんだ扉。
それは。
中におさめられたものが、出てこようとしているのだろうか。
ぞくり、と背中を冷たいものが走り、志摩は箸をちゃぶ台に落とした。
「志摩?」
「大丈夫」
ぎこちなく微笑み、志摩は箸を取って、残りのにゅうめんを口に運んだ。
「なんで移動させるんだろう」
奏斗が首を傾げているが、志摩にだってそんなことはわからない。
「おれさ、中身を見たことがあるんだよ、厨子の」
「ぶっ!!」
思わず吹き出し、次いで、せき込んだ。
「おい、大丈夫か」
片膝立ちになる奏斗を制し、志摩は顔を背けてせき込み続けた。
「ど……、どいうこと」
ようやく落ち着き、バスタオルで口元を拭いながら志摩は呆れかえる。
厨子の中身を覗いてはいけない。
それは、この村の人間であれば、必ず年配者から言い聞かせられることだ。
「だって、気になるじゃん」
奏斗はしれっと答え、志摩の前に未開封のペットボトルを置いた。
「小学校低学年の時だったかなぁ……。当番家の法事かなんかに呼ばれて。……あ、違うわ。当番家の長老みたいなんが、死にかけて……。なんか、その年続いたんだよな、葬式が。で、親父たちが呼ばれて……。俺も連れられて来たんだけどさ、とにかく暇でよ。他人の家の中だったんだけど、うろうろしたら……」
自分もペットボトルの封を切り、喉を鳴らして数口ミネラルウォーターを飲み込む。
志摩は呆れていた。
もうツッコミどころ満載だ。
なぜじっとしていないのか、とか。他人の家でよくもまあそんなに自由にできるものだ、とか。ああ、きっとこんな性格だから家で留守番させることが心配で、奏斗の両親は連れてきたんだな、とか。
そんなことを想像している志摩の前で、奏斗は続ける。
「で。誰も居ない部屋で、厨子をみつけたんだよなぁ」
「だ、だからって……。よくまあ……。開けたよね」
志摩もペットボトルを開け、胃に水を流し込んだ。信じられない。まさか、厨子を覗き見たとは。
「きぃきぃ、鳴ったんだよ、あれ」
どきり、と志摩は動きを止めた。
思わずペットボトルを握る手に力がこもる。
きぃ、きぃ、きぃ、きぃ。
きぃ、きぃ、きぃ、きぃ。
「……中身知ってるの? あれ、一体なに」
前のめりに尋ねると、奏斗はちゃぶ台に頬杖をつき、口端を引き絞った。
「それがさあ。まったく、覚えてねぇの」
奏斗はそのときのことを思い出すかのように、目をすがめた。
「なんかこう……。内側から、厨子の扉が押されててさ。今にも開きそうな感じで……。あ。これ、閂開けたら、中からなんか出てくるかも、って」
「よくそれで開けようと思えるよね!? 普通、逃げるか抑えるかしない⁉」
「いや、逆、逆。開けようと思うだろう」
きょとんとしたように奏斗が応じる。
「だけどなぁ……」
奏斗はより深く頬杖に上半身をゆだね、溜息交じりに呟く。
「開けたところまでは覚えてるんだよ。閂をこう……。指で摘まんで……。だけど。そっから、記憶が無いんだよなぁ」
「記憶がないって……?」
「気づいたら、親父に揺り起こされて……。あれ、って思ったら、ばちこーん、ってほっぺた平手打ちされてさ」
「ああああ……。でしょうねぇ……。お父さん、察したんでしょうねぇ」
「あれだけ、厨子にさわるなって、言ったろう、なにをしたんだ、って、すんごい怒られて……。だけど、厨子の扉はぴっちりと閉まってるんだよな。あれ、おれ、開けたんだけど、って言ったら、また、バチバチに殴られて……」
「どういうこと……?」
「親父達が、おれがいないことに気づいて、家の中を探し回ってたんだと。で、座敷の間で、仰向けにぶっ倒れてて……。それが、厨子の真ん前だったらしく」
むう、とむくれてみせる。
「『こいつ、やったな』と。全員が確信したらしい。ひどくねぇか? その時、おれから何も話を聞いてないんだぜ?」
思わず吹き出す。やはり親というか、身近な大人というのは子どものことをよく見ている。
「親父達がおれを発見したときには、もう閂は閉まっていたって。だから、正直、おれが本当に厨子の扉を開いたかどうかはわかんないんだよなぁ」
あきれ果てると、今度は発作のように笑いが沸き上がる。お腹を抱えて笑い転げる志摩に、奏斗は苦笑いで続けた。
「親父や、当番家は、口を揃えて『普通は死んだり、目がつぶれるもんだ。お前は運が良い』って言うけど……。中身を覚えてねぇんだから、どうしようもねえや」
志摩は箸を置き、肩を竦める。
「生きててよかったよ。ほんと……」
どんな目に遭うか分からないんだからね。
そう続けようとしたとき。
「そう思うだろ? ってことはさ。あれって」
奏斗が目を細めた。
「いいものなのか?」
その声は志摩の胸を、どん、と打った。
今まで。
当番家で大切にされる存在だと思っていた厨子。四年に一度、祝宴を催されるほど、敬われていると思った厨子。
それは。
『いいものなのか?』
奏斗に問われて、志摩は答えられない。
だって、あれは、気味が悪い。きぃきぃと音を立て、中身から今にも。
なにかが、這い出そうとしているではないか。
いいものを。
自分たちは祀っているのか?
今更ながら、そんな疑問が沸き上がる。
「とにかく、早急に厨子をどうするか考えないとな」
溜息交じりに発した奏斗の語尾は、玄関チャイムの、びー、という無機質な音にかき消された。
「……来客?」
立ち上がりながら、奏斗に尋ねる。彼も首を傾げながら立ち上がった。
ふたり並んで、玄関へと向かう。
廊下を通り、式台に移動すると、訪問者はすでに玄関扉をひらいて土間にいた。
「おお、よかった。志摩ちゃん。志摩ちゃんって、医者かなんかか?」
額の汗を拭いながら、七十代とおぼしきの男性が早口で尋ねた。確か、自治会長だ。その隣に居るのは、祝宴でも見かけた男性だが、名前は思い出せない。
「いえ……。大学卒業後、小学校教員を……」
「あちゃー……。そっちの先生」
ぱちり、と自治会長が額を打つ。隣の男性もがっくりと肩を落とした。
「なんか、あったんっすか」
奏斗が声をかけると、自治会長が驚いたように目を見開いた。
「かな坊、お前、まだ七塚の家に泊まって……。え!? 志摩ちゃん、大丈夫か!? なんにもされてないか!?」
「だから、なんでおれが襲う前提なんだよっ」
怒鳴りつける奏斗を無視し、志摩は自治会長に尋ねた。
「医療関係者を探しているんですか?」
「そうなんだよ……。七塚の眞砂さんから、『孫は街で先生をしている』っていうから、もしかして、医者かな、って思ったんだけど……」
「実はさ。
自治会長の隣で男性が顔をしかめた。
「加賀家の……。努さん」
祝宴にも来てくれた、加賀家の戸主だ。
小柄だが、人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、奏斗だけではなく、志摩にもねぎらいの声をかけてくれていた。まだ、四十代ぐらい。志摩が小学校で教員をしていた、というと、自分の息子も小学生だ、と、いろんなエピソードを話してくれたり、大変な仕事だよねぇと寄り添ってくれた。
「変ないびきとかはかいてないから、脳障害じゃないとは思うんだけど……。いや、どうかな。起きないこと自体、脳障害なのかな……。とにかく、奥さんが血相変えて『救急車かヘリを飛ばしてください』って言うんで、消防に連絡してドクターヘリの手配をしたんだけど」
「ほら、雨が酷くなったろう? なかなか、到着できないみたいで……。それで、医療関係者がいるんなら、って村内を回ってるんだよ」
自治会長と、男性は顔を見合わせ、同時に溜息をついた。
「お役に立てず、すみません……」
ぺこりと頭を下げると、恐縮される。
「いや、こっちこそ、早とちりで申し訳ない。突然、すまなかったね」
そう言って帰ろうとしたのだが。
「なあ、志摩ちゃん。かな坊」
隣にいた男性が口を開いた。
「〝厨子の祝宴〟は、うまくいったんだよな?」
真正面からそう問われて。
志摩と奏斗は素早く視線を交錯させる。
うまくいったのか。
そう尋ねられれば志摩としては首肯したい。奏斗も同じ気持ちなのだろう。
「祝宴は……とどこおりなく」
「……おわりました」
そう、志摩は締めた。
祝宴は終わった。
ただ。
厨子は、まだ七塚の家にある。
「なら、いいんだ」
男は物問いたげな顔をしたものの、それだけを言い残し、自治会長を伴って家を出ていった。
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