第12話 家族からのLINEN

「平気、平気。メシも水道もあるから。うん。電気も大丈夫……は? なにもしてねえって!」


 いきなり奏斗が志摩に背を向けて怒鳴るから、ぎょっとする。


「おれをなんだとおもってんだっ! 大丈夫だってんだよっ!」


 奏斗の声のあと、なにやら男の低い声がスマホから漏れ聞こえる。さらに奏斗が激高した。


「なにもしてねぇって‼ ほんっと、信用ねぇなあ!」


 叩き切り、奏斗はかなり機嫌の悪い吐息を漏らした。


「ど、どうしたの」

 おそるおそる尋ねると、じろりと睨まれる。


「なんでもねぇ。まったく、じじいと言い、ばばあと言い……」


 ぎりぎりと歯ぎしりする合間に奏斗は文句をひとしきり吐き出す。その間も、頻繁にスマホが通知音を鳴らす。今度はLINENらしい。


 パネルをスライドさせて確認をした途端、また奏斗は吠えた。


「あいつらまでっっ‼ おれは痴漢じゃねぇ‼」


 おもわず志摩は吹き出して笑う。どうやら、奏斗の両親も、友人たちも、なにより「異性と村に閉じ込められている」という状況を危うんでいるらしい。


 くつくつと喉の奥で笑い声を潰していると、お尻のポケットに入れていたスマホが鳴り始めた。


「あ。私だ……」

 急いで引き出し、パネルを見る。母からだった。


「もしもし?」


 タップして耳に当てる。


 途端に。

 きぃぃぃん、と高音域の周波数が鼓膜を打った。


 思わず耳から離す。


「もぉぉぉぉし、もぉぉぉぉぉし」


 スマホから流れ出すのは、妙に間延びした、誰だかわからない音声。


「……もしもし?」


 スマホを離したまま、志摩は震える声で問う。

 誰だ、と。


「だぁぁぁぁぁぁあああああれぇぇぇぇぇ? だぁぁぁぁぁぁあああああれぇぇぇぇぇ?」


 くくくくくく、と忍び笑いを含ませた声がスマホから溢れてきた。

 ききききききき、と。背後で別の誰かも嗤っている。


 志摩は無言で奏斗を見やる。

 奏斗も凍り付いたように志摩の手の中にあるスマホを見ていた。


「もしもし? ねえ、聞こえてる? お母さんだけど」


 唐突に、スマホは母の声音を発し始めた。


「どうしたの? 聞こえない? ひょっとして電話番号間違えてる?」


 いらただし気に問われ、思わず「ううん。志摩よ」と応じようとした。

 だが、奏斗が命じる。


「切れ」


 言うなり、手を伸ばしてパネルを勝手にタップした。

 ぷつり、と。

 通話が切れる瞬間。


「ざああああああん、ねぇぇぇぇん」

「きぃられちゃったああああああああああ」


 女性とおぼしき二人の声が聞こえ、すぐに消えた。


「LINENで連絡しろ、文字で。おばさんに、通話ができないから、と言え」


 固い声で奏斗は続けた。

 がくがくと志摩は頷き、すぐにアプリを起動させる。


 気づかなかったが、未読メッセージが大分溜まっていた。


 大半は、義妹と恋人の旅行の写真だが、その合間に、母と義父から、『警報出てるけど大丈夫?』『道が遮断された、って言うけど、そっちのことじゃないよね』『連絡ください』『今電話できる?』『避難してる?』と、頻繁にメッセージが入っていた。


 志摩はまだ震える指で、文字を打つ。


『ごめん、原因がわからないけど、電話ができない。LINENでやり取りするね』『警戒レベル4だけど、大丈夫』『道はふさがったけど、重機が入ったって』『道が開通したら戻るね』


 メッセージを送る側から既読がついて行く。


 自分は随分と心配されていたのだ、と、じわりと心にぬくもりが広がった。


(……あのときも、お母さんもお義父さんも、真剣に村上先生に怒ってくれたっけ……)


 あんなに必死の形相で詰め寄った義父を見たのは初めてだった。

 血のつながらない娘ということで、志摩に対してはかなり遠慮のある人だったが、自分のことを家族だと認めてくれていたのだろう。庇護すべき娘だ、と。


『へー。大変そう』

 ぽつん、と義妹の泉水から文字だけのメッセージが送られてきた。


『電気もガスも水道も生きてるから、心配しないで』


 無難なメッセージを送ると、既読がつくだけで返事はない。ただ、母からは、『よかった』というメッセージが送られ、義父からは、『明日になるけど、近くまで迎えに行こうか』という内容が送られてきた。


『大丈夫。それに、まだ道がどうにもならないから……』

 慌ててそう送る。


 実家からは、百キロ近く離れた村だ。車で来てもらっても、道はふさがっている。だが、母からも、『でも、不安じゃない?』と送ってこられた。


『奏斗くんも、家に帰れなくて七塚の家にいるから。大丈夫』


 送った途端、既読はつくものの、しばらくメッセージが動かない。


「……これは、おれのことも危険だと思っているのか?」


 画面をのぞき込んで奏斗が落ち込んだ声を漏らすから、志摩は笑いながら首を横に振った。


「違うと思う。多分、私がふたりに心配かけないように、嘘を言ってるんじゃないか、って思ってるんじゃないかな……。それを、ふたりで今話し合ってるとか……」


「だったら、ほれ」


 言うなり奏斗はぐい、とスマホを握る志摩の手ごと掴む。

 肩を寄せ、カメラを起動させる。


 自撮りモードにすると、スマホ画面にふたりの姿が映った。思いのほか奏斗が自分に頬を寄せていて、ちょっとたじろぐ。その表情のまま、奏斗はシャッターを押した。


「送信、っと」

 

 奏斗がタップした途端、画面上に、困惑した顔の志摩と、満面の笑みを浮かべてピースサインをしている奏斗が頬を寄せ合って映っていた。


『わー! 奏斗くん♡♡』。母親がハートマークを多用したメッセージを送り、即座に義父が『はじめまして。誰ですか』と文字からさえ警戒心むき出しのメッセージが送られてきた。


「というか、絶対、隣にいるんだから、お母さん説明したらいいのに」


 自然に笑みこぼれた。

 脳裏に浮かぶのは、ソファの定位置で、『誰だこれ、誰だこれ』と訝かしむ義父と、カーペットの上で胡座をして、文字で『親戚の子』と返信する母の姿。仲が悪いわけではなく、むしろ良い方なのに、なぜか母は直接話さず、LINENやメールで夫に説明することが多い。


『奏斗くん、元気そう。かっこよくなったなあ!』

『志摩ちゃん。その人とふたりっきりじゃないよね? なにかあったらお父さんに ほう・れん・そう だから』


『お母さんは、奏斗くんなら別にいいよー!』

『お父さんは、だめです』


 矢継ぎ早に来るメッセージに、思わず笑い声が漏れる。語尾に、不穏な雷鳴が混じった。どうやらまた、雷が落ち始めているらしい。


『ひとりじゃなくて、安心した』『……まあ、そうかも』

 両親のメッセージに、頬が緩む。


 だが。


『(* ̄- ̄)ふ~ん ねえ、その人、また既婚者なんじゃない?』


 義妹のLINENに、志摩は固まった。


 咄嗟に奏斗を見るが、雷鳴に気を取られたらしい彼は、玄関扉を見ていた。

 ほっと胸をなでおろす。泉水はさっさとメッセージを消したらしい。『このメッセージは取り消されました』という表示が現れた。


『また、なにかあったら連絡するね』


 志摩は強引にメッセージを終了させると、スマホを式台の上に置いた。


「お風呂、行ってくる」


 奏斗に声をかける。心配げにすりガラス越しに外の様子を窺っていた奏斗が微笑んで頷く。


「雷は鳴っているけど、雨はやんでるからな。今のうちに行ってこい」

 志摩は式台の上に立ち上がり、廊下に向かって進む。


「あ。ついでに、部屋の冷房入れておいてくれ。おれは、炊事場行って、ちょっと食材と飲み物チェックしてくる」


 奏斗も立ち上がり、こちらはクロックスをひっかけて、土間を進む。炊事場に向かうようだ。


「わかった」


 返事をしながらも、本当に頼りになるな、と心強い。自分一人なら、どうなっていたことか。きっと右往左往して情報も手に入らず、困惑していたに違いない。


 志摩は寝室として使っている座敷に入る。

 まずは、壁にかかったリモコンを手に取り、冷房を起動させた。


 入ってすぐの間は、奏斗が主に使用している。布団は畳んで押し入れに仕舞われ、彼が持ってきた大型のリュックだけが、どん、と中央に鎮座していた。


 志摩は衝立の向こうに進み、部屋の隅に置いたキャリーケースに近づく。


 自分が使った布団も押し入れに仕舞いこみ、今、畳の上には水色のキャリーケースと、たとう紙しかない。中には、昨日丸めて叩きつけた黒留袖があった。乱雑に扱ったというのに、朝、畳みなおしても皺ひとつなかった。母から借りているものだけに、心底ほっとしたのを覚えている。


 志摩はキャリーケースの中から下着の着替えと、Tシャツ。ハーフパンツを取り出してランドリーバックに入れた。


 立ち上がり、障子に向かうと、どおん、と低く雷鳴が響いて窓が振動した。また、どこかに落ちらしい。


 志摩は首を縮めてやり過ごすと、そのまま、勝手口から庭に出る。


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