厨子の祝宴

武州青嵐(さくら青嵐)

第1話 厨子の祝宴

 上がり框に正座し、頭を下げた姿勢で志摩しまは玄関の横引き戸が閉まる音を聞いた。


「やれやれ」


 先にぼやき声を上げたのは、隣の奏斗かなとだ。視線を向けると、すでに足を崩し、前合わせを乱雑につかんで風を送り込んでいる。


「まだ着崩しちゃだめだよ」

 苦笑いで言いながらも、志摩も横座りした。ついでに掌を団扇代わりにして扇ぐ。


 暑い。

 日が落ちてからというもの、やけに蒸してきた。


 土間から這い上がるのは、じっとりとした湿気。玄関引き戸の向こうは闇に包まれ、時折吹く強い風に、はめ込まれたすりガラスが不快な音を立てる。


 天気予報では、明日から天候が崩れるはずだった。


 雲の流れが速い。

 山に囲まれたこの村では、一時間単位で天気が変わる。


『雲をよく見なさい。山の声を聞きなさい』

 突然の雨に濡れ、慌てて帰宅した志摩の頭を拭きながら、祖母はよくそう言っていた。


 その祖母も、現在はいない。

 都市部の病院に入院中だ。


「ったく、ただ酒だと思って……。どんだけ飲むんだよ」

 吐き捨てる奏斗の声に、志摩は再び彼を見た。


 みっつ年上の遠縁の青年だ。今年、二十七になると言っていた。

 小さなころは毎年のように顔を合わせていたが、母が再婚してからは初めて会う。


 実に、十数年ぶりだ。

 子ども心にカッコいいお兄ちゃんだと思っていたが、成長して見れば、やはり人目を引く容姿の青年に成長していた。


 農業を継いだ、と言う通り、肌はよく日に焼けており、羽織袴越しにもがっちりとした上背が見て取れる。ジムか何かに通っているのか、と尋ねたら、鼻で嗤われた。こんな田舎に、そんなものはないらしい。彼の身体は、日々の業務で鍛えられた結果のようだ。


「後片付け、どうしようっか?」

 立ち上がり、志摩は胡坐をかいたままの奏斗に尋ねる。ついでに、ちらりと自分の着物に視線を走らせた。


 酌や料理の上げ下げで裾がだいぶ乱れたらしい。腰を曲げ、ぐい、と黒留めそでの上前を引っ張って適当に整える。どうせあと数時間しか着ないのだ。見栄えだけ良ければいいだろう。


「明日にしようぜ。もう、今日は風呂入って寝る」

 奏斗は後ろ手にだらしなく座ったまま、羽織の肩口に鼻を寄せ、顔をしかめた。


っさ……。そういや、おっさんに酒、こぼされたんだっけ。ったく、分家分家と言いやがって」


「いいなあ。私、そっちが良かった」

 つい本音が出る。


 祝宴の間、奏斗は来客者に酒を注ぎ、返杯を受け、もてなす側に徹していた。


 対して、志摩はというと、村の婦人会が炊事場で作り出す料理をひたすら、座敷に運ぶ役目だ。


 空いた皿を下げ、盛られた煮物や酢の物、焼き物を並べ、畳に転がる盃やグラスを炊事場に運ぶ。

 すると婦人会が新しい食器を志摩に渡し、湯気の上がる料理を、どん、と押し付けてくるのだ。


「おれと交代したら、客じゃなくてお前が全部飲むだろ」


 ぶっきらぼうに奏斗が言う。まあ、そうだろうな、と思うから何も答えないでいると、くっ、と小さく笑われた。


「図星かよ」

「短期間で飲むんじゃないからいけるかも」


 なにしろ、〝厨子の祝宴〟は昼の十二時から夜の十時まで続いたのだ。


 来客者は思い思いの時間にやってきて厨子に拝礼をし、そして座敷の宴会に参加する。


 帰宅する時間も様々だ。

 さっきの中年男性のように昼から今までひたすら飲んで食っている男もいれば、夫の代理だという高齢の女性のように、厨子に深々と頭を下げたのち、奏斗が注ぐ盃の酒を飲み干して帰っただけの人もいる。


 十時間に及ぶ宴席を支えるのは、婦人会であり、宴席に参加するのはその婦人会の家族たちだ。


 〝厨子の祝宴〟を取り仕切り、一切のカネを支払うのは厨子を四年間預かった当番家。


 つまりは、志摩の祖母であり、奏斗の本家である七塚ななつか家だ。


「それより、お腹すいた。奏斗くんはごはん食べたんでしょう?」


 つい非難がましい口調になってしまう。帯できつく締められた腹はぺたんこだ。料理を運ぶばかりで、何も口に入れていない。


「おれだって、人に酌するばっかりで、何も食ってない」

 む、とした口調で言い返される。


「でも飲めたんだし。いいなあ」

「飲みたくて飲んでるわけじゃねぇ」


「お酒だってカロリーだよ」

「お前みたいに、酒だけで満足できるか」


 ぼりぼりと首筋を掻くと、前合わせがさらに広がる。鎖骨から胸辺りがいきなり視界に入ってきて、志摩は慌てて目を逸らした。


「人をアル中みたいに」

 逸らした理由を探られるのが嫌で、つい捨て台詞を吐いた。


「ああ、もう、くそ。なんか食おう」

 よいしょ、と奏斗が立ち上がり、生あくびをひとつ漏らす。


 ふわり、と湿気た空気が揺れ、それに酒の香りが混じった。奏斗が動くたび、酒と、それから煙草の残り香がした。


「……くっさあ……」

「うるせえ。おれだって好きでこんな臭いさせてんじゃねえ」


 奏斗が不機嫌の塊を吐き出した時、しゅるり、と桟を滑って障子が開いた。


「お客さん、全部帰った?」

 顔をのぞかせたのは、羽村はねむら家の主婦、美津子みつこだ。


 紺色の色無地に、白の前垂れをしている。ひっつめた髪の生え際にはかすかに白いものが混じっているが、それでも五十代には見えないほど肌は若々しい。


「はい。さっき」

 志摩が応えると、美津子は深く息を吐き、前垂れで手を拭きながら大げさに眉をひそめて見せた。


「高橋のおじさん、しつこかったねぇ。いつもなのよ、あれ。ほんと困るわぁ」

 お愛想程度に口角に笑みを載せるが、奏斗は無表情のままだ。


「婦人会も今帰ったのよ。料理の残りはタッパーに入れたりラップして炊事場に置いてるから。あんたたちで食べるなりなんなりしなさい」

 奏斗の態度には慣れているのか、美津子は特に気を悪くするでもない。


「ありがとうございます。お腹すきました」

 ほっと顔を緩ませ、志摩は帯の上からお腹を撫でた。そのしぐさに、美津子が笑う。


「座敷の片付けも食器も婦人会がしてくれたから、もう今日はゆっくりしなさいな。明日でいいから、会長さんの家にお礼のお酒を持って行っておいて」


 お礼。酒。目をまたたかせると、美津子は丁寧に、炊事場のどこに熨斗をまいた酒があり、何時ごろ持参すればいいかを口頭で教えてくれる。


「今年は檀那寺の大徳寺が来なかったから……。あちらにも、一報入れておく方がいいかも」


「助かります。本当に、なにをどうしたらいいかわからなくて……」


 母が再婚してから縁が切れているせいで、勝手がまるでわからない。


 今回、羽村家の、特に美津子が陰でいろいろと采配をしてくれなければ、志摩と奏斗だけでは到底〝祝宴〟は仕切れなかった。


「おい。もうそっちは終わったのか」

 美津子の肩越しに、野太い男性の声がする。美津子が振り返り頷いてみせた。


「じゃあ、話をするから。入ってこい」

 声の主はどうやら羽村家の戸主、あきらのようだ。


「はいはい」

 美津子はぞんざいに返事をし、志摩たちのために障子を大きく開く。


 同時に、雑多な香りが押し寄せてきた。

 煙草。料理。汗。酒。


 思わず吐き気を催しそうになる。


 眉根を寄せて奥歯を噛むと、ふわりと、視界を真白の靄に包まれた気がした。

 咄嗟に手で払う。


(煙草かな……)


 志摩の周囲には煙草を吸う人間がほとんどいないせいで、この煙と臭いが嫌でたまらない。


 だが、宴席では、男性たちは老いも若きも、すぱすぱとよく吸っていた。おかげで、灰皿を何度取り換えたことが。


「祝宴じゃ、誰もかれもがタバコ吸うからな。大丈夫か?」

 軽く背を押され、顔を上げる。


 奏斗だ。

 乱れた前合わせを整え、さっさと座敷に上がっている。


 志摩も半歩遅れ、足を上げた。

 座敷は一段高くあつらえてある。

 ぐ、と、足袋越しに畳を踏みしめて座敷に上がった。


「まあ、ほれ。座れ」

 昭の声に、顔を向ける。


 彼は、座敷の中央で、厨子の隣に座っていた。


 座敷は、いわゆる続き間になっている。

 本来は、襖で三部屋に分けてあるのだが、今日は〝厨子の祝宴〟で客が大挙するため、奏斗とふたり、昨日襖を取り払ったのだ。


 彼と行ったのはそれだけではない。

 祖母がひとりで暮らしていたこの古民家レベルの家の掃除、買い出し、家電の修理もだ。


 掃除や食器の準備などは志摩一人でもなんとかなるが、買い出しに行こうにも車がなく、家電の修理など最早論外。


 そこを、奏斗がひとりで担ってくれた。


 志摩では重くて押せない台車を押して酒を買い出し、唸るばかりでまったく動かなかった扇風機をよみがえらせ、襖を開けた途端に洪水のようにあふれ出した座布団の波から、志摩を助け出してくれた。


「おっさん。おれら、腹減ってんだけど」

 奏斗はずかずかと進み、昭の向かいにどっかと座るからあわてる。


「まず、お礼言ってよ」

 斜め後ろに座り、小声で叱責するが、ハエでも追い払うかのように掌を振られた。


「すぐ済む。ちょっと話があるんだ」

 赤ら顔の昭は、ちらりと美津子に視線を向ける。彼女もいそいそと夫の隣に正座した。


「この、厨子のことなんだがな」


 昭と美津子。

 そして、奏斗と志摩の間には。


 黒々とした厨子がある。


 高さは一メートルちょっと、といったところだろうか。


 観音扉の取り付けられた本体の下に、よっつの丁足がついている。そして頭部には屋根を載せた丸厨子だ。


 全体的に黒漆を塗られたそれは、かなりの年代物に見える。

 金具だけは時々交換するのだろう。

 扉を閉じる閂も、四方を留める金具も金色に輝き、古めかしさは感じられない。


 厨子とは、本来仏像や仏舎利、経典を入れる仏具なのだが。

 志摩は、この厨子の中に何がおさめられているのか、知らない。


 奏斗もだ。


 中を覗き見ることは禁止されている。


 そして。 

 この厨子は。


 四年周期で村の当番家を回り、家人に大事に祀られる。


 そうして、〝厨子の祝宴〟を経て、次の当番家に運ばれるのだ。


「ああ。このまま、おっさん持って帰るか?」

 奏斗が立ち上がるそぶりを見せた。


 運ぼうと思ったようだ。

 だが、昭が手を伸ばして制する。


「ずっと、七塚の家に置いておかんか?」


 呆気にとられたのは奏斗だけではない。

 志摩もだ。


 口を半開きにし、しばらく昭を見つめる。


 不意に。


 だん、と空気を震わせて縁台のガラス窓が鳴った。


 誰もが肩を震わせ、顔を向ける。


 上半分にガラス。下半分は杉板がはめられた引き戸だ。

 吹き付けた風に揺れたらしい。

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