第22話 厨子と女

 帰宅した志摩と奏斗を待ち構えていたのは、自治会長と田淵家の戸主、誠也せいやだった。


 玄関にもたれ、軒下でぼんやりと立っていたふたりの男は、志摩の姿を捉えた途端、険しい顔を向けて歩み寄ってきた。


「なんだよ」

 剣呑な雰囲気を感じ取った奏斗が志摩の前に立つ。


「厨子のことを聞きたい」


 口を開いたのは、誠也だ。

 六十代といったところだろうか。額がはげ上がり、深い横皺がいくつも刻み込まれている。どんぐり眼とぶっきらぼうな物言いのせいで、けんか腰に見えた。


「厨子が何」

 志摩に答えさせるつもりはないらしい。奏斗が応じる。


「わしは七塚の者に聞いとるんだ。分家は引っ込んどれ」

「はあ?」


 最早怒りを隠そうともしない奏斗と睨みあいを始める誠也の間に割って入ったのは自治会長だ。


「まあまあ。かな坊もいずれは、志摩ちゃんと結婚してこの家を継ぐんだろうしさ。この際、誰が答えてもいいじゃないか」


 自治会長が愛想笑いを浮かべる。


「はっ。種つけ用に選ばれたか」


 小馬鹿にして嗤う誠也に、奏斗が拳を握る。慌てて今度は志摩がその腰にすがりついた。


「やめて、やめてっ」

「田淵さんも、口を慎めっ」


 ありがたいことに、自治会長が誠也を制してくれたおかげで、奏斗が暴力を振るうという最悪の事態は避けられた。


「志摩ちゃん。厨子はまだ七塚にあるのかい」


 無言で睨みあう誠也と奏斗を無視し、自治会長が尋ねる。志摩は奏斗の腰に抱き着いたまま、ぶんぶんと首を縦に振った。


「厨子の祝宴は、無事終わったんです、それは本当です。だけどそのあと、羽村さんが、ここに置いていてくれ、と」


「羽村が?」


 ぎょろりとした瞳を誠也が志摩に向ける。びくり、と肩が震え、志摩は奏斗にさらにきつく抱き着いた。


「七塚の家が空きそうだから……。祖母がこのまま亡くなったら、空き家になるだろうから、厨子をここに置いておいて、四年ごとに当番家でお金を出し合って祝宴を……」


「なにを考えてんだっ!」


 誠也が怒鳴りつける。志摩は困惑するが、自治会長は絶望したかのように頭を抱えた。


「今、厨子はどこにある!? とにかく、羽村の家に置いてくる!」


 誠也の勢いに押され、志摩はよろめきながら玄関扉に取り付いた。

 ワイドパンツから引き出した鍵で開錠すると、その肩を押しのけるようにして誠也が先に家に入った。転倒しかけたところを、慌てて奏斗に支えられる。


「おっさん! ふざけんな!」

 奏斗が怒声を放つが、逆に、「厨子はどこだ」とすごまれた。


「意味がわからん。なんだ、これ」

 志摩の肩を抱いたまま、奏斗は睨みつけた。


「おれらは、言われた通り厨子の祝宴を開いた。終わらせた。それなのに、これはなんだっ」


 奏斗も負けちゃいない。一歩も引かずに誠也相手に吠えた。


七塚うちは、ちゃんとやった! 後は、他で話し合えよ!」

「かな坊の言う通りだ。本当だ。すまん。田淵さんも気が立ってるんだ」


 二人の間に割って入ったのは、またもや自治会長だ。額にびっしりと汗を浮かばせ、奏斗を見上げる。


「厨子がちゃんと当番家を回っていないから、村で異変が続いているんだ。志摩ちゃんとかな坊が悪いんじゃない。厨子を受け入れなかった羽村が悪いんだ」


「あれ、なんなんだ」


 奏斗は、土間に入り、障子を指さす。


 その座敷には。

 厨子が安置されている。


「なんで、当番家で回すんだ。大事なものなら祠にでもいれて祀ってればいいじゃねえか」


「分家には関係ないことだ」


 誠也は言うなり、草履を脱いで式台に上がった。奏斗の仕草や目線から座敷に厨子があると気づいたらしい。


「分家分家ってうるせえなあ!」


 奏斗が怒鳴るが、意に介さず、誠也は背を向けて障子を開けた。


 縁側に続く雨戸を開け放しているせいで、電気をつけずとも明るい。襖も閉めていないので、目の前に床の間が見えた。


 そこに。

 闇が凝っている。


 いや。

 漆黒の。

 厨子がある。


「わしら本家がなんもかんもかぶって、分家を村の外に出してやっているからのうのうと暮らせているんだ。それを……よくそんな口がきけるな」


 誠也はちらりと奏斗を振り返って吐き捨てる。


「黒宮だって外に出た分家だろう。本家の苦労も知らずにえらそうに」


 ぶつぶつと低くまだ何か言っていたが、土間にいる志摩たちの耳には明確に聞こえない。


 ただ、自治会長だけが平身低頭、奏斗に謝っている。


「あの厨子は、当番家を回すことでこの村を守っているんだ。女たちの動きを封じてるんだよ」


「守る? 女の動きを封じてる?」

 奏斗が顔をしかめてオウム返しに尋ねる。


「女って……。どういうことですか?」

 志摩も自治会長に問うた。


「あんた。塚守つかもりなのに、何もばあさんから聞いていないのか」


 ぶっきらぼうに言い放つ誠也の語尾を、ごつり、と別の音が重なった。


 視線を転じる。

 誠也は、無造作に厨子を持ち上げていた。


 その厨子に。


 ぶらり、と。

 〝黒〟がまとわりつく。


「これだから都市部に出たやつは困る。曖昧になんでもしおって」


 馬鹿にした口ぶりに、奏斗は反応しなかった。

 志摩も、動けない。


 ただ。

 ふたりして、呆気にとられていた。


 言葉を失い、見ていた。

 厨子を。


「女たちが出られないように、だよ」


 誠也が両手で持つ厨子。


 そこに。

 ずるり、と。

 黒い女がしがみついている。


「この厨子は、六家を周り、女たちが村を出られないにように。自由に出歩けないようにしているのさ」


 厨子を目の高さまで抱え上げた。


 同時に。

 ずるり、と。


 黒い女の胴も伸びる。


 ひひひひひ、と。

 黒い女の忍び笑いが聞こえて来た。


「昔、この村に連れてこられた女たちだよ」


 すぐ側でいきなり言われ、志摩は悲鳴を上げて奏斗にさらにしがみつく。奏斗も蒼白な顔のまま、志摩の腰をきつく抱いた。


 自治会長が不審げに、そんな志摩と奏斗を見ている。


「知らないかい? この村に連れてこられた女たちの話」

「そ、それは……」


 なんの話だ、と奏斗は尋ねようとしたのかもしれない。


 だが。

 彼の耳も。志摩の鼓膜も。


 畳を擦る、ずるずるという音に惹きつけられた。


「とにかく、この厨子は羽村の家に持っていく」



 ずるずるずるずる。



 誠也は、厨子を両手で抱えて歩み寄ってくるが。

 それは、同時に、厨子にしがみつく黒い女も近づくことを意味していた。


 厨子の丁足に爪を立て、黒い女は闇を引いて畳をのたうつ。

 ぐるり、と、上半身を反転させた。


 ひひひひひひ、と三日月形の口からは呼気を漏らし、蛇身のように伸びきった胴体は、畳に闇をまぶして翻る。



 ずるずるずるずる。



 黒い女は、長い髪を何度も揺すって、誠也を見上げた。

 いひひひひひ、と、笑いかけた。


「……それ、持っていくのか」

 奏斗が指をさし、誠也に震える声を放つ。


 彼が示したのは。

 厨子にしがみつく黒い女だが。


 誠也は厨子本体だと思ったようだ。小さく鼻を鳴らし、近づいてくる。

 咄嗟に奏斗は志摩を抱えたまま土間を移動した。


「やっぱり、種付け用か、お前。今晩、せいぜい励めよ」


 好色な笑みを浮かべて志摩を見やると、誠也は自治会長を連れて家を出て行く。



 ずるずるずるずる。

   ずるずるずるずる。

      ずるずる、と。



 胴と髪の長い真っ黒な女を引きずりながら。


「あ……、あの厨子って、なんなの……」


 志摩は奏斗に抱き着いたまま声を震わせた。返事など実は待っていない。奏斗だって知らないことは分かっている。


 だが、誰かに尋ねたかったのだ。


 あれは、なんなのだ、と。

 自分たちはいったい、何を祀り、何を家々に回していたのだ、と。


「良いものなのか、あれは」


 すぐ耳元で聞いた奏斗の言葉には既視感があった。

 そういえば彼は祝宴の後にそのようなことを言っていた。


 外は蒸すほどの暑さなのに、土間は冷気が漂い、志摩の腕には鳥肌が立っている。しっかりと奏斗に抱きしめられ、彼から伝播する熱だけが志摩の身体に巡る血を温めていた。


「あの中身はなんだ。おれは昔、見たはずなんだ……。あの時、長老が死にかけてて……。いや、葬式が続いたんだ……。それで、六家のみんなが集まって……。おれ、厨子を開けて……」


 ぎゅ、と強く抱きしめられる。

 一瞬息が詰まりかけ、それに気づいた奏斗が慌てて腕の力を緩めた。


「悪ぃ……」

 呟く奏斗の代わりに志摩が、彼にきつく抱きつく。


「誠也さんは、『あの厨子は、六家を回り、女が村を出られないようにしている』って言ってた」


 奏斗のTシャツに顔を押し付け、志摩は言う。


「女、ってあの人たちのことだよね。写真に写ったり、この家をうろうろしている……」


 そして、厨子にしがみついていたあの黒い女。


「志摩」


 名前を呼ばれ、そっと顎を上げた。鼻先が触れ合うほどの距離で奏斗が自分を見つめている。


「この村にいる限りは、おれがずっと守ってやる。だから」


 彼が話すたびに、志摩の睫毛が揺れた。かすかに彼の呼気からはラムネの香りがする。


「道が復旧したら、すぐにここから出よう。なんか」


 嫌な予感がする。


 奏斗は志摩の首に顔をうずめ、再び強く抱きしめる。「うん」。志摩は彼の身体に顔を押し付けるようにして頷いた。


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