第10章:大迷宮【アビス】Ⅳ

第1話【暑い】

 桃色の扉を抜けた先に広がっていたのは、人間がようやく一人潜れるかという程度の狭い洞窟だった。


 ゴツゴツとした岩肌が妙な圧迫感を与え、全体的に薄暗い。ご主人様のユーリが特殊スキル【強欲の罪マモン】でカンテラを出さなければ、その先を見通すことが出来なかった。

 とりあえず先頭にフェイが立つこととなり、そのすぐ後ろにユーリがベッタリと張り付いてくる。簡単に順番を入れ替えることが困難なので、フェイの後ろをアルアやメイヴに譲ればどうなるか分かったものではない、と判断したのだろう。


 実際、簡単に列の順番を入れ替えることが出来ないとすぐに判断したアルアとメイヴはフェイの背中を狙っていたようだが、ユーリが割り込んだことで失敗に終わった。恨みがましげな視線が寄越される。



「進みな、フェイ」


「了解」



 ご主人様に命じられ、フェイは足元の窪みに躓いて転ばないように気をつけながら進む。

 ちなみにこの洞窟に潜ってから、フェイたちの格好は元の状態に戻っていた。いつまでも背広のままではまともに探索が出来ない。


 狭い洞窟を進みながら、フェイはふとユーリに問いかける。



「そう言えばマスター、今って何日ぐらいなのか分かる?」


「知らないねェ」


「マスターでも知らないの?」


「まあ吐き出されたその時が制限時間なんだろうねェ。それまではどこまでも潜ってやるさね」



 最強の探索者でさえ時間感覚を狂わせる大迷宮ラビリンス【アビス】の存在に、フェイは密かに戦慄するのだった。

 当然ながら迷宮区ダンジョンなので時計はない。基本的に最速踏破を目指すような探索者はすぐに死ぬものと考えられているので、慎重さと正確さが求められる。だが慎重なだけではいつまで経っても踏破できないので、探索者には大胆さも必要だ。


 普通の迷宮区なら潜ればいつまでもいることが出来るのだが、大迷宮【アビス】には一週間という制限時間がある。しかも一〇〇年に一度しか解放されない特殊な迷宮区だ、この好機を逃せば次は一〇〇年後である。

 その時にフェイは生きていない。一〇〇年も待っていれば確実にヨボヨボの爺さんになって死んでいることだろう。


 せめて時計ぐらいは持ってくるべきだったかとフェイが少し後悔していると、



「何だか暑いね!!」


「そうだねー」



 列の後ろの方を歩くドラゴとルーシーが、何かを感じ取った様子だった。


 確かに言われてみれば、何だか少しだけ暑い気がする。狭い洞窟で動き回ったせいだろうか。

 いいや、多分違う。ジリジリと肌を焼くような感覚に、フェイは思わず顔を顰めた。


 この洞窟を進めば進むほど、徐々に暑くなっていくのだ。真夏の太陽に肌を焼かれるような感覚がまだ可愛く思えてくるぐらいに。



「マスター……」


「進みな、フェイ。ちゃんとゴーグルをするんだよ」



 ユーリはいつもの装飾品がこれでもかと縫い付けられた外套コートの下から、銀色の散弾銃を取り出す。この先に待ち受けるものに警戒しているようだった。


 ご主人様から命令されれば、進まない訳にはいかない。フェイは彼女の奴隷だ、命令に対する拒否権など最初から持ち合わせていないのだ。

 仕方がないのでフェイは狭い洞窟を進み始める。奥へ奥へと進むに連れて、洞窟内の気温も上昇しているような気がした。


 果たしてここは何階だろう、そしてどこまで進んだのだろう。――神々が人類に叩きつけた挑戦状たる迷宮区ダンジョンは、永遠に続くような気がしてならなかった。



 ☆



 ようやく洞窟にも終わりが見えたところで、フェイは額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。


 言われてみれば暑いと感じる程度だったのに、いつのまにか真夏を通り越して蒸し風呂の中に放り込まれたかのような、暑さが襲いかかる。

 おかげで深緑色のつなぎはフェイ自身の汗でぐっしょりと濡れているし、止めどなく汗も噴き出してくる。背後にいるユーリに「汗臭いよ」と吐き捨てられないか心配だった。


 洞窟の先は、どこか赤いような気がする。橙色、朱色、赤色と暖色系の輝きで満ちていた。それにこの暑さも相まって嫌な予感しかしない。



「この先、めちゃくちゃ暑すぎる……」


「本当だねー、何だか食欲もなくなるよー」



 ルーシーが「暑いー」などと言いながら額に滲む汗を拭った。

 食欲がなくなると言うが、ルーシーは前の階層でしこたま幽霊を食べたばかりだ。食欲がなくなるというより、もうお腹いっぱいという認識でいいはずだ。


 フェイは暑さを我慢して、光が見えた洞窟の先へ足を踏み出した。



「…………うーわ」



 思わず天を振り仰いでしまうフェイ。地下深くに天などないが、それでも振り仰いでしまった。


 洞窟の先に広がっていたのは、溶岩で溢れた真っ赤な世界である。僅かに伸びた石の道が迷路のようにぐねぐねと曲がり、いつ崩れるか分からない不安定な道となっている。

 そしてその下に広がる溶岩は、グツグツと煮えたぎっていた。これは飛び込めば確実に命がなくなる類である。絶対に嫌だ。


 なるほど、暑かったのはこれが原因か。もう真夏の暑さとか、蒸し風呂の暑さとかではない。吸い込む息にも熱気が孕み、この先に進もうというフェイの気力を容赦なくゴッソリと削いだ。



「もうやだ……ここに来てマグマとか聞いてない……温度差で風邪引く……」


「治すかい?」


「マスター、そういうことじゃないんだよ」



 銀色の散弾銃で風邪を治すかと提案してくるユーリに、フェイは首を横に振って「気持ちだけもらっておくね」とやんわり辞退した。冗談なのか天然ボケなのか分からない。

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