第5話【酒場での騒動】
ルイーゼの酒宴という名の酒場がある。
アルゲード王国の大通りに面した人気の大衆酒場で、
明るく溌剌とした給仕のお姉さんたちが雑多に並べられた酒場の座席を巡り、酒焼けした声で笑う酔っ払いどもの冗談や冷やかしを軽くあしらう。調理場では厳つい顔面の店長が調理道具を使って、安くて美味しい大盛り料理を提供していた。
店内の賑やかさはまさに酒宴と表現するに相応しく、赤ら顔の
「ふぇーいッ、飲んでるかーい?」
「だからぁ!! 俺はまだ一八だから飲めないんだっての!!」
酒が提供される年齢は二〇歳からと法律で決まっており、提供が許されるのは果実水だけだ。酒精の入っていない酒はルイーゼの酒宴では提供しておらず、一八歳であるフェイは必然的に酒を飲むことが許されない。
そもそもフェイは奴隷なので、主人であるユーリはおろか他の客が利用する酒場で食事を取ることが許されない。現在、周囲に何も言われずフェイが一般人と同じ食事の待遇を受けられるのは、ユーリの功績に依るところが大きい。大感謝である。
酒を大量に飲んだせいでトロンと眠たげな赤い瞳でフェイを見つめたユーリは、
「ああ? 何だってェ? アタシの酒が飲めないってのかい!!」
「飲めねえんだよ、法律的に!! マスターいい加減に水を飲んだ方がいいって!!」
「うるさいねェ、今飲んでるじゃないかい」
「お前が飲んでるものは水じゃなくて麦酒だ、マスター!!」
ベロベロに酔っ払ったユーリが椅子から転げ落ちないように支えながら、フェイは近くを通りかかった店員を呼び止める。
「すみません、この人に水をお願いできますか?」
「かしこまりましたぁ」
店員の少女は朗らかな笑顔で対応し、すぐに
硝子杯に水を注ぎ入れ、フェイはユーリの手から
硝子越しに冷たさを感じる硝子杯をご主人に手渡し、溢さないようにしっかりと支えてやる。ベロベロに酔っ払っているので、いつひっくり返すか分からない。
「んんー? 水なんて頼んだっけェ?」
「俺が頼んだの。ほら水飲めってマスター、そんな状態じゃ帰れねえぞ」
「フェイが負ぶって帰ればいいだろうに。それぐらい鍛えてるの、アタシは知ってるよぅ?」
「負ぶって帰ってもいいけど、絶対に暴れるだろお前。ふざけんな、自分の足で歩け」
とりあえずこの酔っ払いに水を飲ませて酔いを覚まさせなければ、明日になったら二日酔いで機嫌が悪くなってしまう。ユーリは二日酔いになってしまうと、その日は全くと言っていいほど使い物にならなくなる。
しかし、肝心の酔っ払いは「んふふー」とヘラヘラ笑っている。何がそんなに楽しいのか理解できないが、
手に握る
「マスターってば、いい加減に水でも飲んで」
「アンタが飲ませな、フェイ」
「お断りですー、自分で飲んでくださーい」
「何でだい、アタシに口移しが出来ないってのかい!!」
完全に酔っ払ったご主人様は「そんな子に育てた覚えはない!!」と叫ぶ。周囲の客の視線が痛い。
周りから注目されているにも関わらず、ユーリは「水を飲ませたいなら口移し以外は認めないよ!!」と言って
これは確実に口移し路線に突入である。おそらく周囲の客が注目している理由も、若い二人が水を口移しする瞬間を心待ちにしているのだ。待たなくていい、そんなもの。
仕方がないので、フェイは無理やりにでもユーリに水を飲ませるかと硝子杯を持ち直したその時だ。
「おい」
「わッ!?」
唐突に襟首を掴まれて椅子から引き摺り下ろされたフェイは、手から
木目がよく見える床に叩きつけられ、硝子杯は呆気なく割れた。粉々になった硝子の破片が床に飛び散り、注がれていた冷たい水が床を濡らす。
ああ、この時の料金は誰が持つのだろうか。硝子杯の代金まで請求されたくないのだが、店主は見逃してくれるだろうか。
「奴隷が酒場に出入りしてんじゃねえ、酒が不味くなるだろうが」
フェイの襟首を掴んでいるのは、筋骨隆々とした背の高い男だった。
髪の毛の存在はなく、刃の如き鋭い双眸でフェイを睨みつけている。殺人鬼として指名手配されていそうな凶悪ヅラであり、頬には十字の傷跡が残っている。
動物の毛皮を使った外套を羽織り、その下には軽鎧を身につけた屈強な身体がある。装備品を見る限り、彼の職業は
男の背後には似たような装備のお供が二人ほど控えていて、それぞれニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらフェイを見ていた。
ああ、これは完全に地雷を踏んだ。彼の言葉には、フェイの主人が嫌がる言葉が盛り込まれていたのだ。
「おい、デカブツ」
それまで支離滅裂な発言を繰り返していた酔っ払いのユーリが、座ったままフェイの襟首を掴む筋骨隆々の男を睨みつける。
「今すぐソイツを離しな」
「ああ?」
「聞こえなかったのかい? 今すぐ離せって言ったんだよ、デカブツ」
筋骨隆々とした男は、襟首を掴むフェイを一瞥する。
「そうかよ、随分と大切にされてる奴隷なんだな」
安全に解放されるのかと思いきや、そんなことはなかった。
「じゃあ、お望み通り離してやるよッ!!」
「おおおわああああああ!?」
男は、あろうことかフェイを客が利用する座席めがけてぶん投げた。
あっさりと空中を舞うフェイ。放物線を描いた先にあったのは、料理の皿が所狭しと並べられた机である。利用客すら巻き込んで、フェイは机を薙ぎ倒して床に背中から叩きつけられる。
飛び散る料理、空飛ぶお皿。客の悲鳴が鼓膜を揺らす。椅子を弾き飛ばしてフェイから距離を取る客は、フェイをぶん投げた男に抗議し始めた。
「何しやがる!!」
「こっちは飯食ってたんだぞ」
「喧嘩なら外でやれ!!」
方々から非難を受ける男は、素知らぬ顔で床に座り込むフェイに歩み寄る。
何をするのかと思えば、今度は胸倉を掴んできた。
この男、他人が所有する奴隷を痛ぶる趣味でもあるのか。奴隷と聞けば見境なしに攻撃してもいいと思っている馬鹿野郎なのか。奴隷とはいえ所有権は他人にあるので、手を出せば間違いなく犯罪だ。
ただ、力量差があまりにもありすぎる。相手は熊のように背が高く、余計なほど鍛えられている。ぶん殴られれば首の骨が折れるかもしれない。
「五万ディール装填」
フェイの窮地を救ってくれたのは、他でもないご主人様である。
「《動くな》」
金銭を対価に捧げることで、どんな願いも叶える希少スキル【
五万ディールを対価にして願いは叶えられ、フェイを今まさにぶん殴ろうとしていた男の動きがピタリと止まる。
彼女の「動くな」という願いを忠実に叶えていた。指先はおろか、瞬きすることさえ許されない。完全に石像の如く、フェイの胸倉を掴んだ状態で固まっている。
ピクリとも動かない男の顔を見れば、表情はぶん殴る寸前のままだったが、どこかグギギギギと歯を食いしばっている様子さえあった。引き攣り気味である。動くことを許可されれば、即座に殴られそうだ。
「あ、兄貴? 兄貴?」
「どうしたんですかい、兄貴」
二人のお供が男の異変を感じ取って、おそるおそる問いかける。
しかし、彼は答えない。答えることが出来ない。
動くことを許されていないのだから、当然ながら唇さえも動かすことが出来ない。声を発することが出来たって、モゴモゴと喋ることぐらいしか出来ないだろう。
銀色の散弾銃を男の背中に突きつけるユーリは、
「フェイ、今のうちに逃げな。服の布が破けたって、あとで直してやるさね」
「あ、ああ」
フェイはかろうじて頷くと、固まる男の指から服の布地を引き剥がす。少し布地が破けてしまったが、あとでユーリが直してくれるようなので気にしない。
男の手から逃れることに成功したフェイは、転がるようにユーリの背後へ隠れた。戦闘に関する教えは全然受けてこなかったのだ、身体は鍛えていても迷宮区での戦闘や喧嘩は専らユーリの仕事だ。
『動くな』というユーリの願いを叶え続ける男は、背中を向けたままユーリに言う。
「ふぇめぇ、ふぁにしやふぁった」
「『テメェ、何しやがった』かねェ。決まってんだろう、アタシの所有物を勝手に傷つけようとした猿どもに教えてやろうと思ってねェ」
銀色の散弾銃の引き金部分に指を引っ掛け、ユーリはくるくると散弾銃を回す。
「アンタ、誰の許可を得てアタシの所有物を傷つけようとしているんだい? このまま豚に変化させて、食っちまってもいいんだよ」
ガチャン、と銀色の散弾銃を男に突きつけるユーリ。引き金にかけられた指へ徐々に力が込められ、対価を代償に願いを叶える希少スキルを発動させようとする。
「待って、マスター」
ユーリの行動に待ったをかけたのは、彼女の奴隷のフェイだった。
「何だい、フェイ。アタシの決定に文句があるのかい?」
「そうじゃなくて」
フェイは動きを止める男と、彼のお供二人を見やる。
やるべきことは決まっていた。
何故なら、フェイはユーリの弾丸となる為に買われたのだから。
「あの男の装備品、合計で二五万八七〇〇ディールだ」
外れスキルとも呼ばれる【鑑定眼】で男の身につける装備品を、現在の相場から価値を算定する。
「あとお供の方は三万七五〇〇ディールと、四万四〇〇〇ディール」
「…………ははーん、なるほど。さすがアタシの弾丸だねェ、フェイ」
ユーリはフェイの頭を撫でると、
「値札がつけば、やることは一つさね」
銀色の散弾銃を突きつけたユーリは、自分のスキルを発動させる。
もちろん、金銭を対価に支払って願いを叶えるスキルではない。彼女のスキルは、対価となるものを散弾銃に食わせることで発揮する。
つまり、
「――食らいな、シルヴァーナ」
銀色の散弾銃へ命じれば、銃身部分が縦に割れる。さながら肉食獣が獲物へ食らいつくかのようだ。
縦に割れたことで広がった銃口から風が吹き、値段をつけられた男たちの装備品が容赦なく脱がされていく。毛皮に軽鎧、その他様々な装備品から肌着や下着に至るまで身につけていたもの全てが、ユーリの持つ散弾銃に吸い込まれた。
そうして残されたのは、醜い全裸野郎が三人ほど。態度は大きかったが、反比例するかのように【自主規制】はお粗末なほど小さかった。
「おやおや、随分なブツを持ってるじゃないかい」
ニヤリと笑い飛ばすユーリは、
「態度の割にムスコは小さいようだねェ? ウチのフェイにも負けるんじゃないのかい?」
まだ自由に動くことが出来るお供の二人は慌てて股間を手で覆い隠すと、顔を真っ赤に染めて店から飛び出した。
だが、主犯の男だけは逃げられなかった。動くことが許されていないのだから、当然のように未だ全裸を晒したまま立ち尽くしている。
誰もいない相手を殴るような体勢のまま裸体を晒し続けるのは、さぞ恥ずかしかろう。得るものは何もなく、失ったものはかなり大きい。
ユーリはひとしきり笑ったあと、
「可哀想だから逃がしてやろうじゃないか。どこへでも逃げな」
恥ずかしい姿を晒す男に満足したのか、ユーリは『動くな』という願いをなかったことにする。
銀色の散弾銃の引き金を引くと同時に、男は身体の自由を取り戻した、
本来であればユーリに殴りかかっているところだろうが、今は全裸である。武器さえも持っていない。これでは完全に武が悪いどころか、変質者として通報されてもおかしくない。
男は自らの股間を覆い隠すと、
「覚えてろよ!!」
捨て台詞めいたことを吐き捨てて、酒場を飛び出していった。
こうして事件は華麗に解決である。
報復? そんなものが怖かったら迷宮区探索などやっていけないのだ。踏破など夢のまた夢である。
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