第4話【アルゲード王国】

「お客さん、アルゲード王国に到着したよ」



 御者の言葉が引き金となって、フェイは飛び起きる。

 馬車の揺れが心地よく、いつのまにか眠ってしまったらしい。終点が目的地のアルゲード王国でなければ、通り過ぎていたかもしれない。


 肩にもたれかかって眠るご主人のユーリを叩き起こしたフェイは、



「す、すんません降りますんで!!」


「むにゃむにゃ、何だいフェイ……アタシを叩き起すなんて、ご主人様の扱いがなってないんじゃないのかい?」


「寝ぼけるなマスター、ここはもうアルゲード王国だ!! いいから降りるぞ、ほら起きた起きた!!」



 未だ寝ぼけ眼な様子のユーリを馬車から引き摺り下ろし、フェイはようやく一息ついた。


 耳朶に触れる喧騒は相変わらずのもの、頭上に広がる青い空はやや日差しが傾き始めた頃合い。

 舗装された石畳は歩きやすく、路肩には何台も乗合馬車が停まっている。ここは始発の駅になるので、定刻になるまで客を待っているのだ。


 探索者らしき男が消耗品を揃えるのに店へ立ち寄り、綺麗な身なりをした婦女子が喫茶店の軒先で楽しそうにお喋りをしながら紅茶を啜る。玩具屋の前を通りかかった子供が、手を引く母親に窓の向こうに展示された玩具を強請っていた。

 見慣れた街並みが目の前に広がり、無事に帰還したことを実感させられる。この雑多で賑やかな街の風景が、フェイは一等好きだった。



「ふあぁ」



 美女にあるまじき大欠伸をしたユーリは、



「もうアルゲード王国に着いたのかい、早いもんだね」


「今回は近場だったしな」


「陽もそこまで傾いてる訳じゃないし、とっとと踏破報酬を貰って飯でも食いに行こうかねェ」


「それに関してはマスターの意見に賛成する」



 喧騒の中へ飛び込むように大きな一歩を踏み出したユーリは、自分の所有する奴隷のフェイへ振り返って「早く来な」と言う。


 今まで寝ぼけていたのに、切り替えが早すぎる。

 まあ、朝起こす際も大体同じような感じになるので慣れたものだ。――いや、朝の方がもっと酷い。下手をすればベッドから引き摺り落としても起きない時がある。


 フェイはやれやれと肩を竦めると、



「寝起きの時のマスターは可愛げがあるのになぁ……あ痛ぁ!? 何で殴るんだよマスター!!」


「聞こえてるんだから殴るに決まってるだろう、フェイ。小言ならもう少し聞こえないように言いな」


「どうしたって聞こえるくせに……地獄耳のくせに……」



 ユーリに背中を思い切りぶん殴られたフェイは、ぶつくさと文句を呟きながらご主人の背中を追いかけた。


 奴隷だって文句を言いたくなる時はある。だが、大抵は文句を言えば殴るよりも厳しい罰が待っている。奴隷はご主人様の所有物であり、自分の意思を持つことさえ許されない。

 ユーリ・エストハイムという探索者はそこら辺のご主人様と違い、フェイに自分の意見や文句を求める。「人間を買ったんだから、人間らしくいな。それが出来ないお人形は迷宮区探索にいらないね」というのが、彼女の持論らしい。


 肉体労働用の奴隷として手酷く扱われるより断然マシだ、一〇〇倍ほどマシだ。フェイは随分といいご主人様に恵まれたものである。



 ☆



 アルゲード王国とは、ウェルザー大陸の中心に位置する最も栄えた国だ。


 大陸最大規模の迷宮区ダンジョン案内所が存在し、全国から迷宮区探索を目指す探索者が詰め掛ける。その為、交易も盛んに行われ、人間の流れも早い。

 全国から流れてきた商品が多くの店に並び、街は常に活気で溢れ返っている。田舎から上京してきた若者にも優しく、街の裏通りに行けば安く借りられる部屋がいくつもある。


 その大陸最大規模と誇る迷宮区案内所が、フェイとユーリが目指す場所だった。



「邪魔するよ」



 扉を蹴破らん勢いで開け放ったユーリは、建物内にいる全ての人間に聞こえるような大声で宣言する。



「迷宮区【デモンズカウル】の踏破に成功したよ、とっとと報酬を寄越しな」


「――――ですから、きちんと手続きをしてから言ってくださいと申し上げているでしょう!!」



 広々とした迷宮区案内所の奥に設置された受付から、綺麗に着飾った受付嬢がやたら大きな乳をばるんばるんと揺らしながら慌てて飛び出してくる。


 艶やかな栗色の髪はきちんと手入れが施され、色鮮やかな緑色の双眸は宝石を彷彿とさせる美しさがある。愛らしい顔立ちは男性ウケしそうなものだが、フェイの食指には触れなかった。

 胸元が大きく開いた受付嬢専用の衣装からは、こぼれ落ちんばかりに立派な乳が覗く。腰の括れを強調するように胴衣を巻き、短めのスカートからは長靴下に覆われた健康的な足が伸びる。これだけ綺麗に着飾っていれば、きっと迷宮区攻略など縁遠い位置で悠々自適に暮らしているのかもしれない。


 受付嬢は細い腰に手を当てて、キッと眉を吊り上げる。



「ユーリ・エストハイム様、いくらSSS級探索者でも特別扱いする訳には参りません。他の探索者様と同様に、受付でお並びになってからに」


「とっとと報酬を持ってきな」


「話を聞いてください!!」



 受付嬢はプリプリと怒った様子で、



「大体、ユーリ様は少々勝手すぎるのではありませんか? 規則を守らず他人の手柄を横取りするし、横暴だし、奴隷を案内所内で放し飼いにするし……」



 ぶつくさと文句を言っていた受付嬢の額に、ユーリは無言で銀色の散弾銃を突きつける。


 何度も言うが、ユーリは他人が自分の所有物たるフェイを奴隷扱いすることを心底嫌がる。この受付嬢は何度も何度もユーリの地雷を平気な顔で踏み抜いてくるので、彼女も受付嬢の言葉は一切聞かないようにしているらしい。

 ちなみにフェイは案内所の隅に設けられた奴隷待機所にて、静かに膝を抱えながら全ての物事を傍観していた。奴隷には一般人に対する発言権を許されていないので、当然のことだがフェイが助けに入ることは万に一つもない。絶対にない。


 迷宮区探索でぐぅぐぅと空腹を訴える腹をさすり、フェイは「まだ喧嘩終わんないかな」などと思っていると、すぐ隣で膝を抱えていた痩せっぽちの奴隷が話しかけてきた。



「貴方も奴隷なの……?」



 ボサボサの髪をした少女の奴隷である。その首には鉄製の首輪が嵌められ、簡単に逃げられないような仕組みが施されている。

 落ち窪んだ青い双眸でフェイを見つめる少女は、下手くそに微笑んだ。何故だろう、悪夢に出てくるような笑い方である。



「随分と綺麗な身なりをしているのね……ふふふ、私とは大違い」


「そうだな。偶然にもご主人様に恵まれまして」



 フェイは相手の心情など気にした様子はまるでなく、ただ当然のことだとばかりに言う。



「外れスキルを授かったせいで実の両親に売られるとか散々な目に遭ったけど、幸運にも優しくて美人なご主人様に買って貰えてなぁ。俺の一生分の幸福ってここで使い切ったかもしれないな」


「だったら……!!」



 少女の奴隷はフェイに詰め寄ると、



「私と交換して、私のご主人様と交換してよ……!! 羨ましい羨ましい羨ましい、そんなに綺麗な服を着させて貰って満足にご飯も食べさせて貰って人間みたいに扱われて羨ましい羨ましい羨ましい!!」


「アンタじゃ囮にもなりゃしないよ。諦めな」



 唐突に詰め寄ってくる少女の奴隷から、フェイは誰かの手によって無理やり引き剥がされる。


 相手は言わずもがな、ご主人であるユーリだった。

 憐れみを孕んだ視線で少女の奴隷を見下ろす彼女は、



「コイツはねェ、アタシが手塩にかけて育てた弾丸さね。アンタを迷宮区探索に連れて行けば、確実に迷宮区ダンジョンを彷徨う魔物どもの餌になって終わるさ。無駄金を使うほど、アタシは優しいモンじゃないよ」


「あ、マスター。話し合いは終わった?」


「受付嬢の奴が最終的に泣いた。根性がないね、今時の若者は」


「何してんの?」



 受付嬢を泣かせたことをあっさりと自白するユーリは、ツーンとそっぽを向いて知らん顔をする。見れば遥か彼方では先輩らしい受付嬢に泣きつくユーリに立ち向かった少女がいて、だが先輩でも対応が難しいので苦笑しながら肩を叩いていた。

 うーん、残念。何でもすぐに暴力へ訴える脳筋なユーリに勝てる訳がなかった。喧嘩を止められる、というかユーリを宥められる存在は奴隷なので無意味だし。


 自分に被害がある訳でもないので、フェイは「踏破報酬は?」と問う。



「ちゃーんと貰ってきたよ。迷宮区の難易度から判定して七五万ディール、踏破報酬で加算されて二〇万ディールさね」


「お、じゃあ消耗品とか食品とか買い足せるな」


「今日はパーッと飲むよ」


「わーい、ご主人様最高!!」


「もっと崇めな」


「女神!! 最強!! お腹減った!!」


「最後の言葉は褒め言葉じゃないね、フェイ。アタシのことを金蔓だとでも思ってるのかい?」


「やだなぁ、冗談ですよ冗談」



 他人に向けるブツにしてはあまりに物騒すぎる銀色の散弾銃をチラつかせるご主人様に、フェイはヘラヘラと笑いながら応じる。


 ご主人と奴隷の絆をまざまざと見せつけられた少女の奴隷は、呆然と座り込む。お前の入り込む余地などない、とでも言われているかのようだった。

 そう、入り込む余地はないのだ。ユーリはフェイ以外の奴隷を必要としておらず、例えこの少女がフェイと同じく外れスキルの【鑑定眼】を持っていたとしても、最初から気長に育ててやるほどユーリは優しくない。


 迷宮区案内所での用事が終わった二人は、颯爽と案内所から立ち去るのだった。その際、フェイは少女の奴隷に振り返ると、



「またな!!」



 そんな挨拶をしてからユーリの背中を追いかけた。


 どんな相手であれ、挨拶は欠かすなとユーリに教えられているが故だった。

 それが同じ奴隷でも変わらない。挨拶は大切なのだ。


 呆然と座り込んだ少女の奴隷が、この後どういう扱いを受けたのかフェイには知る由もない。

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