第3話【奴隷の証】
そこは鬱蒼と木々が生い茂る森の中である。
迷宮区はこの森の中にある大樹のウロに出現し、危険という立て看板が側に突き立てられていた。他に探索者の姿はなく、この迷宮区に挑戦したのはフェイとユーリの二人だけということになる。
踏破された影響で迷宮区が作られた大樹のウロは元の空洞の状態に戻ったが、これで危険性はなくなった。子供たちがヒョイと覗き込んだ拍子にうっかり転落という事態もなくなる。
「今回の
ユーリはググッと背筋を反らしながら、退屈と言わんばかりの口調でそんなことを言う。
周囲に誰もいなくてよかったようなものの、大きな胸を強調するような体勢は控えてほしいものだ。背筋を反らしたせいでたわわな二つの果実が突き出され、年頃の青少年なら釘付けになってもおかしくない。
奴隷として購入されたが、フェイ・ラングウェイという青年も立派な男である。この立派な果実には大変興味があるだろう。
――と、思われたが。
「迷宮区なんてどこも危険だろ。マスターはもう感覚が死んでんだよ」
「…………」
疲労による眠気が襲ってきたのか、大きな欠伸をするフェイをジト目で睨みつけるユーリ。
そう、この男はユーリの扇情的な格好も体勢も色々と見慣れていたのだ。
常日頃から防御力皆無と言っても過言ではない服装のご主人様と行動し、迷宮区に潜り、一緒の部屋で寝泊まりすれば自然と見慣れるものだった。残念ながら、彼の性欲とか云々はまともに機能しないと見ていいだろう。
ユーリは不満げに頬を膨らませると、フェイの脇腹に手刀を突き刺した。
「痛ッ!? 何すんだよ、マスター!?」
「うるさい、とっとと行くよ」
「?」
不機嫌なご主人様の態度に首を傾げるフェイは、先に歩くユーリの背中を追いかける。
鬱蒼とした森の中を移動すると、すぐに道が出てきた。
馬車も普通に通る公道である。近くには馬車を待つ為の乗り場まで用意され、迷宮区まで行くことが簡単に出来た。
普通であれば
「マスター、スキルを使って街まで移動しようぜ。馬車なんてしばらく来ねえっすよ」
「生意気なことを言ってんじゃないよ、フェイ。今日の迷宮主を倒したことでシルヴァーナに貯め込んだ金がすっからかんになっちまったんだから」
「さっき迷宮主の死体を食わせてたよな? それも二〇万ディール。それを使えば帰れるんじゃ?」
「阿呆なことを抜かすね、フェイ。二人の移動だけで二〇万ディールは軽く超すよ」
ユーリは銀色の散弾銃を指に引っ掛けてくるくると回しながら、
「最近ねぇ、この【
「マスターのスキルなんだから、マスターのせいなんじゃねえの?」
「フェイ、頭を柘榴みたいに弾けさせたいかい?」
「わぁい、マスターのスキルは凄いでーす」
フェイはもう何も言わないようにした。主人であるユーリなら本当にやりかねないと思ったからだ。
自分に利益のある人物なら助けるし、自分に利益がなければ余裕で見捨てる。途中までは利益のある人間だったが、途中から何の価値もなくなれば容赦なく切り捨てる。それが最強の探索者であるユーリ・エストハイムという女だ。
奴隷であるフェイは、今は外れスキルである【鑑定眼】のおかげで彼女に生かされているようなものだ。ここで機嫌を損ねて見捨てられたら死ねる。
「お」
「あ」
道端で馬車が通りかかるのを待っていたフェイとユーリの視線の先に、一台の馬車がゆっくりと向かってきていた。
普通の乗合馬車のようだ。決まった道順を巡り、通り道であれば格安で運んでくれる馬車である。このような馬車が何台も通っているので、交通の面はまあまあな発達を見せている。
フェイとユーリが待つこの場所も乗合馬車の通り道であり、乗客を見つけた御者が馬車を停めて御者台から話しかけてきた。
「お二人さん、どこまでだい? これはアルゲード王国行きだけど」
「奇遇だねェ。アタシらもアルゲード王国に行きたいのさ」
「それなら一人二〇〇ディールだ……あん?」
御者の視線がユーリの少し後ろに控えるフェイに留まる。
「お兄さん、それは
「ああ、ソイツはアタシの奴隷さね。一緒に乗せて貰うよ」
「はあ?」
御者の眉根が寄せられる。
奴隷は普通、奴隷の証とされる鉄製の首輪を与えられる。主人からの脱走防止の仕掛けがあれこれと施されていて、簡単に主人の元から脱走しないように設計されているのだ。
だが、フェイはその奴隷の証を装着していない。代わりに頑丈なゴーグルが彼にとっての奴隷の証だった。「そんなゴツい首輪をつけていたら、迷宮区攻略なんて夢のまた夢さね」とユーリが言っていた。
「奴隷が一緒ならお断りするよ」
「何でだい。ここまで運んでくれた乗合馬車は普通に乗せてくれたけど?」
「よそはよそ、うちはうちだ。奴隷と一緒なんて乗客も気分が悪くなるだろうからな」
「ふぅん」
ユーリは赤い瞳を音もなく眇めると、
「取り消しな」
「あ? アンタ何を言って」
「取り消しなって言ったんだよ」
銀色の散弾銃を御者に突きつけたユーリは、
「アンタ如きがアタシの奴隷を奴隷扱いするなんて許せないねェ。コイツはアタシの大切な弾丸さ、その気になればアンタを撃ち抜くことだって出来るんだよ」
銀色の散弾銃を御者にグリグリと押し当て、ユーリはニッコリと微笑む。
「さあ乗せなとっとと乗せな、モタモタするんだったらドタマを弾けさせようかい」
「ひ、ひぃッ。お、脅しかよお!!」
「アンタがコイツを奴隷扱いするのが悪いんだよ。アタシの名前を知っていれば自然と分かるはずだろうに、どれほど田舎の道を巡ってるんだい?」
完全に怯え切った様子の御者に乗車代金である四〇〇ディールを押し付け、ユーリは意気揚々と乗合馬車に乗り込んだ。その後ろを追いかけて、フェイも乗合馬車に乗り込む。
乗合馬車には、三人ほどの客が乗っていた。
奴隷になる不幸を知らずに育ったらしい一般人らしい。奴隷に身を落とす前のフェイもそこそこ幸せな一般家庭だったが、その記憶はすでに風化している。
乗客は全員してフェイとユーリに冷ややかな視線を寄越すが、巻き込まれたくないのか誰も彼も視線を逸らす。もう慣れたものだ。
「早く出しな、御者。本当に撃たれたいのかい」
「ひッ」
御者は上擦った悲鳴を漏らすと、慌てた様子で馬車を走らせる。
鞭を打たれた馬は、ゆっくりと発進する。フェイとユーリ、それから数人の客を乗せた馬車は目的地を目指して公道を進み始めた。
その間、乗客からの冷ややかな視線が途絶えることはなかった。
フェイは首から下がるゴーグルを軽く指で弄ると、
「なあ、マスター」
「何だい」
「やっぱり俺、乗らない方が良かったんじゃないか?」
奴隷はどこに行っても歓迎されない。ユーリと一緒に生きてきて、フェイは何度もそういう場面に出くわしてきた。
レストランなんか奴隷お断りを掲げている店が大半で、八百屋や魚屋なども奴隷だったら商品を売らないと言う場所も多い。買い物をしたければ主人からの許可証がなければいけないとか面倒な規則を掲げる店もある。
しかし、ユーリはフェイを手放そうとしなかった。フェイが買い物に行くなら自分もついて行くし、フェイが奴隷として不便を被るなら先程のように散弾銃を突きつけて店主を脅したりもした。
圧倒的に面倒なことになっているのはユーリなのに、何故か彼女はフェイを手放そうとしないのだ。
「決まってんだろう?」
眠たげに欠伸をするユーリは、フェイの肩にもたれかかる。
「アンタはアタシが手塩にかけて育てた大切な弾丸さね。アンタを手放すだなんて、今後を考えれば不利益極まりないよ」
「奴隷じゃない【鑑定眼】持ちなんて探せばいそうなのに」
「アタシはアンタがいいのさ。黙ってアタシについてきな」
それよりも眠いから肩を貸しな、とユーリはフェイの反応を見るまでもなく、とっとと眠りについてしまった。
全く、このご主人様はこれだから。
フェイはせめてユーリの腹が冷えないように、と彼女の肩からかけた外套の前を閉じてやるのだった。
格好いいことを言われて顔がニヤケそうになったのは、ご主人には内緒にしたい。
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