第2話【探索者】

 探索者シーカーという職業がある。


 ウェルザー大陸には神々が気紛れに作った大迷宮――迷宮区ダンジョンが数多く存在し、その迷宮区を攻略する人間が探索者と呼ばれる。

 迷宮区には数え切れないほどの罠や敵が犇めき、少しでも迷宮区に足を踏み入れれば生きて元の世界に帰ることは出来ないとまで囁かれる。それほど迷宮区の探索には危険が伴い、同時に莫大な富が手に入る一攫千金が狙える場所なのだ。


 探索者シーカー迷宮区ダンジョンの危険すら顧みず、一攫千金を狙った命知らずが目指す職業だと世の中には認識されている。



「――――だあああああああああああッ!!」



 岩肌が剥き出しの状態となった薄暗く広大な部屋に、青年の絶叫が轟く。


 部屋の中央には太い鎖で雁字搦がんじがらめに縛られた牛の頭を持つ怪物が、足元をチョロチョロと逃げ回る青年に向けて拳を落とす。上空から拳が叩きつけられる度に青年の身体が宙に浮かび上がり、着地しては足を縺れさせながらも走り続ける。

 血走った牛の怪物の目には逃げ回る青年しか映っておらず、彼が絶叫を響かせる度に「ブモオオオオオオッ!!」と唾を飛ばしながら鳴いた。頭と鳴き声は牛そのものだが、首から下が筋骨隆々とした人間の身体なので頭がおかしくなってくる。


 対する青年は、武器はおろか防具さえも身につけていない生身のままだ。身長は一般男性の平均を上回り、程よく鍛えられており、武器もなしに牛頭の怪物から逃げ回る運動神経は目を見張るものがある。

 燻んだ金髪を適当に束ね、頑丈そうなゴーグルが守る色鮮やかな青い双眸には恐怖から来る涙が浮かぶ。顔立ちは整ったものだが、鼻水と涎で台無しになっていた。服装は動きやすさを重視した深緑色のつなぎだが、所々に汚れが目立つほど着古されていた。


 半泣きで怪物の拳から逃げ回る青年は、



「マスター!! マースタあああああッ!! 早くトドメ、トドメを刺してぇ!!」


「アンタにかい?」


「ちっげえよ、奴隷扱いが雑じゃないですかねマスター!?」



 青年が怒声を叩きつけた相手は、薄暗い部屋の外で待機していた。


 正体は銀髪の女である。長い艶やかな銀髪に夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い瞳、誰もが振り返るような美貌には青年の逃げ回る様を楽しむ意地悪な表情が浮かぶ。

 淡雪の如き白い肌を水着のような露出度の高い衣装で包み、豊かな胸元や縦長のへそなどを大胆に晒していた。太腿で布地がザックリと切られた短めの洋袴ズボンと踵の高い長靴を合わせ、さらに装飾品がこれでもかと縫い付けられた外套を肩からかけている。


 外套には翼を広げた白金色の腕章――探索者シンカーの証となる腕章をつけていた。白金色は数いる探索者の中でも最上位、SSS級探索者の証である。



「フェイ、もうちっと気合を入れて走りな」


「ちょ、おい、俺は囮の為に買われたのか!?」


「いいや、アタシの娯楽の為さね。簡単に倒しちまったらつまらないだろ」


「悪魔かお前!!」


「おやおや、フェイ。アンタって奴隷は、ご主人様に対して何つー口の利き方だい?」



 女探索者が外套の内側から取り出したものは、銀色に輝く散弾銃だ。


 この世界に於ける攻撃力と破壊力の高い武器として有名な銃火器だが、普通の銃火器と比べると二回りほど大きい。ついでに言えば継ぎ目がなく、部品を交換することもままならない仕様となっている。

 代わりに銃身には溝がいくつも刻み込まれ、それがまた異質さを際立たせていた。遠目から見ても、近くで見ても、玩具のようにしか見えない。


 二つ並んだ銃口を逃げ回る青年に向けた女探索者は、



「これですっ転ばして、アンタの人生を終わらせてもいいんだよ」


「わーい、僕走るの大好きぃ」



 ヤケクソ気味に叫ぶ金髪の青年は、寸前まで迫った牛頭の拳をかろうじて回避する。


 殴られた衝撃で飛び散る石片、揺れる大地。

 青年の身体が勝手に浮かび上がるが、空中で器用に体勢を立て直すと何とか着地を果たす。


 その際に飛び散った石片を一瞥すると、



「五ディール、三ディール、一〇ディール!!」



 彼が叫んだ数字は、飛び散った石片の値段である。

 現在の市場価格と石片の大きさから値段を算出し、価値あるものとして鑑定する――それが青年に与えられたスキル【鑑定眼】だった。


 そしてこれは、青年が女探索者に買われた最たる理由である。



「よくやったよ、フェイ」



 女探索者は青年を労うと、銀色の散弾銃を地面に叩きつけられようとする石片に突きつける。



「食らえ、シルヴァーナ!!」



 その言葉が引き金となり、散弾銃が縦に割れる。


 さながらその様子は、肉食獣が獲物に食らいつく時と同じだ。散弾銃に巡らされた溝に赤い光が駆け抜けると同時に、銃身から風が発されて石片を吸い込んだ。

 価値のない代物だったとしても、それに値段がついてしまえば立派に価値ある物だ。それらを餌にして、女探索者のスキルが発動する。


 すなわち、



「ちょうどさね。一〇〇万ディール装填」



 散弾銃を牛頭の怪物に突きつけ、女探索者は引き裂くように笑う。



「《頭を弾けさせて死ね》!!」



 その言葉は罵倒ではなく、願い。


 引き金を引くと、女探索者の持つ散弾銃からは弾丸が射出されなかった。

 代わりに彼女自身が、金銭を対価として支払って叫んだ願いが聞き届けられる。



「――ヴモッ」



 パァン、と。


 それはそれは、無残に牛の頭が吹き飛ばされた。

 内側から勝手に弾けた影響で、脳漿が飛び出て部屋を真っ赤に濡らし、肉片がそこかしこにべちゃべちゃと落ちる。顔の構成に必要な部品もあちこちに飛び散り、部屋にはあっという間に残酷さが漂うこととなった。


 怪物の血を全身で浴びることだけは何とか回避した青年は、



「うおえ」


「汚いね。アンタのゲロに価値はあるのかい?」


「鑑定してみるか? 一ディールぐらいにはなるんじゃねえの?」


「吐いてみな」


「本気にしちゃったよ、このマスター」



 青年と女探索者がそんなやり取りを繰り広げていると、部屋全体に聞き覚えのない女の声が響き渡った。



 ――迷宮区【デモンズカウル】踏破です。



 ☆



「お」



 踏破という宣告が部屋中に響き渡り、銀髪の女探索者――ユーリ・エストハイムは顔を上げる。



「踏破成功だね、フェイ。よく頑張ったじゃないか」


「ぜえ、はあ……ぜえ、はあ……ゲホッゲホッ」



 血に塗れた床に膝をつく金髪の青年――フェイ・ラングウェイは、自分の主人であるユーリを見上げて細々とした声で訴える。



「も、もう思いつきで俺を囮にするの止めません……? そろそろ死んじゃう……」


「死にゃしないよ。その時はアタシが助けてやるさね」


「わあ、どうしよう。世界で一番信用できない言葉だ」



 休むことなく走り続けた影響で、フェイは仕切りに咳き込みながらも部屋の中央に居座る肉の塊に視線をやる。


 頭をなくした牛頭の怪物は、太い鎖に縛られた身体を床に横たえる。首からはドロドロと真っ赤な血を流し、容赦なく部屋の床を汚した。

 その怪物の死体に、数字が浮かび出てくる。その金額は石片と比べると格段に高額であり、確かな価値があった。



「マスター、二〇万ディール」


「お、結構な値段じゃないかい」


「大きさと新鮮さ、あと貴重さから算出した金額だからな」


「やっぱり鑑定眼は使えるねぇ」



 ユーリはニンマリと満足げに口の端を吊り上げると、石片を吸い込んだ時と同じ手法で散弾銃に怪物の死体を食わせた。

 怪物の巨大な身体は呆気なく散弾銃に飲み込まれ、二〇万の価値ある物として加算される。二〇万は意外と大金だ。


 ユーリのこの散弾銃は、彼女のスキルから生み出された物だ。

 彼女のスキルは【強欲の罪マモン】――価値ある物を対価にし、願いを叶えることが出来るのだ。対価にする金額が高ければ高いほど大きな願いを叶えられるので、非常に希少なスキルに分類される。


 フェイの持つ外れスキル【鑑定眼】と【強欲の罪マモン】の相性は抜群であり、いわば彼がいればユーリは無限に願いを叶えられるという反則的な存在と化していた。そこら辺にあるゴミに片っ端から値段をつけてしまえば価値ある物になり、それを積み重ねていけば小さな願いぐらいは叶うという寸法である。



「外れスキルも使いようだね」


「本当だよ」



 外れスキルを獲得した影響で奴隷商人に売り飛ばされたフェイだが、こんな扱いでも十分に満足のいく生活を送らせてもらっていた。

 ご飯は毎日食べられるし、衣服も必要になれば買ってもらえる。奴隷ではあるが、他の奴隷に比べると囮として扱われて怪物相手にぎゃあぎゃあ叫びながら駆け回るのが何とも思わなくなってきている。


 うん、ご主人様万歳。フェイは心の底から思った。



「アンタのスキルも最初の頃と比べるとだいぶ成長したからね。これからもアタシの弾丸として働きな」


「俺はアンタの奴隷だから好きにしていいのに」


「好きにしてるじゃないかい。ほら、今日も囮に使ったよ」


「あれは本当に死ぬかと思ったんで、次からは考え直してくれない?」


「検討しておくよ」


「なあ、何で視線を逸らすんだ? また俺を囮に使うの?」



 明後日の方向を見上げるユーリに、フェイはそっとため息を吐いた。


 この最強探索者様は、何故かどうしてもフェイに武器を持たせたくないらしい。武器を持たせてくれるなら囮でも何でもやる所存だが、彼女が言うには「アンタに武器はもったいない」らしい。

 確かに奴隷の身で武器を持つことはもったいないと思うような気がしないでもないが、武器を持たせてくれれば出来ることの幅が広がるのでユーリにも損はないはずだ。謎の拘りである。


 その時、ユーリとフェイの足元が白く輝いた。



「わ、わ」


「迷宮区が踏破されると、自動的に地上へ送り返されるって散々教えただろう。まだ慣れないのかい」


「これだけは何度経験しても慣れねえ……」


「アンタが成長してから何度か迷宮区を踏破しているのにねェ……」



 ユーリは呆れたように言う。


 世界中に存在する迷宮区は、その最奥に迷宮主と呼ばれる怪物が必ずいる。その怪物を倒すことで迷宮区は『踏破』と呼ばれ、攻略が完了したことを名前と共にウェルザー大陸全土に知れ渡ることになる。

 ついでに踏破すれば、国から報奨金が貰える場合もある。金もたんまり稼げた上に国からも報奨金が貰えるとなれば、金に目の眩んだ欲深な連中なら手を出すことだろう。


 ユーリは誰も踏破していない迷宮区を踏破することを趣味とし、こうしてフェイを連れ回して数々の迷宮区を踏破していく最強の探索者だった。



「さてさて、今回の報奨金はいくらかねェ」


「今度は美味いもんでも食えるといいけど」


「酒も飲みたいね。冷たい麦酒ビールをグイーッとさ」


「俺はまだ飲めないから、果実水で我慢だな」



 迷宮区から帰った後の会話をしていると、自動転送の準備が整ったようだ。


 白い光がユーリとフェイの身体を包み込み、彼らを地上へと送り返す。

 残ったのは、やけに赤く濡れた床だけだった。

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