第3話【星屑の迷宮区】

 その迷宮区ダンジョンが発見されたのは、三ヶ月前のことだった。


 地図に載るかどうかも怪しい小さな農村の井戸に、地元の子供が落ちてしまったらしい。子供を助ける為に数名の大人が井戸へ飛び込んだが、不思議なことに誰一人として帰還を果たさなかった。

 それが迷宮区ダンジョン発見へと繋がり、農村の長が迷宮区案内所へ報告したようだ。情報は探索者シーカーに向けて発信され、三ヶ月の間で実に五〇〇人ほどの探索者が挑戦したらしい。


 ところが、探索者でさえ一人も踏破には至らなかったようだ。

 三ヶ月の間に飲み込んだ探索者の人数は五〇〇人を突破し、さすがにまずいと焦りを感じたのだろう。国の機関である迷宮区案内所は探索者の中でも頂点に立つ組合の『七つの大罪セブンズ・シン』に、迷宮区の踏破を依頼するという決断に至ったようだ。



「ですが……残念と言いますか……現在の『七つの大罪』では確実に踏破できる探索者はいません……」



 最強の探索者シーカー組合である『七つの大罪セブンズ・シン』は、踏破を趣味とする生粋の探索者のユーリが抜けてから、まともに迷宮区ダンジョンを踏破していなかったのだ。

 そもそも『七つの大罪』には、単独で迷宮区を踏破できる実力を有しているのはユーリだけで、残りはそれぞれ所有スキルの癖が強くて今回の迷宮区を踏破できない可能性がある。得手不得手を考える必要のないユーリであれば、今回の迷宮区を踏破できると踏んだのだ。


 水が並々と注がれた硝子杯グラスを傾けるアルアは、



「貴殿は数多くの迷宮区ダンジョンをたった一人で踏破し……組合を抜けた現在でも難関と呼ばれる迷宮区を踏破してきました……ユーリ殿……貴殿の存在が必要不可欠なのです……」


「そう言っても、アタシは『七つの大罪セブンズ・シン』に戻るつもりはないよ」



 ユーリは大きな胸の下で腕を組むと、プイとそっぽを向いた。



「単独の方が報酬を独り占めできるしねェ。こっちにはフェイもいるし」


「チッ……やっぱり戻りませんか……」


「舌打ちするんじゃないよ。育ちの悪さが滲み出るじゃないか」



 ため息を吐いたユーリは、



「まあ、仕方がないね。仕事は引き受けてやるさ、踏破報酬が七割も貰えるんだったら儲けモンさね」


「話が早くて助かります……さすが迷宮区ダンジョン踏破を趣味と豪語するだけありますね……」


「アンタに言われるとムカつくのは何故だろうねェ」


「褒めたつもりなんですけど……」



 いつもの細々とした声で言うアルアは、



「では交渉成立ということで……明日……迷宮区案内所まで迎えにいきます……馬車もこちらが手配しますので……迷宮区ダンジョンを踏破する準備だけはよろしくお願いします……」


「ああ、そうだ」



 思い出したようにユーリは口を開き、



「迷宮主の死体はこっちが貰えるんだろうねェ? 高額な踏破報酬が見込める迷宮区ダンジョンなんだ、迷宮主の死体もそれなりの値段になるだろうよ」


「それは困ります……」


「ああ? 何でだい」


「迷宮主の死体はこちらが研究しようと思っていますので……貴殿の願いの足しにされると非常に困ります……」



 アルアの言葉に、ユーリは眉根を寄せた。



「踏破報酬を満額じゃなくて七割で我慢するって言ってんのさ。迷宮主の死体はこっちに寄越しな」


「踏破報酬を七割も渡すのですから……それこそ迷宮主の死体はこちらにお譲りいただけますよね……?」


「じゃあ踏破報酬は満額を渡しな。それなら譲るさね」


迷宮区ダンジョンの情報を渡したのに……踏破報酬を独り占めなさるおつもりですか……?」



 ユーリとアルアの間に、よからぬ空気が漂い始める。

 何故か火花まで散り始めた。この二人、実は仲が悪いのかもしれない。


 ご主人様の隣で萎縮するフェイは、ユーリが面倒ごとを起こして店から摘み出されないことを祈りながら仕事の話が終わるのを待った。待つしかなかった。口を挟めば殺されそうな予感があったから。



「相変わらず迷宮主の死体を使って、他人には言えないような実験をしてるんだろうけどねェ。そんな無駄な時間を費やすより、一箇所でも多くの迷宮区ダンジョンを踏破しようとは思わないのかい?」


「貴殿はいつも命を無駄に使いますよね……迷宮区は一度でも入れば無事に出られる保証はありませんし……私はそこまで死と隣り合わせの人生を歩みたくはないので……」


「それなら迷宮主の死体を使って何か分かったのかい?」


「まだまだ迷宮区は謎が深まる場所であるということが分かりましたね……」


「意味がないじゃないかい」


「迷宮区の踏破を趣味とする貴殿には理解できない範囲です……」



 空気が最悪である、それはもう今すぐこの高級料理店から走って逃げ出したくなるぐらいに。


 天井を振り仰いで店からご主人様共々摘み出されないことを祈るフェイは、従業員の「お待たせしました」という声を聞いて居住まいを正す。

 従業員がようやく料理を運んできてくれたのだ。この最悪な空気が緩和されることを祈ろう。


 フェイとユーリの前には豪勢な肉料理、ドラゴの前には橙色の液体がかけられた魚料理が並ぶ。アルアの前には陶器の器に盛られた野菜の山だった。

 葡萄酒ワイン硝子杯グラスに濃い紫色の酒が注がれ、未成年であるフェイには黄金色の飲み物が大きめの硝子杯に入れられて提供される。硝子杯からは林檎の芳醇な香りが漂ってきていた。



「まずは食事をしましょう……分からず屋な探索者殿を分からせるのは……食事のあとでもいいかと……」


「そのお綺麗なツラを強制的に整形させてもいいんだよ。アンタの眼球や髪の毛は一体いくらで売れるかねェ?」



 銀色の小刀ナイフ肉叉フォークを手にするユーリは、上品な動作で真っ赤なソースがかけられた肉の塊を切り始めた。

 口調や常日頃の態度を見ているので驚くが、食事の作法が貴族の御令嬢と同じぐらいに綺麗だ。一つ一つの所作が洗練されていると言うべきだろうか。


 一般家庭出身で奴隷に身を落としたフェイは、綺麗に食事をするご主人様の姿を横目に見ながらポツリと呟く。



「マスター、飯食う時めちゃくちゃ綺麗だよな」


「ユーリ殿は元々貴族の出ですから……おそらく食事作法の教育は行き届いているのでしょう……」



 肉叉に突き刺した葉野菜をモヒモヒと口の中に収納しながら、アルアは細々とした声で言う。



「ご両親の反対を押し切って……探索者シーカーになると言い張って……家を出奔されたそうです……それ以来……ご実家とは没交渉みたいですが……」


「滅んだよ、あんな家なんて」



 肉料理を口に運びながら、ユーリは吐き捨てる。



「田舎の地を治めている辺境伯だからねェ、たかが知れてるだろうよ。どうせ没落してるさ」


「貴族出身でも十分凄いと思うけどなぁ」



 フェイも慣れない小刀ナイフを使って肉を切り分け、肉叉フォークで突き刺して口に運ぶ。


 真っ赤なソースが甘酸っぱくて、肉が驚くほど柔らかい。今まで食べたことがあっただろうか。おそらく実家に残されたとしても食べられることはない上等な肉だ。

 つくづくご主人様に買われてよかった、と思う。他のご主人様に買われたら、こんな生活は出来なかった。五歳まで一緒に過ごした家族よりも、ご主人様であるユーリと一緒に過ごす方が幸せだ。


 心の底から肉を堪能するフェイに、アルアが言う。



「フェイ殿でしたか……? ユーリ殿に何を吹き込まれたのか不明ですが……もし辛いことがあれば言ってくださいね……?」


「え、何で? ですか?」


「奴隷は主人の許可さえあれば他人に譲渡することが出来ますので……主人に酷いことをされて逃げ出したいのであれば……手助けしますので……」


「何を言ってんだい、アルア」



 ギロリとユーリはアルアを睨みつけるが、それより先にフェイが答える。



「あ、そういうの大丈夫です」


「おや……そうですか……?」


「はい、大丈夫です」



 しっかりお断りの意思を示したフェイは、



「俺はマスターに買われて幸せなんで。マスター以外のご主人は考えられないです」


「そうですか……」



 アルアは口元に笑みを見せると、



「いい主人に出会えたのですね……」


「はい。俺にとってはいいマスターです」



 満面の笑みで応じるフェイの横で、ユーリが少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らしていた。

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