第4話【準備】

「あとそこの携帯食料も貰うよ」


「へい」


「あとはそこにある縄も」


「へい」



 車椅子の御令嬢ことアルア・エジンバラ・ドーラと蛇みたいな女ことドラゴ・スリュートと分かれたフェイとユーリは、その足でアルゲード王国の雑貨店を見て回っていた。


 もちろん、意味のない買い物ではない。

 これら全ては明日から出発する迷宮区ダンジョン探索に必要なものだ。どれほど危険な迷宮区か不明であり、準備をしておくに越したことはない。


 フェイが抱える買い物カゴに縄や携帯食料、水に浸すと燃える特殊な鉱石『燃える水石ライト・ドロップ』が積み上げられていく。カゴの中身がずっしりと重たくなっていくが、この程度で根を上げていればご主人様から「情けない」と言われてしまうので耐える。



「他に何か必要なものはあるかい?」


「これだけあれば十分だろ。アルアさんの方は自分たちで調達するんだろ?」


「お貴族様だから携帯食料が口に合わないんだろうさ。アタシらはアタシらでちゃんと準備するよ。少しでも間違えれば迷宮区ダンジョンでは命取りなんだから」


「へい」



 とりあえず、買い物はこれで終了だ。


 フェイは退屈そうに店番をしている店主の目の前に、商品が山のように放り込まれたカゴを置く。

 もちろんお会計はご主人様であるユーリの仕事だ。奴隷には自由に買い物を出来る権限はないが、こうしてご主人様であるユーリが買い物に同行してくれるだけありがたい。ある程度の自由は保証されているからだ。


 店主はフェイをジロリと睨みつけると、



「何だ、奴隷のクソガキかぶふぇッ」



 店主が口を開いた瞬間、ユーリが問答無用で店主をぶん殴った。暴力事件発生である。



「ちょ、マスター!?」


「クソ店主が。いい加減にフェイと会話するのを止めろと言ったろうに。どうせ口を開けばフェイを罵るしか出来ない無能な人間なんだから」


「だからって殴ることなくない!?」


「殴って性格を矯正してやるのさ」


「いやその理屈はおかしい」



 綺麗な拳が鼻っ面に決まった影響で、店主の顔面は可哀想なぐらいに陥没している。むくりと起き上がった店主は、無言でカゴに入った商品を並べて会計し始めた。

 彼は以前からユーリに「フェイと会話するな、目も合わせるな」と言われているのだ。理由は奴隷を見かけるとすぐに批判するし、権限もないのに他人が所有する奴隷を罵倒するからだ。


 奴隷だからって全人類が虐めてもいい対象ではなく、批判や罵倒を受けるのは間違っている。まあそれ以前に奴隷という制度が撤廃されればいい話だが。


 黙々と商品を並べて金額を計算する店主は、



「五〇二〇ディールだよ」


「はいよ」



 ユーリは財布から一〇〇〇ディール紙幣を六枚出して、代金を精算する。


 店主はそれに対する釣り銭をユーリに手渡し、紙袋へドカドカと商品を突っ込んだ。

 その手つきがあまりにも乱暴で太々しく、腹いせとして適当にやっているとしか思えないほどの荒々しさだった。これは説教されても仕方がない。


 商品を詰めた紙袋を「ほらよ」と突き出してくる店主に対し、ユーリは綺麗な笑みで言う。



「次来るまでに接客態度を直しておきな。もし今日と同じ態度で接客した暁には、アンタを豚に変えるよ」


「…………あざーっしたー」



 店主は何も言うことなく、とっとと帰れとばかりにユーリとフェイを店から追い出す。


 ユーリは商品が詰め込まれた紙袋をフェイに押し付け、さっさと店を出た。

 慌ててフェイはユーリの背中を追いかける。ご主人様の機嫌がちょっと悪いと言うのは、長い付き合いで察することが出来た。



「フェイ」


「何だよ、マスター」


「あそこの店は利用を止めるよ。もっと別の店を探す」


「マスターが言うならいいんじゃないかな」



 実のところ、フェイも先程の店はそこまで気に入っている訳ではない。昔から利用していた店だから通っていただけで、その気になれば他の店に行くことも考えていたのだ。

 ご主人様が言うのであれば、彼女の所有物であるフェイに拒否する権限はない。むしろ諸手を挙げて賛成したい。


 ユーリは「決まりだね」と言うと、



「目をつけていた店がいくつかあるのさ。迷宮区ダンジョンの踏破が終わったら行くよ」


「了解」



 ずっしりと重たい紙袋を抱え直して、フェイは先に進んでいくご主人様を懸命に追いかけた。

 彼女の機嫌はちょっと治ったようだ。いい傾向である。



 ☆



 大量の荷物を抱えて自宅である集合住宅に戻り、フェイは「あー」と一息吐く。


 消耗品が大量に必要となってくるのは分かる。

 それでも、ちょっと重たかったのだ。いくら鍛えていても重いものは重い。スキル【剛腕】とか持っていたら、荷物運びも楽だとは思う。


 必要な消耗品が詰め込まれた紙袋を机の上に置き、フェイはまず洗面所に向かう。外から帰ったら手を洗わなければならないのだ。



「フェイ」


「何だよ、マスター」



 手を洗っている最中のフェイは、洗面所で石鹸を擦りながらご主人様であるユーリの呼びかけに応じる。



「フェイ」


「…………はいはい、ちょっと待ってなー」



 用件を言わずにフェイの名前を連呼するということは、ちょっと色々あるのだろう。今日のご主人様は情緒が不安定だ。


 水で泡だらけの手を洗い、壁に引っ掛けられた手拭いで水気を拭う。それから居間に戻れば、長椅子にちょこんと腰掛けたご主人様が洗面所から戻ってきたフェイを見上げていた。

 美人の上目遣いほど可愛いものはない。フェイの心臓が変な音を立てた。ご主人様ってこんなに可愛かったっけ。


 ユーリは自分の前の床を示すと、



「座りな」


「了解」



 フェイは異を唱えることはなく、ユーリが示した床に正座する。


 ユーリはフェイのくすんだ金髪を撫で、その毛質を堪能するようにわしゃわしゃと掻き回してくる。

 気分は愛玩動物ペットだ。まるで犬や猫を可愛がるかのような手つきにされるがままなフェイは、とりあえずご主人様の気の済むまで撫で回させることにする。別にそんな嫌な気分になるような撫で方ではない。



「フェイ」


「んー?」


「アンタは、アタシが主人だと嫌かい?」



 ユーリが心配しているのは、おそらく高級料理店でアルアに言われたことだろう。


 奴隷は主人に酷い扱いをされた時に、主人から逃げられずに殺されてしまう場合が稀にある。奴隷も死ぬし主人は監督不行届と殺人罪で逮捕されるので、そういうことがないように奴隷を第三者に譲り渡すことが出来る制度があるのだ。

 アルアがフェイに提案したのは、まさにそんな内容である。主人に嫌なことをされていないか、殺されるような心配はないか、という善意からの提案だろう。――まあ、いくらか打算があるだろうが。



「大丈夫だよ、マスター」



 ユーリに撫で回されてボサボサにされた金髪を軽く整えながら、フェイは言う。



「俺はマスターを一人にしないよ」


「……フェイ」



 整えた金髪をやっぱりぐちゃぐちゃにしながら、ユーリはこう返す。



「アタシに不満があるなら言いな」


「ないよ」


「嫌なことは?」


「ないよ」


「アンタはいい子だね」


「マスターに育てられたからな」



 今や実の両親よりも一緒にいる時間が長い付き合いなのだ。

 文字の読み書きも教えてくれたし、一般常識も叩き込まれた。迷宮区ダンジョンでの生き残り方も嫌と言うほど教わった。


 世界のどこかにはユーリ以上に優しいご主人様がいるのだろうが、フェイはユーリが主人でよかったと心の底から思っている。



「そうかい」



 ユーリは満足げに微笑むと、正座するフェイに抱きついてきた。



「フェイ、寝室まで運びな。夕飯まで寝る」


「ん、了解マスター。夕飯は家? それとも外?」


「家にするよ。まだ食材はあったね?」


「うん、ある」


「じゃあ、とびきり美味いのを作りな」


「……つまり何でもいいってことだな、マスター?」



 抱きついてきたユーリを横抱きにし、フェイは仕方なしに甘えたなご主人様を寝室に運ぶこととなった。

 ちなみに余談だが、例外に漏れることなくご主人様にベッドへ引き摺り込まれた哀れな奴隷は、ご主人様の抱き枕として午睡に付き合うことを余儀なくされた。

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