第5話【今日は旅日和】

「おはようございます……」


「おはよう!!」



 翌日、約束通りに迷宮区ダンジョン案内所を訪れれば、すでに車椅子の御令嬢ことアルア・エジンバラ・ドーラとそのお供であるドラゴ・スリュートが待ち構えていた。


 彼女たちも迷宮区踏破にやる気満々のようだ。いい心がけである。

 準備も万端のようで、ドラゴのすぐ側には大量の荷物を積み込んだらしい鞄が置かれていた。探索者が好んで使うような布製の背嚢リュックサックではなく、貴族の御令嬢が持っていくような革製の旅行鞄である。角を使って迷宮主の側頭部でもぶん殴るつもりだろうか。


 ユーリはアルアとドラゴへ交互に視線をやると、



「足を引っ張るようなら置いていくよ」


「私もSSS級探索者シーカーの称号を頂いておりますので……貴殿がいてくれれば置いていかれる心配はありませんよ……」


「意地でも置いていきたくなってきた」



 深々とため息を吐くご主人様の側に控えるフェイは、一つだけ懸念事項があった。


 迷宮区ダンジョン案内所の前に停められた馬車だ。

 乗合馬車の類ではなく、貴族が乗るような豪華な作りの馬車である。貴族の御令嬢であるアルアやそのお供のドラゴ、元貴族のユーリであればまだ大丈夫だろうが、奴隷で一般市民出身のフェイには敷居が高すぎる馬車だった。


 まさか、この馬車に乗るつもりだろうか?



「ま、マスター……ちょっと聞いてもいいか?」


「どうしたんだい、フェイ。便所ならすぐ済ませてきな」


「いや違くて。あの馬車の話」



 フェイは迷宮区ダンジョン案内所の前に停まる馬車を指で示すと、



「あの馬車に乗って遠くの村まで行くのか?」


「馬も遠乗り用の奴だねェ」


「え? 俺も乗るの、あれに?」


「当然だろう? アタシが許可してやるから大人しく乗りな」


「うぇー……」



 奴隷の自分をあんな豪華な馬車に乗せるなど、ご主人様の周囲は一体どんな精神をしているのだろう。聖人か、女神だろうか。

 普通の貴族であれば「馬車が汚れるから奴隷は走れ」と言い捨てて、ついでに唾でも吐きかけてくるほど扱いが酷い。ご主人様はフェイに対してそんな酷い扱いをしないが、アルアならやりそうな予感があったのだ。


 さすがご主人様の元仕事仲間だ。奴隷の同乗を認めるとは、寛大な心を持っている。



「それでは参りましょうか……馬車だと二日程度の距離です……」


「そんなモンかい。一週間近くかかると思っていたよ」


「ええ……それほど遠い場所ですと……さらに荷物が必要になりますから……馬車一台では足りないかと……」



 ドラゴに抱えられたアルアは、いつもの細々とした声で言う。



「今回の主戦力は貴殿らです……少しでも待遇を良くして……最高の成果を出していただくのは当然のことだと思いますが……」


「アタシらだけに戦闘をやらせるつもりかい。引っ叩くよ」


「暴力反対です……」



 出発前から一悶着はあったが、とりあえず全員揃って馬車に乗り込んで目的地を目指して出発した。



 ☆



 ガタゴトと馬車の揺れが心地よく、窓の外を流れていく景色は長閑な草原がどこまでも続いている。


 退屈であるが、平和な風景だ。

 時折、迷宮区ダンジョンから魔物が這い出てくるので、魔物の影がないこの風景は貴重だ。退屈な世界が人類にとって一番いいのだ。



「平和だなぁ……」


「退屈極まりないよ」



 柔らかな馬車の椅子に身体を預けるユーリは、心底退屈そうに窓の外を眺めながら言う。



迷宮区ダンジョンから魔物の一匹でも出てくれれば、迷宮区踏破前の肩慣らしになるんだけどねェ」


「一般人からすれば、この風景は平和に映るんだよ」


「大半は退屈しているに決まっているさね」



 くあぁ、と美女にあるまじき大欠伸をしたユーリは、フェイの肩に頭を乗せてくる。



「寝る」


「何かあったら起こすぞ」


「そうしな」



 馬車の揺れが心地よかったのか、ユーリはすぐに意識を手放した。

 ここにはフェイの他に元仕事仲間のアルアとドラゴもいるのだが、気にせず眠ってしまうとはご主人様の度胸は凄い。恥じらいとか一体どこに置いてきたのだろうか。


 フェイの肩を枕にして安心し切った状態で眠るユーリを目撃したアルアは、



「彼女が他人の前で眠るなんて珍しいですね……」


「そうなんですか?」


「『七つの大罪セブンズ・シン』所属時は……暇さえあれば迷宮区ダンジョンに潜っていましたので……あまり一緒にいることはありませんでしたよ……」



 フェイは規則正しい寝息を立てるご主人様を一瞥すると、



「あの、アルアさん」


「はい……」


「差し支えなければ、マスターが『七つの大罪セブンズ・シン』に所属していた話を聞かせていただけませんか?」


「そういえば……一〇年前以上に購入されたのでしたね……」



 アルアは少しだけ考えてから「いいですよ……」と答える。



「ユーリ殿は迷宮区ダンジョン踏破を趣味とする探索者シーカーで……『七つの大罪セブンズ・シン』には最後に加入された方です……『効率よく迷宮区の情報が手に入りそうだから』という理由でした……」


「マスターらしいなぁ」



 ユーリの希少スキル【強欲の罪マモン】を発動させるには、たくさんの金銭を必要とする。一攫千金を狙うには難しい迷宮区ダンジョンを攻略する必要があり、その情報を得る為にも組合に所属した方が効率がいいと判断したのだろう。

 今ではフェイがあらゆるものに値段をつけて価値のあるものとするので、冒険はいくらかマシになっただろうか。ご主人様のお役に立てているのならば、奴隷として本望だ。


 細々とした声でアルアは話を続ける。



「ユーリ殿の活躍は凄まじいものでした……潜った迷宮区ダンジョンは必ず踏破し……絶対に生還してくる最強の探索者と呼ばれるまで……そう時間はかかりませんでした……『七つの大罪セブンズ・シン』の組合も……ほとんど彼女の功績によって大きくなったものです……」


「アルアさんたちもSSS級探索者シーカーなんですよね?」


「確かにSSS級探索者シーカーですが……我々の功績は……ユーリ殿について行ったから……一緒にSSS級探索者の称号を得られました……彼女がいなければSS級止まりだったかと……」


「それでもSS級ですか……」



 SS級もSSS級も探索者シーカーの中で高い階級であり、SSS級は言わずもがな一番上、SS級はその一つ下の階級に該当する。

 よほどの運と実力がなければS級探索者の階級へ上り詰めるのも困難を極め、一般人が探索者となった場合だと最高でB級が限界だ。SSS級など夢のまた夢である。


 ユーリの攻略について回ってSSS級探索者で、自分の実力だけならSS級にまで行けると豪語できるアルアが凄いとフェイは思う。



「ですから……可能であればユーリ殿には『七つの大罪セブンズ・シン』に戻ってきてほしいのですが……」


「嫌だね」


「あ、マスター起きたのか?」



 いつのまにか眠りの世界から帰還を果たしたユーリは、パッと素早く身を起こすと窓の外を睨みつける。


 雰囲気だけでただならぬ気配を察知したフェイは、窓の外を見やる。

 平和だと言ったはずの草原に、何匹かの動物の影がある。野生動物ではなく、丸々と太った赤い豚に牛の角が生えたこの世のものとは思えない動物だった。



「……あれって」


迷宮区ダンジョンから出てきた魔物だねェ」



 迷宮区ダンジョンは踏破した瞬間に崩壊する迷宮区と、踏破しても残り続ける迷宮区の二種類がある。

 後者の迷宮区は迷宮主の他にも魔物と呼ばれる生物が数多く存在し、迷宮区から時々脱走する個体がいる。あの角が生えた赤い豚も、迷宮区から脱走した魔物だろう。


 ユーリは銀色の散弾銃を引き抜くと、



「アルア、馬車を停めな」


「了解です……」



 アルアが御者に馬車を停めるように指示を出して、緩やかに馬車が停まる。


 停まった瞬間を見計らって、ユーリが馬車の外へ飛び出す。

 ご主人様の背中を追いかけて、フェイもまた馬車を降りた。ちょっと長いこと座っていたので、背骨がゴキゴキと音を立てる。



「フェイ、今日の晩飯は肉料理だよ」


「はいよ、マスター。ちゃんと肉を残して倒してな」


「分かってるよ。新鮮な肉を渡すんだからちゃんと美味しく料理しな」


「努力はする」



 すでに本日の夕飯のメニューを指定してくるご主人様に戦闘を任せて、フェイはご主人様の狩りの様子を眺めることにした。


 肉食獣を想起させる笑みで赤い豚を観察するユーリは、銀色の散弾銃を角の生えた赤い豚に突きつける。

 呑気に草原の花を食んでいる赤い豚は、こちらを獲物として狙うユーリに気付いている様子はない。このまま夕飯の材料になる運命を辿るだけだ。



「一〇万ディール装填」



 金銭を対価に捧げて、ユーリはスキルを発動させる。



「《心臓を止めて死にな》」



 引き金を引けば、弾丸の代わりに願いが叶えられる。

 かくして金銭を対価に捧げてユーリの願いは叶えられ、赤い豚たちは心臓発作を起こして絶命した。これで安心安全にお肉が手に入るということで。


 ――ちなみにこの豚は、フェイとドラゴが責任持って解体した。解体の知識もご主人様仕込みなので、ぎゃーぎゃー騒ぐことなく解体できるのだ。

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