第2話【高級料理店】

「あ」



 迷宮区ダンジョン案内所から車椅子の御令嬢ことアルア・エジンバラ・ドーラを追いかけるようにして出たフェイとユーリは、案内所の前で待機していた背の高い女性と目が合った。


 相手はフェイと同じぐらいの身長を有する、かなり大柄な女性だ。第一印象は「本当に女性か?」と性別を疑いたくなったが、身長と比例するかのように胸部は豊かだ。かなり鍛えているのか、腹筋は六つに割れているし腕や足の筋肉もフェイの比ではないくらいについている。

 顔立ちは、まるで蛇のようだ。金色の三白眼と真っ赤に染めた短髪、薄い唇から垣間見えた舌には自分の尾を飲む蛇の刺青が刻まれている。女性らしさはなく、獲物を狙う爬虫類を想起させる。


 動きやすさを重視して短めの襯衣シャツと細身の洋袴ズボンを合わせ、頑丈な長靴ブーツを履いたその女性はアルアを見つけると瞳を輝かせて駆け寄る。



「お嬢、ご用事は終わりました?」


「ええ……ドラゴ……お待たせしました……」


「いえ!!」



 大柄な女性はアルアの乗る車椅子の取手を掴むと、



「あ、ユーリさんもお久しぶりです!! 組合を抜けられてから見かけませんでしたが、お元気でしたか?」


「見ての通りだよ。アンタは相変わらず、アルアの犬をやってんだねェ」


「お嬢はあたしの命の恩人なんで!!」



 快活な笑みを見せる大柄な女性は、次いでユーリの背後に控えたフェイを見やる。


 三白眼なので睨まれたと思ってしまう。

 穴が開くほどジロジロ観察され、フェイは本能的に視線を逸らしてしまった。蛇に睨まれた蛙の気分を、現在進行形で味わっている。


 奴隷如きが御令嬢のアルアに近づくんじゃねーぞ、とか脅されるのかと思いきや、大柄な女性は「んん?」と首を傾げる。



「お前は見たことないな? どこの誰だ?」


「えっと……」


「アタシの奴隷さ。一〇年以上前に買ったんだよ」



 ユーリはフェイと距離を詰める大柄な女性を引き剥がしながら、



「フェイ、コイツはドラゴ・スリュート。過去にアルアが命を助けたことで恩義を感じたらしくてねェ。それ以来、犬になってんのさ」


「奴隷では……ないってことで、いいのか?」


「そうだよ。ドラゴは奴隷じゃない、あくまでアルアの手駒の一つに過ぎないさ」



 大柄な女性――ドラゴ・スリュートと呼ばれた彼女は、



「よろしくな、ユーリさんの奴隷君!!」


「ど、どうも……よろしくお願いします……」



 顔が怖いのでどうしても恐怖心が先行してしまうが、まあ本人は悪い人ではないのだろう。ちょっと怒らせたら殺されそうだ。


 アルアはドラゴに「車椅子をお願いできますか……」と呼びかけ、ドラゴは慌ててアルアの車椅子の取手を掴み直した。

 キィキィと車輪部分を軋ませながら舗装された石畳を進み、アルアは細々とした声で言う。



「さあ行きましょう……お店はこちらにあります……」



 ☆



 御令嬢が案内する店だからやはり高級な店だと思ったが、まさかのドンピシャだった。



「うわあ……」



 フェイは店の前で立ち尽くしてしまう。


 掲げられた店の看板は金色の文字が踊り、店の雰囲気も酒場とは違って貴族の利用客が多い。店の扉を開ける専用の従業員まで立っている始末だ。

 ユーリが文字の教育を施してくれた影響で、フェイも奴隷でありながら文字の読み書きは完璧に出来る。店先に置かれた看板のメニューはどれも高級食材が使われて、さらに値段も普段から食べている料理の何倍も高い。


 明らかに高級料理店である。奴隷禁制の場合が多い料理店だ。



「マスター、俺は外で待ってるから楽しんできてよ」


「何を言ってるんだい、フェイ。ここはアルアが経営している店の一つだよ」



 ユーリは平然とした様子でそう言い、



「オーナーが来店するんだよ、貸切にするぐらい不可能じゃないだろう?」


「ええ……他の客人にも聞かれたくないので……あらかじめ貸切の状態にしております……」



 アルアは車椅子から立ち上がると、ドラゴに向けてほっそりとして両手を掲げる。


 その意図を汲み取ったドラゴは、アルアの小柄な身体を簡単に抱き上げる。

 さらに片手で器用に車椅子を畳むと、店の前に設置された階段を上った。もう何度もやっている作業だと言わんばかりの手つきだった。



「……マスター、本当にいいの? 俺、奴隷なんだけど」


「オーナーがいいって言ってるのさ。行くよ、フェイ」



 ご主人様に許可を得たので、フェイは人生で一度も踏み込んだことのない高級料理店へ足を踏み入れる。


 扉を開ける従業員が恭しく頭を下げて、嫌がる様子もなく「いらっしゃいませ」と言う。

 奴隷は高級料理店はおろか、消耗品を取り揃える商店すら主人の許可なしに利用することは許されない。フェイも普段買い物をする時はご主人様であるユーリと一緒に行動するが、ご主人様が同伴してても奴隷お断りと言われる場合も多々ある。その時はユーリが店の主人を脅して買い物するのだが、世界は奴隷に優しくないのだ。


 それなのに、今回はオーナーがいるので問題なしである。従業員も人並みに扱ってくれる。ご主人様の仕事仲間万歳である。



「こちらのお席をお使いください」



 従業員に案内された席は、真っ白な布がかけられた四人がけの席である。


 椅子はふかふか、床に敷かれた絨毯もふかふかである。

 事前に磨かれた白い皿が人数分だけ用意され、葡萄酒ワインを飲む為の硝子杯グラスも隅に置かれていた。銀食器には曇り一つなく、自分の顔が映り込むほど磨かれている。


 本当に高級な店だ。奴隷はおろか、一般人にも敷居が高すぎるので今すぐ飛び出したい衝動に駆られる。



「あばばばばばばば」


「フェイ、落ち着きな」


「いや、だって……こんな来たことない……絶対に門前払いされるのに……」



 青い顔でご主人様へ振り返れば、銀髪赤眼の最強探索者シーカーは「安心しなよ」と特に何も気にした様子もなく言う。



「ただ飯を食うだけさね。ついでに仕事の話もする。アンタも気にせず食べたいものを注文しな、どうせ料金はアルア持ちさね」


「ええー……?」


「そうですよ……代金は私が持ちますので……どうぞ遠慮なさらず……」



 まさかの本人からも了承を得られてしまった。


 従業員が運んできたメニューを眠たげな緑色の双眸で眺め、もう注文する内容を決めたのかパタンと閉じる。

 ちなみにフェイにも普通にメニューを手渡された。目の前に投げつけられることもなかった。革の表紙で金色の文字が刺繍された立派なメニューだ。


 おそるおそる表紙を開くと、



「……マスター、メニューの大半が何の料理か分かんない」



 メニューには長々とした料理名が綴られ、何が何だか分からない。大半の料理名が早口言葉として遊べそうなほど長いし、何を言っているのか理解できない。

 これを即座に理解して注文を決めたアルアは凄いと思う。さすが貴族の御令嬢だ。ドラゴが「お嬢」と呼ぶだけある。


 ユーリも同じく退屈そうにメニューを眺めながら、



「じゃあ適当な肉料理にしときな」


「肉料理もどれか分かんないよぅ……」


「アタシも肉料理にするから、それにするといいさね」


「マスターと同じでいいの?」


「好きにしな」


「好きにする」



 フェイはご主人様と同じ料理を注文することにし、料理の選別はご主人様であるユーリに委ねられた。


 しばらくメニューを眺めていたユーリは、フェイの顔を何度か見ながら「未成年に酒はダメだね……」とか「これならいいか……?」と呟いている。ちゃんとフェイのことを気遣ってくれる優しいご主人様である。

 やがて注文が決まったのか、そっとメニューを閉じた。



「仔牛の厚切り肉、コスモスソース添えを二つ。アタシには夕闇の葡萄酒ワイン、フェイには蜜林檎の果実水ジュース


「はい……それでは注文しますね……」



 アルアが片手を挙げれば、即座に従業員が駆け寄ってくる。全員の注文を、あの細々とした声で伝えると、従業員は頭を下げて音もなく下がった。



「それでは……仕事の話をしましょうか……」



 料理を待つ間、アルアは微笑を浮かべて仕事の話題を出してくる。



「ユーリ殿……貴殿に是非協力をしてほしいんです……もちろん報酬は七割をお渡しします……」


「随分と気前がいいじゃないかい。それほど難しい迷宮区ダンジョンなのかい?」


「ええ……ここ三日で五〇人ほどの探索者シーカーが消えました……」



 途方のない数字を耳にしたフェイは噴き出しそうになるが、黙って話を聞くことに集中する。


 五〇人とはなかなかの人数だ。

 それがたった三日間で消えたとなると、相当の難易度を誇る迷宮区ダンジョンとのりそうである。



「迷宮区の名前は【スターダスト】……どうかご協力をお願いします……」



 それに対するユーリの返答は、決まっていた。



「いいじゃないかい。詳しく話を聞かせな」



 迷宮区踏破を趣味とする最強の探索者シーカーが食いつくのは当然だった。

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