第8話【水の迷宮区】

 中央広場に急いで向かえば、そこには大勢の探索者シーカーがいた。


 誰も彼も有名な探索者で、ユーリと同じく未踏破な迷宮区ダンジョンを攻略することを生き甲斐にしている命知らずどもだった。

 お前が失敗したなら俺が、という感じで順調に中央広場の噴水に飛び込んでいるが、やはり飛び込んだ探索者は帰ってこない。死んだのだろうか。


 そんな光景をぼんやり眺めるフェイとユーリは、



「あれだけ挑戦者がいれば、誰か一人ぐらいは攻略できるんじゃねえかな」


「全員して雑魚ばかりなんだねぇ。アタシも驚きだよ」



 そんなことを言う最強探索者シーカーなご主人様は、星の数ほどいる挑戦者を押し退けて中央広場の噴水に歩み寄る。


 唐突な割り込み行為に周囲の探索者から「おい並べよ」「順番を守れ」と批判が上がるが、ユーリは右から左に受け流していた。居た堪れなくなって視線を逸らしたのはフェイだけである。

 文句を言うなら力づくでも退かせばいいのに、何故か他の探索者たちはユーリに指一本触れようとしない。彼らも「この探索者に触れたらやばい」と感じているのだろう。その感覚は正しいものだ。


 フェイはユーリの外套を軽く引っ張ると、



「他の探索者シーカーもいるんだから、順番待ちしようよ」


「雑魚の探索者に任せれば、全員が犠牲になるよ。もう一〇〇人以上も飲み込ませておいて、誰一人成功者なんていないのさ。そのうち探索者の人数が激減するさね」



 ユーリは形のいい鼻を鳴らすと、



「今まで成功者はおろか、途中で投げ出して帰ってきた探索者もいないんだろう? だったら踏破する以外の方法はないよ。雑魚に任せていられないね」


「何だとぉ!?」



 雑魚と連呼されたことで、他の探索者シーカーが怒りの声を上げた。


 当たり前である。彼らも探索者としての誇りがあるのだ。

 それを何度も「雑魚」と呼ばれて、怒らない訳がない。生活の為、自分の夢の為に彼らは危険な探索者という仕事を選んだのだから。


 しかし、ユーリは非情だった。大人しく順番待ちをする探索者たちに銀色の散弾銃を突きつけると、



「一〇万ディール装填」



 容赦なくスキルを発動させる。



「《吹き飛べ》」



 引き金を引くと同時に、対価を代償にして彼女の願いが叶えられる。


 いくら大振りの散弾銃でも一挺のみしか持っていないのだから、せいぜい吹き飛ばせても一人か二人ぐらいだろう。散弾銃の構造から何となく予想は出来る。

 ――まあ、そんな常識などスキルで作られた銀色の散弾銃の前では通用しないのだが。



「ぎゃあああああああッ!?」


「わああああああああッ!!」


「何でえええええええッ!?」



 噴水の近くに集まっていた探索者シーカーが、残らず吹き飛ばされた。

 それはもう、嵐の中で舞い上がる枯れ葉の如く呆気なかった。抵抗する暇さえ与えてもらえず、探索者たちは見事に吹き飛ばされて舗装された石畳に叩きつけられた。


 何が起きたのか分からず目を白黒させる探索者たちを放っておき、ユーリは噴水の台座に足をかける。



「行くよ、フェイ」


「あいよ」



 フェイはそもそもユーリが所有する奴隷なので、最初から拒否権など存在していない。彼女が「行く」と言えば行くのだ。


 胸中で文句を叫ぶ探索者たちに謝罪して、フェイは噴水に飛び込むユーリを追いかけた。

 まあでも、以前に迷宮区ダンジョンは早い者勝ちと聞いていたので、他人に対する申し訳なさはそこまでなかった。律儀に順番待ちをしている奴らが悪いのだ。フェイもだいぶご主人様の性格に染まってきたような気がする。



 ☆



 普通であれば飛び込んだ瞬間に顔面と噴水の底が正面衝突を果たすはずだが、迷宮区ダンジョンの入り口となってしまった噴水は底がなかった。


 飛び込んだ途端に続いていたのは深い闇。星空でも何でもなく、ただの真っ黒い空間と物凄い勢いで流れる水の道が一本だけ伸びていた。

 どこまでも続く激流に揉まれながら訳の分からない空間を運ばれていくフェイは溺れながら悲鳴を上げていた。



「がーぼぽぼがぼごぼがぼぼほぼぼぼ!?」


「何言ってんのか分からないよ、フェイ」



 水の中を溺れるフェイを引っ張り上げたのは、ご主人様であるユーリだった。


 最強探索者シーカーと名高い彼女でも、さすがにこの激流に抗う術は有していないらしい。

 極めて脱力した状態で上手く水に浮かびながら、なおも激流に対して抗おうとするフェイを抱き寄せる。希少スキル【強欲の罪マモン】を使えば窮地を脱することも出来なくはないだろうが、ここで金銭を消費するのは惜しいらしい。


 大量に水を飲み込んでしまった影響で咳き込むフェイは、ユーリの華奢な身体を抱きしめながら叫ぶ。



「ま、マスターこれどうにか出来ないかッ!?」


「迷宮区での転移はお勧めしないよ。どこに出るか分からないからねェ」



 しれっとそんなことを言うユーリ。


 迷宮区ダンジョンに於ける瞬間移動や転移などの行動は推奨されていない。狡いとかそういう訳ではなく、瞬間移動や転移をした途端に訳の分からない場所へ放り出されて命を落とす事件が増えているのだ。

 命を大切にしたいのであれば、転移や瞬間移動などの便利なスキルに頼らず、自分の足で踏破せよ――ユーリは常にそう言っている。何事も自分の足が一番信用できるのだ。


 もしかして、一〇〇人以上も犠牲になったのは、この激流が原因ではないだろうか?



「マスター、俺たちもやばいんじゃない……?」


「まあ、確かにそうかもねェ」



 ユーリは平然と言い、



「いざとなったらスキルを使ってでも逃げるよ」


「俺はマスターにしがみついてていい?」


「好きにしな」


「好きにする」



 すると、遠くの方からザァザァという水の落ちる音が聞こえてきた。


 どうやら出口が近いらしい。溺れそうになるこの空間からオサラバだ。

 黒だけで塗り潰された空間がパッと唐突に開け、激流に乗せられて運ばれてきたフェイとユーリを迷宮区内に招き入れる。



「うわあ……」



 目の前に広がる幻想的な風景に、フェイは思わず感嘆の声を上げた。


 澄み渡った青空にポコポコと何個か雲が浮かぶ。空中を漂う巨大なかめ如雨露ジョウロからザァザァと水が流れ落ち、立派な滝を作っていた。

 中心には水皿のようなものが置かれ、そこに石造りの神殿が浮かぶ。水皿には綺麗な蓮の花が何個も揺蕩たゆたい、来訪者を今か今かと待っていた。


 現実的には有り得ない絶景――これこそまさに神々が気紛れで作り出した迷宮区ダンジョンだ。



「凄え……」


「フェイ」


「何だよ、マスター」


「アンタ、下は見ているかい?」


「下?」



 ユーリに言われて、フェイは足元へ視線をやる。


 下はなかった。

 遥か彼方に雲海があるだけで、水は何かに受け止められる訳でもなくただザァザァと落ち続けている。ついでに虹も出来ちゃっている。綺麗だ。


 さて、ここで問題。

 激流に運ばれていたフェイとユーリは、唐突に途切れたこの激流から放り出された場合、果たしてどうなるだろうか?



「ッ、ぎゃああああああああああああああッ!?」


「うるさッ」



 ゆっくりと落下を開始していき、フェイは出せる限りの悲鳴を上げて、ユーリは自分の所有物が響かせる悲鳴に顔を顰めた。


 だってこれはダメだ、確実に死んでしまう。

 どう足掻いても遥か下にある雲海に飲み込まれて、落下死がいいところだ。もうダメだこれは死ぬしかない。


 あまりの恐怖にフェイはユーリの華奢な身体を抱きしめ、



「まままままマスター助けて!! 助けて!!」


「落ち着きな、フェイ」



 ユーリは銀色の散弾銃を取り出すと、



「一〇万ディール装填」



 銃口を晴れ渡った青空に向け、引き金を引いて願いを叫ぶ。



「《あの神殿の近くまで連れて行け》!!」



 金銭を代償に支払われた願いは確実に聞き届けられ、フェイとユーリの身体がフッと掻き消える。


 雲海の下に広がる不明の世界に叩きつけられることなく、フェイとユーリは水皿に浮かぶ神殿の付近まで瞬間移動した。

 迷宮区ダンジョンに於ける瞬間移動や転移は推奨されていないが、行き先がハッキリしていればこれほど便利なものはない。おそらくこの迷宮区、瞬間移動や転移のスキルを持っていないと石造りの神殿まで辿り着けない不親切設計になっている。


 綺麗な白い石の床に背中から落ちたフェイは「痛ッ」と呻くと、



「マスター、平気かぁ……?」


「見ての通りさね」



 着地に成功したユーリは、無様に寝転がるフェイに手を差し出す。



「アンタも馬鹿だねェ。受け身くらいしっかり取りな」


「はは……面目ないです」



 ユーリの手を借りて起き上がったフェイは、キョロキョロと周囲を見渡す。


 白い石の床はヒビや汚れすらなく、水の中に浮かんでいるにも関わらず水が染み込む気配すらない。

 水に浮かぶ色とりどりの蓮の花には『一万ディール』『五〇〇〇ディール』とピンからキリまで値段に差があった。おそらく鮮度の問題だろう。もうすぐ枯れる蓮の花は値段が安く、逆に長く咲きそうな蓮の花は値段が高い。


 フェイはユーリに花にも値段がついていることを伝えようとするが、



「隠れてないで出てきな」



 ユーリが神殿を睨みつけたまま言うので、何事かとフェイは顔を上げる。


 その言葉に従って、神殿の柱の影から現れたのは三人組の探索者シーカーだった。しかも奴隷を連れている。

 髪の毛の生えていない筋骨隆々とした探索者の男、その後ろにはお供が二人。そして鋼鉄の首輪を装着した、ボロボロの衣服を纏う奴隷の少女が一人。


 どこかで見たことのある組み合わせだと思えば、探索者の方は酒場でフェイを投げたことでユーリに喧嘩を売った馬鹿探索者で、奴隷の少女は案内所でフェイに主人の交換をせがんできた少女だ。



「よう、頭のおかしな探索者とその奴隷クンよ」



 ニヤリと笑うツルッパゲな探索者に、ユーリがした行動は単純だった。



「《水に沈め》」



 金銭を対価に願いを叶える希少スキルを発動させ、ツルッパゲの探索者だけを水の中に転移させて沈めた。



「がーぼぼぼぼごぼぼぼぼがぼごぼぼぼ」


「あーははははははは!! 無様だねェ、気分はどうだい? あははははははははははは!!」



 どうやら水皿は以外と深いようで、懸命に石造りの神殿の敷地に上がろうとするツルッパゲの探索者シーカーを蹴り落とし、さらに頭を踏みつけて水の中に沈めながらユーリは高らかに笑った。


 その間、ツルッパゲ陣営の探索者と奴隷は何も出来ずに呆然と突っ立っていたし、フェイはフェイで値段の高そうな蓮の花を摘んでは並べていた。

 ちゃんと自分が買われた理由を全うする出来た奴隷なのである。

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