第2話【制限時間】

 グツグツと煮えたぎる溶岩は、容赦のない熱気を探索者たちに与えてくる。



「あっつい……」


「暑いねェ」


「そうですね……」


「暑いね!!」


「気力が失われていく……」


「バテてきたー」



 吸い込む空気にすら暑さが孕み、真夏のような心地いい暑さではない。もう完全に黒焦げになって死んでしまうほどの酷い暑さだった。

 それでも死なないのが、ここが大迷宮ラビリンス【アビス】の内部だからだろう。一体どこの階層を歩いているのか不明だが、この程度の暑さに耐えられないで踏破など夢のまた夢とこの迷宮区ダンジョンを作った神々も言っているのか。


 額から垂れ落ちた汗を拭うフェイは、



「マスター、大丈夫?」


「何が?」


「何がってこの暑さ――」



 ご主人様のユーリへ振り返れば、彼女は氷嚢ひょうのうを頭に乗せていた。どこから出した、そんなもの。

 便利なことに、彼女のスキルは金さえ払えば何でも願いを叶えてくれる【強欲の罪マモン】と呼ばれる特殊スキルだ。頭に乗せた氷嚢も、おそらく自分のスキルで出したものだろう。羨ましいことをするご主人様だ。


 フェイはユーリへ恨みがましげな視線をやり、



「マスター、何その氷嚢」


「スキルで出したのさ」


「俺の分は?」


「自力でどうにかしな」


「出来るかぁ!!」



 このクソみたいな暑さを自力でどうにか出来る日が来たら、フェイ自身も外れスキルで奴隷の身に落ちることはなかったかもしれない。多分、奴隷商人を殴って逃亡でもしたかも。

 可能性があるとすれば強い自己暗示だが、どれほど自分に「暑くない」と暗示をかけてもその分だけ暑さが増す気がするので暗示も無意味だ。もう物理的に冷やす他はないのである。


 ダラダラと同じく汗を流すアルアも、氷嚢を頭に乗せるユーリに背後から忍び寄る。



「ユーリ殿……羨ましいものを頭に乗せていますね……少しばかり分けるということはありませんか……?」


「アンタの場合は溶岩の中に突き落としてやるさね」



 フェイの場合は愛のある雑さだったが、アルアの場合は本当に雑というか嫌悪感すらあった。氷嚢を分け与えるなどという殊勝な考えはご主人様にはないらしい。



「ほら、とっとと行くよ。さっさと進みな、フェイ」


「横暴だぁー……」


「背中から氷嚢を押し当ててやるから頑張りな」


「わぁい」



 肩甲骨辺りをグリグリと氷嚢で押されて、フェイのやる気も少しだけ回復した。氷がいい感じに刺激されて目覚めにもなる。


 溶岩の中に浮かぶ心許ない石の道を進みながら、フェイはこの先で何が待ち受けるのか想像する。

 ――ダメだ、暑さのせいで何も考えつかなかった。



 ☆



 溶岩の中に浮かぶ石の道は、ぐねぐねと複雑に曲がりくねっており迷路みたいな様相をしている。

 ただの迷路であればフェイもよかったのだが、手摺や壁の存在はないので足を滑らせれば溶岩の中に真っ逆さまである。骨まで溶けて死体すら残らない。


 ご主人様に氷嚢を押し当ててもらって暑さは少しだけ弱まったが、まだまだ暑い。網膜すら焼かん勢いの赤々とした溶岩がボコボコと音を立てていた。



「この先って何があるんだろうなぁ……」


「ここまで来れば、もう最下層まで近そうだけどねェ」



 燃え盛る炎が頭上を通り過ぎていく様を眺め、ユーリはのほほんとそんなことを言う。



「確かに溶岩まで出てくれば最下層付近だとは思いますが……ここは大迷宮ラビリンス【アビス】です……数え切れないほどの迷宮区ダンジョンが組み合わさった奈落の底……永遠に続くかもしれませんね……」


「えー、この次に氷の世界が待っていたらわたしやだよー」



 顎から伝い落ちる汗を手の甲で乱暴に拭ったルーシーは、どこか嫌な表情で言う。この鬱陶しいほどの熱気が嫌になっているようだ。


 フェイたちは死ぬほど寒い階層を通り過ぎてきたのだが、不思議と否定できない。

 進むほど底に向かっている訳ではなく、上の階層に戻される可能性も否めないのだ。入る際にランダムで放り込まれる階層が決まるのであれば、階層を突破するごとにまたランダムで別の階層に放り込まれていたら永遠に最下層まで辿り着けない。


 この溶岩と炎が入り乱れる暑いだけの階層を通り抜けた途端に寒いだけの銀世界に逆戻り、という予想できそうな未来を頭の中で思い浮かべてフェイは「うへぇ」と顔を顰めた。汗だらけであの銀世界に放り込まれたら、今度こそ風邪を引く自信がある。



「ねえ、あれは何かな!!」



 唐突にドラゴがどこかを指差しながら言う。


 彼女の指先を視線で辿れば、ボコボコと煮えたぎる溶岩の向こう側に塔のようなものが立っていた。

 よく見ると、それは砂時計のような形をしている。つるりとした硝子製の瓶の中には虹色に輝く砂が入っており、上から下へ向かってサラサラと落ちている。瓶の上部に詰め込まれた虹色の砂は半分程度の量となっていた。



「制限時間さね」



 溶岩の中に聳え立つ巨大な砂時計の塔を眺めるユーリが、そう言った。



「この大迷宮ラビリンス【アビス】にいれる時間さね。一週間以内に踏破しなけりゃ次は一〇〇年後だからねェ」


「知っているような口ぶりですが……前回挑戦した際にこの階層まで来たのですか……?」


「いいや、ここの階層は初めてさ」



 疑問の眼差しを向けてくるアルアに、ユーリはあっさりと答える。



「だけど、あの砂時計は色々な場所で見かけたことあるよ。今まで通ってきた階層にはなかったものだけれど、他の階層ではあるんじゃないかい?」


「では半分程度ということなら……残りは4日ぐらいでしょうか……」


「その判断でいいんじゃないかい」



 ユーリは先頭に立つフェイの背中を小突くと、



「ほら、時間がないよフェイ。次に進まなけりゃ4日経っちまうからね」

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