第7話【井戸の中の星空】

 やや長めの旅路の果てに、ようやく目的地である農村に辿り着いた。



「平和だぁ……」


「退屈な風景だね」



 フェイとユーリで抱く感想が真逆なのが面白いが、とにかく目の前の農村は平和であり退屈だった。


 建物は数十軒ほどあり、それ以外は全て農作物を育てている畑がある。子供たちも積極的に両親の畑仕事を手伝っている様子で、仕事がない場合は泥だらけになりながらそこら辺を駆け回っていた。

 確かに地図上の片隅に載るか載らないか危ういほど、小さな農村だ。こんなところに迷宮区ダンジョンを作るなど、神様も意地悪である。


 車椅子に座ったアルアが、ドラゴに押されながら言う。



「こちらです……すでに村長には許可を得てありますので……」


「手際がいいじゃないかい」


探索者シーカーが次々と飲み込まれていますから……この農村の皆様の為にも早急な踏破が必要かと思いまして……」



 アルアが先導し、迷宮区ダンジョンが作られたという井戸を目指す。


 農村の子供たちが見慣れない集団を見かけて興味を持つが、両親たちに「仕事しなッ!!」と一喝されていた。それでも大人たちも興味があるのか、こちらを何度かチラチラと盗み見ていたが。

 檻に入れられて眺められるだけの動物になった気分だ。とんでもなく居心地が悪い。身体がむず痒くなってしまう。


 居心地悪そうに身体を揺らすフェイに、ユーリは「どうしたんだい」と振り返る。



「いや……なんか注目されるのが慣れなくて」


「こんな辺鄙へんぴな農村に来れば、探索者シーカーなんて珍しいことこの上ないからねェ。気にするんじゃないよ、フェイ。アンタは迷宮区ダンジョンのことだけを考えてりゃいいのさ」


「はぁい」



 ご主人様に言われて、フェイはこれから挑む迷宮区ダンジョンについて考えを巡らせる。どれほどお宝が眠っているのか、値段の高い品はあるだろうか。あれば片っ端から値段をつけて、ご主人様のスキル活用に使ってもらおう。


 そんなことを考えていると、アルアとドラゴの歩みが止まった。

 彼女たちの前には腰の曲がった老人が立っていて、老人の側には古びた井戸がある。今は使っている様子はないのか、木で作られた柵を張り巡らされて近づけないようになっている。


 腰の曲がった老人はプルプルと震えながら、やや興奮気味に言う。



「おお、おお。かの有名な『七つの大罪セブンズ・シン』にお越しいただけるとは、大変恐縮でございます……」


「こちらが件の迷宮区ダンジョンですか……?」


「はい。迷宮区【スターダスト】になります」



 老人はしわくちゃな手でアルアの滑らかな手を掴むと、



「頼みます、探索者シーカー様。もう何人も村の奴らが迷宮区ダンジョンに落ちて、帰ってこないのです。せめて亡骸だけでも回収を……」


「残念ですが……おそらく遺体は迷宮区ダンジョンを彷徨う魔物の餌になっていることでしょう……諦めた方が賢明です……」


「そんな……」



 ガックリと肩を落とす老人。


 迷宮区ダンジョンに一般人が落ちた場合、その遺体はほとんど見つからない。迷宮区内を彷徨う魔物に喰われているか、迷宮区の罠に引っかかって消し炭になっているかの二択だ。

 遺体を回収する、というのは迷宮区に慣れている探索者シーカーなら簡単だが、滅多にやらない仕事である。ないものはないのだ。


 ちょっと可哀想に思うが、フェイは何も言わなかった。ユーリも他人が生きようが死のうがどうでもいいのか、欠伸をしながら老人の話を聞いていた。



「それで、そちらがかの有名な最強の探索者シーカーでございますか?」


「はい……彼女こそが此度の迷宮区ダンジョン攻略の鍵となります……潜った迷宮区は必ず踏破する実力を持った最強の探索者シーカー……」


「あ?」



 アルアに紹介されたのが気に食わないのか、ユーリは低い声を出すと同時に車椅子の御令嬢を睨みつけた。


 ちょっと怖い雰囲気など目もくれず、老人はしわくちゃな手でユーリの手を握ってきた。

 ご主人様は途端に嫌な顔をした。強制的に握手をされて気分がダダ下がりのようである。



「おお、おお……これはまた、何と美しいお方だ。迷宮区ダンジョン踏破は貴方様にかかっております、是非成功を」


「女の手を握るんじゃないよ、エロ爺!!」



 ユーリは老人の手を振り払うと、握られた手をフェイのつなぎで拭いてきた。何故だ。



「マスター、握手だけなら我慢した方がいいんじゃない? 相手はお爺さんだし」


「あの野郎、握手すると見せかけて執拗にアタシの手を撫で回してきたのさ。気持ち悪くて仕方がないよ」


「何してんだ爺ッ!!」


「ひゃーッ!!」



 強烈な手のひら返しを見せたフェイは、奴隷だの何だのという立場をかなぐり捨てて老人の胸倉に掴みかかった。さすがにご主人様関連は、フェイでも許せないことがある。


 老人は唾を飛ばしながら「何じゃいお前!!」と叫んでくるが、しわくちゃで腰が曲がった老人と日頃から迷宮区ダンジョン踏破に命を懸けている成長期の若者では力の差がありすぎる。

 脳震盪を起こさんばかりにガックンガックンと老人を揺さぶるフェイは、老人に負けない声で怒鳴った。



「ウチのマスターに気安く触ってんじゃねえぞ、エロ爺!! 三メートルぐらい離れて地べたに這いつくばりながら鑑賞しろ!!」


「フェイ、アタシは美術品でもないんだよ」



 ユーリはため息を吐くと、老人を揺さぶるフェイに「戻ってきな」と呼びかける。


 ご主人様のご命令とあれば仕方がない。

 フェイは大人しく老人を解放し、ご主人様の背後に控えた。ただし眼光だけはいつもより鋭くしてある。このクソエロ爺が、いつまたユーリに近づくか分かったものではない。


 さすがにフェイの怒声が効いたのか、老人は不満げに唇を尖らせながら井戸を顎で示す。



「美人なねーちゃんたちは無事に戻ってくることを祈っているが、野郎は興味ないのじゃ。とっとと死んでこい」


「お前から迷宮区ダンジョンに突き落としてやろうか、エロ爺」



 必要ならば拳で対抗するのもやぶさかではない。暴力を振るった方が問題は素早く解決しそうだ。



「止めな、フェイ」


「何でさ、マスター」


迷宮区ダンジョン攻略前に余計な労力を使うんじゃないよ。――それに」


「それに?」


「……何でもないよ」



 ご主人様は何故か周囲を見渡して「何でもない」と言ったが、何を見て言ったのだろうか。


 自分のことには鈍感なフェイにはあずかり知らないことだが、実は農村の女性たちの視線をフェイが独り占めしていたのだ。

 すらりと高い身長に迷宮区ダンジョン探索の為に鍛えられた肉体、それから若々しい年齢ということも相まって子供から大人までフェイに熱視線を注いでいる乙女たちが多かったのだ。


 ユーリからすれば、いつ村の女どもが言い寄ってくるか気が気ではなかったのだろう。ジロリとこちらを見つめてくる乙女たちを睨みつけると、フェイの腕を掴む。



「ほら、早く行くよ」


「了解」



 ご主人様に腕を引っ張られ、フェイは木の柵に囲まれた井戸の中に飛び込むのだった。


 普通なら底が見えるはずの井戸は、どこまでもどこまでも落ちていく。

 石を積まれた壁はいつのまにか消え、代わりに視界の端で白い何かが瞬く。まるで夜空に瞬く星屑のようだが。



「マスター? これどこまで続くんだ?」


「もうすぐ着地するよ。準備しな」


「はいよ」



 ご主人様に言われて、フェイは着地に備える。


 やがて地面らしき場所に着地を果たし、フェイは落下の感覚がまだ消えないような気がした。

 何故なら目の前には、現実とは遥かにかけ離れた迷宮区ダンジョンの光景が広がっていたのだ。



「うわ……」


「これは凄いねェ」



 ユーリもこんな迷宮区ダンジョンは初めてなのか、その絶景を前に瞳を輝かせた。


 目の前に広がる迷宮区は、満天の夜空だった。

 紺碧の空がどこまでも続き、白銀の星々がチカチカと瞬く。星々は地面にも散らばっていて、道を形作っていた。


 確かにここの迷宮区は【スターダスト】の名に恥じない、夜空と星々が中心となった迷宮区だ。



「では……行きましょうか……」



 ドラゴに抱えられて迷宮区ダンジョンにやってきたアルアは、



「どれほど危険な迷宮主は不明ですが……多くの探索者シーカーが命を散らしました……気を引き締めて参りましょう……」

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